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聖贄女のユニコーン 〈かくて聖獣は乙女と謳う〉  作者: 陸 理明
第二十一話 〈聖獣の騎士〉、帝都で神のごとき化身と戦う
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大魔獣激甚

 巨大すぎて小山ほどはあるだろう、刺だらけのゴツゴツした火竜の背中を前にすると、さすがに恐怖が背筋を駆け回る。

 胸の奥にある、普段は確固とした何かが思わず溶け出しそうな情けなさを俺は思い知っていた。

 人間というちっぽけな生き物が、絶対に立ち向かうことができない、立ち向かうということが死を意味する相手の手の届く圏内にいるということが、どうしても原初の恐怖を撒き散らすのだ。

 進化の過程で強者の爬虫類に食われてきた弱い哺乳類の悲しさというべきだろうか。

 すぐにでも逃げ出したいところだったが、残念なことにそうはいかない。

 逃げるということは状況を把握できなくなるというデメリットを有しているからだ。

 どうやら目の前にいる巨獣の目的はこっちではなく、俺たちと対峙していた黒い甲冑の方らしいことは明白だった。

 帝都に入った俺たちを上空から監視していたはずなのに、どうしてこんな人の住む都市の中心部に姿を現したのか、その理由は是非とも突き止めておく必要がある。

”ロジー”は(さき)の幻獣王であり、この火竜は幻獣王に匹敵しかねない大魔獣であり、そして甲冑の持つ剣は〈剣の王〉と称される神器だ。

 それだけの豪華絢爛な役者が、ある種の三つ巴となって存在しているこの場が、どのような意味を有しているかなど考える必要もない。

 絶対に、この大陸を襲っている大事件に関わっているはずだ。

 このかつては接点のなさそうな三大巨頭の邂逅は絶対にすべての解決に向けて必須の出来事に違いない。

 これは偶然ではない。

 確実なる必然なのだ。


「……”ロジー”。とりあえず様子を見るぞ。特に、火竜の族頭ウクラスタの方についてだ」

《そうだな。あの頭の良くないトカゲなら、こちらが聞かずともベラベラと舌を働かすであろうな。所詮はでかくて空を飛んで火を吐く程度のトカゲだ》


 それはほとんど大怪獣でトカゲの範疇には入らないだろうと思うが、元々は”ロジー”の臣下であったはずの魔獣が裏切ったというのだから、さすがに含むところがあるのだろう。

