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聖贄女のユニコーン 〈かくて聖獣は乙女と謳う〉  作者: 陸 理明
第二十二話 皇帝は語る。すべての真相を。
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東からの来客

 黒黒とした群れが蠢いていた。

 蠕いていた。

 遠目から眺めているものたちの胸の奥を嘔吐かせるほどのおぞましさを持って。


「……なんなんだ、あれは」


 疑問符すら浮かばぬ程の悪夢めいた黒い斑点を遠眼鏡で覗きながら、〈白珠の帝国〉の強行偵察騎馬隊の騎士は吐き捨てた。

 彼らが付近の国民(彼らからすれば陳情すら許されぬ木っ端的身分ではあったが)からの訴えによって赴いた先に、想像もできぬものを発見してしまったからだった。


「どう見ても……あの形相は魔物ですよ……」

「〈手長(アーマー)〉と〈脚長(フッティー)〉。それに、〈肩眼(ショルダーアイズ)〉。山のようにいます。あそこまでの群れは見たことがありません」

「それはわかっている。だが……」


 彼らは軍人だ。

 拓いた場所でしっかりと観察すれば、敵の勢力のだいたいの数はすぐに判別できる。

 その彼らの眼が敵勢力の数を、一万と伝えていた。

 一万の魔物。

 それが粛々と平野を進んでいく。

 まるで餌を巣に運ぶ蟻どものように。

 黒いまだら模様に見えるのはそのせいもあろう。

 だが、最大の要素は魔物たちがまとっている黒く尖った鎧のせいだった。

〈白珠の帝国〉の騎士たちはその出自を一発で見破っていた。

 なぜなら、自分たちの纏っている国から賦与された大切なものと似ていたからだ。

 いや、帝国の騎士がまとうものと、寸分違わないといえた。

 そのサイズを除いて。

 人のためのものではなく、遥かに大柄な魔物のために誂えたものといえるサイズ。

 つまり、格好だけで見れば、あの魔物の群れは彼ら帝国軍の一部としか思えぬのだ。

 しかし、明らかに友軍ではない。

 同胞のはずがない。


「―――あの者たちは……どこの……街のものだ……」


 反吐をひりだすように騎士隊長が口を開いた。

 彼はまだ若い騎士だった。

 叙任されて一年経っていない。

 ほとんど家柄と〈魔気〉を使えるというだけで部隊の指揮を任されたに過ぎない。

 今まではそれでよかった。

〈白珠の帝国〉はここしばらく外敵との戦いも内乱も起きたことがない。

 経験を積むこともできないが、戦いによる消耗さえもなかった。

 だから、若い隊長であっても足りた。

 しかし、今は違った。

 明白で凶悪な脅威が発生していた。

 この隊長では処理できないレベルの。


「……おそらくはここから西へ行った先にあるディムの街の住人たちかと……」

「ディム……二部臣民ばかりの街か……。ならば、仕方ないな」


 魔導に触れてはならない程度の身分のものならば仕方がない。

 そう割り切ることで隊長は目にしたものから逃れようとした。

 目を逸らした。

 そうでもしなければ―――耐えられない。


「しかし……あれは……あれは……」

「黙れ! 人だと思うからいかんのだ! あれは犠牲ではなくモノだと思え! そうしろ!」


 弱い言い逃れだったが、それがある意味では賢明な発想だと騎士たちは思い知った。

 そうだ。

 そうしよう。

 あそこに見えるものは、ただのモノだ。


「アレは……。―――ヒトの死骸ではない」


 隊長が言うアレとは……。

 平原を進軍する魔物たちが、これみよがしと掲げる大剣や槍の先端に刺さった異物だった。

 ヒトと同じ大きさ、ヒトと同じ四肢を持ち、ヒトの顔を持つ「物」。

 何のために、何を目的として、何者が考えたのか。

 一万に近い全ての魔物たちが自分たちの獲得したトロフィーを誇らしげに飾るように、それらを掲げていた。

 魔物の群れが黒く見える理由の一つは、それだった。

 黒く蠢くのは無残に裂かれた傷と滴り落ちた血にゴミと砂が付着し乾いた跡であった。

 まさに死と流血に彩られた魔群。

 しかし、騎士たちを打ちのめそうとするものは、それだけではなかった。

 衝撃度でいえば、それを更に凌駕する大脅威と呼べるものが存在していた。

 領民たちが訴えたものは本来は、その大脅威だったのだ。


「〈黒い雲〉に似てますが、あれは一体……なんなのですか?」

「あの魔物の群れもあそこから出てきたものでしょうか」

「バカでかすぎますよ、あれ……。一つの国がすっぽりと飲み込まれそうだ……。〈黒い雲〉、五つ分ぐらいだろ」


 魔物どもが見せつける惨状から目を逸らしても、視界の片隅には確実に入ってくる巨大にして深遠な恐怖。

 目の当たりにしたものの、あまりの現実味のなさに自分の正気を一瞬疑ってしまったのもむべなるかな。

〈白珠の帝国〉の西方を大きく覆い尽くす半球上の現象。

 ドーム状という共通点から、彼らは大陸の中央へと広がっていた〈黒い雲〉―――東方の人間たちが〈雷霧〉と呼ぶもの―――を思い起こさせたが、それと比較しても桁が違うほどに巨大であり、ありえないほどに膨大な塊。

