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聖贄女のユニコーン 〈かくて聖獣は乙女と謳う〉  作者: 陸 理明
最終話 聖士女のユニコーン
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騎士団の双星

 甲板に立って見える空からは、いつの間にか〈王獄〉特有の極彩色がなくなっていた。

 黒々とした暗澹たる雲に覆われているとはいえ、ある意味では見慣れた景色が戻っていた。

 それが何故なのかはタナにはわからない。

 ただ、この〈方舟〉による航海が続けば、生まれ故郷のバイロンどころか、自分たちが暮らしてきた大陸にさえ二度と戻れなくなるであろうことはわかっていた。

 いや、それだけですむのならばまだいい。

 タナたちが向かっている先は、彼女の世界や時代からもかけ離れた場所であるはずなのだ。

 死出の旅路どころか、すでに死んでしまったといってもいいぐらいだった。


「……その割に不思議と落ち着いているんだよね」


 タナにはそちらの方が意外だった。

〈魔導大街道〉に乗り込んだときも、〈王獄〉に向けて帝都を出発したときも、極彩色に輝く〈王獄〉に飛び込んだときも、そしてこの〈方舟〉に乗るために後輩たちと別れたときも、彼女は淡々と状況を受け入れた。

 それどころか、先に進むのが楽しくて仕方がないぐらいだ。

 冒険の予感にわくわくしていたのかもしれない。

 途中で魔物の足止めのために残ったキルコたちのことも忘れてはいないが、残してきたものよりもこれから起きるであろうことの方が遥かに気にかかる。

 もしかしたら自分の情緒には欠落があるのではないかと悩んでしまうほどだった。

 培ってきた十九年のすべての人生を古着でも捨ててしまうかのように、ほとんど感慨もなく放り投げてしまう自分は壊れているのではないかと。

 この船に乗り込んだのは長年つきあってきた親友たちと頼りになるユニコーンたち、そして惚れた青年がいるからというのは理由としては貧弱すぎる気もする。


「……でも、別にいいかな」


 タナは自問自答を止めることにした。

 すでに船は出航して何刻も過ぎている。

 今更、元の大陸に戻ることはできない以上、薄情とは思うが湧いてくる感傷は振り払うしかない。

 胸にほんのわずかに突き刺さった程度の棘程度でしかない感傷ではあったが。

 結局のところ、聖士女騎士団の筆頭騎士となるだけあって、騎士団の魂を体現していると言われる彼女の精神は酷く歪なのかもしれない。

 

「タナ、何かあったか?」


 甲板室で休んでいたはずのマイアンが、気配をわざと残しながら近づいてきた。

 驚かせないという配慮だろう。

 もっとも、どれほど気配を消したとしても、タナが気付かないということはない。

 聖士女騎士団における最強である彼女に気づかれずに接近することができるものは、すでに存在しないのだ。

 あの間者ユギン・エーハイナイが生きていたとしても、おそらくは不可能であったことだろう。

 研ぎ澄まされた刃のようなタナの感覚をすり抜けることは誰にも不可能といえた。

 マイアンにもわかりきっていることだ。


「特に何もないよ。まだ、マイアンの見張りの時間じゃないよね?」

「違う。ノンやナオたちがいつもの会議に入ってしまったので、お馬鹿な拙僧としてはいたたまれなくなったのだ」

「まあ、あんたって脳みそまで筋肉でできているからね。座学も少しはやっておけとネア様にも言われていたでしょ」

「放っておいて欲しい。そも、拙僧は僧兵であって騎士ではない。一般的教養などは必要ないのであるさ」

「僧兵だって神の教義とかで勉強するでしょ?」

「それは僧侶の仕事だ」

「……マイアンって、生真面目な馬鹿だよね」

「やかましい」


 この二人はそれほど親しい間柄ではない。

 聖士女騎士団の双璧と謳われてはいるが、三年の騎士団生活においてもそれほど頻繁に会話をしたことはない。

 だが、互いの実力を誰よりも把握しているということに関して二人は竹馬の友といえた。

 同期の中で最も一対一の模擬戦を繰り広げた仲なのだから。


「セシィたちは?」

「ハーレイシーはユニコーンたちとずっと話をしている。”エリ”や”ベー”を喪ったことが響いているのだろう。彼とユニコーンたちは古い付き合いであるからさ」

「他は?」

「クゥとミィは仮眠をとっていた。二人も相方を喪っているから、哀しみを堪えるための時間がいるのだろうさ」

「そっか……。たった半日だけど、今日は色々なことがあったんだよね」

「もう昨日になっている」

「何が起こるかわからないってのは、まだ続くってことか……」


 ふと思い出したようにタナが言った。


「そういえば、マイアンっていつごろ、セシィを意識しだしたの? あんた、そんな感じしなかったけど?」

「いきなりだな」

「わりと気になっていたんだ。帝国についてから、なんかやたらとセシィにベタベタしようとしていたし」

「……おまえやナオミと一緒に〈幻獣郷〉に行った時にはもう気になっていたさ」

「ふーん。どこが?」


 言われてみれば思い当たる節はあるものの、マイアン・バレイという少女がセスシス・ハーレイシーに惚れる理由というものについてはさっぱりだった。

 この〈方舟〉に乗るということは、彼の花嫁になってもいいという意味合いもある。

 強さ至上主義のマイアンならば、単に強敵と戦いたい、修羅場を体験したいという理由もありえるところだが、それよりもはっきりと「ユニコーンの花嫁になりたい」と宣言していた。

