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聖贄女のユニコーン 〈かくて聖獣は乙女と謳う〉  作者: 陸 理明
最終話 聖士女のユニコーン
212/250

<城呑蛇>

 さながら花弁が開くように、大地が縦横に割れた。

 突然、現われた巨大な虚ろに対して、すぐに反応できたものはごくわずか。

 鍛え抜かれているとはいえ、自分の足元からの何の前触れもない脅威というものに対応することは不可能を強いることに等しかったのだろう。

 唯一、”ロジー”のみが異常を感知して、警告よりも先に、<物理障壁>の光る楕円を輝かせた。

 彼の眷属のものとは違い、前の幻獣王である”ロジー”の<物理障壁>は、半径十メートルにも及ぶ。

 その効果は俺を警護するように連れ添っていた騎士たちを、ユニコーン毎吹き飛ばした。

 咄嗟の判断とはいえ、騎士たちは何の警告もなかったせいで、茫然と吹き飛ばされる。

 まっとうに騎乗できずに落馬したものもいるだろうが、それは仕方がなかった。

 なぜなら、すぐ目の前に現われた黒い穴は、俺たちを丸呑みにしようと大口を開けていたからだ。

 穴の直径は十メートル前後。

 ユニコーンを丸呑みに出来る大きさだった。


《友よ》

「おうさ!」


 俺たちは神業的な反射神経を用いて、その大口を跳躍して躱した。

 待ち構えていた獲物を逃して、大口の勢いは虚しく宙を抜ける。

 だが、俺たちはなんとか躱せたのだが、部隊の殿を勤めていた二騎は間に合わなかった。

 鎌首を持ち上げた蛇が着地するように、そのまま倒れこみながらも、進行方向上にいた二騎に襲い掛かる。

 俺が振り向いた時、その片方の姿が消えていた。

 巨大黒い粘土のような皮膚をもつ長虫の胴体だけしか見えなくなっていた。

 導き出される悲劇は一つ。


《……” チェー”が呑み込まれた》

「くそ!」


 俺たちは合図もなく、そのまま進軍を止めた。

 何が起きたかを悟った聖士女騎士団の騎士たちが俺を中心に集合する。

 さっき<物理障壁>で吹き飛ばしたナオミやノンナたちもすぐに体勢を立て直してやってきた。

 俺の周囲を固めている面子は特に体技に優れた連中なので、あのぐらいの緊急処置でどうにかなる奴らでないことは助かる。

 いくらなんでも乱暴すぎる対応であったからだ。

 状況を把握するために、ノンナとナオミの二人が駆け寄って来た。


「セスシスさん、今のはいったい?」

「”ロジー”、解説を頼む」

《……余は友の百科事典ではないのだが?》

「いいから、答えろ。前に見た<土食竜クトーニア>の成体か?」

《いいや。実のところ、余も初めて見る幻獣だ。ただ、名前と生態はわずかに知っている。<城呑蛇ノヅチ>だよ》


 ……また幻獣王が知らない幻獣かよ。

 いったい、なんだ、この<王獄>という場所は。

 もしかしてこの世界とは違う場所なのか?

 俺にはそうとしか思えなかった。

 そして、俺にはやや引っかかるものがあった。


「<城呑蛇ノヅチ>? ……記憶にあるな」

《ほお、また友の記憶にあるのか》

「まあ、それはいい。どういう化け物だ」

《一言でいえばでかいミミズだと思えばいい。ただし、先端が十文字に割れるようになっていて、それがめくりあがることで口が現われて生物を丸ごと飲み込む。もっとも生物以外に土の中の栄養素を吸収して生息しているので、ほとんど雑食といえる》

「じゃあ、呑まれた” チェー”と乗り手のサネリの安否はどうだ? 無事なのか?」


 俺は集まっている騎士たちがもっとも聞きたがっていることを訊ねた。

 ざっと見渡しても殿をキルコともに守っていた十四期のサネリの姿がないことはわかる。

 やはりあの <城呑蛇ノヅチ>に呑まれてしまったのだろう。

 彼女たちにとって仲間の命よりに大切なものは任務以外にはない。

 だからこそ知りたいのだ。


《あやつの腹の中は無限に広がる結界になっているはずだ。だから、見た目よりも多量の土を呑み込むことができる。かみ殺されるということはないだろうが、あの腹の中に詰め込まれれば、余の眷属はともかく乗り手はすぐに消化されてしまうだろう。<物理障壁>は一瞬しか効かないからだ》

