拳士起つ
『―――あの〈妖魔〉たちのことが聞きたいのかい?』
無駄に広く何もない甲板室で、”ゆかり”が宙を見つめていた。
質問責めは面倒くさいので嫌だというのが如実に表れている。
出航前に騎士たちに散々色々と喋らされたのがかなり効いているらしい。
とはいえ、俺たちとしてはこいつの機嫌を気にしていられる状況ではない。
なんといっても、五体のあの〈妖魔〉を相手にして双璧の二人が苦戦したという事実があるからだ。
「おまえ、さっき船倉の最下層にまだたくさんいるということを言っていただろう。おまえの差し金じゃないのか?」
『それはないよ。僕はこの〈方舟〉で快適な船旅を送ってもらうためにここにきている。ここで君らを襲わせる算段はしていない』
「じゃあ、なんで〈妖魔〉が出てきたんだよ」
“ゆかり”は肩をすくめて、
『腹が空いたんだと思う』
「……腹が空いた?」
『ああ。君たちは、あいつらが最下層に閉じ込められていたと錯覚しているみたいだけど、別にそんなことはしていない。普通に未来の帝国の民を輸送するのに邪魔だったから、隅っこに捨てておいただけだ』
「ん?」
こいつの言っていることがよくわからなかった。
『不老不死で暴れ者の化け物と戦うのは厄介だ。特に〈妖魔〉は首をはねても、五体をバラバラにしても倒すことができない。この世界の物理法則を無視するからな。おまえたちはそういう場合はどうする?』
その問いに応えたのはナオミだった。
「弱点のない不死者相手ならば、魔導での封印や地底のそこに隔離するという手段が用いられたと聞いている。そういう形で封印された魔人衆などの話は、世界のあちこちに散らばっている。うちの国でも、大公ヴィスクローデさまが凶悪な魔人衆をその方法で世界の涯に封印したという伝説がある」
『おお、懐かしいね。〈猛蛇公〉ヴィスくんかい? 彼とのことはよく覚えているなあ。……で、まあ、君の言う通りだけど、実のところ不死者というのはそれほど厄介な存在ではない』
「どういうことだ?」
『さっき君らがやったように放逐してしまうというのもいい手だし、わざわざ、封印したりしなくても足りるということさ』
俺たちは眉をしかめた。
『彼らだって一応は生きている。生きているといっていいかは曖昧だが、なんらかのエネルギーの供給がなければ活動することができないという意味ではそうなる。それはよほど特殊な存在以外は例外ではなく、動くための外部からのエネルギーを与えられなければ腹が空いて動けなくなるということだ』
「……」
『ここの最下層にいる〈妖魔〉たちは何百年も何も食っていないのでね。腹が空いて身動き一つとれない状態だったのさ。暴れるどころか立ち上がることさえもできないぐらいにね。だから、君らの言う〈手長〉に命じて一か所に集めておけば問題なかったという訳だよ』
そりゃそうだ、と思わず納得しかけた。
確かにどんなに強い生物であったとしても、飯を食わねば餓死をしてしまう。
不死身の生物であっても何かを糧にして動いているというのならばそれがなければ動けなくなるのは至極当然のことだ。
あの〈妖魔〉たちの白い肌を思い出す。
空腹状態のまま、暗いところに寝っ転がっていればああなってもしかたのないところか。
「……だけど、それだとおかしいよね。あいつら、私たちに向かって来たよ。お腹が減って動けないはずじゃないの?」
タナが指摘した。
実際に戦ったタナからすれば気になるところだろう。
『僕もあいつらが動けるとは思っていなかったから、それは同感だね。まあ、僕の考えだと、多分最後の力を振り絞ってでも動かなければならない理由があったんだろう』
「その理由って?」
『極上の餌の登場さ』
「エサ?」
『……〈妖魔〉は非魔導的存在だから、魔導を力の源泉としているものを食用とはしないんだ。だから、〈手長〉や〈脚長〉がどんなにいても食べようとはしない。反対にただの生物は食用として認識するけど、あいつらが必要とする栄養価がほとんどないんでね。そこまで執着しない。だが、あいつらの食欲を満たし、力を完全に取り戻させる餌が例外的に存在する』
「なんですか……それは?」
『古今東西、化け物にとっての甘露といったら聖なるものさ。神に仕え、御仏に帰依し、人々を救う聖人たち。そういった清らかなものを頭からバリバリ食べれば、どんなに衰弱していたとしても完全に恢復する。そして、何百年ぶりにその餌がこの〈方舟〉に辿り着いた』
「まさか……」
“ゆかり”は俺たちを見回し、
『君たちさあ。自分たちがどれだけ、聖女に相応しい連中なのか理解してる?』
「聖女等と呼ばれるほど、わたしたちは清くも正しくもないぞ」
「そうだよ」
『―――一角聖獣の寵愛を受けて聖性をその身に帯びているのに? 数えきれない衆生の生命を救い、今また敵対していた帝国の民草すらも助けようとしているのに? それだけの自己犠牲を躊躇いなく行える女たちが、聖女ではないと? 自己評価はもう少し高くしてもらわないと会話にならないな』
褒めているのか貶しているのかわからんやつだな。
