長い夜になるでしょう
「ちょちょちょ、ちょっと待て! シャッちん、何を言っているんだよ!」
俺が必死に寝床に入ろうとするシャッちんを押しとどめていると、彼女は恥ずかしそうに視線を逸らして、
「一緒に寝て欲しい」
と、直球を言い放つ。
俺が一瞬ぼうっとしてしまった途端に、ベッドの上への上陸を許してしまった。
美しく形のいい素足のまま、俺の傍まで四つん這いでにじり寄る。
波打つ金髪がとてつもなくエロチックだ。
このまま行くと俺の領土であるはずのベッドは完全に制圧されてしまう。
「だから、待て! 俺はユニコーンの騎士なんだぞ。女なんか抱いたら、その資格を喪ってしまうじゃないか! それだけは断じてできん!」
俺の責任感に溢れた台詞が胸を打ったのか、シャッちんの動きが止まる。
四つん這いなので、まるで女豹のようだ。
わかってくれたのかと、胸を撫で下ろしていると……
「別に抱いてくれとまではいわない。朝まで一緒に寝てくれればそれでいい。私はおまえと抱き合いながら夫婦のように過ごしたいだけだ」
「……はい?」
「おまえが私のことを親友と思っていてくれているのは知っている。いや、親友だとしか思っていないというべきか。だが、私は違う」
「違うって、何がだよ?」
「もう、私はおまえのことを男としか見ていない。おまえが重すぎる使命を背負ってさえいなければ、このままおまえと臥所を共にして、死ぬまで添い遂げたいのだ」
「ちょっと待てよ……」
俺は頭を押さえた。
これまでのことを思い起こした。
シャッちんとザイムで出会い、別れて、そしてビブロンで再会したときのことを。
一緒にいた時間としてはあまり多くはない。
むしろ、一月もいないはずだ。
全体を通じてみると少ないものだ。
それなのにシャッちんは―――シャツォン・バーヲーは俺のことをそこまで意識していたのか。
「おまえはもうすぐ戦いに赴く。そこに待つものがどんなものなのか、私はよくわかっているつもりだ。こう見えても〈白珠の帝国〉の魔導騎士だからな。わからないはずがなかろう」
「……それで」
「〈泥の海〉という場所は魔境さえも超える恐ろしい場所だ。神話に登場するような英雄たちが戦い、そして亡くなっていった、まさに神代の舞台。そこを渡る船に乗るということは、どういうことなのか……」
〈時〉と〈混沌〉が混じりあった神話の舞台。
物語にしか登場しない戦場。
高い確率で生きて戻れない場所であることを知り尽くしているからこそ、シャッちんはこう言うのだ。
「だから、思い出を作りたい。おまえは純潔を守らなければならない宿命の持ち主だから、一緒になることはできないけれど、ただ寄り添って眠ることぐらいはできるはずだ。そのぐらいは構わないと〈幻獣王〉にもお墨付きをもらっている」
……あの駄馬ぁ。
駄馬の中の駄馬、駄馬・マイロードめ。
余計なことを吹き込むんじゃねえよ。
「だから、今日だけでいい、朝まで一緒にいさせてくれ。頼む、聖一郎」
「そんなことをいきなり言われてもなあ。……シャッちんに告られただけで俺にとっちゃ結構衝撃的なんだぞ。悩んじまうよ」
「構うな。ほら、おまえの好きそうな色気たっぷりの床服も着てきたんだぞ。一線さえ越えなければ、胸に触るのも許可するから」
「そういう悩みのことを言ってんじゃねえ!」
……そもそも女と同衾なんかしたことのない俺だぞ。
隣にこんな扇情的な格好をしている女性がいたらまんじりともできねえよ。
シャッちんのスタイルの良さはオオタネアに匹敵するぐらいなんだから。
「ほら、聖一郎、お酒もあるぞ」
どこに隠していたのか、シャッちんは俺に向けて葡萄酒とグラスを差し出してきた。
見覚えのある銘柄だ。
すぐに思い出した。
皇帝との会食のときにでた最高級品のそれだった。
思わず喉が鳴った。酒飲みの性である。
「あと、肉だ。じゃがいももあるぞ」
今度は味付け干し肉と油で揚げたじゃがいもが差し出された。
つまみ持参かよ。
なんだ、この用意の良さは。
というかこんな手口で俺が落とせると思っているのだろうか。
いくら俺が酒飲みといえども、馬鹿にしすぎだろ。こんな手で懐柔されるバカはいない。
……とりあえず受け取るけどさ。
「さ、聖一郎、とりあえず飲もうか。いい気分になったところで、夫婦のように眠ろう」
「……おい、どうした、なにがあった、シャッちん?」
「いいから気にするな」
俺にしどけなく寄り添って、グラスに葡萄酒を注ぐシャッちん。
肩と肩がぶつかって、彼女の匂いが鼻腔をくすぐる。五感を刺激されまくりである。
やばいぞ、どうやらこのまま押し切られそうな塩梅だ……。
(困った……。誰か助けてくれないかな……。タナでもナオミでもいい、普段なら何もしないでも来る癖にこういう時は来ないのかよ……)
