最後の晩餐
「改めてみると……」
「大きいわよね」
「―――うん」
帝国軍を容易く振り切るユニコーンの速度をもってしても、一日は平気でかかる道のりを過ぎても、聖士女騎士団の面々が目的とする巨大にして深遠な恐怖へ辿り着くことはなかった。
それどころか本当に近づいているのかさえも不明瞭になるほど、<王獄>は圧倒的なサイズを誇っていた。
二日ほどかけてユニコーンを駆って、ようやく端と呼べる部分を視認できた時、あまりの現実味のなさに自分たちの正気を疑いたくもなるのも当たり前だ。
〈白珠の帝国〉の西方を大きく覆い尽くす半球上の現象―――<王獄>は俺の故郷でいうところの大型台風ほどの大きさを備えているのだから。
自然現象を人間がある程度の形として現認できるということ自体、本来ならばありえないことなのだ。
俺たちが戦ってきた<雷霧>とはドーム状という共通点があるものの、それと比較しても大きさの桁が違う。
まったくありえないほどに膨大な黒い塊。
明らかな違いといえば、<王獄>が極彩色の輝きを持っているということだろうか。
七色どころではない、何千、何万のグラデーション。
赤、青、黄だけでなく、黒や白、橙、緑、シアン、紫、桃、茶、萌黄、山吹、藍、金、銀、紺……。それらの色がまるで不気味な油絵のように、のたくった数億の蛇が群れをなすように、汚穢な球形。
灰色と黒の二色の<雷霧>とは異なり、悪い意味でカラフルといえた。
ずっと見つめている俺たちの眼が痛くなりそうなほどに。
そして、同じようなことを騎士たちも感じていたらしい。
「頭がおかしくなりそう。あの変な色合いを見続けていると」
「でも、あの色は魔導の仕業というわけではありませんよお~。普通に人間の神経をおかしくする色というだけで。見ないでいるぐらいしか対処法はありませーん」
「わかっているわ、カイ。みんな、時間ができたらなるべく自分の相方に<回復>をかけてもらいなさい。眼精疲労なんて起こしたら、あの中では戦えないわ」
「はーい」
魔導師でもあるカイ・セウの意見を取り入れて、ノンナが指示を出す。
もういっぱしの隊長だった。
死んだアンズもきっと褒めてやってくれることだろう。
それだけでなく、時間があれば副長にして参謀となったナオミとは細かい意見交換を繰り返し、それぞれの騎士と練り上げた戦術と想定されるアクシデントについて話し合う。
<王獄>に突入する一分一秒も惜しんでできる限りのことをやろうとしているのだ。
そんな体調の姿勢は、当然部下たちにも伝わる。
本来ならば、戦いの始まる直前の緊張に満ちた時間でさえ、少女騎士たちは無駄にしようとはしない。
男の軍隊とは違う、まさに生真面目な女の子の部隊というのがよくわかる光景だった。
もちろん俺だって、例外ではない。
力が劣るとはいってもこの<王獄>に向かう部隊の一員なのだから、仲間たちとはよく話し合いをしなければならない。
だが、俺と別れていた一ヶ月やそこらの間に、教え子たちは全員が目を見張るような成長を遂げていて、正直な話疎外感を覚えてしまうぐらいだった。
なんと、俺と”ロジー”のイド城での戦いを見たときに覚醒したとか言って、俺にとっての虎の子であったエーテル化も短時間ならばできるようになっているものがいたり、難しいものは無理としてもユニコーンと片言程度の会話ができるものがいたりと、俺の存在価値が暴落していたのだ。
おかげで教導騎士という俺の役職も意味がなくなり、出会った頃はただの小娘だった連中も女らしくなり美少女から美女に変貌を遂げたからか、大人としての役割も薄くなっていた。
すると、俺はこの部隊のためには特にすることがなくなってしまっていたことになる。
話しかけようにも、騎士たちは<王獄>攻略のための話し合いや確認で忙しそうで、なんとも気が引けるのだ。
仕方なくみんなの邪魔をしないように、”ロジー”と雑談をしているだけというやることのなさであった。
「……いたたまれないな」
《別に邪魔者扱いされている訳ではないからいいではないか》
「そうはいってもなあ。俺だけが何もしてないような疎外感が……」
《友はこの処女たちの大黒柱なのだとどっしりと構えておればいいのではないか。―――だいたい友はまだいい方だ。処女たちはこれから始まるいくさの準備に明け暮れているのであるからな。それに引き換え、余の眷属どもときたら、余と眼が合うだけで逸らしおって……》
と、"ロジー"が周囲の眷属をギロリと睨みつけると、”エフ”も”デー”も乗せている騎士たちの迷惑にならない範囲でさりげなく目を逸らした。
“ロジー”を露骨に避けているのだ。
とはいえ、これに関しては"ロジー"の元家臣たちの方に同情の余地がある。
他のユニコーンたちと同じサイズになったとはいえ、ここにいる"ロジー"は千年前の神々の時代から生きている伝説の幻獣王なのだ。