 やや辛辣であっても仕方の無いところか。

 飼い犬に手を噛まれたというわけだ。


「いざという時の準備はしておこう」

《なに、そこな〈剣の王〉の持ち主とは違う。余が本気を出せば、なんとかできる程度の相手だよ》

「そうあって欲しいな」


 俺たちに背中を向けていることをまったく気にしていないらしく、無防備に晒したままで火竜の族頭は再び大音声を発した。


《答エイ!!》


 かなりカタコトだったが、はっきりとわかるロイアン古語だった。

 話す魔物というのはかなりの数がいるのだが、これだけでかいものが人語を解する姿はなかなか壮観だ。

 しかし、その詰問に対して甲冑は無言を貫く。

 何も答えようとはしない。


《友よ、君の頭に〈幻視〉を送るぞ》

「ああ、頼む。何も見えないのは不安だからな」


 竜の巨体に遮られて見えないはずの、反対側の甲冑の様子が俺の瞼の奥に現れた。

”ロジー”があちら側の映像を俺に魔導で送ってくれているのだ。

 もっとも、さっきまでと何の違いもない。

 甲冑は身じろぎ一つしていないのだから。

 俺と違って、火竜に対する恐怖もないらしい。

 自然体といってもいい、なにげなさだ。

 しびれを切らしたのか、火竜がずいと前肢を進める。

 すると、〈剣の王〉をだらしなく下段に下げたまま、甲冑は退く。

 怯えたという様子ではない。

 むしろ、巨竜との間合いを図っているような感じだった。

 少なくとも俺の目にはガチで戦う気でいるらしいとしか思えない。

 確かにあの飛ぶ斬撃は、不死身のユニコーンである”ロジー”すら傷つけるほどのものだが、それほど尋常でない威力を持っているワケではない。

 まともにぶつかれば勝負は見えている。

 しかし……。


「火竜……厳しそうだぜ」

《友でさえ、この戦いの趨勢が予想できるか》

「ああ、あれだけでかい魔物でも勝てそうな気がしない。たぶん、俺たちの方がまだ勝ち目があるんじゃないか」

《そうだな。人や魔物の群れがどれほど襲いかかっても、ウクラスタならばなんなく撃退することができよう。しかし、あの「剣」相手では無理だろう》

「止めるか?」

《それは喧嘩を売った火竜の族頭の面子を汚す。できぬ相談だ。魔物には魔物の喧嘩の掟があるものなのだよ》


 俺たちの喧嘩に割って入った以上、ウクラスタは逃げることができない。

 譲ってしまった以上、俺たちも順番を待つしかない。

 まず戦うこととなったのは、ウクラスタと〈剣の王〉を持った甲冑なのだ。


《始まった。帝都のこのあたりは完全に崩壊するぞ》


 その予言は的中した。

 先制攻撃を仕掛けたのはやはり、火竜の族頭だった。

 数頭の馬でさえ一飲みにできそうな大口を開き、喉の奥にある竜の袋と呼ばれる鉄よりも硬い箇所に溜められた毒液を吐き散らす。

 口を起点にしてコーン状に放出された霧の毒液がなにか媒介物に付着すると同時に、一気に発火し燃え上がる。

 ただの火と違い、火竜の毒息は対象物に一度付着してから燃え上がるので、完全に火がついてしまい、生物ならば寸時に大火傷を負い、しかもすぐに消えることがない。

 つまり一度でも毒液を浴びてしまうと火だるまのままになるというものなのだ。

 ウクラスタの最初の毒液で、黒い甲冑の周囲はほとんど業火に包まれた。

 わずかに飛んだ飛沫のせいで、大通りの脇の建物も発火し、次々と延焼して大火災を引き起こしていく。

 石造りの建物が多いとはいえ、延焼するためのものに困ることはない。

 それだけ、人の多く住む街なのだから。

 簡単に作成された火の海だったが、甲冑は悠然と立ち尽くしていた。

 火など欠片も恐れていない。

 煙に巻かれる心配さえもしていないようだった。

 それはそうだろう。

 甲冑の周囲、数尺の範囲にはまったく毒液はかかっていないのだから。

 俺は毒液が放出された直後に、鈍色の大剣が閃いたのを見た。

 それがどういう魔力をもっていたのかはわからないが、すべてを焼き尽くす魔の毒液は剣の持ち主を避けていった。

 ユニコーンの〈物理障壁〉と似たようなものか。

 次に、火竜は前足の鋭い爪で襲いかかった。

 さすがにこれを喰らうとまずいと判断したのか、甲冑は右に左に身体を動かし、攻撃を躱していく。

 その際に大剣を振るうのを忘れずに。

 一撃が放たれるたびに、火竜の胸板と長い首に裂け目ができて、赤い血が舞う。

 刃の間合いなどなんの意味もない、竜の厚い皮膚など苦にもしない、いとも容易く傷つけていく剣撃であった。

 竜は咆吼した。

 うまくいかぬことへの不満を渾身の嘆きにこめて。


「……飛ばないのか、あいつ?」

《飛んだとしても、仕留める手段がないのだ。最強の武器である火炎は防がれ、羽撃きによる風圧は無意味。敵を引き裂く爪牙は当たらず、ただなますのように切り裂かれるだけ。火竜にとっては相性が悪すぎる》

