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聖贄女のユニコーン 〈かくて聖獣は乙女と謳う〉  作者: 陸 理明
第一話 西方鎮守聖士女騎士団
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セスシス・ハーレイシー招聘

〈幻獣郷〉は、この大陸のバイロンという王国の王都―――バウマンの奥地にある広大な森林地帯のことを指す。

 有翼の虎や人型をした蜘蛛、(ドラゴン)、河童といった魔獣・聖獣と恐れられる通常の生き物とは異なる種が闊歩するいわゆる魔境であった。

 俺こと、セスシス・ハーレイシーだけが、特別な事情があるおかげで暮らしている以外は、人という種族はまったくといっていいほど住み着いておらず、また訪れることも稀な場所である。

 そこで、俺は友誼を結んだある種族の世話をしながら、呑気に暮らしていた。

 森の外で何が起ころうとも、俺はそれに目を瞑って、ただ頼まれただけの仕事をして日々を過ごしていた。

 その日までは。


 不意の客人は、俺が誰よりも会いたくない相手だった。


「貴様に会いに来てやったぞ、セシィ」


 乾かした木の枝を梳いて根元を縛って作ったブラシを、小川の水で洗っていた俺に向けて、聞き覚えのある声がかけられた。

 俺に対してセシィという呼び名を使うものは、今のところ、彼女しかいない。

 オオタネア・ザンだった。

〈青銀の第二王国〉バイロンの八人の将軍のうち、たった一人の女性であり、とある騎士団を率いる司令官でもある。

 蒼が混じった黒々とした長髪、切れ長の目と青い瞳を持ち、絵画のような小顔の女性でもあった。

 初めて会ったときから、いや今でも俺の知る限り最も美しい女。

 

「お久しぶりです、将軍閣下」

 

 俺はブラシを置いて、足まで浸かっていた小川から岸に上がった。

 川辺の高台からこちらを見下ろすオオタネアのところまでゆっくりと近づく。

 彼女以外には誰もいない。

 おそらくは乗ってきたであろう馬でさえ見当たらなかった。


「あんた……いえ、閣下は何をしに、ここまで来られたんですか? しかも護衛もつけないで、無用心だと思いますけど」

「護衛なら、少し離れたところに待機させているし、それで足りる。それにな、私だってこう見えても少しは剣と拳には自信がある。仮にも騎士の称号は得ているからな」

「それはそうですが……」

 ようやく少し離れた場所に二人の騎士が突っ立っているのが見えた。

 こちらの様子を覗っているというよりも、周囲に気を配っているようだった。

 ここが〈聖獣の森〉だということを考えればそれも当然か。

 だが、一国の将軍が直々に動いているというのに、二人しか随伴していないというのはかなり変だ。

 俺の知る限り、将軍には私事においても五人前後の護衛がつくのが習わしとなっていたはずだ。

(周囲に悟られないように、お忍びでくるほどの内容……ということか。もしくは人払いが必要か。どっちにしろ、面倒なことになりそうだ)

