〈第六神殿〉
建物の二階に横に突き出たバルコニーのようなものがあり、そこに書かれた魔法円に人が乗ると、瞬時に少し離れた先にある似たような場所に飛んでいく。
〈転移〉と呼ばれる魔導だった。
遮蔽物のない拓けた場所と、二町(約二百二十メートル)ほどの短距離しか飛ばせないという条件があるらしい。
歩けばいいじゃないかと思わなくもないが、街のいたるところに〈転移〉魔法円が設置されているのでちょっとした建物間の移動をする際には便利なようだった。
他にも、蓄えた陽光を使用した街灯だの、魔導で自動的に水を売る装置だの、〈妖帝国〉の帝都は実に様々な魔導製品で満ち溢れていた。
俺の世界にあった電気のような使われ方をしている感じだ。
最先端魔導都市の異名は伊達ではない。
俺が召喚されたザイムでさえ、ここまでではなかった。
バイロンの王都のことを蛮都と蔑むのもわからなくはない。
「……だが、これらの恩恵を享受できるのは、身分のある連中だけなんだよな」
「まあねー。三部臣民はそもそも帝都のこの区画には入ることさえ許されないしねー」
周囲にいるのは、こざっぱりした格好の育ちのよさそうな連中ばかりで、これまでの道中で何度も見てきた貧困層はどこにも見当たらない。
当然、いつものように物乞いが近寄ってきたり、怯えた目をした子供たちに泣かれることもない。
煩わしくはないが、物足りない気分になる場所だった。
「まあー、それはともかくさあー、早く〈第六神殿〉に行こうよー」
「待て。何度も聞くが、本当にその〈第六神殿〉の神官長というのは、法王とは仲が良くないんだろうな。おまえには何度も騙されているから、今度だって信じられたものじゃないぞ」
「えー、騙したって言うか、成り行きでああなることが多いだけでー、別にあんたをどうこうしようとしたわけじゃないしー」
罪悪感の欠片もない言い訳をするギドゥ。
何を言っていやがる。
おまえがこの一ヶ月の道中で、道を何度も誤魔化して、時には官憲に俺を突き出そうとしたり、魔物の巣にぶちこんだりしたことを忘れてるんじゃねーぞ。
十日もかからないはずの旅が三倍近くに膨れ上がったのは、全部貴様のせいだ。
……もろもろの不満を半分だけ飲み込んで、俺は案内役に最後の確認をした。
「俺を狙っているのは法王のシンパ―――いわゆる〈猊下派閥〉でいいんだよな」
「そうだよー。あんたには抹殺指令がでているからねー」
「だが、皇帝はどういう訳か俺に会いたがっている。この青い首飾りが、本物の帝居への通行許可だから」
「あたしらは陛下の忠実な下僕だからねー、陛下の招いた客を案内するのは問題ないさー」
「……そのくせ、何度も殺そうとしたくせに」
「だって、抹殺指令は騎士の義務だしー」
意味がわからん。
この国の魔導騎士はどういう思考回路をしているのか。ただ、このギィドゥウゥがおかしいだけなのか。
まあ、なにはともあれ、
「〈第六神殿〉の神官長に会えば、俺について法王が出している抹殺指令の詳細と理由を聞かせてもらえるのは確かということでいいんだな」
「第六神官長は、法王猊下のことを嫌っているからねー。猊下の嫌がることならなんでもするよー」
「それってどうなんだ……」
情報が手に入ること自体は悪くない。
特に、俺についての。
道中も度々、俺についての悪評というか、悪い噂は聞いてきた。
実は、どうもこの国に異世界から〈手長〉どもを連れてきたのは俺ということになっているらしい。
〈手長〉も俺と同様の〈妖魔〉なのだそうだ。
あの半不死身性を考えるとわからなくはないが、俺にはどう見ても〈妖魔〉という感じはない。
完全な〈妖魔〉であるはずの俺が言うのだから間違いないところだ。
それに、俺は薄々あの魔物たちの素性について気がついていた。
ギドゥにであった時に冒険したあの施設で戦った〈手長〉もどきを見た時から、なんとなくではあったが。
皇帝の住む帝居に行く前に、その確信を得ておきたいという気持ちもあり、俺はギドゥとともにまず抹殺指令をだしている〈猊下派閥〉の動向を知りたいと考えたのだ。
俺の抹殺指令に、なんらかの秘密が隠されているような気がしているからだった。
すると、不可視結界を張ってさらに〈人払い〉の魔導をかけている”ロジー”が声をかけてきた。
《友よ》
「どうした?」
《この帝都上空から、こちらを睨んでいるやつがいる》
「なんだと」
《火竜族の長だろう。幻獣王への臣従をやめて、この国の皇帝に従った例の裏切り者だよ》
「―――ここに入るときまでは何もしてこなかったのに。何が目的なんだ?」