例え「前の」という注釈がついていようと、こいつが王だったころの怪物っぷりを考えればただのユニコーンたちにとっては雲の上の存在であることは間違いない。
そもそもの基本的な魔導量などが桁外れなのだから。
その幻獣王と轡を並べて歩けと言われても、はいそうですかと素直にうなずけるものではない。
だから、できるかぎり目立たないように"ロジー"からは距離をとっているという訳だ。
ユニコーンたちとしても、前の王様のご機嫌伺いよりも乗り手と一分一秒でも一緒に過ごす方が有意義であること間違いないし。
おかげで俺たちの周囲にはほとんど騎馬が寄ってこないようになっていた。
たまに声がかかるが、それも短時間だ。
長い話はほとんどない。
俺たちはぽつんと部隊の中央で所在なさげに歩くだけだった。
つまり、俺と"ロジー"、元教導騎士と幻獣王は居間でテレビを眺めつつ家族の雑談を聞いている寂しいお父さん状態になっていたということだ。
「どうしたの、セシィ」
さすがに気の毒に思われたのか、それとも天真爛漫な性格の故か、先頭にいたはずのタナが話しかけてきてくれた。
よし、こいつを逃がす訳にはいくものか。
タナの相方であるところの”イェル”も渋々ではあるが、彼女共々こちらにやってきた。
「いや、みんなが突撃の陣形の確認とかで忙しそうだから、ちょっと寂しくてな」
「そうなの、“ロジー”?」
《正確ではないが、そんなところだよ、太陽の姫君》
「まあ、セシィは<王獄>では最後まで前線にはだせないから仕方がないところだよね」
タナはにこりと微笑んだ。
もう彼女も十九歳。大人の女のすらりとした肢体と面影を宿し、出会った頃の子供っぽさはなくなっていた。
ただし、相変わらず太陽のように眩しい笑顔だけは昔のままだ。
<騎士の森>のあの馬場で初めて邂逅したときのまま。
改めて見ると、とてつもない美女に育っていた。
もうすぐ、ネアやシャッちんあたりと肩を並べられるかもしれない。
化粧なしのすっぴんでの美しさが異常な段階にまで至っているのだ。
ここまで傾国の美女のごとくに育つとは夢にも思っていなかったぐらいに。
俺が教え子に対してそういう感想を抱くことは滅多にないが、このタナの美しさの前では主義主張はあまり意味をもてなさそうである。
もっとも、性格もあまり変わっておらず、元とはいえ幻獣王だったロジャナオルトゥシレリアのことを、物おじせずに”ロジー”と愛称で呼ぶのはタナだけだった。
”ロジー”もタナのことはさっきのように太陽の姫君などとおだてている。
「簡単に説明するとね」
「陣形のことか?」
「うん。―――セシィを除いた二十人で、大鳥の陣を形作るんだよ。セシィを守る五人を中央に敷いて、左右に三人組を配置、さらに大外にまた三人組、これが翼。頭の部分も三人組を置くけど、これは突撃専門の露払いという感じかな」
タナが身振り手振りで説明する。
それは行軍中に理解していた。
突撃専門の頭にはタナ、マイアンの双璧とハーニェという推進力の強い面子を集め、大外にはミィとクゥの騎馬戦では無類の強さを誇るコンビを張らせ遊撃としていた。
左右の組はアオとナオミが指揮していざというときに柔軟に動けるようにする。
中央はノンナ隊長とキルコが率いる。
十三期以外の十四期と十五期は、それぞれ七人と三人ずつが頭以外の各組に割り当てられ、どちらかというと十三期の連中のフォローをするように構成されているということだ。
ただし、それは<王獄>突入序盤の段階までで、中には何が待つかわからない以上、すべてが維持される訳ではない。
ゆえの積極的なコミュニケーションなのである。
<雷霧>という特殊すぎる戦場で戦うことを定められた騎士たちにとっては、仲間との綿密な話し合いが何よりも大切であり、それは絆と信頼がなければ得ることのできないものであった。
そして、中心となる十三期たちはまぎれもなく強い。
経験の足りない後輩たちですらフォローに徹しさせればなんの問題もないと言えるぐらいに。
最強の少数精鋭であることを逆手にとったかのような、聖士女騎士団らしい陣形と作戦といえよう。
「俺はすることがないな」
タナは少しだけおとがいに人差し指を当てて考える。
「多分、出番はあるよ、セシィにも。最後にセシィを待っている<剣の王>の持ち主ってのにぶつかる前にね」
「本当か?」
「うん。ナオもノンも予想していたから」
「ほお」
あの二人が言うのならば確かだろう。
「それは、どんな時だ?」
「―――セシィが腰に佩いているその<剣の王>って魔剣の化身が出たときかな」
「……?」
俺は眉をひそめた。
何を言われたのかよくわからなかったからだ。
「<妖帝国>がくれた情報によると、その<剣の王>は本体の神器の化身の一つなんでしょ」
「ああ」
