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聖贄女のユニコーン 〈かくて聖獣は乙女と謳う〉  作者: 陸 理明
第二十三話 ありがとう、さようなら
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夢は心に秘めるもの

 稲光となって〈白の館〉に戻ったユニコーンの騎士たちが見たものは、淡く発光する建物であった。

 外壁からにじみ出るように光が漏れている。


「……何よ、あれ?」

「魔導かしら?」


 慌ててユニコーンから与えられた〈破邪〉の瞳を凝らしてみるが、異常は見当たらない。

 それなのに建物全体が光っているのだ。


「〈破邪〉で見破れないとなると、魔導の仕業ではないみたいね」

「……じゃあ、何なの?」

「わからないわ」


 明らかに異常な状態だった。

 だから、普段なら脇目も振らずに突っ込む面子ですら、玄関の前で二の足を踏んだ。

 その様子を見てオオタネアは、隣で先陣を切っていた〈幻獣王〉に訊ねる。


「〈幻獣王〉。この現象の正体をご存知ですか?」

《幻法だな。〈気〉を力の源として幻を操る技術だ。魔導を消費しないことから、我らも〈解呪〉することはできぬ》

「……幻法。伝説の幻法師の仕業ということですね」

《そうだ。―――考えたものだな。魔導でも物理でもすでに余らには通じぬと見て、まったく傾向の違う刺客を仕立ててきたということだ。幻覚を魔導で見せられても抵抗できるが、〈気〉をもとにした幻法ならば通用する。今頃、この館の中は尋常ならざる精神攻撃によって侵されているであろう》

「なるほど……」


 オオタネアは思案した。

 勝手の違う相手の仕掛けた罠が張られている場所に、無策に飛び込むことはできない。

 急いではいても、無謀な真似はできないのだ。

 ユニコーンの万能性の隙を突かれた格好であった。

 だが、セスシスを守るためには一刻を争う。


「……閣下、あれはなんでしょう?」


 騎士の一人が窓ガラスを指差した。

 なぜか、全員の視線がそちらに注がれる。

 理由は簡単だ。

 ガラスに映し出されたものの奇異さに目を惹かれたからだ。

 そこには鮮明にある情景が映っていた。


「―――あれ、エーミー先輩だよね」

「うん、そうだけど……。どういうこと? 先輩があの奥にいるの?」

「いや、違うな……。写真が動いているみたいな感じだ。なんだ、あれ」

「幻みたいだけど……。変なの」


 全員が似たような感想を抱いた。

 それはさっきシャツォンが見ていたものと同じ、セスシスの世界で言えば映像に当たるものであったが、その概念のないこの世界の人間にはまったくピンとこないものであった。

 ただ、そこに映っているものが彼女たちの筆頭騎士であるエーミー・ドヴァであり、彼女の行動であることだけはわかった。

 ただし、それを見てまた同じような感想を抱くのも一緒であった。


「……ねえ、美形の男を侍らしてテーブルにしたり、イスにしたり、肩を揉ませたりしているのって、どう思う?」

「いや、どういう意図なのよ、これ」


 その中でエーミーは派手なドレスと宝石のついた首飾り、指輪、足輪をはめて、楽しそうに酒を煽っていた。

 目の前では全裸の男たちが雄々しく踊り続け、それを見て欣快にたえんとばかりに哄笑するエーミー。

 鳥の羽で作った扇で風を送られ、とても快適そうだ。

 贅を尽くした彼女だけの宴の一場面のようであった。

 誰しもがその光景を見て、「酒池肉林?」としか思いつかない光景だ。


「あれは、なんですか、〈幻獣王〉?」


 思わず、オオタネアが“ロジー”に訊いてしまう。

 そんなことよりもセスシス救出を考えなければならないのに、あまりの酷い光景に愕然としてしまったのだ。

 男を知らぬ生娘でもある彼女とってはやや刺激の強い内容であったことも一因だ。


《おそらく、あの処女(おとめ)の持つ潜在的に最も強い願望だろう。この館に張り巡らされた幻法師の強い幻術の力によって、秘めている願望が外部に放出され、あのガラスを画板として反射的に映し出されているのであろうな》

