帝国の真意
この話で、〈妖帝国〉がなぜ〈雷霧〉を設置したかの謎が説明されます。
ネタバレを避けたい、未読の方は避けてください。
〈白珠の帝国〉においては、他国と異なり、航空戦力というものが存在する。
つまりは空からの偵察・攻撃を可能とする部隊があるということだ。
彼らが空を飛ぶために使用するのは、飛龍である。
通常の竜とは異なり、前肢が退化して翼に吸収され、より力強い羽ばたきができるようになった分、火を放つための毒液袋がなくなった上、体重が軽くなったことで攻撃力が低下している。
群れをなして、高地に存在する魔境に生息していることから、あまり人の目には触れることのない魔獣ではあった。
飛龍は、元々人には馴れない魔獣ではあったが、〈白珠の帝国〉の皇帝の飼い犬にまで堕した火竜の眷属であることから、なし崩し的に帝国のために用いられるようになったという逸話がある。
〈白珠の帝国〉の空騎兵たちが騎乗する飛龍には二種類があり、一つは通常の一人乗りの小型のもの―――飛龍という魔獣のだいたいはこれを指す―――で、騎士が乗る。
もう一つは、轟龍と呼ばれる種であって通常のものの二倍の大きさがあることから、空騎兵を指揮する魔導騎士に与えられる。
部隊は四匹の飛龍と一匹の轟龍でもって構成され、飛行時はほとんどの場合、轟龍を頂点とした楔の形で運営される。
もっとも、帝国全土においても空騎兵の絶対数は少なく、まともに運用がされているのは三部隊だけであった。
そして、その内の一つ。
魔導騎士メニアスの率いる部隊は、皇帝直々の勅令を受けて、今、帝国の東方を飛空していた。
《―――巨大……ですね》
《それ以外の表現のしようがないぐらいだな。ほとんど地平の果まで届いているようにしか見えんぞ》
《おそらく、〈赤鐘の王国〉の端までは達しているのではないでしょうか? ひとっ飛びでいける距離ではないですし》
空騎兵は高速で飛び回るという機能上、まともに口では意思疎通が難しく、騎士たちは〈念話〉で会話するように心がけている。
逆に言えば、〈念話〉ができないレベルの魔導師では空騎兵にはなれないのだ。
そのためか、見習いと予備役を含めても二十人ほどしかいない空騎兵は帝国全土でも指折りの最精鋭ばかりだった。
彼らを率いるメニアスは、近衛でなければ、戦隊に入っていたであろうと噂される最強クラスの魔導騎士でもある。
《これまでに発生した〈黒い雲〉の十倍はあるな。下から視認したよりもはるかに大きく感じられる》
《飛龍でここまで昇っても、まったく端の方が見えませんからね。積乱雲なんてものではありませんよ。一地域どころか、一国全てがすっぽりと覆われているなんて信じられません》
突如として、帝国の領土の東方に発生した極彩色の雲の塊―――〈王獄〉の調査が彼らの任務だった。
帝国の領土内であれば、数刻もかからずに行き来できる機動性を誇る飛龍を駆る彼らにとって、それは容易い仕事のはずだった。
だが、現実に〈王獄〉を目の当たりにしてみると、あまりの巨大さに怯まずにはいられなかった。
一度、地上すれすれから確認してみたが、彼らにしてみれば天まで聳え立つ無限の壁となんら変わらず、言葉を尽くして表現してみてもその威容に飲まれるしか道はなかった。
圧倒的な超自然現象。
かつて、中原で〈雷霧〉と呼ばれていた〈黒い雲〉という魔導の塊をはるかに凌駕する恐ろしさに、空騎兵たちは為すすべもなく眺め続けるしかなかった。
とはいえ、彼らの任務はぽつんと様子を注視しつづけるだけではない。
〈王獄〉と名付けられた現象の正体を探ることが第一なのだ。
帝都からひとっ飛びで駆けつけられる機動性だけが、彼らの利点ではない。
彼らは曲がりなりにも竜の眷属たる飛龍の乗り手ということで、全身に比較的強めの〈魔導障壁〉を張ることができる。