「なるほど。もしかしたら、ユニコーンの騎士を相手にしているようなものか」

《友の嫁たちならば、なんとかできなくはないだろう》

「―――嫁じゃねえよ。もう置いてきた。あいつらはあいつらでなんとかやっていくだろうし、もう俺のことなんざ忘れた方がいいだろう」

《そうなるとは思わんがね》


 かなりの激闘になると思っていたのだが、巨竜と神器の戦いは意外と一方的な展開になっていく。

 人間とそれよりも大きな生物との戦いは、圧倒的な体重差とリーチの差を埋めることができないことによって生じる。

 例えば、ほとんどの人は武器を手にしていても狂気をもって暴れる闘牛を止めることはできない。

 牛でさえそうなのだ。

 他の巨大な哺乳類とまともに正面から戦うことなんて絶対にしてはならないことなのだ。

 そして、この火竜のように巨大な上、様々な武装を有した気性の激しすぎるものと戦うなんて理不尽以外のなにものでもない。

 しかし、それが完全に覆されていた。

 ちっぽけな側が、巨大な相手を追い詰めていく。

 つまり、圧倒的な体重差とリーチの差など意味のない、それだけの差が両者にあったということなのだ。

〈剣の王〉が振るわれるたびに、火竜は全身にできた傷にすすり泣く。

 痛みに慣れていないのかもしれない。

 だが、それでも竜は闘志をなくすことなく、火を吐き、爪をたて、牙を剥く。

 無駄ではあったが。

 なすすべもなく満身創痍の状態になっても、火竜の族頭は挑み続けていくが、見た目とは裏腹に蟷螂の斧といっても過言ではない有様だった。


《バケモノメ! バケモノメ!》


 竜は怨嗟の声を上げる。

 自らを蹂躙する小さな敵に向けて。

 あれほど巨大な魔物が小動物のような叫びを立てて、敵を呪っていた。

 夢魔の光景であった。

 あまりのことに俺が火竜に同情してしまうほどに。

 帝都に住む人々の生活を壊しつくすほどに暴れる魔物が、実は悪ガキに嬲られる子犬のように追い詰められているのだから。


《コノ世ニ破滅ヲモタラスダケデハ飽キタラズ、コノバケモノメ!》


 あれほどの魔物に化物呼ばわりされるというのもおかしな話だ。

 まあ、逆ギレという言葉もあるしな。


《サセヌゾ、〈剣の王〉! 我ハ陛下ノ国ヲ守ル! 貴様ノ好キニハサセヌゾ!》


 火竜の族頭は胸に秘めたものを思わず吐露した。

 やつは魔物としての凶暴性のためではなく、飼い主のために戦っているのだ、と。

 また、少しだけ同情心がでた。


「助けてやろうかな」

《……やめたほうがいいな。やつは飼い主のために戦っているつもりだが、そのせいでこの辺り一帯は焼け野原だ。迷惑を被っている人間のことを考えてみたまえ》

「人は死んでいないみたいだが……」

《それは運良く〈剣の王〉が発していた〈人払い〉のせいだよ。それでも、余らの目の届かぬところで多くの人間が死んでいる。余の耳には死んだものの声が幾つも届いている。あれほどの戦いで巻き添えが出ぬはずがあるまい》

「そうか。やっぱり、誰かが犠牲になっていたのか。―――また、俺のせいだな」


”ロジー”の指摘は俺の心を抉った。

 手を出そうと思えば手を出せたのに、俺はこの周囲の帝国の国民を見捨ててしまったのか……。

 無駄な犠牲をだしたくなかったのに、やっぱり間違えてしまったようだ。

 火竜が来ようとどうなろうと、すべてを俺が引き受けるべきだったのに。


「―――”ロジー”。やはり、行こう。火竜(あいつ)を助けるんじゃない。これ以上の死人を出さないために」

《友にはなんの縁もない、はっきり言えば敵国の住民で、君を狙い続けているものたちだよ。友が命をかけて守るべきものではないが》

「たとえそうでも、多くはただの善良な人たちなんだ。無意味に死ぬことはないはずさ。―――それに」

《それに、なにかね?》

「誰かが立たねばならなくて、誰かが行かねばならないとき、その誰かになるのが俺でなかったら、バイロンに置いてきた連中に示しがつかない。俺はあいつらにさんざん綺麗ごとを叩き込んできたのに、いざとなったら実演できませんでしたなんてことになったら、教導騎士失格だからな」


 俺はふと十三期の少女たちのことを思い出した。

 あいつらが誇りに思える教導騎士―――先生であらなくてはならないなと。


《―――余は、友ほどに眩しい人間を知らないよ》

「あまり持ち上げんな。照れる」


 すると、俺の手の中にいたムムロが気絶から覚めたのか、突然、顔を上げた。


「……降りますから、手を離してくださいませんか」

「まてよ。まだ危険なんだぞ」

「貴方の手の中に抱かれていた方がよっぽど危険です」

「それはそうなんだが……」


”ロジー”から降りると、ムムロは俺のことをじっと見つめた。

 さっきまでとは違う、何か別の感情がこめられているようだった。


「―――〈勇者〉よ。我が帝都の同胞をお救いください」


 なんとも恥ずかしい呼ばれ方をされてしまった。

 しかも、真顔で。

 冗談を言っている風でもない。

 もしかしたら、姉のギドゥ同様にユニコーンの〈念話〉が聞き取れる体質で、俺たちの会話を聞き取っていたのかもしれない。


「俺はそんな大層なものじゃないぜ」


 勇者なんて呼ばれるほど。


「いえ、弱きもののために巨大な敵に挑むものを勇者と呼ばずにはおられません。そして、貴方様は真の勇者であられます。―――ご武運を」


 静々と頭を下げるムムロから目を背け、俺は“ロジー”を二つの大敵めがけて進ませた。

 火竜は……きっとそろそろ止まるだろう。

 もっとも手を出したら俺たちも狙われるだろうが、知ったことか。

 それよりも最大の難敵はあの甲冑と〈剣の王〉だ。

 あれをなんとか止めなければならない。

 いや、「止めなければならない」ではなくて「止める」だったな。


()くぜ、相棒」

《承知した》


 俺たち一騎はそのまま火の海となった戦いの場へと駆け出していった……。

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