「なんですと?」

《……あの処女はおそらく幻術で眠らされているのだ。そのせいで、普段ならば隠されているものが表に出やすくなっているのであろう》

「つまり、ドヴァは幻法師に眠らされていてその夢が外部に漏れている状態ということですか?」

《夢というものではない。無意識に持つ最も強い願望だ。ただし、夢と定義してもなんら問題はない。その二つを分かつ必要性は今はないからな》


 オオタネアと”ロジー”の会話を聞いていた騎士たちは、おおよそのところを理解した。

 つまり、あのガラスに映っているのは……


「エーミー先輩って、普段からこんなことを考えていたんだ……」

「ちょっと引くわ……」

「もう見る目変わりそう」

「いや、あたしは逆に親近感がわくね。美形の男を集めてハーレムなんて女の本懐じゃん。趣味がいいよ、エーミー先輩は」

「そこまで前向きには捉えられないよぉ」

「だって、わたしらってユニコーンの騎士だよ。ってことは……」


 筆頭騎士エーミー・ドヴァの株は後輩たちのあいだで大暴落していた。

 実際のところ、心に秘めていた願望を勝手に覗かれた彼女は被害者といっていい立場であったのだが、つい見てしまった側からすると、なんともいえない気持ちにさせられてしまうものであったからだ。

 よりにもよって一番の夢がアレかあ、という感じで。


「あれ、ヤンキ先輩じゃない?」

「どれどれ」


 近衛を任されているヤンキ・トーガの願望は、エーミーのものに比べれば遥かにマシであった。

 彼女の好みと思われる筋肉質の男性と一緒に、イチャイチャしながら鍛冶の仕事をしているというものだったからだ。

 どうやら新婚家庭らしいのだが、家に台所などがなく、寝室に鍛冶場が隣接していたりするとてつもなくおかしな間取りは、非常に性的にシュールなものを感じさせる。

 鍛冶と夫婦の秘め事しか考えていないのが明白だからだ。

 乙女の妄想にしてはやや難アリといったところか。


「うちの先輩たちって……」

「幸せの形はそれぞれだよ。でも、良かった。館の中にいたら、こうやって中身を覗かれていたところだったからね」

「―――あ、ああ、そうだよね。誰かに自分の夢を見られるなんてぞっとしないよぉ」

「自分だったら恥ずかしくて死んでいるところッスよ」


 口々に酷いことをいいだす少女騎士たち。

 自分だけでもこんな目に遭わなくて助かったと、心の底から安堵していた。

 それぞれ口にはしないが、ちょっとだけ似たような妄想を抱いていたこともあったからだ。

 だが、その状況の深刻さを忘れたようなムードの中、彼女たちのボスであるオオタネアがじっと一箇所を凝視していることに気がつく。

 また先輩の誰かの人には言えない願望かと、わずかばかりの好奇心を持って覗き込んだ騎士たちの顔色が変わる。

 確かにそれは誰かの願望だった。

〈白の館〉で眠りに落ちている誰かの。

 

 ―――それはセスシス・ハーレイシーの夢だった。


 そして、それは気楽な気持ちで覗き込んだものの心を打ちのめすような、寂しく、悲しい夢であった……。


        ◇◆◇


 僕がテーブルに着くと、両親と妹はもう朝食を食べ始めていた。

 お味噌汁とご飯から立つ湯気が温かい。


「いただきます」

「召し上がれ」


 久しぶりに食べる味噌汁の味はとても懐かしい。

 懐かしい?

