ボクたちこそ最速だ
一角聖獣の“ベー”は、眷属の中で最も肢が長く、速く走るという行為に特化した存在であった。
幻獣王ロジャナオルトゥシレリアの分身ともいうべき〈幻獣郷〉のユニコーンは、ほとんど瓜二つといっていいほど容姿の似通ったものばかりであったが、ごく稀に似ても似つかないものが誕生することもある。
それが“ベー”であった。
やや高い馬身と長い肢のせいで群においてもよく目立つ“ベー”は、ユニコーンらしからぬコンプレックスというものを抱えていた。
人間のように精神的にもろい生物とは違い、幻獣であるユニコーンにとってそのような精神的疾患は通常存在しない。
ただ、“ベー”だけは例外であった。
なぜなら、彼はセスシス・ハーレイシーと契約を交わしたユニコーンとして〈騎士の森〉に辿り着いてからただの一人の騎士からも選ばれなかったからである。
“ベー”自身は、仲間うちでも体格のおかげで最も速く走ることができることを自慢していたのだが、それが災いした。
ユニコーンはただの馬と違い、その馬力も桁違いである。
王侯将軍が乗るような名馬でもない限り、ほぼすべての馬を凌駕する性能を誇るユニコーンにおいても、“ベー”の速度は図抜けていた。
初速、中速、そこからの加速、すべてにおいて“ベー”が弾きだすスピードはすべてのユニコーンを凌駕していたのだ。
初期の騎士たちとの〈見合い〉を見学していたオオタネア・ザンが、「あれは乗りこなせないな」とつい口に出してしまうほどに。
なんと一から十二期のすべての騎士たちが拒絶してしまったのである。
だから、“ベー”はある意味で絶望していた。
仲間たちが次々に乗り手を見つけている中、誰も彼を見てくれないという現実に。
それは幻獣たるユニコーンにとっても辛いことであった。
だが、彼の憂鬱はある時に終止符が打たれる。
「ううん、この子がいい。細身で格好いいし、脚が長くて素敵だし、ボクはこの子でなきゃもう嫌だヨ」
と、彼を選んでくれた騎士がいたのだ。
その騎士の名はミィナ・ユーカー。
のちに〈彗星〉と謳われた最速の騎士である。
“ベー”は紹介してくれた人の仔の前では色々とおちゃらけてみせたが、かつて感じたことのない歓喜に身を震わせていた。
走ることができる。
自分という存在を選んでくれた乗り手とともに。
細身で格好良くて、肢が長くて素敵と言ってくれた人と。
“ベー”はいつも思っていた。
自分という存在を肯定して、闇の中から見つけてくれた相手のために尽くすことがどれほど幸せなのかということを。
もしも例え悪であってとしても、その心には何の問題もない。
世界は自分であり、自分こそが世界なのだから。
だから、“ベー”は乗り手となったミィに尽くすことになんの疑問も抱かなかった。
速く走ることしかできないひとりぼっちのユニコーンにとって、初めてできた乗り手は何よりも大事な存在であった。
だから、ともに火竜の口に飛び込むことだってできたし、地獄のような薄汚い〈雷霧〉にすら一緒に行けるのだ。
そして、それは幸せと結びついていた。
愛する〈彗星〉と大地を駆けることほど素晴らしいことはなかった。
……だが、それも終わろうとしていた。
別れの時は、もうすぐそこに近づいていたのだ。
◇◆◇
「いいな、勝負は一度。おまえたちの提案したように一瞬だけだ。それであの〈城呑蛇〉を仕留められなければ失敗だ」
「……うん」
「そして、その場合、高い確率でおまえたちは死ぬ」
「う、うん」
セスシスを介して“ベー”がした提案をもとに短時間で作戦を立案したナオミが説明を続ける。
二度三度同じことを説明されないということをわかっている騎士たちは、聞き逃しのないようにじっと耳を傾けた。