「ナオは、きっとそれと同じものが<王獄>の中でも待ち構えているだろうと推測しているんだよ」
「なんだと? <剣の王>の化身がまだあるってのか?」
「うん。確信はないけど、おそらく「存在する」とナオは予想しているんだ。つまり、そこに化身が一振りある以上、同じものがない道理はないでしょ。そういうことみたい」
確かにその通りだ。
これは劣化しているとはいえ、<王獄>の奥で俺たちを待っている<剣の王>の化身だ。しかし、これだけしかないという保証はない。むしろ、何本もあって、その中の一振りでしかないという可能性の方が高いというのもまた理屈に合う。
そして、端っから「ない」と仮定するよりも、「ある」と前提にした方が対処もしやすい。
「私たちの仕入れた知識では、その<神器>と戦えるのはどうしてもセシィだけだから、その時はあなたにお任せするしかないんだよ」
「……なるほどな」
この<剣の王>と帝都で戦った時のことを思い出す。
「時」という万物の存在を裏打ちする概念そのものを切断する<剣の王>相手では、ユニコーンのエーテル化も火竜の毒息も役には立たない。
火竜の族頭ウクラスタがなすすべもなく敗れたように、聖士女騎士団とてこの神器の前には敗北を免れないだろう。
だから、その場合に戦うのは俺しかいないというわけだ。
同じ力を持つ魔剣を持ち、そもそも<剣の王>の使い手として召喚された俺だけが。
「わかった」
「まあ、それまでは私らを信じて待っていてよ。私らが絶対にセシィを守ってあの下品な嵐の奥の奥まで連れて行ってあげるからさ」
「頼もしいな、タナは」
「でしょ。えへへへ」
そう、いつまでたってもおまえは俺にとっては光のような奴だよ。
《―――友よ、ついにこの時が来たようだぞ》
ついぞ黙っていた"ロジー"が口を挟んできた。
俺たちがそちらを向くと、
「ノン隊長! 来ました来ました来ましたあー!! 前方の<王獄>から敵影確認ッス!」
最前衛で<眼>を活かした偵察をしていたアオが叫ぶ。
ほぼ同時にすべての騎士たちが、今までの多少は乱れていた陣形を整え直し、アオの報告に耳を傾ける。
「アオ、報告してっ!」
ノンナの指示に対して、アオは、
「自分らが突入を想定している甲地点から、複数の影が湧きだしているッス。おそらくこちらの意図を読み取って、進行方向を推測しているんだと思われるッス。出てきているのは、大きさや体格からして魔物ばかり。いつもと同じで<手長>と<脚長>、ついでに<肩眼>っぽいのも確認」
「魔導鎧は?」
「んーと、見当たりませんッス!」
……やはり<手長>どもの巣であることは疑いないか。
魔導鎧については、<剣の王>への狂信を抱いていた法王派を皇帝派が潰し終えた段階で、すでに渡っていたもの以外はあちらにはないはず。
まあ、魔導鎧があったとしても今の聖士女騎士団にとってはさほどの脅威とはなりえないのだが……。
「あっ、報告追加ッス!」
アオがちょっと驚きの混じった声を発する。
みんなの視線と耳が集中する。
「何なの、アオ?」
「―――馬鹿でっかいのがいます! 身長は通常の<手長>の約三倍。ちょっとした城の塀ぐらいならよじ登れそうな大きさッスよ!」
それだけのサイズならば、アオの<眼>でなくともただの遠眼鏡でも捉えることができる。
確かにいた。
ひときわ大きいサイズをした<手長>がどうやって作られたかわからない丸太のような超大剣を抱えてこちらに歩いてきていた。
あの大きさならば、ウクラスタとも取っ組み合いの喧嘩ができそうである。
「それ以外の数は?」
「約五千!」
騎士たちはその数を聞いても身じろぎもしなかった。
すでに数は問題ではない。
彼女たちを量で封殺することはできやしないのだから。
「聖士女騎士団隊長ノンナが告げる。全騎士、敵の先遣部隊と接敵するまでの十五分の間に帝都から持ってきたお弁当の類は腹に入れておきなさい。<王獄>内では口にできるのは水と干し肉だけになるのだから」
「これが最後のまっとうな食事になるのかもねぇ」
「縁起でもない」
騎士たちはまったく怯えていない。
すでに戦いの始まる前の空気に慣れきっているからだ。
命がけどころか、世界をかけた死闘を幾度も切り抜けてきた歴戦の勇士たちなのだ。
俺も腰にぶら下げておいた瓢に入れておいた葡萄酒を口にした。
もうすべての決着がつくまで、酒はお預けだ。
短い期間とはいえ断酒は辛いものである。
……全員が軽く腹を満たしたのち、ノンナが号令を発し、俺と聖士女騎士団はついに<王獄>目掛けてユニコーンを駆け出させた。
「人類守護聖士女騎士団、突撃ィィィィィィィィィィィィィィ!」
「死ねぇや、コラァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!」
まずは先駆け。
この世界を守るための最期の激闘が幕を開けた……。




