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聖贄女のユニコーン 〈かくて聖獣は乙女と謳う〉  作者: 陸 理明
第二十三話 ありがとう、さようなら
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拳と眼、そして幻

 大剣を手にしたオオタネアと対峙してみても、マイアン・バレイは自分がまったくたじろいでいないことに安心していた。

 内心不安があったのだ。

 かつての弱い自分を見せ付けられることになるのではないかと。


(もう大丈夫なんだな)


 数年前の戦楯士(せんじゅんし)騎士団との対抗戦において、四人目の副将として登場するはずだった彼女は、〈手長〉のものと同様の剣を軽々と振り回すダンスロット・メルガンに戦わずして敗北した。

 あまりの恐ろしさに立ち向かう勇気さえもてなかったのだ。

 騎士団(なかまたち)の代表として選ばれていたというのに。

 一方で、団長であるオオタネアは躊躇いなく彼女の代わりに一騎打ちに赴き、完璧な勝利を奪い取ってきた。

 自分と比べて、どれほど強く、勇気のある女なのか。

 あの女性(ひと)にいつか勝てるのか。

 マイアンは厳しく打ちのめされた。

 そして、ボルスア〈雷霧〉攻略戦での失態。

 突入直後に、未知のものとはいえ魔物の攻撃をまともに受けて早々と脱落することになった。

 おかげで仲間たちはとてつもない苦労を背負うハメになった。なにより、あの戦いでムーラという仲間を失うことになる。

 ムーラの死は絶対に彼女の責任だった。


 ―――二度だ。

 二度も、彼女は犯してはならぬ失態を演じたのだ。

 それがトラウマとなっていた。

 十三期の双璧などと謳われていても、彼女がやらかしたしくじりは償えない。

 そして、闇雲に強くなるために努力し続けた。

 結果、どうなったか。


(―――あの閣下を前にしても、今の拙僧は揺らがない。怖気づいたりはしない。最強を目指すために、仲間を生かすために、二度と大事な所で敗北したりはしない)


 マイアンは左手首にはめた篭手の感触を確かめる。

〈猛蛇鉄〉。

 セスシスのものと同じ、だが違う。

 彼の付けているものはあくまでレプリカに過ぎなかったが、彼女のそれは本物だった。

 かつての〈英雄〉が付けていた本物の魔導篭手を陛下より下賜されたのだ。

 世界を守るために。

 この篭手がある限り、拙僧は負けられない。


「―――人数が多いので、一人五分ほどにしましょう。いいですか、姫様」

「貴様らなどに五分もいらん」

「いえ、そうはいきません。ここにいる多くのものが、姫様を倒すために技を磨いてきたのです。できることならば、最後の一人までお相手願います」

「なん……だと? 貴様ら、そこまで増長したのか? 私を倒せるなどと思い上がるほどに」


 オオタネアから怒気が噴き上がる。

 まるで怒れる火山だ。

 触れたもの全てをマグマで焼き尽くす。

 だが、そんな彼女を目の当たりにしてもマイアンは怯まなかった。

 そして、悟る。


(もう、かつての弱い拙僧はいない。今こそ、すべての証しを立てよう。双璧と呼ばれることが恥ずかしくないように)


「それでは、まずはマイアンから行きます。―――勝負、初め!」


 ノンナが宣言をすると同時に、マイアンは宙を跳んだ。

 腰を軸にしての縦回転。

 オオタネアの目にはマイアンの姿が消えたとしか見えなかった。

 彼女が運良く躱せたのは、その攻撃が自分の得意な技でもあったからだ。

 そうでなければ一撃で意識を刈り取られていたかもしれない。

 それほどのスピードと威力だった。


(胴回し回転蹴りだと!)


 かつて彼女がダンスロットを仕留めた技。

 マイアンにとっては憧れの、そして絶対に極めねばならない技であった。

 だからこそ、初撃に選んだ。

 単純な奇襲の意味ではなく、彼女の体術を尊敬する上司の瞳に焼き付けるために。

 かろうじて距離をとったオオタネアに向けて、マイアンが言い放つ。


「五本、お(ぐし)をいただきました」


 その言葉の通りに、オオタネアが前髪に触れると、確かに何本かの髪が蹴りによって奪われていた。

 恐るべき切り口といえた。

 彼女のパワー任せのものとは違う、刃のような切れ味の蹴りだった。

 ここに至って、ようやくオオタネアも悟る。


「……一人目が貴様で、私は運が良かったようだな」

「拙僧で、ですか?」

「ああ。あのまま油断していたら、いくら私でも貴様らに喰われていただろう。目が覚めたよ」

「……」

「さっきの言葉も大言壮語ではないのだとわかった。もう、貴様らをヒヨコだとも小娘だとも思わん。どうやら、貴様らは私が本気で倒さねばならん相手のようだ」


 さっきまでの燃えるような怒気が急に消えてなくなり、冷たい剣気が身体から立ち昇る。

 本気のオオタネアがそこにいた。

 油断も隙もない姿が。

 全身に走る身震いにマイアンは歓喜する。


 ああ、これだ!

