ふたりは親友
耳をつんざく高音が俺の腰のあたりから轟いた。
まったく予想もしていなかったので、直接鼓膜に突き刺さり、破れるかと錯覚するほどであった。
思わず、音の発生源を握りしめる。
ブルブルと柄と鍔と剣身が震えている。
まるで人間というか生物を思わせる、痙攣のような震えであった。
俺はそれが『共振』であることを言われなくとも悟った。
なぜなら、俺はこの震えている剣―――〈剣の王〉の正統な担い手であるからだ。
鳥が翼で天高く舞うことを知っているように、魚が水の中で波に逆らって泳ぐことを忘れないように、俺はこの剣の性質を教えられずとも自然に知り尽くしていた。
《共振しているな》
「ああ、さすがは”ロジー”だ。一を聞いて百まで知れる」
軽口を叩いてから、俺は隣にいたノンナに声をかけた。
「―――隊長、きたぜ」
「わかりました」
何が来たのか、ということは言うまでもない。
〈剣の王〉が共鳴するということは、この神器と同格、もしくは同じものということしかありえない。
それはすなわち、〈剣の王〉の化身のご到着という訳だ。
随分と早い気がしないでもないが、来るだろうと予測していたのだから、たいした変わりはない。
俺は敵の襲来に備えて、周囲を睥睨する。
だがその時、隊の先頭を行くアオの声が聞こえてきた。
アオは誰よりもよい〈眼〉を持つという理由で常に前線で索敵の任務に当たっていることもあり、彼女のおかげで危機を免れた事例は山のようにある。
もっともアオが見つけ出したのは、俺の予想とはまったく別のものであったが。
「前方、一里の地点に巨大構造物発見! ちょっと信じられない大きさだけど多分船だと思われます!」
俺たちは顔を見合わせる。
アオの言うことなら確かだ。
すると、〈混沌の海〉に辿り着いたということか。
部隊の最終目的地であるところの。
その〈混沌の海〉に浮かぶ船に俺たちは乗ることになっている。
さらに先にいるこの闘いの黒幕と対峙するために。
「……目的地のすぐそばにまで辿り着いています。〈王獄〉内部の危険性を加味すると、できる限り手早く例の船に乗り込み、出航しないとならないでしょう。こちらの接近を勘付いて逃げられるおそれもありますから」
「しかし、忘れるなよ。俺の〈剣の王〉と同じものがすぐ傍にまで近づいているんだぞ。そちらの方も対処しなければならない。どうする?」
「セスシス、その二択ならばわたしたちの方針は決まっている」
「どういうことだ?」
参謀であるナオミの提案はほぼ絶対だ。
多少の修正は加えられたとしても、ほとんどの場合彼女の作戦が採用されるのが、この部隊の常だ。
さっきの〈城呑蛇〉との戦いのように、誰かが先に作戦を提案しなければ。
「誰かに時間稼ぎをさせる。その間に我々は船に乗り込む」
思っていたよりは普通の提案だった。
少し拍子抜けした。
「わかった。敵が顔を出したら俺が出るから、おまえたちは先に行け」
「―――何を言っているんだ、セスシス」
「ん?」
「そうですね。それはセスシスさんの仕事ではありませんよ。別の騎士がその任務を引き受けます。だから、セスシスさんはその剣を仕舞ってください」
俺は目を眇めた。
ノンナとナオミが何を言っているのか、よくわからなかったからだ。
もしかして幻聴かもしれないと思うぐらいに。
「おまえたちは何を言っている? 〈剣の王〉とやりあえるのは俺だけなんだぞ。だから、俺たちが迎え撃つに決まっているはずだ。他の誰かがいく必要はない。おまえたちは引っ込んでいろ」
「いいえ、セスシスさんには先に行って船に乗り込んでいただきます。人選はこれから行いますので、少しお待ちください……」
「おい、馬鹿をいうなよ。〈剣の王〉相手は俺の役目だと最初に決めておいただろう。タナだってそう言っていた」
