二人の魔導騎士
帝都で引き起こされた災害とも呼ばれる激闘を、ギドゥは遠くから眺めていた。
セスシスと妹を逃がすための囮として、帝居へ至る道をわざと遠回りしていたため、〈剣の王〉と火竜の族頭ウクラスタの戦いに直接巻き込まれることはなかったが、それだけ離れていたとしても激闘の余波は感じ取れた。
背の高い建物の屋根から、帝居へと続く大通りで繰り広げられる神話的な戦いをじっと凝視する。
小山のような魔獣とそれを切り刻む甲冑の、この世のものとは思えない死闘。
火竜の放った燃える毒液の飛沫が、歴史ある帝都に連なる建物に着火させ、延焼させ、そして灰燼と化していく。
太すぎる尻尾が人の営みを薙ぎ倒し、地上で羽撃いたことから生じた烈風がすべてを吹き飛ばす。
一区画どころか、十区画ほどが完全に焼け野原になりかねない暴れっぷりを示す魔獣と、斬撃を放つたびに家の壁を、通路を切り裂き続ける鈍色の大剣。
帝都に住むものたちの日々の生活を歯牙にもかけず、ただ、眼前の敵を叩き潰すためだけに戦い続ける両者を、ギドゥは怒りとともに睨みつけていた。
ここは彼女の生まれ故郷。
ここは彼女の思い出の地。
それが無残にも蹂躙され、惨めに灰になっていく。
泣きたくなった。
彼女は〈白珠の帝国〉の魔導騎士として、国土を守らなければならない使命を持っているのに、それを果たすことができない。
だが、魔導騎士程度の実力では、あの激闘に近寄ることすらもかなわないのだから。
しかし、それは覚悟していたことだ。
彼女は自らの剣を捧げた男の言葉に従い、この悲しみと屈辱を感受しなければならない立場にあったのだから。
「―――帝弟殿下の仰る通りになったなー。本当に〈剣の王〉が顕現するなんて……。一ヶ月時間をかけなければならないというのはこういうことだったんだ」
ギドゥは真に仕えなければならない皇帝よりも遥かに肩入れしている帝弟の指示を思い出していた。
そして、彼の読みのままに事件は起きている。
だが、剣を捧げた主への全幅の信頼はあったとしても、眼前の光景を受け入れることはできなかったが。
突然、彼女の背中に鋭い痛みが走った。
尖った刃物を突き立てられ、それが背中にかすかに当たっているのだとすぐに気がついた。
誰かが後ろにいる。
明らかな油断のせいで気がつかなかった。
まさか、背後を取られるとは……。
それでも修羅場をくぐり抜けてきた騎士の度胸が、ギドゥに落ち着きをもたらし、冷静に対応することを求めてくる。
「……えっとー、別に抵抗はしないから、いきなりブスっと刺したりしないでねー」
反撃の機会を窺うが、相手の刃物の切っ先は左の背中の肋骨三本下に当てられている。
―――つまり心臓を狙っている。
何か怪しげな動きをすれば、容易く殺されてしまうだろう。
使役できる〈幼生〉もいないので、彼女は為すすべもない苦境に陥っているといえた。
戦って死ぬことは望むところだが、今はまだ困る。
彼女は魔導騎士としてだけでなく、自分の主を守るためにまだしなければならないことがあるからだ。
そうなれば、相手の靴の裏を舐めてでもこの場を凌がなければならない。
生きることができるのならば、どんなことでもすることができる。
だが、背後の人物の反応は予想外のものだった。
「貴様、さっき帝弟殿下とか言っていたな。なんだ、結局、最初の希望通りに殿下付きの騎士になれたのか。それはよかったと言っておこう」
「……その声」
ギドゥは耳を疑った。
背後からの声には聞き覚えがあった。
ややハスキーで、どことなく行を共にしていたあの〈聖獣の騎士〉のものとよく似た声質。そして、自信と誇りに満ちた、魔導騎士の見本のような態度。
十年以上も耳にしていなかったというのにすぐにわかった。
「もしかして、バーヲー先輩……ですかー?」
「ほお、私を覚えていたのか。殿下と妹にしか興味がなかった貴様にしては珍しいことがあるものだ」
「いやいや、魔導騎士として最初に指導を受けた、先任騎士のバーヲー先輩を忘れるほど、あたしは薄情ではないですよー」
「どうだか」
痛みが消えた。
刃物が下げられたのを確認して、ギドゥはゆっくりと振り向いた。
そこには帝国民らしい金の波打つ髪を持ち、輝く緑色の宝石のごとき瞳でこちらを見つめる女性がいた。
記憶にある姿よりは大人になっているとはいえ、ギドゥにとっては忘れることのできない、懐かしい先輩騎士。
シャツォン・バーヲー。
魔導騎士となる道を選んだ彼女に最初に訓練をつけてくれた先輩であった。
万事、雑な性格をしたギドゥが唯一尊敬しているといっていい年上の騎士がそこにいた。
「バーヲー先輩……。マジで生きていらっしゃったんですかー」
「その口調は変わらんな。あまり感動的には聞こえんぞ」
「いえ、あたしは珍しく泣きそうですぅ。ザイムの街が燃えた時に、あなたは戦死していたと聞いていたものですからー。よくぞまあ、ご無事でー。さすがは〈白珠の帝国〉でも十指に入る騎士になるだろうと謳われていた先輩ですぅ」
