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聖贄女のユニコーン 〈かくて聖獣は乙女と謳う〉  作者: 陸 理明
第二十一話 〈聖獣の騎士〉、帝都で神のごとき化身と戦う
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勇者孤剣

 かつて、この世界においては、〈過去〉と〈現在〉と〈未来〉に属する三勢力の間で争いがあった。

 その争いの渦中で最も重要な鍵となったのが、後に〈剣の王〉と称される神の鋳造した神器である。

「時」の管理者である〈紫の神〉を滅ぼし、そして世界の理である〈時の巻物〉を切り裂くことで、世界の遍く未来へと続く流れを断ち切り、〈阿迦奢の消滅〉を引き起こした神話の遺物がそこにあった。

 ムムロ・レガロは、繰り広げられる神話の戦いから目を離すことができなかった。

〈剣の王〉だけではなく……


 ―――神話の時代に〈英雄〉たちが騎乗していたという〈幻獣王〉ロジャナオルトゥシレリア。

 ―――〈白珠の帝国〉の帝都を数百年間外敵から守り続けた究極の守護者、火竜の族頭ウクラスタ。


 その本気の戦いを目前にしているのだ。

 ただの戦争などとは比べ物にならない、世界が崩壊するのではないかと思われるほどの異次元のせめぎ合いに、感情のすべてが麻痺しきっていた。

 ムムロは神官長になるほどに敬虔な神の使徒だ。

 神の御技以外には彼女を震わせるものはないはずだった。

 それなのに、今の彼女は信仰する神への忠誠を忘れかけるほどに、眼前の戦いに魅入っていた。

 いや、正確に言うのならば、その戦いに場違いにも紛れ込んでいた一人の騎士の戦いに、だった。


(―――勇者)


 今の彼女の心にはその言葉しか浮かんでいなかった。

 ムムロ・レガロは想う。

 この国には、そのような存在に対する定義はない。

 勇者と言えるのは、勇気ある戦士であり、戦いから逃げぬものというわかりやすい言葉だけである。

 だが、ムムロはあの騎士を見て、ふと思い出した。

 かつてバイロンという東方の蛮人の王国から、研究の資料として持ち込まれた一冊の本のことを。

『少年騎士の大冒険』という、蛮人の国にしては盛んな活版印刷で刷られた物語は、彼らの国を救った英雄的な騎士のことを綴ったものだった。

 王宮と世継ぎの姫君を襲った巨大な魔物を爆弾で倒し、王の勅令で危険な魔境に赴き、頑固なユニコーンの王を説得して騎士団を設立したというのがその内容だ。

 主人公の騎士が、〈白珠の帝国〉から逃げ出した〈妖魔〉であったことから、その動向を探っていた神殿にとっては忌避しながらもありがたい資料だった。

 ムムロが目を通すことになったのは、まだ法王猊下の直下にいた二年前のことだったが、彼女はあまりに御伽噺的な筋書きに失笑したものだった。


(なんなのでしょう、この偽善者的な男は。胡散臭すぎて信じるに値しませんね)


 産まれの関係上、皮肉に物事を分析する癖のついていた彼女にとって、その物語は子供だましすぎたのだ。

 馬鹿らしい、と最後まで読み切るのが苦痛になるほどに。

 当時の彼女にとって、『少年騎士の大冒険』という本はその程度の価値しかなかった。

 だが、今になってその内容をどういう訳か思い出してしまったのだった。



「―――”ロジー”。やはり、行こう。火竜(あいつ)を助けるんじゃない。これ以上の死人を出さないために」

《友にはなんの縁もない、はっきり言えば敵国の住民で、君を狙い続けているものたちだよ。友が命をかけて守るべきものではないが》

「たとえそうでも、多くはただの善良な人たちなんだ。無意味に死ぬことはないはずさ」



 誰に頼まれたわけでもない、誰に強制されたわけでもない、それなのに耐え難い苦しみを受ける敵国の住民のために戦おうという決意を聞いたとき、彼女は脳の奥に破裂する何かを感じた。

