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沼椿は血に染まる

 その娼館は『沼椿』といい、湿地帯に咲く毒々しいけれども美しい花の名前を屋号にしている、ビブロンでも一、二を争う大店(おおだな)だった。

 娼婦込みの宿泊施設としての側面も持ち、何十人もの客をとれる本棟と西棟からなる大きな建物と、用心棒も兼ねたゴロツキめいた従業員が何人もいて、約五十年の歴史を持っていた。

 その歴史上、何回も客同士の喧嘩や闘争の舞台になったことはあるものの、今回のような半ば戦闘状態にも匹敵する大規模な喧嘩に巻き込まれたことはかつてなかった。

 しかも、殴り込んできたのが、十人以上の騎士、さらにそれが花も実もある麗しき美少女揃いとあっては。

 客引きが出やすいように広めの出入口から、真っ先に突っ込んだのは鮮やかな赤をまとったドレス姿のタナと青を基調にした男性用の夜会服の美少年めいたナオミだった。

 タナが刃を零した双剣を振りかざして、路上の騒ぎを聞きつけて顔を出した店主に突きつけると、ナオミはそれ以外の従業員に短槍の先を見せつけ牽制をする。

 同時に、二人が確保した通路にマイアンとハーニェに率いられた騎士全員が侵入する。

 娼館内に漂う、男女のまぐわいの時に生じるムッとした生ぐさい臭いに顔をしかめた。

 これが性を売りにする場所特有の生臭さだと理解していても、まだ男を知らない潔癖な少女たちにとって嫌忌の対象としかならない。

 むしろ、この臭いが騎士達の怒りをさらに掻き立ててしまった。

 逆鱗に触れた、といえばそれに近いのだろうか。

 喧嘩の際の高揚感に酔っていた彼女たちの頭の中が、さらに激情という手の付けられないものに支配され、少女たちは一個の爆弾と化した。


「貴方が、ここの店主さん?」

「そ、そうだ。あんたらは、何者だ?」

「私たちは西方鎮守聖士女騎士団所属、第十三期の騎士だよ。貴方のお店に逗留している男の風上にもおけない連中を懲らしめにきてあげたの。……店の関係者には極力手を出さないつもりだけど、その連中を没義道にもかばうつもりならば、残念だけど排除させてもらうわね」

「……どっちが没義道だ。こんな朝早くに殴り込んできやがって」

「あら、女の義理は男のものと違うってことをご存知ないのかしら。娼婦の元締めのくせに」


 タナはにっこりと微笑んだ。

 後に太陽のようにとまで言われた、翳のない眩しすぎる笑顔だった。

 

「手を出すな、と私は言っているんだけど」


 さすがに長いあいだ、女衒の元締めをしていただけあって、女の心の機微というものに通じていた店主はすぐに頷いた。

 タナの決意を見抜いたのである。

 この少女はやるといったらやる、と。


「……あんたたちの探している連中の夕べの狼藉については知っている。うちの娘どもの醜態についてもだ。ビブロンの住人として悪いことをしたと思っている」

「そう。……それで?」

「従業員と娼婦たちには手を出さないでくれ。逆らわせない。……調度品については諦める」

「わかったわ。ただし、誤解してこちらに向かってきたときは保証できないけど、いいのね」

「……お手柔らかに頼むよ」


 圧倒的な武力を背景にした交渉が終わると、タナは後ろに控えていた十名の仲間に首を振った。

 突撃命令だ。

 ちなみに彼女の交渉中、館内見取り図を見たナオミが三班に分かれた騎士たちに細かい指示を与えていた。

 

