二人の戦い、一人の戦い
結局、五分間の決闘の間にキルコが繰り出した奇策の数は合計で二十。
最終的に三本すべてのペティナイフがオオタネアの服に刺さり、彼女の宣言は達成されることになる。
そこだけを見ると、キルコの勝利といっていい内容だ。
ただし、見守っていた騎士たちは皆が共通した思いを抱いていた。
曰く―――
オオタネア・ザン、恐るべし。
―――であった。
通常の騎士であったのならば、必殺といっていいキルコの奇策のすべてを初見で躱し、受けきった事に対する畏怖を改めて抱いたのだ。
鉄壁のナオミ、天才タナ、達人マイアンですら、あのキルコ相手に無傷でいけるとは思えなかった猛攻であったからだ。
凄まじいの一言だった。
戦場の勘働きというか、予知に等しい力を持っているとしか思えない戦いぶりである。
さすがは我らの大将。
私たち騎士団の最高戦力。
この場に揃った彼女たち全員が目標として、追いかけてきたバイロンの救世旗。
実際に本気で戦ってみて初めてわかる強さであった。
「じゃあ、順番通りにオレがでるよ」
ハーニェ・グウェルトンが戦闘斧を抱えて進み出る。
視線はまっすぐに師を見つめている。
「ハーニェ、はいと」
彼女の親愛なる相棒が声をかけて、肩を叩く。
「行ってくるよ、タナちゃん」
セスシスが教えてくれた親指を立てる挨拶をして、ハーニェは笑う。
タナが見ていてくれるのならば、戦わなければならない。
「―――来たか、グウェルトン」
「はい、姫様」
「おまえの戦い方は教えた私が一番よく知っている。他の連中のように意表は突けんぞ」
「はい、ですが、いいえでもあります」
「なんだと?」
ハーニェは戦闘斧をゆっくりと担ぐ。
「オレの得意とするところが補助であるところは自分でもよくわかっています。それは否定できません」
「では、なんだ」
「―――オレはタナちゃんの影です。タナちゃんを助けて、タナちゃんの敵を削るのが、オレの仕事です」
そう言って、彼女は後方に控えたタナを見やる。
視線を送られたタナは一度だけはっと驚いたのち、力強く頷く。
それだけを確認すると、
「姫様には、それを知っていてもらいたいんです」
「おまえは最強に興味がないのか」
「ありません。所詮、オレは次点です。でも、次点には次点の戦い方がある」
普通ならば、それはただの強がりにすぎない。
だが、ハーニェはすでにそのような無駄な誇りは持っていなかった。
人付き合いの経験もなく、まともに読み書きもできないまま、騎士養成所に入ったせいで他の見習いたちとは圧倒的な差をつけられ、それを最後まで埋めきれなかった過去が彼女を達観させた。
祖父を故郷の山に帰らせるため、教官の制止も聞かずに志願し、成績不良のために落とされた騎士団に運良く次点で入団しても、能力は周囲に劣るものだった。
しかし、散々努力を重ねても、トップたちにはまったく及ばず、最終的には落ちこぼれであったアオにまで抜かれても気にはならなかった。
次点だから諦めたのではない。
自分の戦い方を貫くことだけが大切になったのだ。
付けられた順位も成績も彼女には意味がないものになったのである。
「吹っ切れたか。だが、私は入団した当時の貴様のギラギラした狼のような眼も嫌いではなかったぞ」
「―――ありがとうございます。……それはこんな眼ですか?」
ハーニェは過去を思い出す。
騎士養成所に入学する以前、祖父と暮らしていた少女時代よりもさらに前、両親を事故で喪い一匹の野生生物として生きていた時代のことを。
祖父に救われるまでの厳しい時代を。
オオタネアに自分のすべてを見せつけるのならば、あの時代に戻る必要がある。
ウォォォォォオオオオオオオオオオオオオオ!
