槍と最弱、そして記憶
「参ったわね」
べそをかきながら仲間たちの元へ戻ってきたアオを迎え入れると、苦笑気味にナオミはつぶやく。
その台詞を聞いていたハーニェも同じような表情を浮かべている。
「閣下の愛弟子というと、オレとナオちゃんのことなんだと思っていたけど、あそこまで感動的な場面を見せられたらね」
「まさか、アオがあそこまで閣下を敬愛していたとは思わなかった。飄々としている娘だから」
「……副長やハーニェは観察力が足りない。私はアオが司令官大好きなのを知っていた」
「そりゃあ、あんたはあいつの親友なんだから知ってて当然でしょう」
「確かに」
目から鱗が落ちたというような顔で頷くキルコ。
自分の観察力のおかげではないと指摘されたのがちょっと悔しかったが、親友のことなんだから知っていて当然という発想がなかったのだ。
いつまでたっても人間関係には疎い彼女であった。
「じゃあ、次は打ち合わせ通りにわたしが行く。なんとなく出て行きにくい雰囲気になってしまったけど」
「空気なんて読まないで正論をガシガシいうのがナオちゃんじゃないか。普通にやればいいと思う」
「―――前から思っていたけど、わたし、あんたともっとよく腹を割って話し合っておくべきだったわ」
「どうして?」
「あんたは絶対にわたしに対してなにか変な思い込みを抱いているわよね」
「……そうかなあ。オレはタナちゃんの言っていたことをそのまま伝えているだけだけど」
「元凶はあいつか……」
ナオミは離れたところで冷静に戦いを見守っている筆頭騎士代行にして親友を横目で睨みつけた。
以前から、自分に対する扱いに妙な不満を感じる部分があると思っていたが、よもやこんな異郷で謎が解けるとは。
「とりあえず、あいつは後で折檻だ」
「なんでさ」
「もういいわ。じゃあ、予定通りにわたしが行くから。あとはよろしく、〈狩りの女神の娘〉さん」
恥ずかしい二つ名に困っているハーニェをあげつらうと、ナオミは新しく手に入れた短槍を手にして進み出た。
長年愛用してきたものを手放してまで決戦の異郷に持ち込んできたのは、ザン家の奥様からいただいた魔導のこもった短槍〈不破城〉―――決して折れない無敵の槍と謳われた伝説の武具であった。
何百年前の品であるのに、傷一つついていない魔導の塊のような武具。
騎士団最硬の防御術を誇る彼女に相応しい朱い槍であった。
「では、次はわたしがお相手します。オオタネア様」
「それは〈不破城〉か? 祖母様の仕業だな」
「はい。王都を立つ際に戴きました」
「確かにそいつなら、私の打ち込みをすべて折れずに防ぎ切ることができるな。ということは貴様がやりたがっているのは……」
「はい。オオタネア様の攻撃、すべてを防ぎきってご覧に見せましょう」
そういって、自分の背後の地面に一本の長い線を引く。
「これがわたしの死線。ここを一歩たりとも越えずに、あなた様の攻撃を防いでみせます」
オオタネアの眉間にシワが寄った。
「グランズは躱しきったが、貴様は受けきるということか」
「はい」
「かつて私の打撃をこらえきれずに何度も大地に這い蹲り、土を味わいまくった貴様が、すべて受けきるというのか。それができたら大したものだ」
戦楯士騎士団との対抗戦の前に、必勝を期すためにオオタネアが一対一で鍛え上げた時のことだ。
人前で泣くのをよしとしないナオミが、どれだけの涙をこぼしたかわからなくなるほどの特訓をした努力の日々。
ナオミは忘れていない。
そして、セスシスに道を諭されたときの記憶。
そのどちらが欠けていても、今の彼女はない。
アオの気持ちがわかる。
厳しすぎる愛情を注がれなければ、戦うことを恐れて、守ることを選べなかったかつての自分を思い起こしてしまったのだ。
だからこそ、今の自分はかつての自分を否定する。
肯定などしない。