 これこそ、拙僧が憧れた、真の強者だ!

 拙僧がなるべきものだ!


「嬉しそうな顔をするな、バレイ」

「はい。本気になられた閣下ほど、喰い甲斐のある敵はいませんから」

「―――ふふん、吠えるな拳法家」


 そこから始まった、剣と拳と蹴りが乱舞する戦いはあまりの疾さに空気が引き裂かれるかのようだった。

 拳法家にとって武器は手の延長。

 それを示すかのごとく、マイアンが振るう剣よりも左からの拳撃が絶え間なく飛び、オオタネアの攻撃を抑える。

 オオタネアも決して防戦一方ではない。

 小刻みに足を使い、丸太を断ち切りそうな蹴りを放つが、マイアンはすべてを紙一重で交わしきる。

 究極の接近戦が展開された。

 たった五分の間にどれだけの攻防がなされたのか、正確に見切れていたのはたぶんその場にいた中でもひと握りだったであろう。

 五分経ってノンナの合図によって互いに引いた二人には、ただの一発の有効打もなく、ただの一度も決定機が訪れなかった。

 足元に舞う砂埃だけが戦いの激しさを告げる。

 満足気な二人はそれぞれ開始線まで戻り、そして彼女たちの戦いは終わった。


「どう? 貴女は強い?」


 自分たちの隊長が揶揄するように言った。

 マイアンもそれに微笑みで応える。


「ああ、拙僧は強くなった。拙僧の考える強さの意味についに辿りついた」

「そう。〈拳の聖女〉は本物になれたのね」

「拙僧は〈十三期の双璧〉と呼ばれる方が好みだがね」


 仲間たちの輪の中に戻ったマイアンの代わりに次の騎士が歩み出た。

 こちらにも躊躇いはない。


「―――〈神の眼〉か。まさか、バレイならともかく、貴様まで最強を欲するとは思わなんだぞ、グランズ」

「まあ、流れみたいなもんス。ここでやっておかないと、自分の立場が悪くなりまスから。ただでさえ、自分は同期の中では落ちこぼれ扱いなので」


 アオ・グランズは不敵に笑った。

 鳥の巣のようなぐちゃぐちゃの癖っ毛をもつ、人懐っこい性格の彼女に似つかわしい大胆さがあった。

 その眼にはすでに〈気〉がこめられ、淡い光を発している。

〈神の眼を持つ戦乙女〉。

 彼女が王都で呼ばれている二つ名は、オコソ平原で火竜の弱点を見抜いた故事によって与えられたものだ。

 異常なまでに発達した視力と眼力を持ち、それを〈気〉で増幅した見切りの力。それがユニコーンの騎士となったことでさらに強くなっている。

 かつては騎士団の中でも低い序列でしかなく、同期でも最下位のキルコに次ぐ下から二位でしかなかった少女は、それだけを武器に成長を続けてきた。

 そして、ついにオコソの中で相方(ハー)と言葉を交わしたことで覚醒したのであった。

 現在の彼女の騎士団全体での序列は九位。

 タナの右腕であるハーニェさえも上回る。

 

「どうする、貴様も打ち合うか?」

「自分は一撃で終わらせて、さっさとやめるッス。閣下とやりあうなんてぞっとしませんスから」

「―――どういうことだ?」

「閣下、居合いで一撃を放ってください。それを躱してみせます」

「いかに貴様の〈神の眼〉でも私の抜き打ちは躱せんぞ。間違いなく死ぬ」


 オオタネアは彼女の信じる事実を告げた。

 そうなるのが当然と確信までしていた。

 だが、アオは首を振る。


「躱せるからこそ、提案したッス。それが自分の最強の証明です」


 アオはすたすたと歩いて、オオタネアの間合いに入る。

 そこは位置的に一歩踏み込んだ彼女の斬撃が最も効果的に伸びる場所であった。

 ある意味では、完全に彼女の斬撃を見切っていなければわからない場所ということである。

 それに気づくと、オオタネアも理解する。

 目の前の癖っ毛の少女の見切りの力はやはり本物だと。

 だから、すぐにしのごの言わずに大剣を鞘に納め、抜き打ちの姿勢になる。

 部下たちにはあまり見せたことのない構えと攻撃だ。


「決して外さぬ」


 手加減などする気はない。

 喧嘩を売ったのはアオであるし、彼女の必死な覚悟も読み取っている。

 ならば見せてみろ。

〈神の眼〉の証しを立てろ。


「いつでもいいッスよ」

 

 飄々とアオは言い放つ。

 絶対の自信を持って。

 疾風の抜き打ちがほとばしる。

 先程のマイアンとの攻防を上回る速度の剣撃であったが、それは何事もなく空を切った。

 アオは一歩だけ後方に下がっていた。

 ほんの指先程度の間合いを残して、アオがオオタネアの抜き打ちを避け切ったことを見切れたものはいない。

 天才タナ・ユーカーでさえ無理だった。

 だが、それをなし遂げることができるのが〈神の眼〉。

 