「状況が変わったんだ。例の船が視認できる距離に見つかった以上、想定していた状況は変化した」
「どんな風に!」
思わず俺は怒鳴ってしまった。
大人げないとはわかっていたとしても、言わずにはいられなかった。
「〈剣の王〉の刃はどんな鎧も防げない。それどころか、剣を打ち合わすことさえできない! なぜなら、その武器の存在を固定させる〈時〉の流れそのものを切り裂いてしまう概念の武器だからだ! それは火竜の厚い皮でも、ユニコーンたちの神秘の肉体でも、どんな例外も認めない! 幻獣王だった“ロジー”の魔導力を振り絞ってようやく受けきれるほどに危険なんだ! だから互角にやりあえるのは、俺のもつコイツしかないんだぞ!」
「わかっています」
「おまえたちはわかっていない!」
「ですから……」
「いいか、〈剣の王〉の相手は俺がする。おまえたちは先に行け……」
「セスシス!!」
俺の声をさらなる大声でナオミが打ち消した。
こいつがこんなにも大声をあげることなどほとんどない。
少し呆気にとられた俺を見て、
「いい加減にしろ! あなたはわたしたちの使命を忘れたのか!」
「―――俺たちの使命だと?」
「わたしたちはあなたという切り札を最期の場所に送り届けるために、ここに来ているんだ! そして、第一目標である船のすぐ手前まで来ている。ならば、あなたを優先的に船に乗せなければならないのは自明のことだ! それなのに、切り札のあなたを盾に使える道理がないだろう!」
「……切り札って……」
「わかれ、馬鹿! さっきタナにも言われていただろう! わたしたちはもうあなたに守って、庇ってもらうだけの教え子じゃない! あなたと同格なんだ! 対等なんだ! 仲間なんだ!」
「だが、以前のおまえは死にたくないって……」
「ふざけんな!」
そして、ナオミは叫ぶ。
「あたしはもう死んだって構わない! これは変節じゃない! なぜなら、例えあたしが死んだとしても、みんなが死んだとしても、あなたがきっとこの世界を守ってくれるからだ! 取り戻してくれるからだ! 今、この場で死んだとしてもあなたさえ守れば、あたしのすべては報われる! だから、あたしたちは最高の盾としてあなたを守る!」
「ナオミ……」
「あなたは誰より先に行って、例の船に乗り込まなくてはならないんだ! そういう状況になったんだ! そのために、あたしたちの誰かが死んだって―――気にすんな!」
かつての貧民街で生き抜いてきた頃のナオミが戻ってきていた。
以前、タナと喧嘩した時の彼女だ。
普段の優等生然とした姿で取り繕うことを止めて、弱い俺を叱咤するために。
あの冷静なナオミ・シャイズアルが……
「ナオの言う通りです。セスシスさんを最後まで温存できてこその私たちの勝利です。そのためにただの路傍の石として死のうとも私たちに悔いはないです」
「ノンナ……」
「だから、あなたは先に行ってください。ここで仕掛けてくるであろう、〈剣の王〉は私たちが相手をします」
ノンナは極めて冷徹に宣言する。
だが、もう俺は何も言えない。
もう醜態は晒した。
俺が何かを言うことはできない。
だが……
どんな盾でも防ぎきれない斬撃を振るってくる〈剣の王〉を食い止めることができるものなんて……
「その任務、自分がやるッス」
あっけらかんと陽気な声が立候補した。
慌てて振り向くと、いつの間にかもじゃもじゃの黒髪をしたイタズラ坊主のような少女騎士が相方と共に並走していた。
「……アオ」
思わず彼女の名前を呟く。
脳みそがすぐに認識してくれなかったのだ。
今、こいつはなんといったのだと。
「おまえ、自分がやるって言ったのか……?」
「そうッスよ」
「どうして、おまえが……」
するとアオは唇を尖らせて、不服そうに応える。
