〈剣の王〉
俺は”ロジー”との間の心の垣根をエーテル化によって外した。
言葉と〈念話〉を介することによる時間のロスを省くためだ。
正直な話、〈剣の王〉を振るう黒い甲冑の剣士と火竜の族頭を敵に回すとなったら、刹那の無駄さえも致命的な敗因となりかねない。
そのため、エーテルによって時を読むことに意味はなくても、俺と”ロジー”は人馬一体となってぶつからねばならないというわけだ。
(次に、ウクラスタが切りつけられたときをよく見ておくがいい)
「わかった。なんのためだ?」
(あの剣の力がわかる)
剣の力ときたか。
確かに、化身とはいえ〈神器〉と称されるにしては、分厚い竜の皮を叩き切るだけでそれほど凄いとは思えない。
身も蓋もない話をしてしまえば、硬いものを切っているだけで、それは気功術や魔導を使うことで到達できる程度のことでしかなかった。
〈神器〉と呼ばれるのならば、それだけの力を宿しているはずである。
俺がその力とやらを見極めるために目を凝らしたとき、丁度、甲冑の剣士が鈍色の大剣を垂直に斬りおろした。
炭焼き小屋程度ならば一掴みで破壊できそうな四本指をもった、ウクラスタの右手が手首の位置から吹き飛んだ。
大通りに血の瀑布が飛沫する。
完全な切断だった。
鋼に等しいと噂される竜の太い骨を真っ二つに叩き切るなんて、おそらくはこの大陸の人間には不可能な所業だろう。
それこそ、まさに〈神器〉の威力といえた。
ただ、俺は切断の瞬間に七色の輝きを見た。
火竜の刺のついた黒々とした皮膚を軸に、一瞬だけ薄い円が光り、そして消えると同時に鮮血が飛び散ったのを。
七色の輝きというとやや単純かもしれない。
要するに、それは煌びやかに輝く様々な色彩の乱舞であった。
俺の感想でいうのならば、あれは万華鏡。
光と色の舞踏会だ。
そんな風に様々な色にまみれた輝きが確かに存在した。
確信した。
あの色こそが、〈剣の王〉の力が発動した証しだと。
(見えたぞ!)
《どのように見えたかね?》
(よく言えば七色の光だな。虹に似ていた)
《それで正解だ》
(それと一緒にわかったことがある。―――あれ、今の帝都の空に似ていないか? 特に夥しい色の光彩なんてそっくりだ)
《素晴らしい、友よ。君の直感は的を射すぎている!》
”ロジー”にしては珍しい手放しの賞賛だった。
俺の言ったことがそこまでのことなのだろうか。
本人がやや疑問であったのに、”ロジー”は気にもとめずに解説を続けた。いや違う、これはただの学生向けの講義なのかもしれない。
だからこそ、教授は学生の回答を褒めたのだ。
いい着眼点であると。
《あの絢爛たる光の帯は、〈剣の王〉の力そのものではない。あれは酷くいかつく、哀しいほどにくすんだ鉛の色しかもたない無骨そのものの魔導力しか有していないのだ》
(表現が矛盾しているぞ)
《いや、してはいないよ。あの光は〈剣の王〉の力によって断ち切られた事象の発する血飛沫そのものなのだ。つまり、剣によって裂かれた傷口から噴いた血潮というわけだ》
(―――血だと?)
《ああ、そうだ。あれは〈剣の王〉によってあるものが斬られたことの証拠なのだ》
(そのあるものって……)
神話の時代から生きる〈幻獣王〉は、淡々と語った。
《あれが切ったものは、〈時〉そのものだ》
〈時〉だって?
馬鹿な、そんな抽象的な概念をどうやって……。
《不思議と思わないほうがいい。君のエーテル化もそうだが、この世界の万物はすべてが時の裏打ちをうけて存在している。時があるからこそ、すべては流転し、結合し、崩壊し、新たな輪廻を行い、時の終焉まで廻っていく。諸行無常というのは、君が教えてくれた言葉であろう》
(ああ、確かにそんなことを言った記憶はある……)
《君の世界ではいざしらず、我らの世界においてはすべての事象が書き連ねられた巻物が存在し、それが万物の創造と破壊を定めている。覆せぬ運命であり、正しい生の営みであり、物の宿命なのだ。時の巻物、おそらくは君の世界でいうところのアカシックレコードなるものとよく似ているであろうな》
生き物は、産まれ、老いて、死ぬ。それまでに子孫を作り、彼らに自分のすべてを託す。
木々や花々も、芽吹き、花咲かせ、実をつけ、腐り、枯れて、次の世代の養分となる。
石や金属でさえ、割れ、砕け、錆びて、風化していく。
万物にはあまねく時の支配が及び、そこから逃れることはできない。
それが世界の理。
つまりは時の進行は決してどんなものにも覆せないものなのだ。
ユニコーンの不老不死は、彼らが自然に近すぎる性質を持つことから、時の支配の一端であるエーテルを身に宿していることによる。
時の支配からわずかだけ逃れているのだ。
だから、老いないし傷つかない。
この世界の理からわずかに外れた聖獣が、ユニコーン。
そんな特別な性状を持つものは、おそらくは神話の時代の登場人物ぐらいのものだろう。
例えば、神や魔人や神話にでる魔獣など、だ。
あとは、―――異世界からの〈妖魔〉。
《万物の後ろ盾だっていう〈時〉を切られるということは、存在の過程を省いて結末さえも切られるということなのだ》
わかった。
あの恐ろしい剣の能力が。
まさか、物質そのものではなく〈時〉という概念を切ることで、その切っ先からは決して逃れることはできないということなのだろう。
ユニコーンでさえも斬るということは、そういうことだ。
(じゃあ、あの空の模様は……?)