『いいかい? 君たちは紛れもなく聖女だ。そして、君たちがどれほどの自覚を得ているか知らないが、腹をすかせた〈妖魔〉たちにとって君らほど美味しい甘露はどこにもないかもしれない。一歩も動けなかったはずの連中が魔法円を起動させて甲板まで這い出して来るぐらいにね。あいつらは君らの芳しい匂いを嗅ぎつけたからこそ、ひいひい言いながらやってきたのさ』
「……私たちをエサにしようと?」
『そうだよ』
さすがの騎士たちも顔を見合わせて、何とも言えない気持ち悪そうな顔をしていた。
戦いにおいて食い殺されることは覚悟していたとしても、最初から餌として認識されてまるでしつこい求婚者のように殺到してくる相手のことを考えたことはないのだろう。
乙女の潔癖が拒否しているというのもあるだろうが。
「つまり、あいつらはここの女たちを餌として認識して、上まで来たということでいいのか?」
『間違いないね』
「……船倉にいるという残りの連中も来ると思うか?」
『まず、確実に。さっきの五体はまだまともに動ける連中だったのだろうから、もう少し時間はかかるだろうが、残りの〈妖魔〉もすべてやってくるだろうね。これが時間の涯で朽ちる前の最後の食事の機会だからさ』
「―――残りの〈妖魔〉の数は?」
『およそ三千』
絶句した。
それほどの数がいるということだけでなく、船倉に邪魔にならないように押し込まれていた連中がそんなにいるということにだ。
果たして〈方舟〉の中はどれだけの広さがあるというのだ。
時空が歪んでいるというのも満更嘘ではないらしい。
「三千か……それは厄介だな……」
「そうね。一斉に出てこられても、断続的に投入されたとしても、こちらとしては打てる手は限られているし、苦戦しそう」
「片っ端から海に叩き落していくしかないと思うけど」
「それしかないんだが……おそらく人手が足りない」
「やっぱり」
「ああ。騎士団が全員そろっていればともかく、今のわたしたちはセスシスを含めても八人しかいない。さっきのあいつらの尋常ではない前進圧力を考えると、数に押し包まれるおそれがある」
「ユニコーンがいてもか?」
「”ロジー”の本来の力が出せれば問題はないが、後のことを考えるとここで出し惜しみをしたいところなんだ。……しかし、今の我々の戦力では分が悪いとしかいいようがない……」
“ゆかり”の話によれば、船倉に潜む〈妖魔〉たちは間違いなくこちらに上がってきて、騎士たちに襲い掛かるだろう。
その攻撃を凌ぎきれるか?
そこがポイントなのだ。
俺も〈剣の王〉があるので、これを振るえばなんとか力にはなれるが、あれほどの〈復元〉を持つ敵が集団でやってくるとなると確かにきついだろうな。
「そもそも、あいつらは何なんだ? 〈妖魔〉ということは俺と同じなんだろうが、それがどうしてこの〈方舟〉に乗っている?」
ナオミやタナたちが必死で頭をめぐらせている邪魔にならないように、俺は気になっていたことを問いただしてみた。
『聖一郎のできそこないと言ったよね。あいつらは、かつての帝国から僕たちがきた未来までの数百年の間に召喚びだした別世界の人間たちさ』
「なんのために……だよ?」
「それはもちろん、〈剣の王〉を振るい、時間の巻物を切り裂いて、歴史を修正するためだよ。未来の帝国というか、大陸の惨状を無かったことにして、帝国の衰退を変更させる。そのためさ」
この世界の未来が相当まずいものに成り果てるということは俺も知っているが、詳細までは知らない。
皇帝に聞いたところによると、〈手長〉などがごく普通に跋扈する世界だということぐらいしかわからない。
世界中に高濃度の魔導力が溢れ、おそらくは死と戦乱の入り乱れる場所だったのだろう。
ネアはそこまで予想していたが、実際にはなんともいえなかった。
だから、そこまで狂った世界をやり直すために経過した時をなかったことにする。
帝国はそう決めたのだろう。
失敗した絵画をキャンパスごと塗りなおすということかよ。
「で、そのための〈剣の王〉か。―――これはこの世界の人間には振れないからでいいのか」
『まあそうだね。この世界の〈時〉に支配された生き物には決して振ることができない。可能なのは、他の世界の血肉をもった生物だけだから』
「……そのために……三千人も召喚して、あんなのにしちまったという訳かよ」
『三千というのは運よくこの船に僕が保護した連中だけだから、実際にはもっとだね。未来にはあんな不死人がうろちょろしているよ』
「ったく、〈妖帝国〉はろくなことをしないな」
俺はため息をついた。
〈雷霧〉もそうだが、白珠の帝国ツエフは本当にどうしようもない国だな。
……俺以外にもどれだけの人間を犠牲にしてきたっていうのだ。
「で、神器を使える奴はでたのか?」
『それが見つかれば何千もの〈妖魔〉は作られないよ。……まあ、最終的には一人だけ見つかったがね』
「それがおまえの友達か」
『すべての元凶ともいえるかな。君たちにとってはね』
「ふーん、だったらさっさと俺のところに持ってくればよかったのによ。わざわざ別の奴を選んでこんな回りくどいことをせずに。そうすれば〈雷霧〉で死ぬ人はでなかっただろ」
『……君に渡せられればね』
なんだ、含みのある物言いをする。
何かあるってのか?