 だが、明確に、疑いの余地のないほどに違うのは、その現象が、極彩色の輝きを持っていたことだろう。

 七色どころではない、何千、何万のグラデーション。

 赤、青、黄だけでなく、黒や白、橙、緑、シアン、紫、桃、茶、萌黄、山吹、藍、金、銀、紺……。それらの色がまるで不気味な油絵のように、のたくった数億の蛇が群れをなすように、汚穢な球形。

 ―――

 ……


 数日後、強行偵察騎馬隊の只一人(・・・)の生き残りの騎士の報告により、〈白珠の帝国〉首脳部が知ることになった、この超自然的脅威は〈王獄〉と名付けられた。

 その名の真の意味を知るものは、〈妖帝国〉とされる魔導の本流である帝国においてもほんのひと握りに過ぎなかった……。


     ◇◆◇


 ……〈阿迦奢の断絶〉を望んでいるのは、〈白珠の帝国〉の首脳陣というか皇帝の派閥なのだろう。

 俺たちに敵対していた法王派閥はそれとは違うものを狙っていたのだろう。

 はっきりいうとそれだけ国のトップが分裂するなどということは、これだけの封建社会ではあまり考えられない。

 特にひと月ほど放浪していた国内の様子を見ると、皇帝の権限は絶対的だ。

 そこに歯向かう余地は、たとえ宗教上の最高権力者でもないはずである。

 では、なにがあるのか?


「あんたら〈白珠の帝国〉が〈阿迦奢の断絶〉を目的としているはわかった。……だが、理解できないのは、〈雷霧〉なんぞを作って中原に拡大する必要はなかったはずだ。ここ十年、あんたらが引き起こした―――そういってもいいだろ―――〈雷霧戦役〉のせいで大陸はボロボロにされたんだぞ。そのことについてはどう説明してくれるんだ」

「〈雷霧戦役〉。君らからすると、そちらの被害の方が大きいということはわかる。それについて説明することは、まず客を紹介させてからにさせてもらおう」

「客ね……。まだ、増えるのか? もう、偉い人はお腹いっぱいなんだけど」


 俺は周囲を見渡した。

 皇帝以外にはっきりとわかるのは帝弟とムムロだけだが、それ以外の人物も着ている衣装からすると相当高位の人物だろう。

 正直、バイロンの王家の円卓での会議でもそうだったが、単に偉そうな人物相手にするのはともかく、正真正銘に高貴で偉い人物の相手は骨が折れる。

 ここでは皇帝しか話をしないからいいが、その手の人物の語りはありとあらゆるタームに罠がこめられ、二重の意味が隠されているので、裏読みばかりすることになるという苦労があるのだ。