《やつは帝都そのものの〈時〉を切り裂くつもりなのだろう。そのことによって、どんな結果が起きるかはわからんが、間違いなくこの都は滅ぶだろうな》
(火竜とのタイマンの被害程度じゃすまないということか)
《うむ。なにゆえ、余らの前に姿を見せたかはわからぬが、ウクラスタは今の状況を察して襲ってきたのだろう》
(結局、ムムロの言う通りに戦わなければ、この帝都の人間たちがどうなるかはわからないというわけだ)
俺は天を仰いだ。
極彩色の不気味さは、俺の好きな空の色ではない。
そんな空の下にいることにもはや耐えられなかった。
(“ロジー”、ウクラスタの背中を駆け上がれ!)
《応》
”ロジー”は竜の背中に乗り移り、普通ならば不可能なバランスとスピードで駆け上がると、そのまま頂上に達した。そこは火竜の族頭の肩の上だった。
風のように軽いユニコーンの襲歩に、ウクラスタは気がつかない。
眼前の強敵との対決に集中しすぎているのだ。
”ロジー”が嘶いた。
凄まじい大音声が帝都に響き渡る。
ウクラスタが無視できないほどに。
《〈幻獣王〉、ナンノツモリダ!!》
だが、俺たちは竜の詰問など無視する。
戦うべきも、相手をするべきも、こいつではない。
たかだか、でかいだけのトカゲになんの用もなかった。
立ち向かうべきは眼下の黒い甲冑と〈剣の王〉。
「悪いな、オオトカゲ。おまえじゃ、世界は救えねえよ!」
《いいから退いておけ、邪魔だぞ、トカゲめ!》
俺たちはウクラスタに一瞥もくれずに、竜の首筋に乗り移り、その長い頸を道がわりにして甲冑めがけて駆け下りていった。
槍衾のごとき刺が敷き詰められた下り道を畦道でも走るかの如く行く。
自分の頸を使われてもすぐに反応できないウクラスタを尻目に、俺たちは甲冑に迫る。
悠然とこちらを待ち構える甲冑が鈍色の大剣を構える。
さっきまでのものと違う、大きく天に向けて切っ先を掲げた大上段の構え。
こちらを真っ向から撃退するつもりだ。
火竜の族頭ウクラスタさえも楽々退ける魔人とは思えぬ攻撃的なスタイル。
多少は敵として警戒してくれているということか。
照れくさい……という訳ではないが、まあ、命を賭けて戦う相手に特別扱いしてもらうというのは悪くないな。
俺は剣を背負った。
”ロジー”の疾風の速度なら俺の斬撃でもやれるかもしれない。
「だあああああああああああああああああああ!!!」
一気に俺たちは甲冑とすれ違った。
瞬き程度の時間だったが、すべてが凝縮したかのような濃密な一瞬に、俺の剣が〈剣の王〉と打ち合った。
虹色の輝きが生じ、俺の剣の刃が柄から三分の二以上が消滅した。
あの大剣の力はやはり予想通りというわけだ。
後方に遠ざかる背中に握った柄を投げ捨てる。
あれだけの大剣なのに踏み込みの速度は尋常ではない。
”ロジー”に乗っていても速度で上回れる気がしない。
振るう武器の威力でも。
だが……。
(なんとかできそうだぞ)
《ほお、神代の時代から伝わる〈神器〉相手にかね? 余は何も思いつかなかったというのに》
(こすからく戦うことができるからこそ、俺は今まで生き残れてこられたんだぜ)
《では、おてなみ拝見と洒落こませてもらおうかな》
(まかせろ)
俺と”ロジー”はUターンし、もう一度だけ〈剣の王〉と対峙した。
そして、次のすれ違いざまにすべてが決まることを予感していた……。