獣のごとく、ハーニェは叫んだ。
いや、吠えた。
ただでさえ大きな声を発することができる彼女のあげた、まさしく遠吠えであった。
同時に疾走する。
吠え声は威嚇。
全力を持ってすべてを破壊するための襲撃であった。
だが、そんな策とも言えない虚仮威しに怯むオオタネアであるはずがない。
みるみるうちに迫ってきたハーニェが振り下ろした戦闘斧の斬撃を片手に握った大剣だけで受けきる。
ほとんど身じろぎもしない。
〈強気功〉の実力でも彼女は師に届かない。
続く二撃、三撃もたやすく軌道を見破られ、同じように大剣だけで防ぎ切られる。
これまでの数試合と異なり、圧倒的な力量差があった。
仲間たちとの実力差がそのまま、オオタネアとの差となって現れているとしかいえない状況だった。
一矢さえ報えない。
それが最後の結果となることは確かだった。
「それだけか、グウェルトン」
野生の獣と化したようなハーニェは答えない。
哀れみさえオオタネアが覚えかけたその瞬間。
戦闘斧を受けた大剣にかかる圧力がわずかに減じた。
不審を感じる間もなく、オオタネアはハーニェが握りしめていた戦闘斧を取り落としたことを知った。
手を滑らせたか、と思ったのは当然だ。
いくらオオタネアであったとしてもわざと武器を手放したとは思いもよらない。
しかし、これこそがハーニェの狙いであった。
彼女の相棒がよく使う作戦だった。
自分の武器をわざと捨てて、細い吊り橋の上で勝機を掴む。
ウォォォォォオオオオオオオオオオオオオオ!
再度、狼が吠える。
一拍の反応も見せず、ハーニェは頭から掻い潜るようにオオタネアの腰にしがみついた。
いや、それは組み付きであり、相手を押し倒すための体技であった。
面食らったのはオオタネアだ。
武器を持った相手に素手で組み付いたところで、意味はない。
だからこそ、ハーニェのタックルに戸惑ったのだ。
何をするつもりなのか理解できなかった。
激突され、地面に組み敷かれても、彼女が全力を振り絞ればタックルを切り、そのまま吹き飛ばすことも簡単だからだ。
それだけの気功術の差がある。
「貴様、何をする気だ!」
「タナちゃん!」
ハーニェが叫ぶと同時に、地面に押し倒されたオオタネアの鼻面に、剣先が輝いた。
その先に立つのは、タナ・ユーカーだった。
最強の女騎士が息を呑む。
彼女は察した。
これが戦場であったのなら……。
「ハーニェの勝ちだよね」
「ユーカー……貴様」
「これが、ハーニェと私の戦い方だよ。ずっとずっと長いあいだ、私たちが磨いてきたのはこんなやり方」
本来ならば、この決闘は一対一のもののはずだ。
だから、タナのためにオオタネアを止めたハーニェはルールを破ったことになる。
しかし、自分の戦いを見せると嘯いたハーニェの言葉を重んじるのならば、これは認められることになろう。
タナのために敵と戦い、タナが倒すべき敵を牽制し、タナのために敵の動きを止めるのは、紛れもなく彼女の仕事だからだ。
戦いの前にハーニェがタナに送った目配せの意味を読み取れなかったオオタネアのしくじりでもあった。
少しだけ、静寂が場を支配した。
「グウェルトン」
「はい」
戦いが終わり、尊敬する師に抱きついたような格好になったハーニェに対し、オオタネアは優しく言った。
「ユーカーのためとはいえ、簡単に命を投げ出すことは許さんぞ」
かけられた優しい言葉に溢れる涙をこらえ、ハーニェは頷く。
「よし、さっさと私から離れろ。貴様の体温は熱すぎて困る」
「……す、すみません……姫様」
勝ったというのにボロボロになったかのように立ち上がる相棒をタナが支え、その手を取ってオオタネアも立ち上がる。
その間も大剣から手を離さないところが凄腕の騎士らしいところであった。
迎えに来たナオミに付き添われ、仲間の元にハーニェが帰っていくと、オオタネアはその場に残ったタナに振り向いた。
「次は貴様か、ユーカー」
「うん、そうだね」
タナは双剣を引き抜く。
月光にきらめく〈月水〉〈陽火〉のふた振りの魔剣。
ついに筆頭騎士であるエーミーを追い抜き、名実ともに最強との呼び名の高いタナ・ユーカーが立ち上がる。
それに対し、現最強が立ちふさがろうとしたとき、
「―――タナ。私が先番のはずよ。がっつくのはいいけど、順番を守りなさい」
いつの間にか現れたのか、ノンナ・アルバイが参戦した。
タナが不服そうに、
