白い〈妖魔〉ども
「警戒!!!」
甲板室の外でマイアンが叫んでいた。
俺たちはその少し前から船内のどこからか魔導力の発動を感じていたので、その声にすぐに反応することができた。
「やはり外か!」
《この〈方舟〉はあまりに魔導的存在すぎて、細かな魔導感知には手間がかかる。仕方あるまい。それに……》
「それに、なんだ?」
ちらりと隅に佇んでいる”ゆかり”を睨みつけ、”ロジー”はあてこするように言った。
《ああいうものに近くに居られては、余の感知力も盲目にならざるをえない。厄介なものだ》
「―――諦めろ。あれは航海士だそうだからな」
そういうと、俺は騎乗しないで他のユニコーンたちも連れて甲板へと出ていった。
隣の部屋から、ノンナたち騎士も顔を出す。
仮眠をとっていたはずのクゥとミィを含め、全員が武装を完全に整えていた。
しかも、敵がどこから来ても構わないように、クゥは短弓を上空に向けて備えている。
〈方舟〉という環境においても一切の油断をしていない。
今更だが、こいつらは本当に真の戦士なんだよな。
「セスシス! 敵ですか!?」
「わからん。俺たちもマイアンの声を聞きつけて外に出ただけだ。ただ、ユニコーンは魔導の発動を感じ取っていた」
「それはあれのせいじゃない?」
ミィが指差した先には、甲板に円を描くぼんやりとした炎の連なりがあった。
いくつかの円が火の装飾によって構成されている、明らかな幾何学模様である。
俺にもわかるが、あれは儀式魔導を発動させるための魔法円だ。
「マイアンとタナが交戦しているようですね」
「え、どこだ?」
「魔法円の中央。何かと戦っている」
炎で形成される魔法円ばかりに気を取られていたせいで、その真ん中にいるタナたちに気が付かなかったようだ。
タナとマイアンの背中が見え、その前に何やら複数の影が蠢いている。
二人とも抜剣しており、手には炎の煌めきを反射する刃が握られていた。
対峙していたものが動いたのか、二人の騎士が後ずさりながら剣を振るう。
その時、俺は異常に気が付いた。
(あの、二人が後ずさりながら戦っている?)
聖士女騎士団の双璧と呼ばれ、突出した戦闘能力を誇る二人が押されているということなのか?
あの二人の前進をとどめることでさえ、並の化け物では容易ではないというのに、いったいどれほどの強敵だというのだ。
一体ではないのがわかるが、例え複数いたとしても数で退かせられる二人ではないのだから。
まだ宵闇のうえ、魔法円の炎のせいではっきりと見ることができない敵について、俺はやや恐れを感じていた。
『んー、どうしてあんなところに出てきているんだろう?』
後から出てきた”ゆかり”が暢気なことを呟いた。
「どういうことだ? おまえ、タナたちがやりあっている敵のことを知っているのか?」
『僕はこの〈方舟〉の航海士だから当然だね』
「では教えろ。あいつらはなんだ?」
“ゆかり”は俺の焦燥など気にも留めていないようで、飄々とした口調で、
『〈方舟〉の船倉に寝転がっていた不死の化け物どもだよ』
「……なんでそんなものがいるんだ?」
『ん? 未来からの客人たちを運ぶのに邪魔だから、船倉の一番最下層に放り込んでおいたんだけど、どうやら這い出してきたようだ。沢山いて面倒だったのもあってね。まあ、まともに動けなくても〈転送魔導〉のための機械ぐらいは使えればここまでだって来られるだろうし』
「不死とはどういうことだよ……?」
『簡単にいえば君のできそこないさ。つまり〈妖魔〉だね。聖一郎と違って、感情も心も知恵もないけれど』
俺は仰天して魔法円の方を見た。
〈妖魔〉だということなら、この世界の物理常識を凌駕することができるはず。 すなわち、武器で傷をつけられず、例え傷を負ったとしても超再生するための〈復元〉能力を有するということなのだ!