 一瞬だけ頭をひねってみたが、もっともらしい理由さえ出てこなかった。

 もともと俺はそんなに頭脳明晰な方ではない。

「俺の小屋まで行きましょう。葡萄酒の一杯くらいは出しますよ」

「いや、それにはおよばん。ただ、そこにある分だけならもらってやってもいいぞ」

 俺は木陰に置いておいたバスケットの中から葡萄酒の瓶をとりだした。バスケットには他に今朝焼いたパンが数切れ入っている。つまりはお弁当という訳だ。

 自分で飲食物を用意するという発想は彼女にはない。

 もともとやんごとなき身分の出身であるうえ、さらにお付きの従士が身の回りの世話をしてくれるという軍の色に染まってしまったからであろう。

 放っておけば、餓死するまで何も口にしないという恐ろしいことも考えられる相手なのである。

「グラスがないんですけど……」

「ラッパ飲みで構わん」

「口、つけてますけど」

「私と貴様はそんなことを気にするような浅い関係ではないぞ」

「……どうぞ」

 瓶ごと渡すと、宣言通りにオオタネアはそのままごくごくと口をつけて飲む。

 三分の一ぐらい一気に飲み干されてしまい、俺の分がなくなるんじゃないかと心配するような勢いであった。

「うまいな。どこで手に入れた」

「森の外の農民たちが、〈王様〉に献上した品ですよ。あいつら、酒は飲まないから俺がもらっているんです」

「相変わらず酒浸りか。まだ若いのに楽隠居みたいな生活をしているな」

 ほっといてくれ、という言葉を俺は直前で飲み干した。

 この女将軍に面と向かって反抗する度胸はない。

 彼女が今の地位についている一番の理由は別にあるが、二番目の理由として、戦場で立てた武勲の数というものがあるからだ。

 少なくとも俺が彼女に腕っ節で勝てる自信はなかった。

 俺も彼女同様に騎士の称号をもらっているが、やんごとなき身分のお方にお情けでもらったものであり、騎士としての戦技は最低の水準しか有していないからだ。

「ところで、貴様の唯一ともいえる仕事の調子はどうだ? 貴様と会うのも数年ぶりだし、様子を知りたいところだ」

「たまに王都までいって報告している内容がすべてですよ。書き物にしてだしていますから、閣下も目を通されているはずですよね」

「直接、貴様の口から聞きたい」

「……このあいだの戦いのせいで酷く落ち込んだ奴らがでています。ここしばらくはそいつらの世話で手一杯なんですよ。だから、他には回せる時間がほとんどないのというのが今の俺の現状ですね。ちったあ理解してください」

 俺はできる限り不平不満が顔に出ないようにした。

 仕事なのだから当然うまくいかないこともある。

 ただ、それが外的要因によるものであるのなら、俺だけではいかんともし難いのだ。

「落ち込んでいる……ね」

「閣下は俺の仕事を理解してくれていると思っていましたけど」

「理解? ああ、しているよ。その上で年上の女が親しい男子に甘えてみせただけだ。貴様がこっちに来たばかりの頃はよく遊んでやっただろう。その借りを返せ」

「……勘弁してください。もう何年も前の話じゃないですか。あんただってもういい年でしょうが」

「ふん、責務にすべてを捧げて嫁き遅れた女に対しての優しさがないな、セシィ。それとも、やはり、あいつらに魂まで奪われたのか」

 からかうような、嘲笑するような言い草にむっとした。

「いくら閣下とはいえ、そういう自分を貶めるような言い方は止めてくれませんか。聞いていて不愉快です」

「確かにそうだな。詫びよう。すまなかった」

 正当な抗議をすれば、きちんと真正面から謝罪する。

 扱いづらいが、その反面として竹を割ったような快活さも併せ持つ彼女は、軍でもかなりの数のシンパを持つ人気者でもある。

 それ以上、くだらないことを追求することはやめて、俺は彼女の対面に立った。

 この森は俺の棲家で、慣れ親しんだ土地だというのに落ち着かないという妙な気分になる。

 いや、落ち着かないのは、この古い知人である将軍閣下がわざわざこんなところまで足を運んできたという事実に嫌な予感がするからだろう。

 今までも何度かオオタネアがここまできたことはあったが、こんな予感を覚えたことはなかった。

「で、どうなんだ、あいつらの方は? なんとかなりそうなのか」

「……気軽に言わないでくれませんか。共に死線を潜ろうとまで意気投合した相手を軒並み失ったんですよ。いくらなんでもそう簡単に回復するはずがない。それに、最近は二、三度似たようなことを繰り返されたおかげで、トラウマに近い状態になってしまっている奴も出ている。このままいけば、何よりもまずあいつらが参っちまう。そうしたら、この国どころか、大陸すべてが終わりますよ」

「……そうか。報告書にあった通りか」

「今までは騙し騙しやっていいましたが、もうそろそろ限界ですね。根本的な対策が必要になっていると思います」

 女将軍は顎のあたりを押さえ、目を閉じて、沈思黙考を始めた。

 その姿を見て、俺は素直に綺麗だなと思った。

 先ほどの会話にあった通り、俺はかなり以前からからオオタネアと個人的な付き合いがあった。

 そして、昔の俺にとって、彼女は自分を庇護してくれる憧れの姉とも呼べる存在でもあったのだ。

 今となっては息の詰まる上下関係が先行する有様になってしまっていたが。

「……やはり、やむをえんな」

「何が?」

 ようやく長考から脱したオオタネアが顔を上げ、これまでとは異なる毅然とした顔つきでこちらを見つめてくる。

「貴様は我が騎士団の消耗率について、どれぐらい知っている」

「……作戦のたびに参加者がほとんど生きて帰ってこないということぐらいはわかっていますよ」

「ああ、貴様のところの奴らはそもそも傷つくことがないから生還できるが、私の部下たちはほとんどが戦死する。うちのことを〈自殺部隊〉と悪し様に罵る連中までいる。腹の立つ侮辱だが、現状は確かにそれに近いものがある以上、耐えるしかないところだ」