「じゃあ……」

《せめて” チェー”の乗り手の処女おとめがエーテル化を長時間可能ならば健在であろう》


 俺がノンナを見ると、赤毛の隊長は首を横に振った。


「……サネリはエーテル化を五秒ほどしか継続できません。“ロジー”のおっしゃる通りならば、もう神獣の内部で亡くなっていることでしょぅ」

「なんてこった……」


 俺は天を見上げた。

<王獄>に突入して、もう一人目の犠牲者が出てしまったのだ。

 サネリも俺にとっては大切な教え子の一人だったというのに。

 ムーラやシャーレのようにまた救えなかった。


「ノン隊長。あの<城呑蛇>の接近する音は『聞き』取れたか?」


 ナオミが質問した。

 聴覚を<気>で強化することのできるノンナの特技が役に立つかという問いであった。

 それに対して、部隊の隊長は首を振る。

 横に。


「異常は感じ取れなかったわ。きっと、顔を出す瞬間までじっと息をひそめていたのでしょう」

「ならば、さらなる襲撃はないんじゃないか? わたしたちがここを通り過ぎるのをじっと待っていて、時機を見て襲ってきただけの魔物なんだろう。ならば、ただの単発的な罠の類だと割り切って進んでしまおう」

「―――それは却下よ」

「なぜだ?」

「襲われるときまでは何も聞こえなかった。でも、あいつが凄い勢いで土中を逃げていく音は聞こえたもの。しかも、かなりの速さで」

「……つまり、あいつは高速で土の中を移動しているということか?」

「ええ。距離があったし、土の中だから正確な速度は測れないけど、おそらく並の馬程度はあるでしょう。地中をあれだけ速く動き回るという力を持っているなら、おそらく魔導の特性を秘めているに違いないわ」

「では……」


 ナオミのあやふやな疑問に対し、ノンナは竹を割ったように断言した。


「さっきの八脚神獣スレイプニルと同様、あの<城呑蛇ノヅチ>もここで仕留めておかないとならないということよ」


 ……騎士たちが対策を練っている間、俺は空を見ていた。

 瞼の奥に、サネリが怪物の腹の中で溶かされていくという残酷な映像が繰り返し浮かぶ。

 実際に見た訳ではないのに、まるで俺の世界のデレビの再現VTRでも見るようにくっきりと浮かんでいるのだ。

 耳には、あの少女の悲鳴さえもこびりついているようだ。

 まただ。

 また、守れない。

 すべての聖士女騎士団員を守ると決めていたのに、俺はまたも目の前で彼女たちの一人を見殺しにした。

 俺はどうしてこんなに無力なのだろう。

 どうして口ばかりなのだろう。

 ぎりりと奥歯がきしる。

 腰に佩いた<剣の王>なんて魔剣がありながら、”ロジー”という相棒がいながら、いつも俺はしくじってばかりだ。

 涙も出ないぐらいに無力だ。


「セシィ」


 そんな俺の隣にタナがやってきた。

 振り向くと、いつも陽気な彼女の双眸がひどく険しい。


「なんだ?」

「サネリの死を自分の責任だと思い込むのはやめて」

「……なんだと」


 俺はつい彼女に八つ当たりしそうになる。

 だが、なんとか堪えた。

 自分が辛いにときに他人にあたるなんてのは最低だ。

 特にタナは俺よりも年下の女の子で、俺の教え子だ。

 当たり散らすなんて許されることではない。


「私たちはセシィを目的地まで無事に連れていくための捨て駒だけど、例え戦死したとしてもあなたに同情されたくはないよ」

「どういう意味だよ?」

「セシィを守るために死ぬことを無意味だとは考えていないから。途中でどんなにくだらない死に方をすることになっても、そのことは無意味じゃない。犬死にだと思うのなら、それはセシィの価値観にとっての話で私たちにはあてはまらない。いや、あてはめさせない」