「フン、あのお調子者がここまでになるとは思わなかったぞ」

「―――そうッスか」

「ああ、貴様の眼は素晴らしいな」


 アオは一瞬だけびくりと身体を震わせ……

 そして、泣いた。


「ありがとうございました、閣下! 親もいない、身よりもない自分をここまでの騎士に育ててくれたご恩は一生忘れません! アオ・グランズは本当に幸せ者です!」


 いつもの軽薄な口調をやめ、正しい騎士の礼法でもってアオは頭を下げた。

 彼女にとって、騎士団長は母であり姉であった。

 なによりも引き立ててくれた恩人であった。

 飯を食うために騎士になり、最初に所属した騎士団で孤児であることを原因としたイジメを受け、その一環として後ろ盾がないために自殺部隊に放逐された彼女にとって、本当に居場所をくれた女神にも等しい存在であった。

 西方鎮守聖士女騎士団は彼女の母地であった。

 今回の反乱にも似た動きに同調したのは、実は仲間たちの意見に乗ったからではない。

 オオタネアが〈王獄〉という死地に入ることを防ぎたかったからであった。

 たとえ自分が死んだとしても、彼女には生きていてもらいたかったからであった。


「―――オオタネア・ザンのためになら、私は死ねます!」


 アオ・グランズは必死に叫んだ。


     ◇◆◇


 執務室に護衛とともに駆け込んできた愛人を目にして、帝弟ベルーティーヌ・キーラフ・ニンンは書類から顔を上げた。


「どうした、ギドゥ?」

「殿下ぁ! ヤバいですー!」

「おまえの話し方だと何が危険なのかさっぱりわからないな。何があったのかを端的に説明してくれないかな」


 ギドゥはようやく自分が皇族のまえにいることを思い出し、正式な礼をとった。

 実際はそんなことをしている時間さえも惜しかったのだが、やはり騎士の性質(サガ)だといえよう。

 肩甲骨付近まで伸ばしたボサボサの金髪、化粧どころか手入れさえもしていないような肌、いつ閉じているかもわからないほど半開きの口。

 美人といってもいい端整な顔つきであるにもかからわず、雑な印象ばかりが目に付くギィドゥウゥ・ヴォテスは荒い息を吐いた。

 その息が静まるのを待って、帝弟は問うた。


「何があったの?」

「帝居内に刺客が潜り込んでいるようですー。捕まえた法王の側近を拷問にかけたところ吐きましたー」

「刺客? すぐに皇帝陛下(あにうえ)のもとに伝え、護衛の魔導騎士を増やさせろ」

「いいえ、陛下ではありませんー」

「では、僕か?」

「違いますー」

「では、誰への刺客だ。……もしや」


 帝弟ベルーティーヌにとって、法王派から刺客を送られるとするとまっさきに浮かぶのは兄である皇帝である。

 次に、その側近であるところの自分。

 その二人を除いて、法王派が命をほしがるほどの重要人物と言えば……


「彼か?」

「はいー、〈聖獣の騎士〉様が目標らしいですー」

「……そのことは、〈白の館〉の彼女たちに伝えたのか?」

「すでに騎士を数人派遣しておきましたー」

「よし、ならいいね。ただ、不思議なのは、おまえがどうしてそこまで取り乱しているかだ」


 普段とはあまり変わらない様子だが、長年の愛人でもある帝弟にはギドゥの狼狽が手に取るようにわかった。

 しかし、その理由が不明だ。

 ギドゥは少々のことでは動じない歴戦の魔導騎士である。

 それがなぜ、ここまで取り乱しているのか?


「幻法師ですー、刺客に雇われたのは、幻法師なんですー


 その名を聞いて、普通では動じない帝弟も驚きを隠さなかった。


「なんと、あの幻術に秀でた魔人どもがか? まさか、まだこの〈白珠の帝国〉に生き残っていたのか?」

「はい。少数ですが、帝都の地下に潜んでいたようですー。その中で最も優れた幻法師が雇われたということでーす」

「まずいな。幻法師の使う幻術はあのユニコーンでさえも見抜けるかわからず、かの聖獣の〈解呪〉が有効ではないからね」

「はいー。幻法師の幻術は魔導を使用するものではないですからー、絶対魔導防御ではちょっと対処しきれませんよー」


 わずかだけ考え込むと、帝弟は愛人に向けて指示を出した。


「おまえもすぐに向かえ。幻法師がどういうものかの情報を彼らに伝えるんだ。そして、(セスシス)を救え。なんとしてでもだ」

「はいー」

「あのユニコーンの騎士に、すべてがかかっていることを忘れるな」


 そのまま、ギドゥは退出していった。

 人界に残る最後の脅威の来襲を伝えるために。


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