「ノンナ、すぐに助けに行く! 二人だけに任せておくわけにはいかない!」
「はい、わかりました!」
俺たちの会話を聞いていた騎士たちはすぐに状況を呑み込んだ。
再生する不死身の敵相手にどれだけの苦戦を強いられるかということは、やはり俺が一番よく知っている。
致命傷すら恐れない無茶な特攻は俺の専売特許でもあるからだ。
そして、その手の攻撃をされたら、いかに双璧の二人でも危険すぎる。
ノンナたちは万が一に備え、それぞれの相方のユニコーンに騎乗した。
〈方舟〉の甲板は広いので、十分に騎馬戦をするだけの余地もあるし、ユニコーンの〈物理障壁〉と〈魔導障壁〉が必要になるかもしれないからだ。
ここからようやく数えられた敵の数は五体。
ユニコーンすべてで蹂躙すればなんとかなるだろう。
「―――ノンナ! 鎖ぃ! 鎖を持ってきて!」
こちらが顔を出したことに気が付いたのか、タナがなにやら指示を出してきた。
助けを求めるものではなく、何かを要求しているようだった。
俺たちには何を言っているのかかが聞き取れなかったが、聴覚に優れたノンナにとっては容易いことだった。
「鎖ね! ちょっと待って!」
ノンナが仲間を見渡すと、ハーニェの相方”ゲー”の鞍の後ろに一撒きにされた細身の鎖の束が乗せられていた。
用意周到なハーニェが持ってきていたものだ。
「ハーニェ、それは使える?」
「魔導で簡単な錬金加工を施してある。そう簡単には切れない逸品だ」
「それを使いましょう。……貴女なら、タナの言いたいことはわかるかしら?」
「オレはタナちゃんの相棒だよ。タナちゃんの考えそうなことはすぐに辿れる。任せて欲しい」
「じゃあ、お願いするわ。みんな、ハーニェの指示に従って」
隊長からの委任を受けたハーニェはユニコーンに積んでいた鎖をとると、その端を戦闘斧に巻き付けた。
反対側の端を掴んで、隣にいたナオミに手渡す。
「これをどうするんだ?」
「オレの考えを話すよ。普通ならタナちゃんとマイちゃんが苦戦なんかするわけがない。しかも相手は五体だ」
「同感だ」
「でも、実際にタナちゃんたちは苦戦している。そして、オレたちに助けを求めてきた。しかも、要求されたのは戦力ではなくて鎖だ」
「……つまり?」
「タナちゃんはこの鎖で敵を拘束するつもりなんだよ。敵の正体については”ゆかり”くんが言っていたけど、セスシスくんと同じ〈妖魔〉だというのなら直接切り捨てることよりも動けなくしたほうが早いということだと思う」
なるほど、さすがはタナの右腕だ。
おそらくほぼ正確に友の思考をトレースしているのだろう。
長い期間、二人で磨いてきた戦いのやり方がまさに結晶しているに違いない。
確かに不死身の相手をするのならば、殺しきるよりも拘束して封印するなり、閉じ込めるなりが効果的だろう。
そのために鎖を使うというのは当然の発想だ。
「ナオミ、その端は俺に貸せ」
「……頼めますか?」
「おまえたちは周囲を警戒しろ。あいつの話じゃあ、まだまだ出てくるかもしれない」
「了解した」
「よし、ハーニェ。距離をあまり開きすぎるなよ。鎖をたわめないような感覚で行こう」
「はい、教導騎士!」
俺たちは鎖の端を互いに掴むと、それを張りつつ、タナたち目掛けて駆けだした。
かなり重いはずなのだが、ユニコーンの前の王である”ロジー”の力が反射的に俺を底上げしているのでちょっとしたロープ程度にしか感じられない。
蹄の音が聞こえてきたのがわかったのか、マイアンとタナは身を伏せて後ろからきた水平に張られた鎖を躱しきる。
すぐにタナたちと交戦していた白い肌の不気味な人型の化け物たちが鎖に引っかかる。
五体のうち、三体までがうまく鎖にぶつかった。
(よし)
俺とハーニェは息を合わせ、互いの相方の軌道をクロスさせて、ぐるりと鎖を三体の〈妖魔〉に絡みつける。
運よく逃れた一体も頭を上げた途端に、その首に巻き付き、きつく締めあげられる。
〈妖魔〉どもの周囲を三回も回転すれば、鎖がうまくがんじがらめになった。
そうすることでほとんど身動きがとれなくなっていた。
普通はこれほどうまくいかないので、おそらく魔導によるなんらかの補正がかかった鎖なのだろう。