 タナはゆっくりと諭すように言う。


「<王獄>に入った二十人が悉く死んだとしても、セシィがこの世界を救ってくれれば私たちの勝ち。死にざまも死に方も関係ない。誰かが死んで困るのはその分の戦力が削れたというだけなんだよ」

「しかし、おまえたちが俺のために死ぬなんてことは……」


 パン。

 俺の頬が乾いた音を立てた。

 タナの張り手が俺の頬をひっぱたいたのだ。

 痛くはなかったが、驚きで動きが止まる。


「私たちの死に方を馬鹿にしないで」


 涙まで浮かべそうな辛そうな表情のまま、騎士団最強の騎士が俺を非難する。

 それは何よりも俺にとって胸に痛いものだった。

 剣で抉られるより、矢が突き刺さるよりも。

 思わず反論しようとしても、声が出なかった。

 擦れた呼吸がでるだけ。

 ヒューヒューという息が。


「もう私たちは教導騎士あなたに守られるだけの存在じゃないんだよ。力も知恵も勇気も、あなたに負けないぐらいになった。セシィと並べるようになった」

「……」

「セシィにユニコーンとの踊り方を教えてもらった、あの頃とは違う。だから……」


 俺が初めてこいつらに出会ったとき、<手長>との戦いを思い出す。

 彼女たちにエーテル化を教えた、はじめての頃を。


「もう私たちの戦いを下に見ないで」


 熱い眼力が俺を射抜く。

 彼女たちの死を勝手に色分けした俺を許さないとでもいうように。

 

「―――わかった」

「……くれた?」

「ああ、もうおまえたちは俺の教え子を卒業していたんだな。わかってはいたけれど、ちょっと目を背けていたのかもしれない」

「セシィ……」


 子供たちはいつか大人になり、大人とともに戦いに挑み始める。

 あの少女たちももうそういう年頃だったのだ。

 こいつらがいい大人になれたかどうかは、俺やネアたちの背中にかかっていたから、それだけは心配なのだが。

 俺が少し物の見方を変えたせいか、タナがこれまでとは違うように感じられて新鮮だった。

<騎士の森>で出会った美少女は、目が覚めるような稀に見る美女になっていた。


「―――おまえたちは何としてでも、俺を<混沌の泥>の奥まで連れて行ってくれ。そこまでいけば、あとは俺が絶対になんとかする」

「うん。それでこそ、私たちのセシィだ」


 タナが微笑む。

 その時、今まで感じたことのない胸の高鳴りを覚え、俺は少し戸惑った。

 いったいこの鼓動はなんなのだろうと自問自答しても答えはでてこなかったのだが。



       ◇◆◇



「―――セスシス、方針が決まった」


 すると、離れたところで対応を検討していたナオミが顔を出した。


「どうするんだ?」

「……何としてでも<城呑蛇ノヅチ>を斃すということになった」

「できるのか?」


 だが、ナオミの顔色はうかなかった。

 それだけで大体察せられた。

 手立てがないのだ。

 地中を高速で動き、巨大なあぎとで襲い掛かってくる幻獣を斃すための手段が。

 だから、方針が決まったというだけなのだ。


「……さすがに足の下にいる奴との戦い方は想定していないんだ」

「それもそうか」


 俺も腕を組む。

 聖士女騎士団の騎士たちはかなり応用が利くようになってはいるが、やはり女の子らしく生真面目で、めちゃくちゃな発想というものができない傾向がある。

 火竜との戦いを経験していることから、空の敵との戦いはかなり想定していたようだが、さすがに逆は難しいか。

 俺にしても、いいアイデアはでない。

 油をまくとか、毒をまくとか、その程度ではあの怪物を仕留められないとはわかっていても、いい案が出ないのだ。

 そこでどうするかと考えていたとき―――


《友よ、よくない出来事が起きた》

「なんだ、“ロジー”」


 俺の相方が沈痛な声で言った。

 かつて聞いたことのない低い声であった。


「……どうした?」

《余の眷属―――“エリ”が消滅した》


 その意味が俺にはわからなかった。

“エリ”が……どうしたって?