「ハーニェ、派手にお願い」

「うん、タナちゃん」


 ハーニェが一歩前に出て、大きく深呼吸をする。

 彼女たちは騎士だ。

 もう昼だというのに寝過ごしていて、心ならずも朝駆け状態になってしまっているとはいえ、不意打ちは望むところではない。

 できることなら充分に準備してもらった上で、正面からぶちのめしたいところだが、すでに喧嘩は始まっている。

 兵士のくせに敵の来襲にも備えずにぐーたら寝汚くしているのが悪いのだ。

 うちの警護役(おっちゃんたち)なら、すぐに館内に漂う異常に気づいて目を覚ましているはずなのだから。

 獣のような雄叫びが轟き渡った。

 ハーニェただ一人による鬨の声だった。

『沼椿』全館が震えるかと思われるほどの大声量に、慣れっこになっている騎士たち以外は耳を押さえ顔をしかめる。

 今の今まで惰眠を貪っていたものでさえ、必ず目を覚ますであろう怒涛の響きだった。

 それから全員が各自に名乗りを上げる。

 標的は聞いていないだろうが、構うことはない。


「騎士タナ・ユーカー!」

「ナオミ・シャイズアル!」

「……ハーニェ・グウェルトン!」

「シヴルの騎士マイアン・バレイ!」


 少女たちは口々に我が名を叫び、そしてタナが双剣を頭上に掲げる。


「西方鎮守聖士女騎士団突撃! 死ねえや、コラァァァァァァ!」


 タナが、前回の〈手長〉との戦いでオオタネアとセスシスが上げた台詞を真似て叫ぶと、全員が西棟へと向かう階段を遮二無二(しゃにむに)駆け上っていく。

 その手には刃を零した剣と槍が握られており、その勇ましさは娼館の澱んだ空気を切り裂くには十分な清浄さを孕んでいた。

 三班に別れ、それぞれが打ち合わせ通りの部屋に飛び込んでいく。

 真っ先に会敵したのは、ナオミだった。

 ハーニェの鬨の声に叩き起され、何事が起きたか理解できずに、共に寝ていた娼婦を置き去りにしたまま全裸で飛び出してきた中年の兵士だった。

 部屋を出たと同時に、青い夜会服を身にまとった美少年風のナオミに遭遇し、目をしばたかせる。

 状況が飲み込めなかったのだ。

 まだ、夢の中にいるのか、と考えた途端、


「王都駐留十七番付従士団のものだな?」

「あ、ああ……」


という誰何に思わず返事をしてしまい、


「ならばよし!」


 何が良いのかわからないが、とにかく叫んだナオミの屋内用の短槍の石突きで鳩尾を強打され、激痛で前かがみをなったところを、真鍮で補強された柄による一撃を受けて悶絶して倒れ込んだ。

 まだ、兵士の意識があると見抜くと、ナオミはまたも石突きを用いて、手早く引っくり返し向けにしてから、またもその鳩尾にめがけて今度は「気」を纏わせた拳を落としてトドメを刺した。

 無防備な急所に「気」を通されると、人は簡単に失神するのである。

 ナオミとともに制圧に趣いた二人もそれぞれ室内に飛び込んでいく。

 