一杯目をがぶりと飲むと、とてもうまかった。
ついでに言うと、そんな俺を見て微笑むシャッちんは今まで女として意識したことがほとんどなかったからか、新鮮でとても可愛かった……。
◇◆◇
時間になると、迎えに送ったレレを伴ってオオタネアが庭園に現れた。
オオタネアは庭園にいる面子を見て、顔をしかめた。
(ユーカーをはじめとして十三期が九人、十四期はシノ・ジャスカイとエレンル・ジイワズ、カイ・セウの三人。あとはシーサー。……ふん、どういうつもりかは知らんが、どういう集まりかは透けて見えるな。さて、こいつらが私に何を言ってくるのか、楽しみにしておいてやる)
オオタネアは待ち構えていた部下たちの前に立つ。
構図としては、出撃前の訓戒のようであったが、実質的には対立する二つのグループの対峙であることを見る者がいたら気づいていたことであろう。
今、この場ではオオタネア対その他という関係になっているのだ。
「こんな真夜中に騎士団長たる私を呼び出して、なんのつもりだ。ここでの最上位は貴様か、アルバイ。説明しろ」
「はっ、閣下。―――いえ、姫様」
「?」
オオタネアが不審を感じたのは、わざわざ閣下から姫様と言い換えた点だ。
ほとんどのものが、彼女のことをその二つの名のどちらかで呼ぶことは確かだが、十三期以降は付き合いの長さという部分で「姫様」を使うものは少ない。
彼女を公爵家の淑女であるとして姫様と呼ぶのは、私的な付き合いさえもある相手に限られるのである。
十二期までは訓練に際して直接オオタネアが指導を行なっていたこともあり、また、その際に私的な宴を頻繁に開いていたこともあってか、親しみをこめて使われることが多かった。
逆に十三期については訓練をセスシスとアラナ、エーミーに任せきりにしていたので、親しいと言える関係にまではいたっていない。
すると、わざわざノンナが言い換えたということは、意味しているものは一つだ。
閣下―――彼女たちの上司である将軍としてではなく、姫様―――私人としてのオオタネアとして接すると言っているということである。
無論、立場は弁えるだろう。
だが、上下の関係の厳しい社会においてはそれが何を意味するかはわかっていないはずがない。
つまり、ここに集まったものたちはそこまでの覚悟を有しているということだ。
「私たちは、姫様に必勝するための策を献上すると申し上げました」
「そうだったな。我が部隊が勝つための策と言っていたと記憶している。それで、そんなものがあるのか?」
「はい、あります」
「意見を具申するというのならば聞いてやる」
ノンナは悠然と言った。
かつて、十三期の隊長に任命された際に震えていた大人しい少女ではなかった。
今の彼女は、数多くの死線をくぐり抜け、〈妖帝国〉の筆頭魔導騎士を凌駕した音感の戦士なのである。
「―――我らが献上する策とは、私たちの部隊の最大の弱点を排除するというものです。それがある限り、我々の〈王獄〉攻略戦においては不測の事態が生じるおそれがあります」
「なに?」
予想もしていない内容に、オオタネアは驚いた。
最強にして最高と信じていた自分の部隊に弱点があるというのか?
ありえないことではあったが、実際に戦ってきた連中のいうことだ。彼女の見落としてきた弱点があるのかもしれない。
彼女にしては珍しく、気が動転してしまった。
思わず、聞き返してしまう。
「それはなんだ? 弱点など、あるのか?」
「はい、確かに」
「言え」
ナオミが進み出た。
こういう時の説明は参謀役である彼女がすることになっている。
「まず、具体的な説明をするまえに、前提となる条件を説明します」
「ああ」
「〈王獄〉攻略部隊の要となるのは、我らの騎士セスシス・ハーレイシーとなります。彼が最終目標である〈剣の王〉の保持者から神器を奪い、しかるべき場所でそれを振るうことで世界が救済されます。つまり、セスシスこそが我らの切り札となるわけです。逆に言えば、彼だけでも最後まで辿りつければ我々が途中でどれだけ死んでも構わないということになります」
冷徹な評価ではあったが、まさに真実であった。
騎士たちは全員がそれを当然と認める。
そのあたり、覚悟などというものは随分と昔に決めてしまっているので今更する必要もないぐらいであった。
「したがって、我らの最大の武器であるセスシスを最後まで生かすこと。これが作戦の最重要事となります」
「そこまではわかった」
「次です。我々は彼の下で教導され、ユニコーンの騎士となった経緯から、彼がどういう思想を持ち、どのような思考によって動き、どういった行動を執るのかよく知っています。最も身近な教え子であるのですから」