 そこのところがタナには引っかかった。

 セスシスしか見ておらず、他の恋敵の動向など気にも留めていない彼女だったから、ここにきてようやく周囲にも目を配るようになったともいえる。


「彼が強いからであるな」


 引き出された理由には意表を突かれた。

 セスシスが強い?

 まったく想定していない答えである。


「……どこらへん?」

「戦技や気功の類ではないさ。そんなのは二の次だ。拙僧が彼に惚れこんだのは、その心の強さだ。ハーレイシーのいうところの『メンタル』の強ささ」

「めんたる? あの、いざというときにどれだけ強い自分を保てるかって、セシィが口にしていた?」

「そう、その『メンタル』だ」


 タナは基本的に悩まない。

 スランプにもあまり落ち込まない。

 底抜けの天真爛漫さと自分の力量への絶対的な信頼が彼女を支えているからだ。

 対してマイアンは常に悩み続けていた。

 タナと並んで騎士団の双璧とまで謳われながら、大切なところでしくじり続けてきたという劣等感が彼女を苛んでいたからだ。

 その悩みはオオタネアとの模擬戦でふっきれたものの、いまだに目の前の好敵手には追いつけずにいる。

 ただ、今のマイアンにとって、強さというものはもうそこまでこだわるべきものでもなくなりかけていた。


「拙僧たちのように、もともと戦いが強いものにはわからないが、人というものは勇気がなければ争いには加われないらしい」

「まあ、そうだよね」

「ハーレイシーもそうだ。わりと平然と戦っているようにもみえるが、彼が戦場に向かう際にはいつも足が震えている。拙僧はいつもそれを見ていた」

「……」

「だが、彼が一度俯き、次に視線を上げたときにはその震えは止まっている。あんなに不安そうだった眼差しがまっすぐなものに変わる。拙僧はあれが例えようもなく好きだ。まさしく勇気という曖昧なものを人が体現している瞬間そのものだからだ」

「勇気……」

「恐怖を乗り越え、死に先駆し、死闘に挑む誠実な戦士の顔だ。―――メルガン将軍に戦う前から敗北した拙僧には眩しすぎるほどに」


 マイアンは素手での体術が得意であることから、よく〈ユニコーンの少年騎士〉であるセスシスの護衛に着くことがある。

 その際にいつも見ていたのだ。

〈騎士の森〉で。

 ボルスアの平原で。

 王都の片隅で。

 弱い心に勇気の炎が入れられるところを。

 

「……あの眩しすぎる瞬間を間近で見るためには、彼の傍に居続ける必要がある。だから、拙僧は彼の花嫁になりたいのさ」

「憧れ……ってことかな」

「そうさ」


 マイアンは僧兵の娘だけあって実直だ。

 自分を飾らない。

 だから大雑把すぎる説明も心に届く。


「わかったよ。あんたも、私の恋敵だ」

「こっちの戦いではおまえには負けられないがな」

「ふふん、天才タナさまを舐めないでもらおうかしら。いくらなんでも、乙女心が微妙すぎるあんたには負けないよ」

「花の一輪も愛でられない、がさつ女のくせに」


 二人は一度だけ睨みあい、そして笑いあった。

 どこかに背負っていた荷物を下ろしたような晴れやかな気分だった。


「―――待て」


 そのとき、マイアンの視線が険しいものに変わる。

 タナもその先を追う。

 理由は聞かない。

 マイアンが何かを察知したと同時にタナの勘が危険を告げたのだ。

 今まで彼女たちを幾度となく救ってきた勘が、とてつもない巨大な警告音を脳の中で発していた。


「あれは何?」

「鬼火……みたいだが」


 二人が目にしたのは、〈方舟〉の甲板の中央に位置する場所にぼんやりと発する光であった。

 光というよりも、どちらかというと松明の火に見える。

 しかし、少なくともほんの数分前には存在しなかった灯りだ。

 しかも二人が凝視していると、その灯りは分裂するかのように、二つ、三つと数を増していく。増殖していく。

 バラバラにではなく、規則性を持ち、一列に横に伸びていく。

 途中で曲線を描き、そのまま緩やかなカーブを構成しつつ、最終的には反対側から同様に増えていた列に合流する。

 つまり円を描いたのだ。

 