「……最初の襲撃でわかったが、〈城呑蛇〉の口は身体の正面についている。よって、あの口の中に飛び込んで消化される前に撃破するためには真っ正面から向き合わなければならない」
ナオミは身振りも交えてわかりやすく説明する。
この時の〈城呑蛇〉の代わりに水筒が用いられていた。
「だが、やつがどちらを向いているかは地中に潜んでいる以上わからない。だから、やつの顔の向きをこちらで誘導する必要がある。ここまではわかるな」
「うん」
「そのための手段として、わたしたちはセスシスを囮にする。なぜならば、最初の襲撃の時にやつが狙ったのはセスシスと“ロジー”であったことから、第一の目標は彼だと推測されるからだ」
自分の話をされているというのに、セスシスの顔には特に変化は見られなかった。
囮役という自己犠牲について、彼はもう慣れっこになっていたのだ。
力が弱く、武技も拙い自分ができることはそういう役しかないと割り切っていることもあったが。
「よって、セスシスをやや前方に一騎で進ませ、さっきと同じ状態で〈城呑蛇〉が待ち伏せをする態勢を作り上げる。そして、再度の襲撃をするように誘い出し、顔を出したところでミィ―――おまえと“ベー”が仕留める。……いいな」
「わかったよ」
ミィは静かに頷いた。
いつものお調子者の彼女の様子はどこにもない。
ただ、“ベー”の馬体を撫でながら、愛用の馬上槍にしがみついている。
「突撃の合図は隊長が出す。それまでにこちらでも幾つか動くことはあるが、おまえはそれに気を取られることなく、自分の仕事にだけ集中しろ。いいな、おまえたちの突貫は絶対に仲間たちが成功させる。おまえはそれだけを信じろ……」
その言葉に対して、ミィは擦れた声で俯きながら何かを言ったがナオミの耳には届かなかった。
ナオミは伝えるべきことは伝えたとして、隊長とセスシスのもとに戻る。
だが、その顔は浮かなかった。
「……どうしたの、ナオ?」
「いや、ミィの態度があまりにも普段と違いすぎてな……。いくらなんでも変だ」
「でも、それを問い詰められる状況? 自分たちはこの〈王獄〉を絶対に攻略しなければならない立場なのよ。一騎士の問題まで突き詰めることはできないわ」
「ノン……。無理をしなくてもいいぞ」
「貴女こそわかっていないわ。私たちはギリギリまで追い詰められているのよ。冷たいことを言うようだけど、ミィの事情なんて無視するしかないのよ」
口論をする二人をセスシスは黙って見ていた。
ナオミとノンナは共に聖士女騎士団でもっとも優しい女たちだ。
優しいからこそ、仲間の変化に目敏く気づくし、優しいからすぐには踏み込めない。
ならば、冷たい人間がその役を演じるべきだと彼は思った。
「二人ともいい加減にしろ」
「セスシス……」
「……セスシスさん」
「今回のことは“ベー”が自分で決めて、ミィがそれに同意している。外野がとやかく言うことじゃない」
「その口ぶりだと、貴方はミィの心境を把握しているようだけど」
「ああ。”ロジー”から聞いている」
二人の美女から睨みつけられても、セスシスは怯まない。
今はそんな場合ではないからだ。
「あとで説明する。ナオミが起てた作戦のあとでな」
そして、セスシスは持ち場に向かった。
騎士たちの群れから少し前を行くために。
護衛にアオをつけるという話も出たが断っていた。
いざという時は、先ほどのように、彼と相方だけの方が身動きをとりやすいという理由で。
〈舞姫〉クゥにこそ抜かされてしまったが、ユニコーンの騎乗においてはまだまだセスシス・ハーレイシーは飛びぬけた技量を誇るのだから。
そんな彼を見て、聖士女騎士団の騎士たちも即席の作戦プラン通りに動き出す。
先頭に一騎で待ち構えるミィを中心にして。
「……やっぱり嫌だよ、”ベー”くん」
《我もだ、我が乗り手よ》