 脳が啓示を受けたのだ。

 この人こそ、救い主であると。

 それは決して間違いではなく、発言者はそのまま孤剣ひと振りを携えて、相棒の〈幻獣王〉とともに神器と大魔獣に立ち向かっていった。


―――「この世界を守ろうよ」


 物語の終盤で主人公がユニコーンの王と交わした約束の言葉だ。

 今はそれが事実だと信じられた。

 敵国の住民でさえ助けようとする人間が、世界の人々を守ろうとしないはずがない。

〈妖魔〉として召喚された以上、この〈白珠の帝国〉においては物と同等程度の身分しか与えられないはずの彼は、そんなことを気にもとめずに世界のために戦うだろう。

 ついさっきまで〈妖魔〉だと軽蔑していた自分が恥ずかしくなった。

 それがこの国の有り様だとわかっていたとしても、差別が身に染み付いていたとしても、言い訳にはならない。

 偽善者だと思っていたものこそが、真の勇者だったのならば。

 ただ、ムムロは知らなかった。

 その真の勇者の思想は、彼の住む世界では存外平凡なものであり、彼とて自分の世界においてはごく普通の若者にすぎなかったということを。

 ごく普通の正義感だけを彼が捨てずにいたという事実を。


(勇者よ。どの面下げてと貴方様は思われるでしょうが、どうかこの世界をお救いください。空を覆う時の断絶の兆候は、絶対にこの世界を恐怖の底に叩き落とすことでしょう。それを食い止められるのはおそらくは貴方様だけでありましょう)


 ムムロは天にではなく、神にでもなく、戦う騎士の背中に祈った。

 それは神への背信ではなく、人への愛ゆえであった。


      ◇◆◇


 唯一の武器であった剣がなくなった以上、俺にできることはほとんどない。

 なんといっても徒手空拳になっても戦える技術は俺にはないのだから。

 マイアンあたりにきちんと格闘術を習っておけばよかったと、最近ちょっとだけ後悔していた。

 ただ、「ほとんど」である。

 何もできない訳ではない。

 そして、あの黒い甲冑と〈剣の王〉を相手にする場合にはそれで足りた。


《どうするね、友よ》

(正面からつっかける。その際、一度だけ〈剣の王〉の攻撃を防ぎきってくれ)

《ふむ、魔導を惜しみなく使えば一回程度ならばできなくはないな。だが、それはかなりの困難を伴うことだぞ》

(神様の作った〈神器〉相手なんだろう。それぐらいはやってくれ)

《無茶を言う。汝と違って余は常識的な幻獣なのだ。―――ただ、付き合いの良さという美点は高貴なものに相応しいものであるといえよう》


 俺は苦笑いを浮かべた。


(自画自賛してんじゃねえよ。―――俺はおまえ以外にはそこまで無理は言わねえ)