噂に聞くユニコーンの絶対魔導防御と比べれば、微々たるものだが、それでも短時間ならば〈黒い雲〉内の雷さえも防ぐことができる程度の効果はある。
今回の彼らの任務は、それを活かして、〈王獄〉内部を探索することにあった。
それは無謀な挑戦ではあった。
何が待っているか、帝国の魔導師ですらまだ突き止めていないのだから。
しかし、地上部隊が〈王獄〉から湧いてくる魔物たちに邪魔をされて容易には近づけない以上、超自然現象の正体を突き止めることができるものは彼らしかいないのだ。
《ではいいな。貴様らは愚直に自分のあとに続けばいい。なーに、それほど深度のあるところまでは行かずとも、内部がどのような塩梅なのかわかればされでいいのだ。貴様らは飛龍どもを信じ、危険があると感じたら直ちに離脱すればいい》
魔導騎士メニアスは彼には珍しく曖昧な命令を下した。
部下が怖気づいていることを察したゆえの行動だった。
普段の彼ならば決して口にしない。
だが、今回に限ってはそうも言っていられない状況だった。
(―――生きて戻れば僥倖か)
出立前に、彼らの主筋にあたる帝弟から聞かされた言葉を思い出す。
自分でも天駆ける有翼天馬に騎乗する帝弟ベルーティーヌは、空騎兵を率いることがある。
メニアス自身、彼のことを敬愛していた。
その帝弟が、今回の〈王獄〉調査のことを「絶対に成し遂げなければならない。貴様たちのうち、ただ一人でも生き残って内部の様子を報告できればそれでよい。だから、なんとしてでも生き残れ」と厳命したのだ。
あの〈王獄〉の中に入れば、五人の空騎兵のうち何人が生き残れるかわからない。
つまり、それだけの危険があるということを、帝室ははっきりと予想しているのだ。
騎士として「死ね」という命令を受けることは覚悟していた。
故にメニアスは悩まなかったが、戦って死ぬのならばともかく、命懸けで謎の現象の渦中に飛び込むということは想像もしていなかった。
(だが、わからなくもない)
メニアスは〈王獄〉を見下ろした。
(あれは我が国土を侵し続けている。いつ止まるかもわからない。あれが完全に大きくなって帝国を滅ぼさないという保証はないのだ。今のうちに、対策をねる必要があるのは自分にだってわかる)
彼は決断する。
(よし、行こう)
国を守る騎士としての誇りが彼を突き動かす。
馴染んだ部下たちを道連れにして、彼らを喪失するかもしれないとしてもそんなことは問題にもならない。
大切なのは帝国を守護することだけ。
帝国という国家の有する国体の護持こそが騎士の望みだ。
《行くぞ、貴様ら。自分に続け!》
そう〈念話〉で叫ぶと、メニアスは飛龍の手綱を引いた。
同時に彼の乗る轟龍が勢いを増し、眼下の〈王獄〉目掛けて風を切っていく。
部下たちも示し合わせて付いていく。
隊長がいくのに、彼らが行かないわけがない。
それだけの深い信頼関係が彼らにはある。
そうして、五匹の飛龍はなんのためらいもなく〈王獄〉の中へと飛び込んでいった……。
◇◆◇
俺の両隣にオオタネアとシャッちんが座ると、先ほどの執事がグラスを用意してくれ、そこに並々とワインが注がれた。
芳醇な香りが鼻腔に届いてきた。
どうやら本題に入りつつあるらしい。
ここから先は酒が入らなければ話しづらい内容ということだと、俺は推察した。
単に俺へのサービスという可能性もあるが。
ここがどこでどういう状況なのか、一瞬だけ忘れた。
王侯が口にするレベルの上等なワインというものがはたしてどういうものか、非常に飲兵衛の魂が轟き叫ぶ。
おかわりはしていいとして、お土産で一本ぐらいもらえないだろうか。
それができない場合、一人で一本飲み干すことを考えなくてはならない。
しかし、場所をわきまえて、ちょびちょび飲むだけだと一本を消費するのに約一時間前後。
この話し合いの最後までに飲みきれるか?