自分を厳格に格率して生きなければ、他人の盾など務まるはずがない。
彼女は盾になると決めたのだ。
人類の、仲間の、家族の、隣人の、そして〈ユニコーンの少年騎士〉の。
「オオタネア様の豪剣を凌ぎ切れれば、どんな敵も怖くないですから」
「できれば、だな?」
「―――ナオミ・シャイズアルが出来もしないことを口にするほど、愚かな女だと思われるのは心外です。守りきってみせます、あなたの愛する人のことも含めて」
ナオミにしては珍しい軽口を止めて、魔槍〈不破城〉を構える。
一分の隙もない―――とはいえない。
オオタネアの眼には、ほんのわずかな隙がいくつか散見された。
だが、それがどういうことか彼女に見抜けないはずがない。
(わざと隙を作り、そこに攻撃を誘導する。あざといやり口だ。ただの頭でっかちではない、さすが騎士団の頭脳と言われた女だ。それに、セシィのことを口に出して私を煽ってくるのもうまい。死線を引いたのも挑発。計算し尽くしている。なるほど、私相手に戦うために練りに練った作戦というわけか)
オオタネアとて最強の女騎士。
その程度の目論見を看破できないはずがない。
だが、そこで躊躇うかというとそんなはずもない。
愛用の大剣をぶんと振り回すと、脇に構えた。
全身全霊を込めた横なぎをするためにだ。
つまり、彼女は一撃をもってナオミを弾き飛ばすつもりなのだ。
アオに対して放った抜き打ちのように速さ重視ではなく、「受けてみせる」と断言したナオミを魔槍ごと吹き飛ばすために。
はたして炸裂弾の爆発じみたオオタネアの一撃をナオミはこらえることができるのか。
(シャイズアルはできもしない大口を叩くやつではない。では、見せてみよ。私の夫を守りきれるという腕があるのかを!)
オオタネアはごうと腰を下ろした。
真横からではなく、やや斜め上から薙ぐためだ。
調息をして〈気〉を全身に巡らせる。
得意とする気功術で膂力を増す。
〈手長〉ですら一文字に真っ二つにできるほどの力を溜め込み、激甚の気合いと大地を揺るがす踏み込みとともに噴火のような剣撃を送る。
普通の剣では魔槍ごと叩き切ることはできないが、こめられた圧倒的な力は槍の防御ごと抜けて、ナオミを吹き飛ばすはずだった。
だが、オナミはその誰もが考える結果に殉じはしない。
わずかにつま先を滑らし、立つ位置を変え、立てた槍の角度を斜めにする。
九十度の角度で受けるのではなく、七十五度程度に変えたのだ。
剣と槍がぶつかる寸前に、計算し尽くしたタイミングで前進し、剣身の長さからバランスが崩れやすい位置にずらす。
オオタネアの踏み込みではわずかだけ力が入りきらないようにすると、なんとこれだけの誤差修正で彼女の力の二割減じることになるのだ。
接触した直後に槍を引くことでまっすぐな力の流れを変える。
これでさらに一割の力が意味をなくす。
また、ナオミは十三期の中で―――いや、騎士団の中でも珍しい〈強気功〉特化型の重騎士だ。
単純な力比べなら、オオタネアにもむざむざ引けは取らない。
気功術同士の力の相殺で五割を打ち消せる。
この段階でナオミの防御は完全にオオタネアの剣を受け止めていた。
だが、力には慣性がある。
残りの二割のパワーが彼女を吹き飛ばそうと牙をむく。
まさか、ここまで防がれるとは思っていなかったオオタネアも、その力の余波でナオミに死線を超えさせられると幻視してしまった。
しかし、ナオミには切り札があった。
嵐の圧力に吹き飛ばされる一瞬前に、槍の石突きを地面に立てると、すべての力のベクトルを上方に修正して調整した。
その理屈は「梃子」と「回転」。
単純きわまりない物理の理論を用いて、剣が激突した部分を中心に槍を跳ね上げ回転させたのだ。
水平に真横ではなく、やや角度をつけた斬撃であったのが、オオタネアの全身のバランスを崩す。
それさえなければ、勝っていたのは師であったろう。