最も身近に、の部分にアクセントによる強調があったので、オオタネアはやや不快になった。
セスシスに最も近いのは自分だと思っているからだ。
そして、それは本来嘘でも誇張でもない。
「したがって、〈王獄〉内での作戦行動中に、彼がどのように振舞うか、それについても我々は手に取るように理解できます」
「続けろ」
「はい。―――よって、今回の〈王獄〉攻略においてはセスシスが危険にさらされる状況を極力排除することこそが作戦遂行のための絶対条件になると断言できます。ただし、彼は責任感が強迫観念になるほど強い人間ですから、〈王獄〉内に入れさえすれば、自分を含めたすべてを犠牲にしてでも目的遂行のために戦うことでしょう。そして、幻獣王を乗馬とし、〈剣の王〉の化身を武器とし、真のユニコーンの乗り手である彼にはすでに死角はありません。ほぼ無敵と言っていい」
ナオミだけではない。
ここにいるすべての騎士たちがわかりきっていた事実だった。
「ですが、そんな彼にとって、弱点といいきれるものがあります。それを排除しなければ、作戦は致命的なしくじりを犯す危険があります。その弱点をなんとしてでも排除する。それこそが我々が姫様に献上する策の全てです」
「その弱点とはなんだ。もったいぶらずにそろそろ話せ」
ある意味ではオオタネアの弟子であるナオミは冷たい目で彼女を見据えた。
「それは、あなたです。オオタネア・ザン将軍閣下」
「なんだと?」
すぐには意味がわからなかった。
冷徹な戦略家として知られているオオタネアが数瞬困惑した。
部下が言っている事の内容が頭に入りきらなかった。
それだけ突拍子もない指摘だったからだ。
大陸で最強の女騎士、最高の人類守護聖士女騎士団を設立し育て上げた名将、稀代の戦略家にして政治家。
決して並ぶものがいないはずの優秀すぎる彼女が弱点だと?
「もしも、あなたが危機に晒されることがあればセスシスは自分の命どころか、世界すべてを投げ出しても駆けつけるでしょう。あなたを見捨てることは絶対にしない。あなたのためならば―――我々すべてが死んだとしても後悔さえしない。それが……それが……」
「セスシス・ハーレイシーなんだよ」
タナが話を継いだ。
「だから、姫様がわたしたちと〈王獄〉に行くことは絶対に拒否させてもらうね。あなたがいる限り、セシィの弱点が増えるだけだから」
「……それだけか? ユーカー」
「……」
「私を、あいつから遠ざけようとするのは、任務達成のためだけか? それだけでないと言えるのか、貴様は?」
「ううん、違うよ。私たちとセシィがともに行くためには、姫様と引き離さなくちゃならないというのもあるからだけどね。―――姫様はきっと承知していると思いうけど、私たちはあの人が大好きなんだよ。……だから、これからあの人に見てもらうためには、前の女に勝たなくちゃならない。そのためには、姫様とだって争う覚悟はあるよ」
オオタネアは鼻で笑った。
「ふん! 色恋沙汰で世界を危機に晒す気か、おまえら。とんだバカどもだ。私が弱点だと? セシィを私から奪うために、騎士団にとっての最大戦力である私を〈王獄〉攻略から協力して排除しようとは、なんて愚かな連中なのだ。今まで時間をかけて大切に育ててきた部下がこれほどまでにバカ揃いだったとは呆れたぞ!」
だが、その辛辣な言葉を聞いても少女たちは身じろぎもしなかった。
冷たい剣気を発する戦場のごとく。
「姫様」
「―――なんだ」
ノンナの冷たすぎる呼びかけには不穏すぎるものがあった。
「いつまでも、姫様が最強だと思っていらっしゃるのは現状認識がお甘いとしか言いようがありません」
「アルバイ、貴様……何が言いたい?」
「自分たちが、今宵、この場に、姫様をお招きしたのはそのことを知っていただきたいからです。人類守護聖士女騎士団の十三期の女たちが、すでに貴女にも伍する騎士になっているということを」
少し離れた場所にいたシノとエレンルが、オオタネアの愛用の大剣を捧げ持ってきた。
跪いて、恭しくそれを将軍に差し出す。
「その剣をおとりください、閣下」
十三期の騎士たちも、それぞれ自分の愛用の武器をいつのまにか手にしていた。
「この場にて、一対一の勝負を挑ませていただきます。そして、その際には手加減無用、問答無用でお願いします」
「本気なのか、貴様ら?」
「当然」
まず一歩進み出たのは、マイアン・バレイであった。
右手には愛剣、左手には無骨な鉄甲がはめられている。
豪奢な金髪と褐色の肌をもつ、十三期の双璧と呼ばれた拳法の達人は、すでに美女といっていい大人の女に育ちきっていた。
「我ら全員、ユニコーンの花嫁に相応しい実力を持っているということを、たった今ここで証明してみせましょう」