時間との勝負だな。
―――そういう俺の思考はオオタネアの発言で断ち切られた。
彼女の声はいつも俺を現実に引き戻す効能がある。
「皇帝陛下。これからの会話の内容はすべて余すことなく、我らの主君であるヴィオレサンテ陛下に伝えさせていただきます。それでよろしいでしょうか?」
「好きにしてくれていいよ。余も、そなたたちをヴィオレサンテ陛下の名代として礼をつくすことにする」
「ありがとうございます」
オオタネアはやんごとなき身分らしい態度で皇帝に接する。
俺に対するものとは天と地ぐらいの違いがあった。
「では、まず、陛下にうかがいたい議がございます」
「何かね?」
「この度の〈雷霧〉を用いた大陸諸国に対する侵略戦争を起こされた本心についてです。我らの祖国バイロンをはじめとして、中原・東方の諸国は帝国との戦争を覚悟しております。いいえ、単に帝国と接触ができないというだけで、現実においてはすでに宣戦布告をなしている状態なのです。しかし、我が国王陛下はまずなにゆえに〈白珠の帝国〉がこのような暴挙に出たかの真意を確認したいとおっしゃられていました。千年の歴史を誇る魔導帝国が何故、と?」
俺の記憶によれば、〈妖帝国〉はほぼ鎖国状態のはずだった。
他国との接触は魔導大街道を使った限定的なものに限られ、それ以外はほとんど知られていないといってもいいほどに没交渉を貫いていた。
〈雷霧〉の初期発生時にもそのせいで混乱が続いたといっても過言ではない。
最も進んだ魔導文化をもつ国が為すすべもなく消滅したのだから、ただの国がどうにかできるはずもないという思い込みが広がるほどに。
そして、〈雷霧〉を引き起こしたのが帝国だとわかった今となっても、没交渉だった国が突然、大陸侵略を開始した理由というのは明らかになっていない。
よくある御伽噺のように、魔王がいて、その魔王が気まぐれで世界を征服し始めたという方がまだわかりやすい。
そういえば、俺は異世界からきたわけだが、その構図があるとすれば俺の立ち位置は〈勇者〉ということになる。
だが、俺を召喚したのも帝国となると、魔王が〈勇者〉を呼んだということになりかねない。
自分と敵対するものを自分で用意するなんて矛盾だ。
「その認識は誤っているね」
「どこが、でしょう?」
「〈白珠の帝国〉は侵略戦争などをしていないし、そのつもりもない」
「しかし、事実として大陸の半分近くは陛下の臣下による儀式魔導〈雷霧〉によって侵食されています。我が国は、〈雷馬兵団〉と呼称したそちらの軍隊による蹂躙を受けました。そして、なおかつ、我々が捕らえたバレイム・キュームハーン・ラという魔導騎士ははっきりと侵略を公言しております。それらを加味しても、帝国の意図は明白だと思うのですが……」
「ああ、キュームハーンはまだ生きているのか。ヌヴッドは死んだと聞いたが」
「マセイテン・ヌヴッドは誅殺いたしました。我が国の国民を虐げたものとして。ただ、もうひとりは監獄におります」
「あの二人を送ることに余は反対だったのだよ。法王の意を汲みやすい立場でもあったしね。―――言い訳を言ってもいいのならば、キュームハーンとヌヴッドは余の……いや、国の真意についてはほとんど知らなかったはずだ。そうだな、ベル?」
隣にいた帝弟が頷く。
「二人の魔導騎士とバーヲー将軍には、勅令と伝えられていただけで、実際には機密内容が伝えられていなかったはずです。それに、最前線に送られたものたちのほとんどは法王の息のかかったものでした」
「―――〈雷霧〉の進行はそちらの本意ではないと?」
「よく考えてみなさい。〈雷霧〉による陣取りのような戦争など、戦略としては効率が悪すぎるとは思わないのかい? 実際に十年もかかっているしね」
「十年がかかったのは、我がバイロンの抵抗があったからですが……」
確かに、〈雷霧戦役〉が十年以上かかっているのは、西方鎮守聖士女騎士団の必死の抵抗によるものだ。
それがなければ単純計算でも大陸は五年前に〈雷霧〉まみれになっていたはずだ。
「時間そのものよりも、あれの跡地が問題だよ。塩害よりも酷い有様になるからね。我が国の東方がそのせいで不毛の土地になってしまった。そうなると征服する価値が格段に落ちる。後の経営に苦労するような征服に何の意味があるのかね?」
それは自業自得だろ。
〈雷霧〉なんてものを自国の領土に使った帝国が悪い話だ。
だが、裏を返せば、そんなものをなぜあえて使ったのか、という問題が見えてくる。
そこがまだわからない。
「もともと、〈黒い雲〉―――そなたらに合わせて〈雷霧〉と呼称しようか―――は、他国攻撃用魔導ではない。あれは刑罰の一種なのだ」
「刑罰だと?」
「ああ。帝国に叛逆した地方領主などの治める地域の中心に設置して、その土地を呪うためのね。塩をばら撒くより、あとで魔導を除去する方が簡単だから、いい見せしめになるそうだ。まさにペンペン草も生えないようにできるしね」
俺は呆れた。
今までの死闘がいきなり茶番になった気がしたからだ。
ユニコーンの騎士が命を賭けて潰してきた〈雷霧〉が、実はただの刑罰の一種にすぎなかっただと?