そういえば騎士たちはそれぞれ何らかの魔具をヴィオレサンテ陛下から下賜されているという話なので、この鎖はハーニェのための切り札なのかもしれない。
鎖に縛られ身動きが取れなくなった〈妖魔〉たちが耳障りな呻き声を上げている中、最後に残った一体をマイアンが足の裏で押さえつけていた。
両足を切断されているので動けないはずなのに、ジタバタと暴れ回るせいでとても不気味だった。
「無事か、タナちゃん」
「ありがとうハーニェ。セシィもね」
「良かった」
俺は“ロジー”から下りて、〈妖魔〉たちに近づいた。
病的に白い肌と隈取でもされたかのような丸い眼窩。黒目のない瞳を持ち、汚い歯並びと唇の端から涎を滴らせ、気が狂ったかのようなウェウェという呻きを発する化け物たちだった。
肌も粘液のようなもので湿っていてとても汚らわしい。
一歩、間違えれば俺もこうなっていたのかと思うと悪寒と哀れみさえ湧いてくる。
「随分と力が強そうだな。ハーニェの鎖が保ちそうにないぞ」
「うん。実際に測ったわけじゃないけど、まともに殴られたら骨ぐらいはすぐに粉砕されるだろうね。動きが遅くて、読みやすいから助かったけど」
「”ゆかり”に聞いたが、こいつらは俺と同じ〈妖魔〉らしい」
「―――やっぱりか。ハーレイシーと同じ〈復元〉の力を有していたからな。ただ、あなたのそれよりも遥かに再生速度が速かったぞ」
「私とマイアンが倒しても、すぐに起き上がれるぐらいにね」
「―――それはヤバい相手だな」
俺の〈復元〉はすでにそれほど万能ではない。
元の素体となったシャッちんの姉さんのものと俺の精神が完全に一致するようになった、数年前ぐらいから〈復元〉速度は極端に低下したのだ。
色々と濫用したせいもあるのか、最近はほとんど全盛期の百分の一程度でしかない。
死ににくくなった程度だ。
〈騎士の森〉で〈雷馬兵団〉にやられて以来、それほど酷い傷は負っていないということもあるが、それでも〈復元〉に頼る戦い方はもう選びにくいというのが正直な話だった。
つまり、無茶はもうできないということさ。
最初の頃、王宮で魔物と戦ったりしたころは確かに目の前にいる化け物どもと似た回復力を備えていたが、今となってはただの傷でさえ治るかがわからない状態であるし。
もっとも、かつての経験を踏まえて言えば、〈復元〉による超再生能力を持つ敵を複数相手にすることは危ないなどというレベルではない。
そういった意味で、こうやって鎖で拘束して動きを止めるというのは良い手だ。
「だが、長い時間は保んぞ。どうする?」
「それについては考えがあるよ」
「どんな?」
「海に捨てちゃえばいいんだ。この〈方舟〉の速度だったら、こいつらだって泳いではついてこられないだろうしね」
「……まあ……確かに……そうだが」
「不死身らしいから、突き落としても罪悪感はそんなにないし」
あっけらかんと恐ろしい提案をするタナ・ユーカー。
悪い顔をしている訳ではないのに、提案する内容は至極恐ろしいことを平然と口にしやがる。
とはいえ、俺としてもその案に乗るしかないところだ。
こちらが一息ついたことを悟ったのか、遅れてやってきたノンナたちに事情を説明すると、俺とハーニェ、そしてマイアンは鎖を引っ張って船の縁まで行き、そして容赦なく〈妖魔〉どもを蹴り落とした。
《グワアアアアアアア!》
と、哀れな叫びをあげて海面に落下していく白い姿にやや気が咎めたが、そこは仕方がないものと諦める。
だが、マイアンたちが斬り落としたはずの両足がいつの間にか再生している〈妖魔〉を見ると他に手段はなかったようにも思えた。
ずっと鎖で拘束している訳にはいかないし、”ゆかり”の話では俺たちの足元にまだ同類が潜んでいるらしいからだ。
「次が来そうな気配はないな」
「いったん、甲板室に戻りましょう。ここは潮風が吹いていて寒いですから」
「じゃあ、ボクとクゥが見張りに入るよ」
「ま、また魔法円が起動したらすぐに知らせます」
確かに潮風のせいで身体が冷え切っていた。
ユニコーンの力があるので風邪をひくことはないとしても、あまり体力を消費するのは考えものだからな。
俺たちはクゥたちに見張りを任せ、いったん風雨の凌げる甲板室に戻ることになった。