「で、どうして神器の使用者は見つからなかったんだ。あれだけ失敗作という生贄を作り出して、帝国は何もできなかったということか?」
『そうだよ。帝国は財政の続く限り〈召喚〉をしまくったが、まともな知性と心を有した〈妖魔〉を見つけることができなかった。その二つがなければ〈剣の王〉は力を発揮できないというのはわかり切ってはいたものの、そこがどうしてもクリアできなかったんだ』
「……それはおかしいだろ? 〈妖帝国〉はザイムの街で俺の〈召喚〉を成功させているぞ。不可能な技術ではないはずだ」
なんといっても俺自身が証拠なのだから。
当時の帝国にできて、未来のさらに魔導技術が進んだ帝国にできないはずがない。
『だからさ。―――聖一郎』
“ゆかり”はアルカイックスマイルを浮かべた。
いかにも神様っぽく。
『成功例は、君一人なのさ』
例えようもない悪寒が俺の背筋を走る。
今の言葉が尖った氷柱のように俺の心臓にまで突き刺さったかのようだった。
「……ちょっといいか、セスシス」
その時、話し合いが終わったらしいナオミが声をかけてきた。
方針が決まったらしい。
おかげで助かったともいえる。
このまま”ゆかり”との会話を続けることはまるで地獄の先に足を突っ込むかのような危なすぎる所業のような気がしたからだ。
いや、予感よりは確信。
まだ俺が踏み込むには早すぎる何かを”ゆかり”は隠している。
「なんだ」
「船倉にいる〈妖魔〉どもへの対策が決まった」
「よし、聞こう」
すると、ノンナ、タナの二人もやってきた。
手には羊皮紙に描いたこの〈方舟〉の簡単な図がある。
さっき誰かが描いたのだろう。
「〈妖魔〉が〈転送魔法円〉を使って甲板にでてくるであろうことは確かだ。だが、それをここで迎え撃つのは愚策といえる」
「どうしてだよ。ここの甲板ぐらい広ければユニコーンも使えるし、実際さっき成功しただろ」
「多勢に無勢だ。”ロジー”ほどの力がなければいくらわたしたちが強くても、三千もの敵と正面から激突するのは無理だ。聖士女騎士団が揃っていれば別だったけど」
「わかった。だが、じゃあどうするんだ」
「この〈方舟〉に直接に描かれた魔法円を破壊することはできない。それはさっき試してみたけど、木製のように見えて強力な魔導で防禦されていて傷一つつけられないんだ」
確かにそうだ。
首長竜の激突でもタラップは壊れてもいなかったし、先ほどのタナたちの戦いでも甲板は無傷だった。
「”ゆかり”、もう一度確認する。〈転送魔法円〉を起動させるための魔導機械は下に確かにあるんだな?」
『僕が嘘を言うとでも』
「ならいい。……彼の話によるとその魔導機械自体は古いものだし、停止させることもできるし、場合によっては破壊できるものらしいんだ」
「つまり、どういうことだ?」
「だから、〈転送魔法円〉をこちらから起動させて、船倉に乗り込む。起動に関しては”ロジー”ができるそうだ。その上で魔導機械を停止させ、〈妖魔〉どもがこちらに出てこられないように入り口を塞ぐという訳だ」
こちらから打って出るということか。
攻勢防禦といってもいいが、敵の出足を挫いて好きなようにさせない。
なるほど、わかりやすい。
「わかった。じゃあ、さっさと行こう。第二陣が来る前に早めに動かないとな」
と、俺が言ったのに、ナオミもタナも続こうとはしない。
沈黙が室内に漂う。
「おい、どうした?」
「―――セスシスは行かせない。それにわたしたちも出ない」
「どういうことだよ?」
「〈転送魔法円〉を使い、船倉まで乗り込む役目のものはもう決まっている」
ガチャリ。
振り向くと、さっきまでは空部屋だった隣から、黒い金属製の鎧をまとった人間がのっそりと現われた。
鎧は俺もよく知る品物だ。