ふざけるな。
……だが、これでわかることはある。
中央の魔導師たちが〈雷霧〉の正体を突き止められなかった理由が。
彼らは対国攻勢魔導としての認識と観察しかしておらず、〈雷霧〉が別の用途のために使用されていたものとは考えてこなかったのだ。
良い知恵が出ないのも当たり前だな。
それは軍人も同様だ。
戦争のための兵理に従えば、〈雷霧〉による侵略の仕方など不自然極まりない。設置に時間がかかったり、〈核〉を破壊することで停止できたりと弱点や欠点が多すぎるのも問題だった。
皇帝自ら非効率的だというのも当然。
あれは戦いのために使うものではなかったのだから。
だからこそ、怒りが湧いてくる。
こちらが必死に戦争だと思っていたものが、実はそうではなかったと泥をかけられた気分になってしまったからだ。
それはオオタネアも同意だったらしい。
雰囲気が剣呑としたものになる。
重要な会議の場で相手が皇帝だから耐えているようなもので、いつもの彼女なら爆発していてもおかしくはない。
だからか、次に出た言葉にはやや刺があった。
「では、なぜ、そんなものを自国の領土に設置し、さらに東へと拡大させていったのですか? 大陸全土を高みに立って罰しようとでも思われたのでしょうか?」
刺があるどころか、きつすぎる嫌味がこめられていた。
「そうではない。―――ところで、そなたたちはあの中がどうなっているか、知っているかい?」
「よく知っています。私とここにいる騎士は、共にあの中で戦った経験すらあります」
〈雷霧〉の中に突入して生き残っているという意味では、ユニコーンの騎士は誰よりもよく知っているといえるだろう。
「私もです、陛下」
シャッちんまで手を挙げた。
いつの間に、彼女まで。
もしかして聖士女騎士団に入っていたのか。
「なら話は早い。では、あの中に強烈な魔導力が充満しているということは知っているよね」
「ああ、通常の五倍だという話だったな」
”ロジー”の話を思い出す。
その時に何かを閃いたことも。
「そう、五倍だ。それがどういうことか、わかるかい?」
「別に呼吸はできるし、短時間いる分には問題がないんだろ。ただし、生態系に致命的な傷が負わせられるから生活をしたり長居はできそうにないって聞いた」
「普通はね。この大陸どころか、全世界を見渡してもおそらく魔導力の濃度が五倍なんてところは存在しない。せいぜい、二倍が限度だ。それだって、一部の魔境ぐらいのものだろう」
「つまり、魔導で人工的に作らない限り存在しない環境ということですね」
「その通り。核心部分はそこさ」
俺たちにとっては〈雷霧〉内部の雷の方が重要だったが、実はそこはさして問題ではないらしい。
ここでまた認識に齟齬が生じている。
〈雷霧〉内部の雷による生息している生物の死滅よりも、魔導力の充満の方が優先度の高い問題なのか。
果たしてあの中に魔導力が溜まっていることにどんな意味がある?