「どうしてって、その〈剣の王〉って武器を持った相手には防禦も鎧も効かないんでしょ? だったら、全部を躱しきるしかないじゃないッスか。そうなれば、ナオ姐さんやノンナ隊長は不適任ッス。敵の攻撃を受けるのが前提の戦い方でスからね。同じ理由でタナ姐さんやマイアン姐さんもダメ」
「ああ、そうだ」
「だったら、自分の〈神の眼〉でずっと剣尖を見切り続けて、時間を稼ぐのが適当ってもんでしょう。それ以外の対抗手段がありまスか?」
黙ってアオの志願理由を聞いていたナオミが冷たく問う。
「―――できるのか?」
「やらいでか」
隊長であるノンナも問うた。
「『勝てる』のね?」
「当然ッス」
そして、部隊の中で最上位の決定権を持つ二人が頷いた。
「わかったわ、アオ。おそらくこの先に待ち構えているであろう、〈剣の王〉の化身を、なんとしてでも貴女が足止めしなさい。私たち聖士女騎士団が最期に決定的な勝利をつかむために」
「了解しましたッス」
「ナオ、何か伝えることは?」
「そうだな……」
志願が認められ破顔したアオにナオミが必要と考えられる事項を伝えだした時、俺の服の袖がちょいちょいと引かれた。
アオに気を取られている間に、すぐ隣に近寄っていた騎馬がいたのだ。
二つのお団子をつけ、前髪をぱっつんと適当に切った独特な髪形をした、一見子供のように見える騎士であった。
キルコ・プールだった。
絵を描くのが好きで、とても器用なくせに、人として生きることは非常に不器用な少女だった。
「先生」
「どうした?」
彼女は俺のことを先生と呼ぶ。
それは出会った頃から変わらない。
俺はこの呼び名を聞くたびに、自分が年下の少女たちを導かなくてはならないと奮起させられる羽目になった。
多少の無理をしても、教え子のために努力を惜しまないのが教師というものだろうから。
それが俺の理想の教師像であった。
「ごめんなさい」
「―――何を謝る?」
いきなり頭を下げられても困る。
謝られるには理由がわからないと。
「私、先生のために死ぬ予定だったの」
「あ、ああ、そう……だったのか?」
「うん。そう。ボルシアでの戦いからずっと」
そういうカミングアウトを急にされても、な。
お兄さんはちょっと参るぞ。
だが、正直言って話の先が読めない。
キルコは俺に何を伝えようとしているんだ?
「それで、どうしてごめんなさいなんだ? きちんと俺にわかりやすく説明しろ」
「簡単。……アオが死にに行くから、それに付き合うの」
「なん……だと……?」
キルコは無表情のまま衝撃的なことを言った。
「精一杯明るく誤魔化しているけど、アオはこれから死ぬつもり。私には、わかる。だって、私はアオの―――親友だもの」
「……」
「〈剣の王〉は神器。神器に只人が抗えるはずがない。だから、アオは命を捨てる覚悟を決めている。―――親友が死にに行くというのなら、それにつきあうのは友達として当然」
キルコの頬は紅潮していた。
恐怖にか、戦意にか、それとも別のことにか。
だが、確実に言えることは一つ。
彼女はもう覚悟を決めている。
死ぬかもしれないではない。
死ぬことを、だ。
そんな悲痛な決意を抱いたのは、ただ一人、親友のため。
「馬鹿なことをいうな。死ぬなんて。生きて帰れ。それでなければ許さんぞ」
俺は優しく言った。
この教え子を止めることはできない。
止めてはならない。
俺のようなくだらない男でもそれだけはわかる。
「ありがとう、先生」
「ああ」
「先生、さようなら」
そう言うと、キルコは俺の首っ玉にしがみつき、頬にキスをした。
ほんの一瞬触れ合うだけのキス。
次の瞬間には、彼女は元の位置に戻り、さっき以上に頬っぺたを赤くしていた。
「じゃあ、もう行く」
「キルコ……」
「先生、絶対に死なないで。約束だよ」
そして、キルコは俺のもとから離れ、アオのところへ近寄って行った。
二度とこちらを振り向くことはなかった。
もう彼女は、共に死出の旅に赴く親友のことしか見てはいなかった。