「だったら、止めようよ。こんなことを君がしなくても、別の手段がきっとあるよ。だから、やめよう」
《いや、ダメだ。時間がない。汝らは可及的速やかに先に進まなくてはならない。ここで時間を掛けている余裕はない。だからこそ、汝らの長も人の仔も、我の提案を支持したのだ》
「でも……」
ミィは抗った。
幼児のように。
何でもできる従姉を遥か下方から憧れ続けるしかなかった、何のとりえもない女の子に戻って。
それはそうだろう。
彼女の相方に従えば、ミィナ・ユーカーという少女を〈彗星〉と呼ばれるまでに引き上げてくれたものを失うことになるのだ。
一角聖獣―――”ベー”という存在を。
《―――我が自らこの立派な角を折ることで、我の蓄えたすべての魔導力を加速と爆発力に注ぎこむ。そうすれば、あの下品な長虫が口を開けた瞬間に、処女の持つ槍を突き立てることができる》
"ベー"がセスシスと"ロジー"にだした提案はそういうものだった。
ユニコーンという聖獣のもつ膨大な魔導量を一度に消費しきることで、もともとの力を何倍にも強化して使おうという案であった。
ついさっき"エリ"が八脚神獣を斃すときに使ったように。
魔導力を爆発させれば、遥か格上の魔物とて凌駕できる。
しかし、それは一角が魔導の器であるユニコーンの”ベー”にとって魂の消滅を意味する。
当然、セスシスとミィは反対した。
そこまでする必要はないと。
だが、彼の親であり主君でもあった"ロジー"は粛々と受け入れた。
幻獣は人の持つ情愛を断ち切れる冷静さを有しているのである。
《よかろう》
「お、おい、”ロジー”」
《止めるな、人の仔。これは先ほど消えた”エリ”もしたことだ。あいつにできて、我にできない道理はなかろう》
「ふざけるなよ、そんなことをしたらおまえが消えちまうんだぞ!」
《―――その前に、他のどんな騎馬よりも速く駆けて見せよう。我が〈彗星〉とともに》
“ベー”は自信に満ちた宣言をする。
思わずセスシスが見惚れるほどに。
そんな相方をミィは馬上から辛そうに見つめた。
そして……
《我が乗り手は不満なのだな》
「あたりまえだよ! ボクは君と駆けるのが何よりも好きだ! 君といるのが一番いい! それなのに、勝手にボクの前から消えようとしているんだ! そんなの認められる訳がないじゃないか!」
ミィは激昂する。
あまりに勝手な振る舞いだと弾劾する。
置いていかれる方の身にもなれとなじる。
当然の主張に対して、"ベー"は莞爾として笑って応えた。
《何を言う。汝と我の夢を忘れたか?》
「ボクたちの……夢?」
《そうだ。誰よりも速く、誰よりも先んじて駆ける。それこそが我らの夢であろう》
「……でも」
《汝と我でなければできぬことのために、ただ一瞬に流れる星となる。それを夢見てきた我らだろう。その一瞬が、待ち望んでいた機会が訪れたというのに、汝はなぜそれを恐れる? 変ではないか?》
「"ベー"くん……」
本来は夢など持たぬ、未来など語らぬユニコーンが、雄々しく自分の抱いたものを語る姿に、ミィは見惚れた。
それはさきほどセスシスが感じたものと同じだった。
かつて誰も乗り手が現われぬ、ひとりぼっちのユニコーンがようやく手に入れた乗り手とともに育んだ美しい夢のカタチは眩しかったのだ。
ミィは理解した。
“ベー”の提案は傍から見ればただの自殺だが、そうではないと。
この最速のユニコーンのたった一度の命を懸けた挑戦なのだと。
では、そのチャンスを邪魔する権利は彼女にはない。
むしろ、そのために全力をもって手伝わなくてはならないのだろう。
ゆえに、ミィは……。
「ボクが間違ってた。君とボクの夢を実現しよう」
《そうだ。それでこそ、我が〈彗星〉》
「君が最速のユニコーンであることを世界中のやつらに魅せつけてやろう」
《そこは違うぞ。……『我ら』が最速なのだ》
