〈妖帝国〉に風が吹く
魔導の光を使えば結界に感知されるおそれがあるので、シャツォン・バーヲーはただの松明を使って暗黒の中を歩いていた。
隣には同じように松明を持つかつての後輩、そしてその妹がいる。
後ろには後輩の信用できる部下が四人。
総計六人の、切り込み隊であった。
「臭いですねー」
「そうか」
ギドゥの愚痴をシャツォンは聞き流した。
もう何度も聞いていて飽き飽きだったからだ。
代わりに妹のムムロ・レガロが応える。
「姉さん、うるさい。その豚のような臭い口を閉じて」
「ひどいー」
例えがいちいち辛辣な妹と万事が雑な姉の会話にも飽き飽きしていたシャツォンは、さすがに注文を出した。
「おまえらは少し黙れんのか。これは作戦行だぞ。少しは緊張しろ」
「しかし、バーヲー様。わたくしは神官長です。戦闘訓練を受けた騎士様方とは違います」
「……黙ることぐらいできるだろう」
「そうだーそうだー」
「おまえは心底黙れ」
「はーい。―――あ、そこです。バーヲー先輩」
説教を喰らいたくないための誤魔化しかと思ったが、実際に少し先にこぶりな金属の扉があった。
この長くて暗い下水道の中では、ややもすれば見逃してしまいそうに壁と同化している。
確かに抜け道としては有効かもしれない。
「どうやって開ける? 〈開錠〉の魔導を使えばすぐに結界にひっかかるぞ」
「神殿地下に張られている結界というものがどういうものか、先輩はご存知ですかー?」
「いや、知らんぞ。ここへ来たのもおまえのことを信じろという帝弟殿下の仰せに従っただけだ」
「では、簡単にー。ここに張られている結界は侵入者探知用のものなんですがー、魔導を感知すると音が鳴る仕組みになっていまーす」
「それで?」
「ただ、魔導が使用されたのを感知しただけで鳴るとなると、普通の生活に使っているものまで感知してそのたびに大騒ぎということになりますよね~。それだと不便だということで、こういう場所の結界は特定の魔導に対してだけ反応するというような条件付がされているんです~。例えばー、〈開錠〉とか〈発光〉とか、場合によっては〈火炎〉みたいなものですかねー」
「……」
「ですがー、その分、あまり一般的でない魔導は感知しないんですよー。自分の〈幼生使い〉のようなものとか~」
がたりと扉が開いた。
内側、つまりはシャツォンたちとは逆の方角から。
地下下水道に光が差し込み、その中からひとりの少年が顔を出した。少年と呼ぶにはまだ子供すぎる。
十歳ぐらいだとシャツォンは判断した。
白い貫頭衣のようなものだけを着ているので、教会の関係者ではなさそうだ。
「お待ちしていました、魔導騎士様」
少年は丁寧に頭を下げた。
仕草に気品がある。
ただの市井の子供という訳ではなさそうだった。
「この子におまえの〈幼生使い〉を使っているのか?」
「いいえ。目を見てもらえればわかりますが、正気のままですよー」
「……さっきの話の流れだと、そういうことになるんじゃないのか」
「それは接触するまでの話ですよー。今は正気のまま協力してもらっていま~す。さて、準備はできているー、フランチェシス?」
「はい、魔導騎士様。僕らの仲間はすべて、前から探しておいた避難場所に隠れています。火に包まれても大丈夫な場所ばかりです」
「よし、よくやったー。教会の連中にはもちろん喋っていないよねー?」
「絶対に言いません。みんなを守るためです。僕はみんなを助けたいんです。あっ」
フランチェシスと呼ばれた少年は、後ろに控えているムムロに気づくと急に視線をそらす。
怯えていた。
教会の礼服を見て怖がっているのだ。
「……大丈夫だぞー。このお姉ちゃんは、あたしの妹で、法王猊下に嫌われて追い出された第六神官長様だからねー」
ムムロがむっとするが、その話を聞いて、少年はちょっとだけ驚いた顔をした。
「猊下批判をなされた、レガロ様なのですか?」
「うん、そうだよー。だから安心しな。本当の教会の意志はこのお姉ちゃんの側にあるからね~」
「……は、はい。……法を司る白き神よ、鉛色に囚われし偽物どもに天罰を下してください」
軽く祈りを捧げるフランチェシス。
その様子を見ていたシャツォンは、流れに置いてきぼりにされた気がしていた。
「どういうことだ?」
「フランチェシス―――いえ、ここにいる子たちは全員、稚児なのですー。もっときちんというと教会関係者用の男娼ですかね。神官兵士たちが、街やら村やらまで行って強引に攫ってきた子ばかりですけどねー。とにかく、大勢がこの神殿の中にいるんですよ~。手引きをしてくれる代わりに、全員を助けるという約束をしたんでーす」
「待て、さすがにそれはおかしいだろ。確かに神官どもが腐敗していたのは知っているが、いくらなんでも神殿内の建物にに堂々と男妾を、しかもこんな子供をいれるほど酷くはなかっただろう」
「今の帝都の教会はそんなものですよー。魔物との戦いで抑止力のための魔導騎士が減り、〈貴族〉も少なくなって、ここしばらくは我が世の春状態でしたから~」
自分が不在だった十年でそこまでとは……。
さすがのシャツォンも頭が痛くなった。
祖国が滅びてしまったと信じていた彼女にはどうすることもできなかったとはいえ、自分の故郷でそんなことが起きているとは信じたくなかった。
「それだけじゃありません」
「どうした、ムムロ」
「この子達はおそらく、ほとんどが十五歳ほどになれば間引かれて殺されます。そういった豚のような神官たちは、若くて自分たちに叛逆できないものたちばかりを陵辱するのを好みますから」
「そうなのか、フランチェシス?」
「……はい、魔導騎士様」
なんということだ。
自分の国の暗部はここまでだったのか。
「バーヲー先輩は、随分と中原の常識に染められたのですねー。昔だって、こんなことはよくあったことじゃないですか~」
「まあ、そうだが。あぁ、〈白珠の帝国〉は弱者にはとことん厳しいということを忘れていたよ。で、なんでおまえたちはそんなにこの子たちに優しいのだ。ギドゥ、おまえ、この子達を魔導で強制的に利用するだけすればよかったのに、何故しなかった? 正直、この子がおまえを裏切らないという保証はないだろうに」
シャツォンは不思議だった。
彼女のように他国のありように触れて、自国の文化に疑問を抱いたものと違い、この二人は生粋の帝国生まれ帝国育ちだ。
フランチェシスのような弱者に手を差し伸べる慣習はないはずだ。
では、なぜ?