“ロジー”がつづける。


《余と眷属たちは、親と子であるが故、その存在は魂と魔導で深く結び付きあっている。だからわかるのだ。”エリ”の持つ魔導が完全に消滅し、あやつの全身を形作るエーテル体が霧消したということがな》


 つまり、それは……


「”エリ”が死んだということか? まさか、ユニコーンは不死身なんだろ?」

《そのまさかだ。……周囲を見渡してみろ。余の子供たちのすべてがそのことに気づいておるはずだ》


 言われた通りに周りを見ると、確かにユニコーンたちの様子がおかしい。

 中にはひどく項垂れているものいて、乗り手の騎士たちが懸命に声をかけて励ましている。

 少なくともいつものスケベな連中の陽気さは完全に消えていた。

 場の空気が重い。

 ただでさえ、<城呑蛇ノヅチ>への対策で四苦八苦しているというのに。


「本当なのか、それは……」

《余は嘘をつかぬ》

「”エリ”が……どうして……?」

《あの魔導の消え方からして、一角を自ら折ったのであろうな》

「角を折る?」

《ああ、余らの魔導の源であり、心臓でもある角を自ら折ったのだ》


 意味が分からない。

 そんなことをすれば、ユニコーンを不死たらしめている莫大な魔導力がすべてなくなってしまうはずだ。

”エリ”はどうしてそんな馬鹿な真似をしたんだ。

 それに”エリ”が死んだというのなら、乗り手のクゥはどうなった?

 あいつらと戦っていた八脚神獣はいったい?

 様々な思考が頭の中を渦巻く。

<王獄>に入って以来の、とんでもない事態だということだけしかわからなかった。


《あそらく……あやつは……》


 しばらくして”ロジー”が何かを語ろうとした時、俺たちのもとに一騎の騎馬が近づいてきた。

 ミィナ・ユーカーと”ベー”だった。

 だが、ミィの方はきょとんとして訳が分からないという顔をしている。

 どうやらこちらに用があって来たのは”ベー”だけのようだ。

 ならば話しかけるのは”ベー”に対してだな。


「どうした?」


 ミィナは首を振る。

 彼女にはさっぱりわかっていないのだから、当然だ。


《―――人の仔。”エリ”が消えたのは知っているな》

「ああ」

《奴の消滅の原因は我にもわかる。……あやつは自ら角を折ったのでしょう、王よ》

《そうだ》


 ユニコーンたちは同じ幻獣王であるロジャナオルトゥシレリアから分裂してできた個体だ。

 だから、その消滅に関しては魂で強く結び付きあっていて手に取るようにわかるのだろう。


《……”エリ”は聡く賢い同胞でありました。おそらくは、あやつの乗り手を救うために、最後の手段をとったのでしょう》

《うむ》

《一番個体年齢が少ないものであったくせに、我らに要諦を諭し教えてから消えるとは生意気なやつであります》

《そうだな》

《次は我が参ります》


 俺にわからない会話を二頭のユニコーンたちがする。

 ただし、聞くたびに俺の胸騒ぎが止まらなくなる。

 こいつらの話している内容は絶対に聞き流してはいけない類のものだと勘が告げる。

 決してそのままにしてはならないとも。

 だが、そんな俺の焦慮を尻目に、”ベー”が<念話>を発した。


《……我が<彗星>よ。どうやら汝と共に走れる最期の機会がやって来たようだ》


 ミィは、ユニコーンたちと深く心を通わせることでようやく聞き取れるようになった相方の発した言葉に驚く。

 それはどう聞いても、遺言か別れの言葉にしか聞こえないからだ。


「え、どうしたの、“ベー”くん……」


 しかし、乗り手の動揺をものともせず、”ベー”は言う。


《……あの神獣の顎の中に飛び込み彼奴を屠ることができるのは、我と汝しかおらぬのだ。ほんの一瞬を捉え、ただの一撃ですべてを片づけることができるのは、多くのユニコーンと騎士があったとしても我と汝だけなのだ。……故に、我らが名乗りを上げるしかない》

「べ、“ベー”くん」

《人の仔、他の騎士たちに告げてくれ》

「―――何をだ?」


 ユニコーン最速を誇る、長き四肢を持つ疾風のごときユニコーンが宣言した。




《あの化け物は、我と我の愛する<彗星>の獲物だ、と》




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