思い出は彼女の中に
むかし、むかし、この世界の半分が黒くて汚い霧に包まれたことがあったわ……
黒い霧は地獄の悪魔が吐き散らしたもので、その中に閉じ込められると、いきものは雷に焼かれて、隠れている魔物に食べられてしまったのよ。
太陽の光がささなくなって、みんなの心は荒れたわ。
それだけじゃない。
黒い霧はどんどん広がっていって、みんなの住む場所を奪っていったの。
人間も、動物も、鳥も、植物も、みんなが苦しめられた……
みんなが助けてほしいと願った……
涙が滝になり、嗚咽が暴風となったわ。
誰もが助からないと諦めかけた。
だけど、その悲しい祈りが空の上に届いて、慈悲深い天の神様がこの大地に一頭の一角聖獣を差し向けてくれたの。
ご自身の友であるユニコーンをね。
地上に降りたユニコーンは、一人の少年騎士の姿に化身して、自分とともに戦う仲間を探すことにしたわ。
彼の呼びかけにみんなが耳を傾け、一緒に戦うことを約束した。
男も女も、子供もお年寄りも、勇気のあるたくさんの人間たちが彼とともに黒い霧と戦った。
そして、少年騎士の姿をしたユニコーンは、自分の同胞とそれに乗れる使徒の少女たちを連れて、西の奥にある泥の海に浮かぶ地獄の悪魔の船に乗り込んだの。
悪魔たちは激しく抵抗したけど、結局は、神の遣わされたユニコーンとその使徒たちに斃されたわ。
……こうして、世界に静けさと明るい光が戻ったの。
◇◆◇
……曾祖母の語る昔話に、ひ孫たちは熱心に耳を傾けた。
もう百歳近いといわれている曾祖母は、いまだに矍鑠としており、彼女の子供たちの誰よりも若く見えることがあるほどである。
それは若いころの鍛錬のおかげだと、曾祖母は言っていた。
だが、ひ孫たちはそれが嘘だとわかっていた。
彼女が若く見えるのは、少女のころに騎乗していたある聖獣からの贈り物だということを知っていたからだ。
そして、つい最近になるまで、この都において彼女が他の追随を許さない戦士であったことも。
王都に住むほとんどの強い騎士が彼女の薫陶を受けているぐらいだ。
しかもそのうちのほとんどが彼女と並ぶレベルに達することはなかった。
それほどの戦士だったのだ。
しかし、曾祖母は言う。
『私なんて、一緒に学んだ仲間たちの足元にも及ばなかったのよ』
ひ孫たちはみんな信じていなかった。
自分たちの曾祖母よりも強い人たちがいたなんて、まったくもって信じられない、と。
「―――曾お祖母ちゃんはその霧を見たことがあるの?」
「ええ。それどころか、仲間たちと一緒になって片端から潰して回ったのよ。とても大変だったわ」
「すごい」
「曾お祖母ちゃん、かっこいい」
「素敵」
ひ孫の一人が聞いた。
「神様のユニコーンのことも知っているんだ?」
「当然よ。私たちはあの方の教え子でもあったんだから」
「……何を教えてもらったの?」
「色々なこと。ユニコーンの乗り方、仲間を大切にすること、嫌なことがあっても我慢をすること、お酒の飲み方、人の愛し方、―――自分の大切な世界を守る方法」
「……」
曾祖母は目を瞑った。
そのわずかな挙措に厳かな雰囲気を感じ取り、子供たちは口を閉ざす。
彼らの大好きな老女が大切な話をしてくれる前触れだということを経験上よくわかっていたからだ。
期待は過たなかった。
自分の中の記憶を再確認し、曾祖母はずっと昔の懐かしい思い出のことを口にし始めた。
「―――私たちが大陸の西の外れに広がりつつあった〈王獄〉に向けて出陣したのは、その端が帝国の帝都に一週間ほどで達する距離に近づいたときのことだったわ……」
老女は語りだした。
「いろいろあって、私たち聖士女騎士団は二十一人で帝都を出発したの」
あの激戦の思い出を。
「……友達がたくさんいなくなった、あの戦場に行くために」
それはもう何十年も前の出来事。
「今でも、忘れていないわ……」
眩しい青春が終わった時の記憶。
「かけがえのない仲間たちとの最後の戦いを……」
―――それでは語るとしよう。
世界の命運をかけた死闘の行く末を。
聖士女騎士団の、命を懸けた戦記の真の最終章を!