 しかも、目線とか雰囲気とか、ありとあらゆる交渉術が用いられたりして洒落にならない。

 それが政治家とか上級軍人の基本的生態である。

 逆に皇帝個人はほとんどその手の策を弄していない。

 まあ、それこそが貴人という奴だ。

 下々とはとっかかりが違う。

 そんなことをする必要がないからだ。

 しかし、ついでに言うならば貴人には総じて酷い問題がある。

 基本的に「情」がないのだ。

 (ブルー)(ブラッド)の持ち主というのは徹底的に情を持たないので、その意味で交渉が難しい相手なのである。

 というわけで、誰がくるにせよ、新しい人物が登場するということは俺にとっては面倒な相手が増えるということだ。

 隣の人外の一角聖獣(ユニコーン)の方がよほど親しみがわくというものだ。

 神経をすり減らす権謀術数は一般人あがりの只人(おれ)には荷が重すぎる。


「いや、余の臣下のものではないよ。此度の会食に際して、君以外に招待した異国の友人だ」


 そういや、会食という触れ込みだったな……

 茶の一杯も出てこないから思い出さなかった。

 この時点で初めて俺は喉がカラカラなのに気がついた。

 やはりかなりの緊張をしているのだろう。

 すると、テーブルの上にものすごく値が張りそうなカップに入った黒い飲み物が差し出された。

 匂いからすると紅茶だ。

 無音の動作で紅茶を差し出す動きをほぼ空気を震わすに行ったのは、黒い慇懃な服装に身をつつんだ執事風の男だった。

 皇帝の本物のお付きだろう。

 存在感がさっぱりないのに、動きに淀みがない。

 まるで気配を絶った超一流の剣豪のようだ。

 俺の知っている限り、たまにタナあたりがこういう身体の捌き方を行うことから、おそらくは剣の腕も尋常ではないだろうな。

 まあ、俺としては酒の一杯でも出してもらえたほうが嬉しいのだが。


「異国の友人?」

《ああ、なるほど。ひと月も時間をかければ追いつかれるということか。―――友よ、やはり汝はかの者たちと離れがたい縁があるようだな》


“ロジー”がしたり顔で言った。

 ユニコーンの超感覚ならば、部屋の外にいるらしい新参の客とやらについても把握できるのだろう。

 ついでだから教えてもらおうとした時、俺たちの入ってきた反対側の扉が開いた。

 三人の影が現れる。

 仰天してしまった。

 三人が三人とも女だったということではなく、かつ、全員に見覚えがあるというだけでなく、その異色の組み合わせに、だった。

 俺の記憶のどこを弄ってみても絶対に関係のなさそうな連中が仲良く連んで入室してきたのだから。


 一人は、三人の中で最も肩身が狭そうに端に寄りつつ、さらに嫌そうにトボトボと歩いている。

 あの中では弾きとばされたように、一人だけ外れているので、客観的に立場が弱いというのがわかる。

 主観的にみると俺が最も共感できる立場っぽかった。


 もう一人は、いてもおかしくはない立場だ。

 なんといってもこの国はあいつの故郷なのだから。

 だが、隣を進む豪奢な上、豪放磊落な相手と比べるとやや派手さで負けている。

 とはいえ、両雄並び立っているといっていいほどに正面から張り合っているのだから、流石だというべきだろう。


 最後の一人は、他の二人を歯牙にもかけていないという風格の持ち主だ。

 そういえば王族の縁戚であるし、少し遠いが王位継承権なんぞを持っていたはずなのだから、それも当然ではあるか。

 俺の対面にいる皇帝よりはカリスマ性は少ないが、これは比べる方が愚かといえるだろう。

 ただ、世界に唯一の皇帝と比べても、やや程度しか見劣りがしないというだけではっきりいってまともではない。

 ついでに言うと、武力も尋常ではない。

 おそらくは、この大陸に何千万といる女という種の中でも最強に近いのはアイツだろう。


 ―――俺はとりあえず、紅茶を口に含んだ。

 味はしなかった。

 口内でくちゃくちゃとたゆたして、改めて飲み込んでみると熱を持っていることだけはわかった。

 どうも味覚に異常をきたしているらしい。


「どうしたんだい、セスシス卿」


 さすがに皇帝は俺の変化に気づいたらしい。


「額の汗を拭いてくれ」

「……額どころか、手の甲から首筋まで汗をかいているようだが、病気の一種なのかい?」


 俺が病気ときいて、彼の臣下たちがびくりとした。

 大切な皇帝陛下に病いなどうつされてはたまらないということだろう。

 だが、心配しなくていいぞ。

 これは間違いなく病気じゃないから。

 百パーセント、過大なストレスからくる精神的なものだ。


「ベルーティーヌ。彼女たちをこちらにお連れして、楽にしてもらいなさい」

「承知しました、陛下」

「ギィドゥウゥ・ヴォテスもね。彼女の働きには余も感服している」

「―――はい、かの騎士への篤き計らい、臣下としてありがたく思いまする」


 三人の女たちは、それぞれ、帝弟ベルーティーヌに導かれて、こちらに案内されてきた。


「紹介はしなくてもいいのかな。彼女たちはそれぞれ君の知己だと聞いている。積もる話もあるだろう。まずは、余らを無視して旧交を温めてみたらどうかね?」

「……いや、まあ、知己といっちゃ知己だし」


 皇帝直々のご親切に逆らうわけにもいかず、俺は居心地のいい椅子から立ち上がり、居心地の最悪そうな連中の前に行った。

 並んで立っている二人の視線が恐ろしいまでに冷たい。

 冷たすぎる!

 なんだよ、その「あら、まだ生きていたの、虫けらめ」みたいな双眸は。

 怖いんだって!