いつもの間延びした喋り方ができなくなるぐらいに、ギドゥは予期していない再会に感動していた。
それが本心であるらしいことを見抜き、シャツォンは苦笑した。
この厄介な年下の扱い方をようやく思い出した。
意外と生真面目で、しかも感情を表に出さない性格であるが、冷酷になりきれない、いい奴だということを。
ある意味では、彼女にとって関係の深い少年を思い出させる。
似たところがあるとは思えないのに、なぜか。
「つもる話は後にさせてもらおう。私の質問に答えろ」
「―――口にしていい内容なら、なんでも答えますよー」
「まず、貴様はやはり帝弟殿下の騎士になっているのか? その忠誠は皇帝陛下よりも殿下にこそ向けられているものなのか?」
ギドゥについては、たいしたことのない質問だった。
陛下に対する不敬にあたるとしても、その問いへの彼女の答えは決まっている。
「あたしは帝弟殿下の忠実な下僕です。あたしにとっての主とは殿下以外には存在しませーん。剣も心も、貞操さえも、殿下に捧げましたー」
シャツォンはまた苦笑いした。
「なるほど、貴様は自分の初恋を成就したというわけか。……殿下の愛人も兼ねていると解釈していいんだな」
「その通りですー。あの方の閨の護衛はあたしの仕事ですよー」
ギドゥにとって、帝弟は主であるだけでなく、最愛の男でもあったのだ。
それが貴種にとっては、ただの妾か情婦であったとしても、彼女にとってはなんの問題もない。
シャツォンは〈白珠の帝国〉にいた頃に、この魔導騎士と幼き帝弟の出会いを促した過去があったので、それを当然のように受け入れた。
どのような関係であれ、ギドゥ自身が望んでいるのならばとやかくいう問題ではない。
彼女にとってはそれよりももっと聞き出したい情報があった。
「それはわかった。では、本筋だ。―――あそこで戦っているのは〈剣の王〉で間違いないな。そして、その復活について皇室が関わっているのは間違いないのか?」
答えが得られるとは思っていなかった。
だが、後輩は簡単に口を開く。
「ちょっと違いますねー。陛下はむしろあの〈剣の王〉を抑えるために色々と動かれていたのですから。殿下についても同じですー。皇室は、あの神器に対抗するために様々な行動をなされていたんですねー」
「……やはりそうか。それが知りたかった」
ギドゥは訝しんだ。
十年間、本国にいなかったはずの彼女が口にするには、ややおかしな発言だからだ。
彼女がどこで暮らしていたかはわからないが、事情を把握しすぎているような気がしたのだ。
さらに、妙なことに気がついた。
彼女と会話しながらも、シャツォンの視線は遠方で繰り広げられる激闘に注がれているということに。
そして、そこに潜む熱い感情の発露を。
そこに感じられる熱さは、ギドゥ自身がたまに浮かべているものによく似ていた。
「―――先輩。なんて眼をしているんですか?」
彼女にしてはごく真面目に訊いてしまった。
なぜかはわからない。
ただ、先輩騎士の視線に自分と同類の痛みを覚えたからかもしれない。
「あそこで聖一郎が戦っているのだな」
聖一郎? 誰だ?
ギドゥは首をひねった。
だが、該当人物には一人しか心当たりがない。
「〈聖獣の騎士〉のことですかぁ?」
「それがユニコーンに乗った度を超えたお人好しのことを指すのなら、間違ってはいないだろうな」
「なぜ、先輩があの人のことを知っているんですかー。どういう関係なんですぅ?」
「―――親友だ。十年来の」
嘘だ、とギドゥは直感した。
親友のことを語るときに、女はこんな顔をしない。
女がこんな顔と声を出す相手は、ただ一種類しかいない。
しかし、口にするのは憚られた。
あまりに繊細な問題については、さすがのマイペースのギドゥでも踏み込み難く思われたからだ。
代わりに、
「……先輩は、この神話的な戦いにおいて重要な役割を負って、帝国に戻ってきたと考えていいんですかー?」
と、帝国の騎士らしいことを口にした。
「そうだ」
「あたしに教えていただけますかー?」
「別にいいぞ」
打てば響くような返事だった。
十年経っても聡明な部分は衰えていないな、とギドゥは感慨深く感じた。
「私は、〈青銀の第二王国〉バイロンの国王ヴィオレサンテ・ナ・ユラシス・ストゥーム陛下の親書を、皇帝陛下にお届けするために〈魔導大街道〉を使って里帰りを果たしたというわけさ。そして、もう一つ」
「……もう一つ?」
シャツォン・バーヲーは絶対に視線を外さない。
次の瞬間、彼女の持つ〈遠視〉の魔導が、孤軍奮闘するユニコーンに乗った騎士が、黒い甲冑の手から大剣を奪い取り両断するシーンを捉えた。
天を覆う極彩色の光が、一瞬だけ何かに裂かれたかのように二つに割れる。
決着がついたらしいことを、二人の女性騎士は悟った。
深い、深い安堵の吐息を放ち、シャツォンは額の汗を拭った。
「―――先輩。もう一つってなんですか?」
沈黙に耐えかねて、ギドゥは思わず訊いてしまった。
「人の犯した罪を償うためだよ」
シャツォン・バーヲーは淡々とそう呟いた……。