 すると、今度は”ロジー”が苦笑めいた波動を垂れながした。

 馬のくせに器用な真似をしやがる。


《余は(さき)の〈幻獣王〉であるぞ。余にできぬのならば、何人(なにびと)にも不可能である。だが、汝の信頼に応えられるのも、また余のみであろうさ》


 話は決まった。

 あとは実行にうつすだけだ。

 俺が頷くと”ロジー”はそれを確認して駆け出す。

 視界に入る光景が白く染め上げられる。

 突如として、星空の領域に突入したかのような光輝の乱舞は、”ロジー”が本気で疾走を開始したことによる視覚の変調だった。

 おそらくは一気に音速に達したということだろう。

 刹那の時間で、俺たちは黒い甲冑の剣士の間合いに入り込む。

 しかし、敵もまた異常。

 懐に入られたと理解したのかさえ定かではない反応を見せ、甲冑は鈍色の大剣を両手(もろて)で握り、恐るべき威力を感じさせる突きを放ってきた。

 空を裂きながら虹色の時の残骸を撒き散らす必殺にして必断の攻撃。

 だが、その突きを”ロジー”はユニコーンの象徴たる一本角でもって迎え撃った。

 彼の持つ全魔導力を注ぎ込むことで、すべてを支配する〈時〉の流れを断ち切る〈剣の王〉の能力を弾き返す。

 虹色とユニコーンの白光。

 二つが粒子と共に霧散する。

 これが神話的衝突。

〈時〉の波紋が記憶をえぐる。

 一瞬、ザイムでの召喚時に失われた記憶が復活する。

 父。

 母。

 妹。

 幼なじみ。

 友だち。

 恩師。

 好きだった女の子。

 全員の顔とエピソードを想い出す。

 だが、俺はそれを振り払う。

 今は懐かしい思い出に浸るときではない。

 戦いの最中(さなか)なのだ。

〈剣の王〉が刺突によって前に押し出されたことで、やつにとってはどうということはなくても、俺にとってははっきりとした隙が生まれた。

 俺は”ロジー”の背から飛び移った。


〈剣の王〉の柄めがけて。


 がっちりとした手首と岩のような握力でもって支えられた鷲掴みを抑える。

 これほどの怪力の剣士だ。

 俺が全体重をかけてもぴくりともしない。

 だが、俺が〈剣の王〉の柄尻を握ったことで、わずかにバランスが崩れた。

 それは物理的な重量の移動によるものではない。

 俺が握ったからだ。


〈今生の剣の王の使い手〉と帝弟(ていてい)によって呼ばれた、この俺が。


 俺はみっともないぐらいに身体を揺らして、もう一方の手で十字に尖った鍔を掴む。

 そのまま懸垂の要領で体重をのせ、逆上がりのように足をばたつかせる。

 すると、今までぴくりともしなかった甲冑が剣をわずかに下ろす。

 やはり、こっちの思った通りだ。

 膂力では俺はこいつに勝ち目がない。

 まともに力比べをしたら敗北必死だろう。

 だが、概念というか、互いの存在の価値が、俺たちでは圧倒的に違う。

 こいつは、ただ〈剣の王〉を振るうことができるだけだが、俺は帝弟の言う通りならばこの剣の「正統の使い手」なのだ。

 占有者と所有者では、物に及ぼす権利の軽重が如実に表れる。

 要するに、〈剣の王〉は俺にこそ従うのだ。


《グオオオオオオ!》


 初めて甲冑が吠えた。

 実際に中身が詰まっていることを俺はようやく確認できた。

 ただ動き回る甲冑だとばかり思っていたが、一応、中に剣士がいたようだ。

 だが、もう遅い。

 俺は力の限り両肩をひねり、甲冑の手から〈剣の王〉をもぎ取る。

 そして、ようやく柄を自分の両手で握り締めた。

 意外としっくりとくる。

 まるで、俺のために鍛えられた剣のように。

 しかも軽い。

 見た目とは裏腹に軽い金属製なのか、それとも神器だからなのかはわからないが、そんなことはどうでもいい。

 俺は地面に叩き落ちる寸前、まるで猫のように一回転をして、縦に刀身を振り下ろした。

 虹色の光が今度は黒い甲冑の正中線に迸る。

 なにものをも切り裂く〈剣の王〉の能力がこんどはかりそめの持ち手に振るわれたのだ。

 両断された黒い剣士の死体とともに、俺は大地に這いつくばった。

 顔から落ちた上、肩が脱臼してしまうというダメージを負うはめになったが、それは別に構わない。

 なんとか難敵を退けたという感慨で俺はいっぱいだった。

”ロジー”もどうやら無事のようだ。

 あいつにしては疲れているように見えるのは、敵が敵だったからであろう。

 それでも勝ったのは、「俺たち」だ。

 ふと、天を仰ぐといつか見た覚えのある巨鳥の羽根をもった白い見事な姿をした馬が舞っていた。

 有翼天馬(ペガサス)

 そして、いつかのときのように妖しい眼をした美少年が俺を見下ろしていた。


「―――帝弟か?」

「素晴らしい! なんて素晴らしいんだ、〈今生の剣の王の使い手〉! まさか、化身(アバター)と仮の使い手が相手とはいえ、人の身で彼らを退けるとは! まっこと素晴らしいよ!」


 満面に喜色の笑みを湛え、男でさえ赤くなるような美貌の少年は手放しの賞賛を俺に向けて飛ばしてきた。

 こっちはそんな気分になれないというのに。

 だが、空気を読んでくれそうもない貴種は、そのまま俺の隣にペガサスを着地させ、疲れきって動けない俺の隣にやってくる。


「これで二度目だね、君と会うのは。その度に僕は君に新しい感銘をおぼえてやまない。もしや、これは恋ではないかと思えるほどにね」

「……気色悪いことをいわないでくれ」

「いや、君がなんと言おうと僕はこれを恋だと思うことにするよ。ああ、僕の初恋は、下賎な〈妖魔〉にして救世の〈英雄〉であったとは! 驚くべきことだね、ホレイショー」

「誰だよ」

「僕ではない、彼方の国の哀れな王子の従者さ」


 なんというか、劇場型の性格のようだ。

 男に告られてもまったく嬉しくないが、さらにそれが敵国の王子だとすると最悪だ。

 嫌な予感しかしやしない。


「ようこそ、〈聖獣の騎士〉。我が〈白珠の帝国〉ツエフへ。心から君を歓迎するよ!」




 こうして俺はこの旅の目的である、〈白珠の帝国〉の皇帝に謁見するための近道にたどり着いたのであった……。

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