「だね」
顔を上げて、前を進むセスシスの背中を見やる。
〈城呑蛇〉を誘き出すため、普段よりも多めに魔導力を放出している"ロジー"と進んでいた。
いつも彼は彼女たちよりも前にいる。
きっといつものようにおっかなびっくりのはずだ。
でも、絶対に逃げ出さない。
ミィと"ベー"の騎馬を信じていてくれるのだ。
"ベー"は瞼を閉じて、前進するのを肢に任せると、じっと魔導力を一角に溜めていく。
《……そういえば処女よ》
「何、"ベー"くん」
《我は美少女のみならず、美少年も乗り手にしたいと渇望しておった》
「急に何を言ってんの?」
《出会った頃の汝は少女というよりも少年っぽさがあって、我はそのあたりも好ましいと思っていた》
突然の頭の悪いカミングアウトにミィは面食らったが、ただの場を和ますための冗談だと受け流すことにした。
「それで?」
《今の汝は―――お世辞抜きの真の美少女になった。華やかな夢の世界の住人そのものだ》
「えっと……」
《ミィナ・ユーカーは誰と比べる必要もないぐらいに……美しい》
従姉と比較されてばかりで、何の取り柄もなかったはずのダメな女の子。
そんな彼女を"ベー"は肯定した。
他人なんかどうでもいいのだ。
理解者が唯一しかいなくても構わない。
ただ自分であれ、と。
ミィは泣いた。
これから彼女たちが体験する「最速」だけではなく、それ以外にも自信をもって明日を生きられるように相方がおまじないを掛けてくれたということを悟って。
「ミィ、来るわ!」
ノンナが叫ぶ。
彼女の『耳』が予兆を掴んだ。
さきほどのものと寸分違わぬ異音を聞き取ったのだ。
同時にセスシスの眼前に黒い巨大な丸いものと、十字に割れた赤い口腔が出現する。
〈城呑蛇〉がセスシスたちを一飲みにしようと待ち構えていた姿を晒したのだ。
しかし、彼らはギリギリまで動かない。
彼らを救いに飛び込んでくるだろうミィたちを信じて囮役を続けているのだ。
「”ベー”、征こう!」
《承知!》
ミィと愛する相方は駆けだした。
初速から一気に襲歩に切り替え、そしてすぐさま疾風に変わる。
そして、呆気なく、どうしようもなく呆気なく、貝殻が割れるような涼やかな音とともに、"ベー"の素晴らしい槍の穂のごとき一角が根本から折れる。
同時に折れた跡から煌めく光の粒子が噴き出し、乗り手とユニコーンを包み込んだ。
巻き起こされる風に流され箒星の尾のように輝く。
それだけではない。
ミィナ自身がセスシスに倣いエーテル体となったおかげで、二つの黄金の胞子が混ざり合い発光し絢爛豪華に躍動する。
加速し、加速し、加速し、加速し、加速し―――。
まとわりつく音さえも彼女たちにはついてこられなくなる。
光すら凌げるか、とミィは思った。
銀河が膨張するかのように一騎の騎馬は駆け抜けた。
〈城呑蛇〉にとっては理解できなかっただろう。
無防備な自分の口の中に、閉じることすらできぬ間に、輝く黄金の弾丸が突き刺さったのだから。
「死ねえやコラアアアアアアアアア!」
ミィの怒鳴りが音を切り刻んだ。
突き出された鋼の穂先が魔獣の口を引き裂き、それだけに飽き足らず胎内を蹂躙する。
〈城呑蛇〉の胴体は三十メートルはあろうというのに、その中に存在する異空間ごと”ベー”は断ち切る。
飛び込まれた口以外、〈城呑蛇〉は完全に胴体を二枚におろされ、怪しい生命そのものを寸断されたのである。
光り輝く弾丸が、地面に降り立った時―――
そこにはうつ伏せに倒れたミィと馬上槍の柄だけしか遺っていなかった。
共にいたはずのユニコーンの姿はない。
その痕跡は、ただ、ミィが手にした鋭い一角のみであった。
「”ベー”くん。ボクたちが……この世界で一番速いんだよ……」
夢は叶ったのだ。
愛するユニコーンとともに。
 




