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聖贄女のユニコーン 〈かくて聖獣は乙女と謳う〉  作者: 陸 理明
第二十一話 〈聖獣の騎士〉、帝都で神のごとき化身と戦う
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空は醜い画板と化す

 ズガアアアアアアン!


 俺は一瞬の躊躇も見せずに、背中に担いでいた銃をぶっぱなした。

 かつて俺が住んでいた世界の、俺の時代のものに比べたらかなり古い型にしては、なかなかに命中率と威力の高い銃の弾丸は狙いたがわず、一人の僧兵が掲げていた丸い盾を吹き飛ばした。

 僧兵たちの足が止まる。

 銃の威力というよりも、その音に驚いてしまったのだろう。

 かつて銃を知らなかった大陸の住人たちが、耳をつんざく銃声を聞いて、「雷を使っている」と誤解したのもむべなるかな。

 何も知らない者にとって、銃の破裂音は無視できないものなのだ。

 盾を吹き飛ばされた僧兵が訳も分からず突っ立ったままでいるところへ、俺は近づいていって前蹴りを放った。

 何人かを道連れに後ろに倒れると、ようやく僧兵たちは我に返ったが、もう遅い。

 今度は巨大な牡馬の嘶きが背後から轟き渡り、彼らが振り向く前に、”ロジー”の巨大な蹄で背中を蹴り飛ばされた。

 横に逃れた数人はギドゥの剣技と〈魔気〉に飛ばされ、残りも俺がもう一発銃を撃つまもなく”ロジー”の〈物理障壁〉によって壁に押し付けられて気絶した。

 あっという間の鎮圧劇に、ムムロは目を白黒させていた。

 俺とギドゥ、そして”ロジー”の間で何度も視線を泳がせている。


《友が中に入ってすぐに包囲されだした。おそらく、この建物を見張っていたのであろう。何人かが伝令に走ったようでもあったので、急いでここから離れるべきであろうな》

「了解。聞きたいことはだいたいわかった。すぐにここから逃げ出そう」

《そこな、処女(おとめ)はどうする?》

「……連れて行こう。この連中は俺のことを誰何もせずに襲いかかってきた。ここで放っておくと、まずいことになるかもしれない」

《ふむ、余に乗せることもできるしな。だが、そこな非処女(おんな)はダメであるぞ》

「わかっている。いいな、ギドゥ」

「―――はーいはいはい。まったく、ユニコーンっていうのは本当に腹が立つ生き物だよねー。触ろうとすると壁を作るし、話しかけても無視するし、もうサイアクー」


 一ヶ月の道中、散々”ロジー”による迫害を受けていたギドゥは、ここぞとばかりに嫌味を言い始めた。

 確かに、一ヶ月あまりも一緒に旅していたというのに、俺たちはあまり仲良くはなっていない。

 もっとも、その原因のほとんどは隙あらばこちらを裏切ろうとする魔導騎士様のせいなのだが……。

 だが、そんな彼女の嫌味をものとものせず、いやまったく無視して俺の相方はこちらを深刻な眼差しで見つめてきた。


「どうした? 何か、あったのか」


 あまりない様子だった。

 すべての幻獣・魔獣の長である〈幻獣王〉であった”ロジー”がここまで真剣になることはない。

 おそらくはさっき話題に出た火竜の長と対峙したとしても、”ロジー”が敗れることはないだろう。

 その無敵の王様にいったい何があったというのか。


《雲が巻き戻った》

「……ん?」

《さきほど、天を東に向かって流れていた白雲が一瞬だけ、東に戻った。まるで、時が遡ったかのように》

「気のせいじゃないのか?」

《余に気のせいなるものはない。完全な事実だ。そして、それだけではない。天に極彩色の輝きと光が漂い始めている。あれは凶事の兆候だ》

「意味がわからないぞ」

《わかるさ。外を見たまえ》


 俺は言われた通りに、気絶した兵士たちを踏んづけながら玄関に達すると、躊躇せずに扉を開いた。

 そのまま上を向く。

 さっきまでの青空はどこにもなかった。

 あるのは、透明な水に数え切れないほどの絵の具をぶちまけたように極彩色に一部が塗りつぶされた醜い画板であった。

 赤、青、黄だけでなく、黒や白、橙、緑、シアン、紫、桃、茶、萌黄、山吹、藍、金、銀、紺……。それらの色がまるで不気味な油絵のように、のたくった数億の蛇が群れをなすように、空は汚穢なグラデーションに汚されていた。