「……我々は〈雷霧〉のことを〈手長〉などの魔物の巣だと認識していましたが、それは誤りだとおっしゃるのですか」
「そうさ。いや、ある意味では間違ってはいない」
「ん?」
「魔導力が充満した空間はあやつらの最も好む環境であるからね。雷が煩わしいぐらいで、あやつらにとっては天国にも似た場所だろう」
繋がった。
あの時の閃きがついに形になった。
「なるほど、そういうわけか」
シャッちんが俺を見る。
「どういう訳なんだ?」
「随分、突飛な発想になるが、たぶん間違っていないと思う。〈白珠の帝国〉にとっての〈雷霧〉がどういう存在であるか俺にはわかったよ」
「……なんだと? 説明しろ、セシィ」
「あれは、つまり、ゴキブリホイホイなんだな」
その場にいた全員がきょとんとした顔をする。
俺の言った意味がわからなかったのだ。
そういえばこの世界には、ゴキブリがいなかったっけ。
だとすると意味不明の例えということになってしまうな。
「あ、ゴキブリホイホイは忘れてくれていい。―――要するに、あれは巣箱なんだよ。〈手長〉や〈脚長〉という魔物を隔離するためのな。なあ、皇帝陛下。あの魔物たちは生物皆殺しが何よりも好きな連中だけど、それは習性であって生態ではないんだろ?」
「そうだね」
「……すまん、聖一郎。もう少しわかりやすく説明してくれ」
「つまりな……」
俺は自分の閃きを声に出してみた。
「最初からおかしかったのは、時系列なんだ。まず、〈手長〉と帝国との戦いが発生した。次に、帝国が〈雷霧〉を設置した。そして、〈雷霧〉が東に拡大していった。これが真実の流れだ」
だが、俺たち中原の人間は、〈手長〉どもは〈雷霧〉からやってくる化物だと認識している。
場合によってはセットであると。
〈雷霧〉の外にいる〈手長〉どもの存在が認知されにくいということから、ある意味ではそれは当然の誤解であったのだが。
あの魔物にとっては〈雷霧〉は巣といっていい場所だが、〈手長〉の歴史への登場と〈雷霧〉には直接の関係はないのだ。
帝国があえて設置しなければ、〈雷霧〉と〈手長〉には結びつきは存在しないのだから。
ここが齟齬のポイントだった。
「帝国は〈手長〉のために〈雷霧〉を用意したんだ。あいつらにとって居心地のよい環境を作り出し、その中に魔物どもを誘導し、隔離するために」
息を呑むオオタネア。
それはそうだ。
まったく考えたことのない内容だからだろう。
「生物皆殺しが目的のようなあいつらだが、それよりも優先されるのは住みやすい環境の確保なんだろうな。魔導力濃度が五倍という地域はこの世界には他に存在しないそうだから、目の前に用意されたとしたら、あいつらは嬉々としてあの〈雷霧〉の中に入っていったはずだ。本能を優先させてな。―――あいつらがもともと巣食っていた場所の魔導力濃度はどれぐらいなんだ?」
「はっきりとはわかっていないが、おそらく六倍から七倍といったところだろう。そのぐらいになると、生物にも影響が出る濃度だね」
「どんな感じで?」
「外見が醜くなる」
「やっぱりな」
「ほお、それ以上もわかったのかい?」
「ヒントが多すぎた。さすがに馬鹿な俺でもわかるぐらいだ」
「すまないね。少しだけ見くびっていたよ」
肩をすくめ、もう一度、ネアたちに向き直る。
「ちょっと待て、セシィ。すると、〈雷霧〉が東へ移動していく理由は……」
「おそらく、帝国の領土から〈手長〉どもを遠ざけるためだ。〈白珠の帝国〉にとっては、あいつらが領土に屯している状況はよろしくなかったんだろうな。〈雷霧〉をずらして、ついでに他国の人間をはじめとした生物を生贄に差し出すことで、魔物の習性も満たさせる。一石二鳥だ」
「ばかな、そんな勝手なことのために! どれだけの犠牲が!」
「それが帝国の真意なんだ」
「なんてことだ……」
帝国の騎士であるシャッちんの驚愕も凄まじい。
自国の起こしたあまりにも身勝手な政策に声も出ないほどだった。
いや、その目には少しだけ悔恨の輝きがある。
少しだけ察していたのかもしれない。
「―――で、そうまでして〈手長〉を帝国領内から遠ざけようとしたのは……」
「我が国の名誉のために一言言わせてもらうと、それは世界の存亡のかかった緊急避難的な事案であることだけはわかってもらえるかな?」
「帝国だけの都合じゃないといいたいのか?」
「そうだね。帝国だけではなく、他国―――いや、世界が滅びる恐れがある事態が迫っていた。だから、あえて〈雷霧〉を設置し、帝国の領土から魔物を遠ざけた。そこは理解して欲しい」
泰然自若とした帝国皇帝がわずかだけ感情を強くした。
さて、その理由―――言い訳を聞かせてもらうとするか。
〈雷霧〉に滅ぼされた十を越す国家、百万人もの人間、数え切れない生き物たち。
それらが納得するであろう言い訳とやらを。