あったからこそ、勝負は弟子の方に傾く。
オオタネアの全身全霊の剣は虚空を切り、ナオミはその場を一歩たりとも動かなかった。
誰もが結果だけは理解した。
その勝負の中に隠された、ナオミ・シャイズアルによる奇跡に等しい技倆と計算を読み取れたものはいなかった。
渾身の剣を弾かれたオオタネアでさえ、ナオミのしたことの半分ほどしかわからなかった。
それだけのものがこめられた刹那の攻防であったのだ。
オオタネアが剣を下ろし、荒い大きな息を一つだけ吐いた。
認めたのだ。
彼女の弟子が師を超えたのを。
通常の試合をすれば、まだ勝つのは彼女だろう。
それは疑いはない。
だが、本気の戦いに二度目はない。
戦場で二度同じ相手と見えることは確率的にありえない。
そうであるのならば、剣を弾かれた彼女の負けは決定的である。
「細かすぎて貴様がなにをしたのか、私にも読み取れん」
「……ありがとうございます」
「ふん。その腕があれば戦場でもセシィを守りきれるだろう。―――あいつを死なせたら殺すぞ」
「オオタネア様……」
「勘違いするな。まだ、貴様らを認めたわけではない。今まで試合ったやつらだけだ。で、次は誰だ、大物が残っているだろう。どんどん出て来い。ただし、これまでのようにはいかんぞ」
剣を背負ったオオタネアが顎をしゃくると、隅っこから一人の小柄な影が進み出てきた。
その正体を知って呆気にとられるオオタネア。
まさかの相手だったからだ。
「―――プールか?」
「うん、司令官」
二つにまとめたお団子頭と短めのおかっぱ、制服をだらしなく着こなしている姿からはやる気は感じられない。一見したところ、幼女のように見えなくもない容姿の持ち主でもあるからだ。
だからこそ、オオタネアは驚いた。
キルコ・プールの十三期での成績は最下位。
人類守護聖士女騎士団全体でも、子供のレレと数人を除けば下から数えたほうが早すぎるほどだ。
この場に顔を出そうとする域に達しているとは思えない。
しかし、すぐに考えを改め直した。
よく知った部下だからこそ侮ってしまっているかもしれないという可能性を捨てきれないからだ。
思い起こせば、キルコという少女は、三つの〈雷霧〉消滅作戦で生き残り、王都内の〈妖帝国〉の魔導師を一匹残らず狩り立て、そしてつい先日の魔物掃討もこなしてきた経歴の持ち主だ。
それは、どれもが普通の騎士ならば死地といってもいい戦場から傷一つ負わずに生還してきた猛者だという証明だった。
つまり、成績やら訓練やらはあてにならない、生粋の戦場のみで輝く戦人だということである。
最弱が最強に牙をむくというのならば、そこにはきっと勝目がある。
決して侮ってはならない。
「おまえはどんな手品を使う気だ?」
「私はこれ」
キルコが手にしたのは、愛用の戦闘用のペティナイフ。
小さな手に鋭い刃が三本収まっている。
「そんな玩具で何をするつもりだ」
「司令官にあてる。三本ぐらい」
「私の気功術で鍛えた身体には刺さりもしないぞ」
「―――眼球は鍛えられない」
ぼそりと抑揚のない声で答える。
さすがのオオタネアが鼻白んだ。
「急所か?」
「うん。でも、司令官は大事な人だから、顔は勘弁してあげる」
「減らず口を」
「だから、避けて」
そうして、キルコは剣を抜いた。
彼女の剣はプール家に伝わる魔剣〈指壊〉。
〈王獄〉で戦うためには必要ともいえる武装だった。
これをもらったことの感謝を述べるために、王都を出立間近にキルコは折り合いの悪いはずの家族に会いに行った。
父は泣いていた。
母も泣いていた。
兄弟も使用人も泣いていた。
たった一人の娘が〈英雄〉となったことが嬉しいのではなく、生きて帰ってきたことが何よりも嬉しいのだと、ただただ泣いていた。
困惑したのはキルコの方だ。
絶縁したはずの家族が、自分と会って子供のように泣いているのだから。