 おかしいな、昨日も、一昨日も、僕は母さんの作ったお味噌汁を飲んだはずなのに、どうして懐かしいなんて思ってしまったのだろう。

 まるで十年以上口にしていなかったかのような錯覚まで覚えたぐらいだ。


「あなた、どうして泣いているの?」


 母さんが心配そうに言う。

 普段はあまり表情を崩さない父までが、オロオロと心配そうに僕を見ていた。

 のんきな僕が朝食の場で涙をこぼせば、さすがの父さんも動揺するということかな。

 シャツの袖でこぼれた涙を拭って、僕は無理に笑った。


「うーん、ただのあくびだよ。心配しないで」

「そうなの?」

「そうだよ」


 普段は生意気な妹まで、ちょっと顔を曇らせている。

 僕としたことが失敗したな。


「おまえまで心配すんなよ」

「べ、別に兄貴のことなんて……」

「なんだ、それ。ツンデレか、おまえ」

「ばっ、バカ!」


 僕はさっさと用意されていた朝食をかっこむと、立ち上がった。

 家族はまだ食べている。


「―――父さん、母さん、佐織」


 三人はきょとんとした顔をした。

 僕がいきなり深刻な声を出したからだ。

 でも、僕は気にしないで言った。


「突然、行方不明になってごめん。二度と帰ってこなくてごめん。親孝行できなくてごめん。面倒見てあげられなくてごめん。優しくしてやれなくてごめん。お嫁さんを紹介できなくてごめん。一緒にいられなくてごめん。何もできなくてごめん。ほんとに……ごめんなさい」


 家族は無表情だ。

 僕が何を言っているのかわからないのだろう。

 でも、僕にはわかる。

 僕はこの人たちに謝らなくてはならない。

 謝ってどうにかなるわけではないけど、僕は謝りたいのだ。

 好きで遠くに行った訳ではないけれど、この人たちはきっと僕のことを心配して辛い思いをしているはずだ。

 さすがにそろそろ吹っ切れているとは思うけど、二度と会えない僕にはわからない。

 だから、僕は自己満足のためだけでもいい、真剣に正面から謝りたかったのだ。

 返事を待たずに僕は家を出た。

 向かうのは学校だ。

 実家のすぐ傍にある通い慣れた―――はずの―――学校。

 途中で、親友たちに出会った。

 小学校時代からずっと一緒に馬鹿をやっていた友達たち。

 あっちから挨拶をしてきたので、僕も応えた。

 ついでに彼らにも謝罪した。


「一緒に高校で遊ぼうって約束していたのに破ってごめん。修学旅行楽しみにしていたのに回れなくてごめん。彼女ができそうだったのを黙っていてごめん。今度、ゲーム大会にでる約束を守れなくてごめん。サッカーの試合を見に行けなくてごめん。ブラスバンドの演奏を聴きに行けなくてごめん。みんな、ごめんな」


 僕はその足で学校ではない場所に向かう。

 いつも、彼女が使っていた通学路だ。

 たまに僕と彼女が通学時に一緒になる、僕にとってはいつでも心躍る場所だった。


「聖一郎くん」


 彼女が僕の名前を呼ぶ。

 優しい彼女。

 素敵な僕の初恋の人。


「先輩、ごめん。告白するつもりなのにできなくてごめん。待っていてくれたのにごめん。先輩と過ごした時間を大切にできなくてごめん。忘れていてごめん。犬の散歩につきあえなくてごめん。勉強教えてもらう約束だったのに破ってごめん。明日のデートの約束、すっぽかすことになってごめん。先輩の名前―――思い出せなくなっていてごめん」