「でも、それは閣下達のせいじゃない。閣下の部下が命をかけてくれているから、〈雷霧(らいむ)〉の侵食はほとんど水際で食い止められているはずです。感謝こそされても非難されるいわれはないと思うますけど」

「……とは言っても、『ほとんど』でしかない。現実に我が国の国土は少しずつ蝕まれているのだから」

「だけどっ!」

 自分勝手にも激昂寸前の俺を、オオタネアは腕を伸ばして制した。

「貴様の気持ちは嬉しい。だが、実際に私の騎士団はそう呼ばれてもおかしくないほどの人死にがでているのだ」

 二人の間を沈黙が支配する。

 それを打破するために、俺が口を開こうとしたとき、

「なぜ、それほどまでに戦死者が出るかわかるか、セシィ」

 唐突な質問だった。

 しかし、答えるのは容易い。 

 これは俺がいつも考えていた問いだからだ。

「……あいつらとの一体感がないからだと思います。あいつらから聞いた感じでは、どの連中も真面目で努力家で、常に国や家族や大切な人のことを考えている優しい子ばかりらしいが、どうにも一体感の方が足りないそうです。普通の騎馬と同じ要領で考えてしまうらしく、そうすると、どうあってもぎこちない感じにしかならない」

「一体感がないとどうなる?」

「〈雷霧(らいむ)〉のなかでは視界が酷く悪化するはずです。そうなると咄嗟の出来事に対応するのが遅くなって、いざというときの反応が極端に鈍る。結果として、あの中で待ち構えている〈手長(てなが)〉や〈脚長(あしなが)〉の絶好の獲物になってしまうでしょうね」

「その通りだ。そして、運良く数名が〈雷霧〉の〈核〉を破壊できたとしても、その復路となる脱出の過程で同じ危機にまた見舞われることになる。二重に危険なのだ。それが生還率のすくない原因だ」

「だから、閣下達にできることは、もっとあいつらの乗り手に相応しい人材を確保することなんだと思う」

「……よくわかっているな、セシィ」

 と、一拍おいて、

「そこで、貴様に頼みがある」

 鋭い視線が俺を射抜く。

 そこにいたのは冷酷非道な作戦さえも実行に移すことを躊躇わない、数字で人の生命を割り切れる稀代の戦略家だった。

「貴様には騎士として、うちの騎士団の教導騎士になってもらう。今までのように、あいつらの世話と人間たちとの橋渡しという役目は終わりだ。今日、これからすぐに荷物をまとめて、私とともに聖士女騎士団の司令部にこい」

「……えっちょっと待ってくれ。なんだって?」

「貴様は聖士女騎士団の司令部に配属になった。これは国王陛下の勅令でもある。いいか、これは絶対の決定事項だ」

 ふと気がつくと、オオタネアの両拳に見慣れた〈気〉が集中している。

 色からすると、〈強気功(きょうきこう)〉。

最大限に練った〈気〉でもって肉体を強化する気功種であり、極めた達人ならば薄めの鉄板程度なら貫けるようになる。

 人体でもまともに喰らえば簡単に、反対側まで「抜かれる」。

 バイロンというか、大陸の騎士ならば必須の技能だ。

「ちょっ、ちょっと、閣下、閣下。それは止めようよっ!」

「止めない。おまえがいいと言うまで殴るのも厭わない」

「止めてって!」

「最近の貴様は可愛くないから、哀願されても心には響かない」

 オオタネアが両の拳を握り締める。

 あんなものが当たったら、身体に見たこともない大穴が開いてしまう。

「―――どうする?」

「や、やります。やらせていただきます。お願いします」

「ならば、よし」


 こうして、俺――セスシス・ハーレイシーはその日のうちに女将軍オオタネア・ザンが率いる、西方鎮守聖士女騎士団へと移ることになった。

 もっとも、それは俺一人だけではない。

 俺が世話をしている35頭にも及ぶモノとともに、だ。

 それは、一本の刀のように鋭く尖った角を額に掲げ、ただの馬とは一回り違う長い脚を持ち、この世の生物にはありえない染み一つない白い雪のような皮を持つ、透き通った青い瞳の聖獣。

 

 ―――ユニコーンである。


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