その夜に色々と話をした。
もちろん、話をしたのは家族の方で、キルコは黙って聞いているときの方が多かった。
そして、キルコはようやく知った。
家族が自分を愛していてくれたということを。
すれ違いもあったし、誤解もあった。
だけど、家族であったのだ。
翌朝、別れる時に、キルコは生まれて初めて自分から家族を抱きしめた。
今までは抱きしめられることはあっても、その逆はなかった。
この別れが今生の別れになるかもしれないと告げ、そして最後に言った。
「もう心配しなくていい。命をかけてもキルコと仲間たちがこの世界を守るから」
自殺志願者だった死にたがりが、自分の命を大切なもののために賭けることに決めたのだ。
犬死にはもうできない。
同じ犬死でも、今のキルコがしなければならないことは一つだ。
(先生を守り、世界の窮状を救う。そのために死ぬのならグッジョブ)
だから、彼女はもう迷わない。
死にたがらない。
死ぬのは、セスシス先生を救うときだけ。
それ以外にはない。
「いいだろう。私を納得させて見せろ」
「うん」
オオタネアは今までの三人とは違い、普通の立会い的なスタンスを取った。
キルコの言い分からすると、なにかに突出した技術を見せつけたいというわけではなさそうだからだ。
だから、普通を選んだのだ。
キルコが何かしらの策を練っているというのならば、それに対応するために自然体でいたほうがいいという戦士の発想だった。
向き合ったとほぼ同時に、キルコの左手が振られた。
三つの銀光が空気を切り裂いて飛ぶ。
同時に投げたというのに、その軌道にはそれぞれはっきりとした意図が感じられた。
(二本が先行し、その影に隠れてもう一本が飛んでくる。剣の腹を使った矢止めの術では最初の二本を処理することだけしかできそうにない。だが、この程度の投げナイフを躱せない私ではない)
刹那の瞬間に対応策を決断したオオタネアは、まず二本のナイフを剣で叩き落とすと、喉めがけて飛んできた残りの一本を首をひねって躱す。
すべて最小限度の動きにとどめたのは、自分の放ったナイフを追うようにして突進してくるキルコを迎え撃つためである。
大きく動くことは隙をつくるに等しい。
存分に迎え撃つためには、構えを乱してはならない。
「なに!?」
ナイフを叩き落とした勢いをもって、キルコに対して剣を振り下ろそうとした彼女の視界になにか黒い影が映った。
戦士の勘が告げる。
避けろ、と。
何かが右横顔めがけて飛んできていた。
思わず左手を翳すと、手のひらに鋭い痛みが走った。
痛みの種類から、それが切り傷だとわかる。
しかし、なにが自分を傷つけたのか、さすがのオオタネアにもすぐにはわからなかった。
その一瞬の間隙をつき、間合いにキルコが侵入してきた。
他にすべもなくオオタネアにしては場当たり的に前蹴りを放つ。
仕留められるとは思っていない。
ただの牽制だ。
蹴りには敵を倒しきるだけの勢いはない。
「おおお!」
オオタネアではなく、死闘を見守っていた仲間から漏れた声だった。
彼女たちは見た。
将軍の長くすらりとした羚羊のような足の上に乗ったキルコの姿を。
―――〈浮舟〉。
間者ユギンの得意とする〈軽気功〉の究極。
自らの体重を無として、一枚の羽毛と化して宙に漂う秘技。
オオタネアは足の上に乗られたことに気がついても、いささかも重さを感じないことに絶句した。
これは騎士の技ではない。間者の技だ。
ならば、先程、私を傷つけた攻撃の正体は?
確認する余裕こそなかったが、間者の手口をよく知る彼女の脳裏にはひとつの仕掛けが浮かんでいた。
ナイフの柄の部分に釣り針のついた細い糸を巻きつけておき、それを相手に引っ掛けることであらぬところから刃による攻撃をなすという仕掛けだ。
モミが得意とする糸の技である。
まさか、キルコがそんなものまで身につけていたとは!