「タナ、わかるか?」

「うん。あれ、甲板に描いてあった魔法円に沿っているね」

「ああ、そうだ。そして、ああいうおかしな現象ことが示す答えは一つさ」

「―――魔法円が起動しているということね?」


 マイアンは力強く頷き、


「警戒!!!」


 と甲板室の仲間たちに聞こえるように怒鳴った。

 確実に何かが起きようとしている。

 でなければこんなに第六感が危険を告げたりはしない。


「マイアン!」


 タナが魔法円の中央を指さした。

 そこには幽かな光に照らされて、黒い滲みのような影が現われていた。

 ざっと数えると五つある。

 どれもが人と同じ四肢を備え、人と同じぐらいの体格をしていた。

 最初はのそのそとしていたが、その影は次第に動きが早くなっていき、歩き出した。

 立ちすくむ二人を目指して。

 闇の中でも白く目立つ見開かれた双眸が不気味であった。

 マイアンが〈気当て〉を行った。

 索敵のためではない、敵の反応を見るためだ。

 発した〈気〉が伝えた手応えにマイアンは戦慄した。


「……〈気〉の反応がない?」

「まさか? 動いているよ、あいつら!」

「いや、完全にあの連中には〈気〉が流れていないんだ。つまり……」

死人種ゾンビーって訳?」

「ああ」


 人間でも魔物でも、生命があるものにはすべからく〈気〉が流れている。血液が生物の生存を支えているように、生物には〈気〉が循環しているものなのだ。

 あの〈墓の騎士〉ですら微量の〈気〉が流れていたのだから。

 ただ、もともと生きていないもの、死んでしまったものには〈気〉はない。

 そして、魔物の中にはごくわずかだけ、死者でありながら生きているかのように動き、他の生き物を襲うものがいる。

 死人種ゾンビーと呼ばれる、呪いで動く人形同然の魔物だった。


「いや、でも、あいつら何か白っぽいけど生き生きとしているよ。ちょっと死人種ゾンビーには見えない」


 甲板に姿を見せた直後と違い、身体の周囲を覆っていた黒い靄が晴れると、〈気〉のない怪物たちはボロボロのゴミのような布をまとい、病的なまでに白すぎる肌を晒しだした。

 骨と皮だけの骸骨やミイラのごとき姿形と、爛々と白く輝く黒目のない双眸だけが異様だった。

 膝をつき這いずるように進むもの、よたよたと酔っ払いのように歩くもの、手が動かないのか肩と肢の動きだけで匍匐するもの……。

 生きとし生けるものすべてを呪い続けるような呻き声をたてて、怪物たちはマイアンとタナに迫りくる。

 かつてないおぞましさに、さすがの歴戦の二人も怯むほどであった。


「と、とにかく、倒そう」

「そ、そうだな。神に仕える僧兵としては、死を冒涜する死人種ゾンビーは存在そのものを許してはならぬものだし……」


 二人は愛剣を鞘走らせ、鬼火に囲まれて、光り輝く魔法円から一歩外に踏み出した怪物たちに斬りつけた。

 敵の正体は不明だとしても、降りかかる火の粉は払わなければならない。

 剣を抜いて態勢を整えたら、一切微塵の容赦すらもたない聖士女騎士団の騎士たちは、迷うことなく人に似た怪物の腕を奪い、胴体を両断する。

 動きは遅い。

 ハエが止まったかのようなトロさである。

 皮膚も脆い。

 魔導の力をこめられた魔剣〈月火〉〈陽水〉だけでなく、マイアンのただの業物でもたやすく切り裂ける。

 拍子抜けしつつも、双璧はあっという間に五体の怪物を全滅させた。

 だが、圧勝とでもいえる戦いだったはずなのに、表情は硬かった。

 タナとマイアンは勝負がついたと見えても、相手が完全に生命活動を停止したのを確認しなければ気を抜くことはない。

 俗にいう残心の心構えである。

 そして、今回はその気構えが効果を発揮した。


「嘘……」


 二人は驚愕していた。

 叩き切ったはずの両腕がいつの間にか元の長さになり、刃が内臓まで両断したはずの傷が「ギュオンギュオン」という耳障りな怪音とともに再生していく。

 マイアンもタナもかつて見たことのある現象であった。

 傷が再生し、無くなったものが復元。

 ぴくりともしなかった指先がわきわきと開閉し、立ちあがろうと膝に力が秘められていく。

 五体すべて、一つの例外もなく。

 斃したはずの怪物たちが、ほんの一分もたたない短時間で再びさっきまでと同じ状態へと戻っていくのを黙って見ていた訳ではない。

 二人は観察していた。

 自分の記憶にあるものとどれだけ似ているのか、どれだけの違いがあるのか。

 この段階でタナもマイアンも理解していたのだ。


 目の前の怪物たちの再生能力は―――セスシスの持つ〈復元〉と酷似しているということを。

 しかもその速度は、セスシスのものよりも遥かに速いということを。

 その事実が示す、これからの闘いの困難さを。



 ……聖士女騎士団かのじょたちほど、不死身の怪物との戦いがどれほど熾烈を極めるものであるのかを理解しているものは、この世界には存在しないといっても過言ではないのだから。




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