「……バーヲー先輩。あたしたちは、孤児ですよー。ただ単に才能があったから、上の階級にいけただけで、ほっておけばただの奴隷臣民でーす。帝国の常識にムカついていても変じゃないでしょー」
「姉さんの言うとおりですね。私たちは三部臣民用の孤児院という、この子達と同じ豚の糞みたいな場所の出身なのです。ならば、私たちが手を差し伸べなければこの子達のようなものは誰が助けてくれるのですか? 国の倫理のそとにいるものたちを」
「なるほどな。おまえらが、聖一郎に絆された理由がわかった」
姉妹は不満そうな顔をする。
あからさまだった。
「そんな顔をしてもダメだ。―――結局、おまえたちは私と同じように、あのお人好しの善人に親和性を感じてしまったのだよ。存外、おまえたちに似ているしな」
「えー」
不平たらたらで唇を尖らすギドゥに笑いかけながら、シャツォンは改めてフランチェシスに向き直った。
腰を落として視線の高さを同じにする。
「少年。君はこの魔導騎士の言う事を裏切らず、仲間を守るために戦った。君の戦いは勇者のものと変わらない武勲となるだろう」
「ぼ、僕がですか……?」
「ああ、そうだ。君の姿を見ると、私は一人の〈英雄〉を思い出す。他人のために泣いてばかりで、自分のために泣くことをよく忘れるうっかりものだが、絶対に頼りになる本当の男だ。君もそんな男になれ」
「……そ、そんな男性と僕は……」
「なれるさ。私みたいにそんな人間になりたいと念じ続ければな」
ぽんと頭を撫でた。
それから、シャツォンは立ち上がった。
ここは帝都にある中央神殿の地下倉庫の一画。
もうすぐ、この神殿の中を制圧しようと皇帝直属の部隊がやってくるだろう。
それと呼応して内部から切り崩すのが彼女の仕事だった。
「フランチェシス」
「はい」
「……この黒い鎧と同じものがこの神殿内にあるはずだが、知っているか?」
少年は首をひねり、
「確か、そんな黒光りするピカピカするものが第五宝物庫にあったと思います。でも、ちょっと前に荷馬車が持って行ってしまいました」
「数は?」
「ものすごくたくさんです。三十台ぐらいはありました。僕が夜に神官様のお部屋から帰ろうとしたときにそれが夜中に出ていくのを見ました」
「そうか。では、同じものはもうないな」
「猊下の親衛隊の方が着ていました。猊下とともに最上階の寝室にまだおられると思います」
「なるほど。……情報を感謝する。どうやら、私のやるべきことが決まった」
シャツォンは纏った黒い魔導鎧の胸を叩いた。
硬い金属音がした。
彼女がバイロンから持ち帰った帝国の魔導鎧〈熱姫〉は、オコソ平原での戦いを経てもまだ健在だった。
タナとたった二人で〈雷霧〉一つを破壊しようとした超戦士シャツォン・バーヲーの愛用品に相応しい戦闘力とともに。
そして、天井を睨む。
その上には巨大な神殿を守るための千の兵士がいる。
陽動だけをすればいいはずだったが、シャツォンは任務の内容を恣意的に切り替えた。
彼女のすることはもう別だ。
「とりあえず、法王猊下をとっ捕まえる」
「先輩、いくらあなたでも一人では……。あたしは味方しませんよー」
「構わん。私だけで十分だよ」
自信満々でシャツォンは応える。
「魔物に魔導鎧を供与して、民を危険にさらすような真似をしたんだ。同じ魔導鎧がどんなに危険なのかを身をもって知ってもらおうか」
「……先輩、変わりましたねー」
「おまえらだってそのうちに変わってしまうぞ。あの馬鹿の愚鈍さは感染するからな」
そうして、シャツォン・バーヲーは皇帝直属部隊の強襲にタイミングを合わせて、そのまま神殿内を我武者羅に駆け上がっていった。
黒い一陣の風のように。