驚いている暇もなかった。
今度はキルコの攻撃が行われたのだ。
オオタネアの足の上に立ったまま、身を屈めて回転し、曲芸じみた蹴り技が。
これもかろうじて左手で防ぎきると、膂力に任せてキルコを投げ飛ばす。
空中で回転しながら着地するキルコをなんとか追撃しようと全身仕掛けた時、またも嫌な予感が胸中に渦巻く。
縦回転をしているキルコの左足のすねの脚甲のあたりが光った。
その光をギリギリ避け切ったのは、オオタネア・ザンという女将軍がもつ野生の勘のおかげであった。
光の正体―――それは刃だった。
キルコが脚甲に仕掛けておいた飛び出しナイフ。
セスシスの〈阿修羅〉のものを参考にして、彼女が考え出した隠し武器だった。
「ちぃ」
惜しくも外れたことを知り、悔しがるキルコ。
だが、彼女の悔しさなどオオタネアのある感情に比べたらはるかに小さい。
二度ならず三度も奇策に翻弄されたオオタネアの怒りに比べれば。
しかし、怒りに任せて仕掛けることはしなかった。
この期に及んでキルコの落ち着き払った振る舞いは、まだ奥の手があることをにじませていたからだ。
キルコは持っている。
小柄で力不足な最弱の騎士が、最強を崩すために準備し、鍛錬を続けた切り札の数々を。
姑息で、卑怯で、ちゃちな策を。
体面も名誉も誇りも、仲間のためならいくらでも足蹴にできる。
弱いものが仲間を守るというのだ。
どんな手段を使っても戦いに勝つことしか道はない。
「あと二本」
キルコは囁いた。
〈騎士〉の制服の肩口に申し訳なさそうに突き刺さったナイフを、オオタネアは睨みつけた。
確かに、宣告の通りにすでに一本をその身に突き立てられてしまった。
予告通りならばあと二本。
キルコは狙ってくるはずだ。
「プールよ、それは最強を狙う戦いではないな」
「―――知ってる。でも、私にはこれしかない。私は弱いから」
「では、なんだ? 答えろ。騎士のものにしては泥臭すぎるぞ」
「これは先生に教えてもらった戦い方。惨めなほどに弱いものが、自分よりも弱い者のために決して負けられないという意思のもとにする戦のやり方。なりふり構わないのはそのせい。悪いのは教え込んだ先生。私は悪くない」
この時、オオタネアはキルコの後ろにセスシスを見た。
そして気づく。
(あいつと戦う相手はいつもこういう気持ちにさせられるのか。……いつも味方だったから気がつかなかったぞ。そうか。……これが怯えというものなのか)
―――〈ユニコーンの少年騎士〉セスシス・ハーレイシーの一番弟子と言っても過言ではない、なんでもありの騎士を前にして、オオタネアは生まれて初めて恐ろしい戦慄を感じていた……。
◇◆◇
「―――なあ、聖一郎。腕枕させてもらっていいか」
シャツォンは灯りを消した薄暗い寝床で、隣にいる男に対して今までしたことのないおねだりをしてみせた。
どうせ、性交渉はできない。
だったら、とことん甘えさせてもらおう。
そういう身も蓋もないことを考えていた。
さっきまで手を握るということはしていたが、実はそれだけでは物足りなくなっていたということもある。
しかし、どういう訳か返事がない。
「聖一郎?」
寝てしまったのだろうか。
「まだ、夜は早いぞ。もう少し、私に付き合えよ、おい」
シャツォンはセスシスの肩を揺すった。
かなり乱暴だったので、普通ならばそれで目が覚めるはずだ。
だが、うーんと唸るだけで覚醒した様子はない。
規則正しい寝息が聞こえるだけだ。
「おーい、まだ寝るなよ、このバカ」
もう一度揺すりかけた時、魔導騎士としての勘が異変を察知した。
思わずセスシスのもとににじり寄り、顔を豊満な胸に抱き寄せる。
眼に魔導力を集中させる。
薄い暗がりでも見通す〈暗視〉の魔導を使った。
何もいない。
変わりはない。
だが、魔導とは関係のない部分が、シャツォンを臨戦態勢にする。
それは広いガラス窓にいつのまにか映りだした絵だった。
絵に見えたのはやや不鮮明だからだ。
まるでガラス越しに見る歌舞台のような……。
彼女は知らないが、もしセスシスが起きていたのならきっとこう言ったに違いない。
「あれはガラス窓に映った映像だな。映画とかビデオとかで記録されたものを、白くないプロジェクターに映してみるとああいう感じになる」
映像というものはこの世界にはまだない概念なので、シャツォンにはピンとこなかったのだ。
そして、それは確かに厳密な意味では映像ではないが、ある記録された情景が映し出されているという共通項はあった。
確かに、記録された情景なのだ。
ある人物の頭の中で展開しているということを除いて。
「―――あの格好、覚えがある。」
シャツォンはぽつりと呟いた。
「聖一郎が自分の世界のガクセーフクだとか言って絵に描いていたものだ……」
十年以上も前の記憶。
その中で、召喚されてとくにやることもなかった晴石聖一郎が、暇つぶしに描いていた落書きにあった服装。
黒いガクセーフクという、彼が着ていたはずの学校の制服。
ガラス窓に映っているのは、間違いなく過去のセスシスの日常であった……。