《わからん。皇帝の命令しか聞かないということは、余と友を見逃すように言われていたのかもしれんな》
この帝都には二つの防御機能がある。
ひとつは一度発生すれば、どんな敵も侵入させない帝国星門遁甲魔法陣と、二つ目は飼い慣らした魔獣火竜による迎撃だ。
それに帝都を護衛する騎士団がいれば、ほぼ難攻不落といっていいだろう。
他国の軍隊では歯が立たないはずだ。
俺のように単身一騎で潜入するのならばともかく。
「まあ、用心するに越したことはないが、ここまで入り込んでしまえば火竜は手を出せないだろう」
《そうだな》
「とにかく、さっさと用事を済ませて皇帝のところに行くか」
「ついたよー」
案内役のギドゥが指差した先には、丸いアーチの正門が築かれた荘厳な建物があった。
しかし、予想よりもこじんまりとしている。
神殿というよりは、邸宅ほどのサイズしかない。
石造りの見た目はかなり立派なのだが、俺の持っているイメージからは程遠い
「小さいな……」
「まあねー。〈第六神殿〉って結局は、このあたりを仕切るだけで礼拝もできないし、護衛の僧兵もつかないぐらいの価値しか認められていないからー」
「扱いがひどいな」
「神官長の左遷先なのさー」
そう言うと、ギドゥはとっと中に入っていく。
俺は慌ててあとを追った。
サイズ的に入れそうにないので、“ロジー”は外で待っていてもらうことにした。
中は思ったよりも広かったが、それでも五十人も入れば一杯だ。
天井も床も石造りの上、いくつかある椅子も石のせいでかなり寒い。
そして、玄関扉の反対側に祭壇があり、一人のローブ姿の人物が跪いて祈りを捧げていた。
熱心な祈りだったが、俺たちが扉を閉める音でこちらに気がつき、振り向いた。
「女……?」
驚いた。
俺の想像では、わりと年配の性格のきつそうな男性がここの主のような気がしていたからだ。
しかも、俺の見た目と同じぐらいの年齢。
つまり、タナやナオミたちと同じ十代にしか見えない。
あまり見ない清楚な美貌の持ち主で、俺の知っている中ではノンナに似た感じだ。
「ギドゥ姉さん、お待ちしていました」
「きたよー」
「姉さん?」
よくよく観察してみると、確かにギドゥに似た面影がある。
血のつながりのある姉妹、もしくは従姉妹ぐらいなのだろう。
ただし、話し方とかはギドゥとはまったく似ていない。
年齢とは不相応なぐらい落ち着き払った態度だ。
「貴方が、バイロンの〈聖獣の騎士〉でしょうか?」
「ああ、そうだ。セスシス・ハーレイシーだ。よろしく」
「よろしくしなくていいです。この国では下等な〈妖魔〉と親しくお話をする風習はありません」
「……え?」
「わかりませんか。これだから、程度の低いブタのような〈妖魔〉は困るのです。貴方はこの国の身分の外にある家畜と変わらない〈妖魔〉であるということを自覚してくださいね。そうでないと、私の対応も優しくなりようがないですから。わかりましたか、このブタの貴方」
呆気にとられる毒舌だった。
しかも、一切容赦がねえ。
この国の身分制度についてはもう理解していたが、それでもここまで酷い言われ方をしたことはなかった。
「それで、ブタの貴方、床に座って話を聞きなさい。姉さんは、奥に行ってお茶を二人とブタ一頭分用意してください。私はこのブタの方とお話があります」
「あたしがやるのー」
「姉さんだって家にいた頃には家事はやっていたではないですか。文句を言わずに働いてください。あと、お酒は隠してあるので勝手に飲めませんから」
「別に摘み飲みする気なんかないのにー。じゃあ、セスシス、あとはこの娘に聞いてねー」
「あ、ちょっと待って……」
この毒舌というか、悪口雑言女と二人っきりにしないで!
だが、俺の懇願は受け入れられず、俺と神官長は二人きりになってしまった。
「それでは、〈聖獣の騎士〉。これから、貴方について幾つかの重大な事柄を告げます。それを聞いたらとっと出て行ってください。いいですか」
「……いいです」
「素直なのはいいことです。では、お聞きなさい。……なぜ、床に座らないのですか? 別に寛いではいけないと言っていませんよ」
「こんな石の床に座ってくつろげるか!」
「困りましたね。敷物はないんですが……」
「なんとしてでも床に座らせる気かよ!」
「まあいいでしょう。そこの椅子に座ることを特別に許可します。長い話になるかもしれませんから」
長話をするのに、床に座らせる気だったのか、この女ァ。
と、まあ、こういう形で俺とギドゥの妹であるらしい第六神官長との面談が始まった。
そして、それは俺の謎を探るための重大な第一歩となるはずである……。
かなり胃に悪そうだがな。