 あまりの光景に背筋に怖気が走る。

 悪夢の中の一幕としか思えない気味悪さだった。

 だが、それは帝都の上空のみに限定されている。

 俺たちが昨日までいた東の方は、さっきまでの青空のままだ。

 ここだけが異常なのだ。

 帝都の空のみが。

 いったい、なにがあればこのような異様な怪奇現象が帝都を覆うすべての空に起こるというのか。

 しかも、ただ一箇所を狙って。


「なによ、これ……」

「マジー」


 俺に遅れて外に出てきた姉妹まで絶句する。

 それはそうだろう。

 こんな現象、俺は見たことも聞いたこともない。かろうじて、似たような異常な超自然現象といえば〈雷霧〉があるのみだ。

 だが、〈雷霧〉すらここまで奇怪なものではない。

 では、これはなんだ。

 新しい〈妖帝国〉の儀式魔導なのか。

 またも、この国の魔道士どもはなんらかの悪辣極まりない真似をしでかそうとしているのか。

 俺たちだけでなく、空の以上に気づいた帝都の住人たちがにわかに騒がしくなる。

 皆が外に出てきて、指をさしつつ天を見上げている。


《―――余はこのような災いを引き連れて歩くものを知っている》

「なんだと?」


 今、こいつはなんといった。

 引き連れて歩くもの、といったな。

 それはこの現象そのものが何らかの意味をもつものではなく、何らかの付加的なものでしかないということだ。

 鋭い一本角の下にある”ロジー”の青い瞳はじっと汚染された空を睨んでいる。

 無敵の幻獣王が、警戒をしていた。

 いったい、何がこいつをそこまで警戒させるというのか。


「移動しよう。ちょうど、住人たちの耳目があれに集中している。いい機会だ」

「―――あ、そうだねー。じゃあ、セスシスたちは帝居に向かいなよ。門番に、その首飾りを見せるところまで行き着ければ絶対に中に入れてもらえるから。そこまで言ってしまえば、〈猊下派閥〉の連中だってあんたには手を出せない」

「おお。もともとそこに行くつもりだったがな」

「あたしはここの出身だから、抜け道も知っているし、別行動をさせてもらうよ。で、できたら、妹も連れて行って欲しいんだけどー」

「ね、姉さん!」


 何かを言おうとするムムロを遮り、ギドゥにしては珍しくしおらしい顔つきを浮かべ、


「この娘は黙っていれば美人だからね。本殿にいた頃はよくもてていたんだよ。普段の毒舌も隠してなんとか優秀で敬虔な神の使徒として振舞っていたんだよ。ところが、なんていうか、色ボケしたお偉いさんがいてね。―――で、いろいろあって左遷されたというわけなんだよー」


 時折、いつものお気楽な調子がなくなって、妹を案じる姉の顔になる。

 こちらもギドゥという女の本質なのだろう。

 何度も裏切られても、俺がこいつを嫌いになれないのはこういうところだ。

 基本的に真摯で生真面目なのだ。

 そして、ずる賢いくせに最後の最後で悪に徹しきれない。

 妹のためとなると、ずる賢ささえも消えてしまうようだった。

 俺たちと別行動をとるということは、単に足でまといにならないように”ロジー”を自由に振舞わせるためであろう。

 それぐらいわからないほど、俺は馬鹿ではない。


「帝居に連れて行っても問題ないのか?」

「あんたのツレということにしてくれればー。ただ、その際に道案内を頼んだとか適当な理由をこじつけてくれれば問題ないよー。この娘はれっきとした神官長であるしねー」

「わかった。そういうことなら頼まれた。そもそも、まずムムロを巻き込んだのは俺たちだからな」

「さっきから聞いていれば、勝手に決めないでください、姉さんとブタの貴方! 私にだって都合というものがあるのです。どうして、私が皇帝陛下の帝居まで行かなければならないのです! 私はこの〈第六神殿〉を預かっているのです。ここを離れるわけにはいきません!」


 高い職業意識を発揮するムムロ。

 だが、さっきの僧兵のことを考えれば、ここに残すわけにはいかない。

 俺たちが立ち寄ったことが原因とはいえ、もう巻き込んでしまったのだ。

 きちんとした保護がされなければきっと政治的にも、物理的にも抹殺されかねない。

 その点、皇帝ならばなんとかなるだろう。

 ムムロの姉は皇帝直下の魔導騎士、そして俺は帝弟に直に招待されたゲストだ。

 俺が頼み込めばムムロを保護することぐらいはしてもらえるだろう。


「うるせえ、さっさと乗れっ!」


 俺は思いっきりムムロの柳腰を掴むと、”ロジー”の背中に乗せた。

 それから、彼女を腕の中に入れるように俺も騎乗する。

 ただの馬よりも高い騎乗位置に怯え、ムムロはがっと首筋をつかみ、落ちないようにするだけで精一杯になった。

 きっと俺を睨みつけるが、それよりも落ちる恐怖の方が上回ったのだろう。

 特に何も言ってこなかった。


「じゃあ、セスシス、妹を頼んだよー」

「任された」


 それから、”ロジー”に向けて、


「〈不可視結界〉を張ろう。ついでに〈人払い〉も」

《承知》


 俺、というか”ロジー”を中心として、透明な皮膜が丸く球状に広がっていく。

 ユニコーンによる並足程度の移動の際には、誰にも見られないようにこの不可視結界を張ることが多い。

 幻獣という存在をおいそれと一般人が見る必要はないからだ。

 そして、〈幻獣王〉であった“ロジー”の結界はほとんど誰にも見破れない。

 おそらく〈破邪〉の眼をもった聖士女騎士団の騎士たちであったとしても。


「このまま、最短距離を通って帝居まで行こう。場所はもう確認してあるし、途中で俺たちを止めることができるものもいない。そのまま、皇帝と会ってこの長旅の決着をつけよう」