 ……二人の兵士を同時に屠ったのは、マイアン・バレイだった。

 彼女は十三期の中で最も背が高く(療養中のアラナに次ぐ)、近接格闘術では並ぶもののいない猛者であった。

 この大喧嘩においても、彼女だけが唯一、寸鉄身に帯びず無手で参加している。

 部屋に飛び込むと、二人の兵士が戸惑いつつも、異常に気がついて護身用の短剣を手にしていた。

 ベッドには一人の娼婦。

 どうやら二人で一人を相手にするという変態的行為に耽っていたらしい。

 他の少女たちよりもやや世間慣れしているマイアンだったが、その行為に含まれる背徳的な雰囲気に吐き気を催し、思わず全身に力がこもる。

 彼女は背中に羽が生えたような卵色のドレスを纏っており、質素なティアラもどきの髪飾りをつけていたせいで、兵士たちの目に動揺が走る。

 ある意味で、先手を取られてしまったのだ。

 マイアンは躊躇うこともなく、楚々として前に進み出る。

 それが格闘術のための歩法だと気づかれることはなかった。

 最短距離で直線を貫いて打ち出された拳が、一人の兵士の顔面を打ち抜く。

「気」で硬化された拳は痛めることがなく、逆に兵士の頭蓋骨が軋む。

 その拳が引き戻されるとともに、計算された体のひねりによって一歩前進し、そのままくるりと回転したマイアンの背中から長い脚が楕円を描く。

 まるで少女の背中から長い棒が生えたように兵士には見えた。

 虚像を見せるほどに素早い回転が、彼女の回し蹴りを必殺の技に変える。

 首筋を刈り取られ、何が起きたかも認識できずに兵士は気絶した。

 拳にも蹴りにも「気」が宿っていたからだ。

 ほとんど言葉も発せずに何事もなかったかのように、彼女による制圧は完成する。

 マイアン・バレイはシヴルという街の僧兵の娘であった。

 僧兵は戒律上の問題から素手で戦うことを主としており、その際に騎士と同様に「気功術」を学ぶことになる。

 幼い頃から僧兵に混じり訓練を受けていたマイアンは、そのため、素手での「気功術」の扱いについては誰よりも優れていた。

「なんでもできる娘」タナでさえ、彼女の得意とする分野では三舎を避けるほどである。

 一瞬で兵士二人を屠った彼女を見て、唖然とする娼婦を尻目にマイアンは、ぐったりした兵士たちの襟首を引きずってそのまま退出していった。


 ……だが、最も派手に、最も華麗に、最も目覚しい働きをしたのは、タナとハーニェの二人組だった。

 三階に上がったタナとハーニェともう一人は、さすがに飛び出してきた五人の兵士と廊下で対峙した。

 全員、短剣と棍棒でおざなり程度に武装している。

 その中には、ここに逗留している王都駐留十七番付従士団の首魁ともくされている美青年と禿頭の巨漢が含まれていた。

 美青年だけは普通の大きさの剣を握っていた。

 彼女たちを見て目を細める。


「……なんだ、てめえら?」

「盗賊にしちゃ……おかしいよな」


 さすがにすぐには理解できなかったようだ。

 西方鎮守聖士女騎士団について知っていたとしても、その騎士が朝駆けで攻めてくるなどというのは、当然理解の外側のことである。

 そこが完全に虚をつける隙となっていた。

 だが、タナは隙など突かない。

 すでにそんな気は毛頭ない。

 できることなら、この王都駐留十七番付従士団のした狼藉について真っ向から後悔させてやりたいからだ。

 そして、彼女にはその自信があった。

 

「私は、騎士タナ・ユーカーだ」


 もう一人が止めるのも聞かず、タナは闊達に名乗りを上げた。

 無論、兵士たちには何が何だかわからない。

 いきなり、娼館の廊下に赤いドレスを着た美少女が双剣を引っさげて現れ、騎士の名乗りをあげたのだから。

 しかも、後ろにはさらに二人もいる。

 酒と女で蕩けた頭でははっきりとモノを考えることさえできない。

 ただ、少女たちから漂う凄絶な闘気だけは理解できた。

 まともに戦争にも魔物討伐にも参加したことがないとはいえ、曲がりなりにも兵士なのだ。

 そのぐらいは悟れた。

 

「その騎士様がなんのようだよ」

「……なーに、簡単だよ。昨夜、あんたたちにコケにされた仲間の落とし前をつけさせてもらうだけ。ね、簡単でしょ?」


 そして、この時点でようやく、兵士たちは理解した。

 タナたちが西方鎮守聖士女騎士団の騎士であるということを。

 だが、なぜ、こんなことをしているかはわからない。

 もっとも、王都駐留十七番付従士団の兵士たちが理解しようとしまいと、そんなことは彼女たちにはなんの意味もなかった。

 理不尽に手篭めにされた仲間の落とし前をとるのに、相手の事情など考慮する必要は欠片もない。


「じゃあ、仕返しさせてもらうね」

 

 そう言うなりタナははらりと剣を振るった。

 一人の兵士の手首が強打され、手にしていた短剣がこぼれ落ちる。

 その首筋にハーニェの短槍の石突きが突き立てられた。

 悲鳴もあげずに崩れ落ちる同僚の姿を見て、残った兵士たちも動き出す。

 だが、大規模な娼館といえど廊下は数人が入るだけで動きがとれなくなる程度の広さしかない。

 実際に先陣に立つタナと相対できるのは、二人が限度。

 しかし、タナは双剣の持ち主で、二人を同時に相手にできる技倆をもつ、天才的な騎士である。

 短剣よる攻撃を難なくさばき、捕まえようと伸ばす手をことごとく振り払う。

 姿勢を乱せば、後ろからハーニェたちが突っついてきて、無理な特攻はできない。

 

