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聖贄女のユニコーン 〈かくて聖獣は乙女と謳う〉  作者: 陸 理明
第二十三話 ありがとう、さようなら
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いつも、あなたがいる

 セスシスが自室の窓から下を見ると、<白の館>の広い庭にユニコーンたちとその乗り手が準備に勤しんでいた。

 バイロンでの軍事行動とは違い、騎士だけの遠征という状態なので、普段世話をしてくれている従士がいないせいか、騎士同士で青銀の突撃鎧を装着しあっている。

<王獄>攻略のための面子は、十三期を中心としたたった二十名。

 その二十人にすべてが背負わされているという悲劇的な状況のはずなのに、全員の顔は晴れやかだ。

 誰一人として悲壮感を漂わせてはいない。

 これから戦いに行くというのに、まるで結婚式にでも出席するかのようにわくわくと楽しそうであった。

 二十人の選ばれた騎士たちは、母国を出立するまえに国王から下賜された白いマントをひらりとそよ風にたなびかせていた。

 その緻密な質感の布には決して汚れることのない白色を維持できる魔導がこめられている。

 血風吹き荒れる戦塵の中でも、絶対に穢れることのない処女の証だ。

 彼女たちはその白をまとって地獄そのものへと突き進むことになる。

 死神に導かれ、魔物を従えて。


「すまな……」


 謝罪の言葉を口に出そうとして、セスシスは思いとどまった。

 それは散々口にした。

 もうやめよう。

 あいつらはこんな俺についてきてくれるのだ。

 俺がいつまでもウジウジしていたらあいつらの侠気が汚される。


「頼むぜ、みんな」


 セスシスは一度だけ目を閉じて言った。

 後戻りはできない。

 あと数刻後には出陣なのだ。


「……セシィ、そろそろ時間だ」


 いつのまにか後ろにオオタネアがやってきていた。

 セスシス程度では気配を感じ取ることはできないから当然ともいえる。


「ああ、わかった。……ネア」

「なんだ」


 少しだけ口ごもりつつ、


「今まで世話になった。もうここには戻れないかもしれないから言っておく。俺はおまえに出会わなければここにいなかった」

「そうか」

「おまえに出会えて幸運だった」

「貴様と出会ったことで私はいらん苦労を背負い込むことになったぞ」


 セスシスは苦笑する。

 それは彼にとっても同じかもしれない。

 だが、割合で言えば彼よりもオオタネアの方がはるかに大変だっただろう。


「悪いな。代わりと言っちゃあなんだが、この世界を存続させる程度のことはしてくるから勘弁してくれ」

「取引の対価としてはまあまあか。では、それで許してやろう」

「ありがとう」


 そう言うと、彼は立てかけておいた<剣の王>を手に取る。

 軽い。

 大きさに似つかわしくない軽さだった。

 神器に等しい魔剣はセスシスを主と認めているのだ。


「それじゃあ、そろそろ行くわ。お別れだ」

「……なあ、セシィ。一つ、お願いがある」

「なんだ。俺はネアのお願いならば何でも聞くぞ」


 オオタネアは一瞬だけ目を泳がせ、軽く俯くと、珍しいことにつかえながらお願いを口に出した。


「名前を返してくれないか……」

「ん?」


 意味がわからずきょとんとしているセスシスに対して、


「貴様の名前はかつて私がつけたものだろ。そろそろ返せ。シャっちんの話では貴様はもう過去の記憶を取り戻しているはずだ。だったら、そろそろ晴石聖一郎という人間に戻れといっているんだ」

「―――確かにそうなんだが、セスシス・ハーレイシーって名前も俺なんだよ。返せと言われて返せるものじゃないぞ」

「では、私に権利をよこせ」

「なんだよ、それ」

「セスシス・ハーレイシーという名前は私がつけたものだからな、私にも使う権利があるはずだ。それで許してやる」


 唐突な、よくわからない主張に面喰ったのはセスシスだった。

 だが、最後の別れになるかもしれないのに、いったいなんでこんなことを言い争っているんだと考えると無性におかしくなった。

 初めて会った頃の、頑固で融通のきかない少女だったときの彼女を思い出して懐かしくなった。

 彼女にもらった飴玉の味も思い出した。

 あれがすべての始まりだったのかもしれない。


「―――わかったよ。やるよ、やる。変なことに使うなよ」

「なんだと、貴様? このオオタネア・ザンを侮辱するようなことをいうと許さんぞ」

「どうしてそこで怒るんだよ」


 楽しげに笑いながら、セスシスは右拳を突き上げた。

 オオタネアの右拳がそれにぶつかる。


「武運長久を祈る」

「任せろ」


 そう優しく言い含めるように囁いて、<ユニコーンの少年騎士>と謳われた青年は部屋を出ていった。

 特段、劇的でもない別れの一幕だった。

 だからこそ、オオタネアはその場を動くことさえできなかった。

 彼女の「最愛」は今いなくなったのだ。


「……もういいのか、ネア」

「シャっちんか……」


 最愛の男と入れ違いに、最近できた親友がやってきた。

 おそらく話は聞かれていただろう。

 セスシスとの別れに気を取られすぎていて、気配など探っているひまはなかった。


「静かな別れだったな」

「ふん、これくらいが丁度いいのさ。貴様の方こそ、劇的な別れを期待していたのではないか?」

「ああ、私はいいよ。もう、二回体験済みだ。これ以上はトラウマにしかならない」


 シャツォン・バーヲーは肩をすくめ、自嘲気味に呟く。


「それで、なんで、名前なんだ。キスの一つでもすれば良かっただろうに。なあ、オオタネア・ザン」

「貴様にいう必要はないと思うが」

「そんなことを言わずに教えてくれよ。恋の敗北者同士、仲良くしよう」

「疵をなめあう関係なんてお断りだ。―――あと、たった今から私のことは、オオタネア・ハーレイ・ザンと呼べ」


 その宣言を受けて、シャツォンは少しだけ沈黙した。

 意味を咀嚼するのに要した時間だった。


「そうか。そういうことか」

「わかればいい。だから、もう聞くな」


 すると、シャツォンはすりすりとオオタネアのもとに近づく。


「なあ、物は相談なんだが……」

「なんだ」

「私にもくれないか。その……ハーレイという姓を」

「やらん。ふざけるな。一昨日やってこい」

「そこをなんとか」

「ダメだ」


 ……二人は殊更に陽気に振舞うことで喪失感を無くそうとしていた。

 まるで胸に巨大な穴が開いたような虚ろな気持ち。

 オオタネアにとってだけでなく、シャツォンも最愛を無くしたのだ。

 できることならば、街角で平凡な出会いをして、普通のつまらない人生を送れれば幸せだったかもしれないとしても、いまさらだった。

 あとの人生はもしかしたらただ消化するだけのつまらないものかもしれない。

 彼女たちの真の戦いはたった今終わったのだから。

 だが、彼女たちは知っている。


 失った恋がこれからの一生において彼女たちをさいなむとしても、その想いを後悔することはないということを。

 彼女たちの最愛の「つま」が、彼女たちの愛するものを絶対に守り切ってくれるということを。

 恋は成就しなかった。

 だが、愛は続く。

 彼が命を懸けて残してくれたものを守るのが、これからの彼女たちの戦いなのだ。








「ありがとう―――」


 私のユニコーン。


「さようなら―――」


 私のユニコーン。







「―――いつだって、あなたを信じている」


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