「あ、二人共、元気だったか。―――ギドゥも無事でよかったな。言われた通りにムムロはきちんと守っておいたぞ」

「あー、ありがとーね、騎士様―」

「うんうん」

「でもね、いたたまれないからってー、こっちに話をふっても問題は解決しないんじゃないかなー」


 三人の中の一人。

〈幼生使い〉のギィドゥウゥ・ヴォテスにとても気遣わしげな目つきをされてしまった。

 そりゃあ、こいつ自身、さっきから隣の間でずっと感じていたであろういたたまれなさの対象が俺に移ったのだから、少しは余裕も生まれるというものだろう。

 どれだけ一緒にいたのかは知らないが、まあ、肝の冷えまくる時間だったに違いない。

 さっきから一言も話さない、この二人に付き合わされるとなったら、俺ならば脱兎のごとく逃げ出すね。


「えっと、もう少し友好的にいくべきじゃないかなぁ~。ねえ」


 俺は意識して猫なで声をだしてみた。

 男としては気持ち悪いと思わないではないが、無言でかけられる二人分のプレッシャーから逃れるのはそのぐらいしかなかった。

 だが、そんな俺の必死の処世術は簡単に破られた。


「捨てたオンナに殴られるのはよくあることだよな」

「あたりかまわず粉をかけまくる馬鹿オトコは粛清されるのが普通だな」


 なんだろう、息の合った非難をされたと思ったら、鳩尾に何か熱いものが突き刺さった。

 両足のつま先がえらく上まで浮き上がった。

 下方からすりあがった膝蹴りの仕業だった。

 同時に顔を掴まれて、投げられた。

 俺はからくり人形のように腰を中心に縦回転をして、頭から床に叩き落ちる。

 惨めなまでに無様だったが、何をされたかは容易く理解できた。

 つーか、こいつらコンビネーションが良すぎだろ。

 四次元殺法コンビか。


「……いててて。ぐへっ!」


 だが、恐ろしいことにかなり乱暴な扱いを受けたはずなのに俺の感じるダメージはさほどでもなかった。

 手加減……されていたといってもいいだろう。

 まともにコイツらに暴力を振るわれたら、俺のひょろい身体では即死してしまうかもしれないから、助かったのではあるが。

 ただ、二人がかりで顔を踏まれるとさすがに痛い。

 心が。


「―――久しいな、聖一郎」

「おお、シャッちん……」

「靴の裏がムズムズするので喋らないでくれないか」

「だったら、脚を退けてくれよ、ネア……」


 俺の懇願が効いたのか、二人の女丈夫は乱暴に俺の顔を踏むのをやめた。

 男子の顔を足蹴にしたことで気が晴れたのか、二人は少しだけ満足そうだった。

 ―――しかし、なんつー組み合わせだよ。


 オオタネア・ザン。

 シャツォン・バーヲー。


 俺にとってのかけがえのない親友ともいうべき、最強の女二人が揃っている姿は例えようもなく壮観だった。

 思わず顔の痛みも忘れて魅入ってしまうぐらいに。

 ショックで忘れかけていた懐かしさも合わさって、涙腺が緩みそうになった。


「ようこそ、オオタネア・ザン将軍。ヴィオレサンテ陛下の名代として、貴公を歓迎しよう」

「はじめまして、皇帝陛下。よろしくお引き回しの程を」

「おかえり、シャツォン・バーヲー。君が壮健そうでなによりだ。まだ、余の騎士としての籍は残っているよ。いつでも騎士団に復帰したまえ」

「お久しぶりでございます、殿下……。いえ、今は陛下でございますか。お優しき言葉、ありがたき幸せ」


 俺たちの間のちょっとした騒動などまったくなかったかのように、皇帝は三人に椅子を勧めた。

 他の面子が立っているので、どうかと思ったが、ギドゥを除いて二人共が席に着いた。

 オオタネアはともかく、皇帝の魔導騎士であるシャッちんまでが座るのは不思議だったが、その答えは皇帝自ら教えてくれた。


「この二人は、バイロンのヴィオレサンテ陛下の親書をもってここに来たので、余の親愛なる客人なんだよ。バーヲーは今では、バイロンのストゥーム朝に仮に仕えることになったそうだからね」

「騎士としては二君に仕える訳にはいきませんが、成り行きでこうなりました。陛下には申し訳ないと思っております」

「構わないよ。―――ザイムで君を見捨てたのは、帝国の落ち度だからね。君がどういう道を辿ったのかはしらないけれど、それを変節だとは思わない。君の好きにしたまえ」

「ありがたきお言葉。感謝致します」


 そういうやりとりのあと、二人はなぜか俺の両隣に座った。

 何故か?

 なんらかの政治的意図があるのか疑ったが、よくわからない。

“ロジー”に助けを求めると、いつのまにかちょっと離れた場所に移動していた。

 我関せずという様子だ。

 なんというか人でなしめ。

 ……あ、馬か。

 結局、いざというときには役に立たないやつだ。


「さて、客人が揃ったところで話の続きをしようか、セスシス卿」


 長々と中断していた話の続きが始まろうとしていた……。

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