「そおれっ」


 タナが器用に剣を回すと、それにまとわりつかれるように短剣が弾き飛ばされ、天井に刺さる。

 刃をひねって巻き上げたのだ。

 同時に、後ろからの一撃をくらって二人が昏倒する。

 次にタナと対峙したのは禿頭の巨漢だった。

 しかし、彼も客観的に言えばタナの敵ではなく、またも棍棒を巻き上げられ、それに気を取られた瞬間に頭突きを額にくらって、目に火花が散った途端に鳩尾を強打されて終わった。

 

「イタタ、安易に頭突きはしちゃいけないね」


 大して痛そうでもなくタナが言うと、それを遮ってハーニェが忠告する。


「タナちゃん、気をつけて。あの色男、ちょっとだけ強いよ」

「ふーん、そうなんだ」


 少しだけタナの目に真剣な光が宿る。

 最後に残った美青年とももう一人は、その瞳に剣呑なものを感じた。


「……ちょっと待てよ。あんたら、おかしいぞ。なんで兵士の仕返しに騎士がくるんだよ。変じゃねーかっ!」


 必死になって抗弁するが、手からは剣を離さない。

 タナたちの隙を探っているのだろう、と彼女たちは判断した。

 降参する気はないのだろう、とも。


「おかしくないよ。だって同じ騎士団の仲間だもん」

「……ちっ、この気狂いどもめ。あの馬面といい、優男といい、てめえらといい、ユニコーンに取り憑かれた連中は薄気味悪いったらねえぜっ!」

「ん、優男?」

「こんなところに押しかけてきやがるメスイヌめっ! 死ねよっ!」


 美青年の恨み言や罵倒を無視して、なんとなく気になったタナがハーニェに問いかける。

 

「詰所の警護役(おじさん)たちの中に優男なんていたっけ?」

「俺の記憶では、いなかったはず」

「誰のことなのかな?」

「聞いてみたら、いいんじゃないかな」

「そうだね」


 屈託なく振り向くと、すでに大勢は決まっていることもあり、余裕を持ってタナは美青年に問いかけた。


「昨夜、優男なんていた?」

「ああ、ふざけんなよ、このクソメスがぁ。殺してやるぞっ、おおっ!」

「だーかーらー、優男って?」

「いたじゃねえか、てめえらぐれえのクソガキがよっ! 俺たちに歯向かうこともできずに涙目で睨んでいたクズがっ!」


 次の瞬間、タナの双眸にそれまでとは比べ物にならない怒りの色が湧いた。

 確かに、今までは警護役たちが受けた侮辱に対して憤りを感じ、その屈辱を晴らすためだけに動いていた。

 ただし、すでに〈手長〉との実戦経験のある彼女にとって、一般の兵士に過ぎない王都駐留十七番付従士団との喧嘩はあくまで遊びに過ぎない。

 義憤はあっても、殺すほどの気持ちではなかった。

 しかし、事情が変わった。

 タナは悟ったのだ。

 朝、警護役の受けた屈辱の事件を語るときのセスシスの表情が妙に堅かったこと、語る内容がまるで見てきたかのように詳しかったこと、そしてこいつのいう現場にいた優男。

 それらが示す答えは一つだ。

 王都駐留十七番付従士団(このクソども)は、警護役だけでなくセスシス・ハーレイシーをも侮辱し、唾を吐いたということだ。

 我らの教導騎士を、〈ユニコーンの少年騎士〉を、タナの命の恩人を、彼女の大切な想い人をっ!

 一気に腹の底から燃え上がった凄絶な怒りがタナの全身を染め上げた。


「ひいっ!」


 美青年はまっしぐらに迫ってくるタナを見た。

 矢にも等しい疾さだった。

 恐慌をきたし、逃げようとした襟首を握り締められた。

 後方に軽々とぶん投げられ、宙に浮いている一瞬のあいだに回り込まれる。

 タナの「気」で強化された金槌のような拳がその顔面を抉る。

 床にまで衝撃が抜けるような正拳の一撃に、それだけで美青年の意識は消失した。

 もう一人の兵士も、ハーニェたちによって容易く仕留められる。

 三階に泊まっていた五人は、ここでなす術なく全滅の憂き目にあったのだった。


 そして、それはこの大喧嘩の終了の知らせでもあった。

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