《うまくいけばいいがな》

「なんだ、おまえ。なにかあるのか?」

《あの天を覆う事象。そして、先ほどの怪奇。余は最悪の予感を持たざるを得ない》


 明らかに”ロジー”の様子がおかしい。

 ただ、こいつは時折未来さえも見通すことができる能力を持っている、まさに幻獣の頂点にたっていた存在だ。

 それがこんな曖昧な予感でナーバスになるなんてことはそうはない。

 いったい、何が起ころうとしているのか。


「とにかく、行こう。まずは帝居に行けば、俺たちをしつこく狙っている法王の手下からは逃れられる。皇帝の思惑は不明だが、俺を利用したがっているのは確かだからな、虎穴に入らずんば虎子を得ずだ」

《動かねば始まらんというわけか。友は常に冒険家であるな》

「なにもしないで過ごすことで、多くのものを見捨てちまったからな。もう、そういうのは懲り懲りだ」


 俺は腕の中にムムロを抱えたまま、“ロジー”を走り出させた。

 ムムロは意外と豊満な体をしているらしく、抱き心地がいいのだが、その分かなり気恥ずかしい。

 なんといっても俺はまだ童貞なのだから。

 帝都の路は、果たしてどこにいたのかと思わんばかりの帝国民が道に溢れ出て、阿呆のように空を見上げている。

 道中何度も見かけた高度な魔導文明を自慢する高慢な表情はなかった。

 彼らにしても初めての体験なのだろう。

 魔導が日常にある世界とはいえ、これは極めつけの変事だ。

 未開な蛮人と罵っている連中と同じような行動になったとしても仕方の無いところだろう。

 俺たちはその人ごみを駆けた。

〈人払い〉がかかっているので、人々はさっさと無意識に魔導によって道を開けてくれる。

 このままいけば、巨大な帝都の反対側にある帝居にさえすぐにたどり着くだろうと思われたとき、帝都の中心にある大通りに出た。

 俺の世界でいうのなら、八車線はあるだろう広さで、時には軍による閲兵式なども行われるという通りだった。

 そこをまっすぐ進むと、帝居に到着する。

 だが、俺たちはその大通りに入ったと同時に目を見張った。

 本来なら、多くの人が行き交うであろう広大な場所に人っ子一人いなかったからだ。


 いや、いた。


 すべての中央に位置する地点に一つの影が立ち尽くしていた。

 それは甲冑をまとった人だった。

 何でできているかさえもわからない黒い甲冑は、漆塗りのようにぎらつく光沢を発し、動物の白骨が兜と肩に飾り付けられていた。

 当然顔は見えないが、全身から発せられる異常なまでの剣気は人とは思えないほどに強い。

 ダンスロット、ゾング、そしてオオタネアといった万夫不当の大剣士を間近で観察してきた俺だからこそ、その剣気がすべてを凌駕していることを察せた。

 おそらく、先程名前を挙げた超戦士たちが束になってもかなわないであろうことを。

 全身の汗腺が液体を垂れ流す。

 恐怖のあまり睾丸が縮み上がったからか、あいにくと失禁することはなかったが。

 だが、俺が腕に抱えていたムムロはそうはいかなかったらしい。


「くぅ」


 と一声発すると、そのまま失神した。

 あてられた剣気によって気絶してしまったのだ。

 こんな遠くにいる人間を剣気の放射のみで気絶させるなんて、ありえない。

 あいつは俺たちのように〈人払い〉など必要ない。

 目で睨みつけるだけで、人を動けなくさせることができるのだ。


「なんだ、あれは……」

《―――〈剣の王〉の化身だな》


”ロジー”がかつて聞いたことのある単語について言及したとき、


《友よ、気をつけろ。彼奴は……》


 その忠告は間に合わなかった。

 少し離れた場所に立つ甲冑がどこからか取り出した鈍色の大剣を振り下ろすと、ぴゅっと空気が裂けて何かが飛んできた。

 斬撃!

 俺が気づく前に、”ロジー”が後ろに飛ぶ。

 だが、遅かった。

 飛んできた斬撃によって赤い血が舞ったのだ。

 

 俺ではなく、


”ロジー”の。


 不死身であり、何びとたりとも傷つけられないはずのユニコーンの皮一枚が切り裂かれ、高貴な幻獣の血が噴き出した。

 俺は驚愕した。

 なんと、あの甲冑の攻撃は、ユニコーンすら傷つけることができるというのだっ!


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