「別にいいじゃん。もう、私、我慢できないんだけど」
「順番は守りなさい。貴女はそういうところがダメなのよ。いつも抜けがけばかりで」
「抜けがけするのはノンナの方じゃん。セシィと初めて出会った頃だってさ」
「だまりなさいね」
そう言って、ノンナはタナの頬をつねった。
慌てて頬の肉を取り戻すと、タナは少しだけ怯えた顔になる。
彼女たちの隊長がいつもよりも張り切って意地悪をしようとしていることに気がついたのだ。
この状態の彼女に逆らうことは基本的によろしくない。
だから、奔放なタナにしては珍しくあっさりと引き下がった。
「わかったよお。さっさと戻るからさ」
「わかればいいのよ。出番まで引っ込んでいなさい」
「はーい。この鬼婆め」
「―――何か言いましたか?」
ぴゅーと脱兎のごとく逃げ出した人類守護聖士女騎士団の平騎士最強を尻目に、ノンナは上司に頭を下げる。
「すみません、姫様。うちの跳ねっ返りがご迷惑をおかけしました」
「……次は貴様か」
「あとは、自分とタナの二人なのですぐにすみます」
「二人?」
「ミィナとクゥは馬上の最強なのでこの場ではちょっと出番がないのです」
オオタネアも察した。
確かに、あの二人は騎馬があってこそ真価を発揮する者たちだ。
そして、〈彗星〉と〈舞姫〉相手では馬上で勝つことはできないとさすがの彼女も判断していた。
ならばわざわざ証明する必要はない。
「だが、貴様が私との戦いにそこまで執着するとは思わなかったぞ。貴様も強い騎士だが、そこまで最強にこだわりがあるようには見えん」
「ええ、自分は強さにはあまりこだわりがありません」
「では、どうして出てきた?」
「わかりませんか?」
黄金の十三期の隊長はくすっと微笑む。
付き合いの長い仲間たちの背筋が思わず寒くなるような異質な笑みだった。
鮮やかな赤い髪を手ぐしで梳かし、
「はっきり言いますと、自分はセスシスさんのもとに嫁ぎたいとずっと考えておりました。そうなると、姫様は自分の夢の最大の障害となるのでここで排除しておきたいわけです。やはり実力行使が一番かと」
と、ぶっちゃけた。
オオタネアのみならず、仲間たちまでが唖然とする。
付き合いが長いので本心もよく知ってはいたが、まさかこの場で洗いざらいぶちまけるとは……。
少しは空気を読めとナオミなどは小さく呟いたほどだ。
「……なんだと?」
豪胆なことでは誰にも負けないオオタネアも開いた口が塞がらない。
「姫様がセスシスさんの弱点であるということについては本当にそう思っていますし、自分も腕に自信があるのは確かです。ですから、必ずしも嘘という訳ではないのですが……。とにかく、自分は旦那様となる方に、耳元で「愛している」と囁いてもらうまでそう簡単に負けることはできないのです。おわかり願えましたでしょうか?」
あまりのことに静かになりすぎた庭園がようやく命を吹き返したのは、しぶしぶ自分の場所に戻ったタナの抗議があったからだった。
「ずるいっ! 嘘つきっ! この腹黒桃色女っ! いっつもあんたは抜けがけばっかりしてっ! やっちゃえ、姫様!」
「おまえはどっちの味方だ……」
「少なくとも、あの腹黒の味方ではないね!」
ナオミのツッコミが追いつかないほどの混沌とした状況の中でも、ノンナ・アルバイは平然と自分の武器を抜剣する。
それは人類守護聖士女騎士団が西方鎮守聖士女騎士団出会った頃の人間なら誰しもが知る剣だった。
〈瑪瑙砕き〉
かつてセスシスが用い、イド城に置いてきた彼の愛剣である。
回収したヴィオレサンテ陛下より直々にノンナに下賜されたものであった。
「頭が痛くなってきたぞ、アルバイ」
「自分は恋煩いでいつも胸が痛いです」
「……とりあえず貴様だけは確実に全力で潰しておくことにしよう。まったく恩を仇で返しおって」
「恋敵という最悪の敵に対する場合の心構えとしては最善だと愚考いたします」
こうして、身も蓋もない一人の男をめぐる戦いがここに始まった……
◇◆◇
ガラス窓に映っているものが、セスシスの記憶である可能性は高かったが、それをじっくりと観察している余裕はシャツォンにはなかった。
周囲を見ると、壁全体が淡く微かではあるが光を発しているようにみえる。
しかし、彼女のもつ魔導検知の能力はまったく働かない。
つまり、この光は魔導ではないのだ。
では、はたしてなんなのか。