 僕は次々と目の前に現れる懐かしい人たちに頭を下げまくった。

 いなくなったことで、きっと酷い迷惑がかかったことだろう。

 バタフライ・エフェクトではないが、僕がいなくなったことで不幸になった人がいるかもしれない。

 直接は僕のせいではなくても、僕のせいでもあるのだから。

 だから、僕は頭を下げて謝罪する。

 ごめんなさいを連呼する。

 謝りたい。

 許して欲しいと言いたい。

 幸せになってくださいと伝えたい。

 僕が行方不明になったせいで迷惑をかけた人たちに対して。


 ごめんなさい


 それだけが僕の望み。

 生まれ変わっても、また巡り会えても、僕はあの人たちに謝りたい。


 ごめんなさい


 心から僕は言う。


 今まで、ありがとう


 そして、さようなら


 もう会えない人たちにそれだけを告げたい。



         ◇◆◇


 騎士たちは声も出せなかった。


 聖士女騎士団の教導騎士セスシス・ハーレイシー。

 またの名をバイロンの英雄である〈ユニコーンの少年騎士〉。

 かつて王宮を襲った魔物を撃退して姫であった現国王陛下を救い出し、誰もが恐ろしくて近寄らない〈幻獣郷〉に単身踏み込んで伝説の〈幻獣王〉と友誼を結び、バイロンのために西方鎮守聖士女騎士団を設立した御伽噺の〈英雄〉。

 世界に愛し、愛された、敵の攻撃を決して喰らわない秘技の持ち主。

 神話の時代から生きる〈幻獣王〉を相方とし、あの〈雷馬兵団〉をたったひとりで壊滅させ、単身敵陣である〈妖帝国〉に侵入し、この世界で唯一の皇帝との謁見を果たした超人。

 勝手の違う異世界からやってきて、たった十年の間にそれだけの奇跡を成し遂げた、伝説中の伝説。

 ある意味では神にも等しい人物。

 この世界の救世主になりうる男。


 ―――そのセスシスが。


 ―――その〈勇者〉が。


 なによりも願っている夢が、こんな悲しいものなのか、と。

 こんなささやかなものなのか、と。


 もう二度と会えないかもしれない、家族や友や初恋の人に謝罪をすることだけ、謝って許しを請うて、礼を言うことだけ。

 彼が望んで異世界に来たわけではないのに、彼のせいではないのに、それなのに彼は召喚した相手もこの世界の住人も誰も責めるわけでなく、ただただ置いてきてしまった人たちに詫びたいと願っているだけなのだ。


 かつて、少女たちは自分たちの無力を彼に押し付けたことに罪悪感を覚え、彼のために戦うことを誓った。

 だが、本当にそれが正しかったのか。

 それは自分たちだけの―――この世界の人間たちの都合ではなかったのか。

 異世界で幸せに暮らしていた一人の少年を残酷に呼びつけ、使命を背負わせて戦わせ、地獄のような戦いに巻き込んだことの罪はそんなことで消せるのか。

 そんなはずはない。

 やり直すことができない以上、セスシスの人生が完全に狂ってしまった今となっては、そんなことでは贖罪となるはずがないのだ。

 彼を元の世界に戻してあげることもできず、ついには〈王獄〉の中に潜む黒幕との対決のために彼を利用しようとしている自分たちなのだ。

 彼女たちには、親兄弟も仲間たちも国も故郷も世界もある。

 そのために戦うのは正しいことだろう。

 胸を張って自慢できることだろう。

 だが、セスシスは違う。

 彼には何もないのだ。

 ただ唯一、オオタネアを始めとするこの世界で触れ合った者たちのためという大義だけで戦ってきたのだ。

 それはどんなに―――無意味なことなのだろう。


 この世界が滅ぶのは、この世界のせいである。

 他人を巻き込むべきではない。

 だから、セスシスの戦いは本来の意味では―――無意味なのだ。


 それでも、彼は剣を執るだろう。

 誰かに謝りながら。

 誰かに礼を言いながら。


「―――それでも私たちはセシィを利用しなくちゃならない」


 タナがぽつりという。


「罪深くても許されないことでも、生き残るために、いろいろなものを守るために、あの優しい人をとことんまで利用しなくちゃならない」

「そうだな」


 オオタネアも頷く。

 彼女もわかっていた。

 なにより、セスシスを戦いの道に誘ったのは彼女なのだ。

 彼を利用し尽くすと決めたのは、まずは彼女なのだ。

 だから、今更後悔はしない。

 できるはずがない。


「いい加減、こんなところで止まっているわけには行かない。中に討ち入るぞ。あいつを守るのをバーヲーばかりに任せてはいられん」


 考えるのは後回しだ。

 まずは、セスシスをこの危機から救い出すこと。

 騎士たちは意識を切り替え、〈白の館〉に突入することに決めた。



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