虎に似た魔物の浮き彫りがついた胸鎧と背嚢、所々に打ち込まれた鋲が恐ろしいほどに禍々しく、いつまでたっても中に人を閉じ込めて針と刃で貫く拷問器具を思い起こさせる狂気と凶器。
腰と腹を護るための胎が圧迫される胴巻きをつけ、股間を保護するための前垂れがついている。ベルトで固定される、脚と同様に輪をつなげて筒となした腕鎧に、肩、脇、首がつけられる。
俺の知っている状態よりも細くて小さめなのは、まとっている人間のサイズのせいだろう。
だが、いったい誰が装着しているのだ。
俺の魔導鎧―――〈阿修羅〉を。
「ハーレイシー、持ち主のあなたに内緒でお借りしている。申し訳ない」
棘の付いた兜を外し現われたのは、流れ出す豪奢な金髪と褐色の肌をしたきつめの美貌の女だった。
「マイアン、おまえなのか?」
「ああ、あなたが〈丸岩城〉に置いていった魔導鎧をネア様に頼んで拙僧が譲り受けたのだ」
「だけど、そいつは俺用に……」
「装着者の変更については、ヴィオレサンテ陛下が魔導院に命じてしてくださった。今のこの〈阿修羅〉は拙僧用に調整されている」
道理でぴったりだと……。
いや、違う。
「ちょっと待て。おまえがそれを着ているということは……!」
「うむ、拙僧がこの度の任務を請負うことになった」
俺はナオミたちを睨みつけた。
まさかとは思うが、マイアン一人を行かせるつもりなのか。
「大丈夫だ、セスシスくん。オレもついていくから」
マイアンがやってきた隣の部屋から、なんともう一体の魔導鎧が現われた。
俺の〈阿修羅〉と比べると意匠がなく、飾り気のまったくない品だが、黒光りする装甲はいかにも〈妖帝国〉謹製の品であった。
こちらも見覚えがある。
〈雷馬兵団〉が装着していたものに違いない。
「ハーニェ……」
「借りるよ、タナちゃんの〈刹羅〉」
その名前には聞き覚えがある。
タナがオコソ平原での〈雷霧〉破壊に使ったという鹵獲品だ。
それを今はハーニェが装着しているということなのか。
「おまえらだけで行くってのか?」
「セスシス。……船倉は広いらしいといってもユニコーンが自在に動ける場所ではない。自然、徒歩で動かなくてはならない。そして、狭い場所で戦うことを想定した場合、適任なのは拳士でもあるマイアンしかいないんだ」
「だけど、一人では……」
「そのためのオレだよ。マイちゃんの補助は任せて」
ハーニェは胸を叩いた。
金属特有の乾いた音がする。
「この任務には重要性と比例して高い危険がつきまとう。だから、戦闘力という点でも特に秀でた戦士の力がどうしても必要だ。……だが、最強のタナは使えない」
「タナの力はこれから先にどうしても必要になる。ならば、この役は二番目の拙僧がいくのが適任だろうさ」
マイアンはにこりと笑った。
戦士らしい、すべてを吹っ切った笑顔だった。
「マイアン……」
彼女は立ちすくむ俺の傍にやってくると、左の頬に手を添えた。
「少し影が薄くなってしまっているが、拙僧もあなたのことを慕っていることを忘れないでほしいのである」
「おい……。なんだ、その別れの挨拶のようなのは」
「絶対に生きて戻ってくる。その時は拙僧も完全に還俗して、あなたの妻にしてもらおう。忘れないでくだされ」
「……マ」
俺が何かを言おうとしたとき、
(うっ)
唇が唇で塞がれた。
舌が口の中に侵入してきた。
こういうキスは初めてなので思わず硬直してしまう。
俺にとって長い間、他にとってはほんの数秒の間の熱い接吻が終わり、マイアンのまっすぐな瞳が俺を射抜いた。
彼女のやや厚い唇から細い唾液の線が伸び、俺のものと繋がっている。
「行ってくるさ。あなた」
俺はただ一言しか口に出せなかった。
「―――マイアン、おまえは本当に強い。自覚しろよ」
「あなたに言ってもらえたのなら、幸せこれにすぐるものはないのであるさ」
騎士マイアン・バレイは、本当に幸せそうに微笑んだ。