これが普通の〈白珠の帝国〉の騎士ならばわからなかったところであるが、彼女は魔導騎士だ。
だからこそ、この輝きが「〈気〉を思念の形に昇華したもの」だと見当をつけられた。
そして、そんな真似ができる下手人の心当たりは一つしかない。
「幻法師か……?」
幻法師とは、この世界に古くから伝わる特殊な一族であり、〈気〉を思念の段階にまで昇華させ、その力を反射的に用いて自分の思う通りに幻覚を見せることができる。
その際に媒介となるものを使用することでさらに複雑な幻術を使いこなし、一説によると幻で城一つを覆い隠すこともできたらしい。
しかし、シャツォンの記憶では、幻法師たちは暗殺者まがいの所業を繰り返した挙句、帝室の怒りを買って殲滅させられたはずである。
それが、なぜ今頃になって……。
だが、もっと重要なところはそこではない。
幻法師が行動をしているという以上、その目的は暗殺以外ありえない。
そして、この館で最重要の暗殺対象といえば、それはただひとりしかいない。
「(聖一郎の命か―――!」
シャツォンは枕元の剣を引き寄せた。
武器はひとふり。
戦力は彼女一人。
胸の中にいるたった一人の男を守るためには頼りない蟷螂の斧だが、やるしかない。
(〈白の館〉自体が光っているということは、幻法師はこの館そのものに幻術をかけているはず。光るということ自体が、奴らの思念の媒介物に使われているということだからだ……。では、この館の中は幻覚に支配されているということか)
腕の中で静かに寝息を立てているセスシスは一向に目覚める気配がない。
(術が掛かっている。……魔導耐性の強いこいつには通常の幻覚魔導は効き目が弱いのに。やはり幻法師の術は魔導ではないということだ。であるのならば、今のこの聖士女騎士団を相手にするには効果的な連中なのだろう)
ユニコーンの騎士たちは、すでに物理的な戦闘力で言えば、シャツォンと伍するものたちばかりだ。
無理やりな強襲はどれだけ戦力をかき集めても成功は覚束無い。
さらに言えば、ユニコーンから与えられた力やユニコーンそのものの〈魔導障壁〉のせいもあり、魔導師による暗殺も不可能だろう。
正面からのゴリ押しは完全に通じない連中だ。
戦場往来での襲撃ならいざ知らず、一箇所に固まられていた場合に、その中にいるセスシスを暗殺することなどまったくもって無理な話である。
だが、もともと〈気〉を根源とした幻を操る幻法師ならば話は別だ。
ユニコーンの騎士が〈気〉による攻撃に対して脆いのは、〈肩眼〉の衝撃波を目を通して脳に叩き込まれることでかつてマイアンが一撃で昏倒させられたことからもわかる。
自分たちが操るとはいっても、もともとは人の領域の技なのだから、それを上回れる相手に対しては分が悪いうということだ。
「……ということは、館の中のユニコーンの騎士たちも全員同じように術をかけられているおそれはあるということか。建物が妙に静かなのも頷ける。そうなると、すぐに助けは期待できないな」
シャツォンは考える。
すると、彼女としては館の外部からの助けを待つしかない。
帝弟の部下であるギドゥらが来るのを待つのが一番か……。
彼らとて国家安寧のためにはセスシスの身柄が危険にさらされるのはなんとしてでも避けたいはずだからだ。
だが、それまでもつだろうか。
おそらく中の人間たちをこのように幻覚によって昏睡させたのならば、あとは現し身の暗殺者が剣をもって押し寄せるだろう。
数はわからない。
ただ、人類守護聖士女騎士団に守られているセスシスを仕留めようというのだから、一人や二人ではあるまい。
少なくとも十人近くはいるはずだ。
(いや、もたせる)
守るのだ、この男を。
私一人の力で。
透き通った身体のラインがくっきりと浮かぶ夜着と無骨な剣という不釣り合いな格好であったが、シャツォンは気にならない。
彼女が守らなければ誰がこの晴石聖一郎を守れるというのだ。
シャツォン・バーヲーは微笑んだ。
〈王獄〉の中に行かない彼女が、愛しの男を守れる機会はもうやってこない。
だから、逆に血が沸き立った。
「来るがいい、幻法師ども。今の聖一郎の隣にはこの私がいる。〈白珠の帝国〉の魔導騎士シャツォン・バーヲーが惚れた男を守りきれない程度の案山子ではないということを教えてやろう」
―――いつからだろう、シャツォンは自分ですら知らないうちに、不敵で豪快な笑みを浮かべるようになっていたのであった。




