もういない人々のために
「……マイアン様、やつと俺らの実力差はどの程度でやすか?」
どれほど怒りに興奮していたとしても、タツガンたちは歴戦の戦士だ。
怒りにすべてを委ねたりはしない。
「拙僧の分析によれば、単純な戦技だけならばともかく、〈魔気〉とあの影を考慮するとタツさんたちでは近寄ることさえできないと思う」
「……勝ち目があるのは?」
「悔しいが、拙僧だけでは及ばないだろう。正面から戦って勝つことができるのは、この場にいるものでは絶好調の時のタナのみだ」
それすらも怪しい、とマイアンは感じていた。
一対一の戦いではともかく、今の魔導騎士の周りには〈墓の騎士〉が無数にいる。
あの魔物の性質上、倒しても倒しても蘇ってくるおそれあるのだ。
そうすると、簡単な兵理のみで判断することはできない。
〈墓の騎士〉のを排除しつつ、人質を奪還し、マセイテンを倒す。
確かに、キィランの主張の通りに人質ごと押し包むのが最も効果的な手段だろう。
(だが、聖士女騎士団の誇りを傷つけることになる。それはセスシスが悲しむ)
「……では、俺らがあの人質を押さえ込みます。そして、守りをなくして裸になったところをタナ様たちを突入させてくださいや」
そうタツガンが提案した。
「待て。あの人質に触れるということは、あの鋭利な刃物のごとき影を身を切られることでもあるぞ。お主らは、五体満足ではいられんはずだ」
「キィラン様。戦楯士騎士団の兵たちは、あの〈雷馬兵団〉の魔導鎧に対して命懸けで組み付いて勝利をもぎ取ったと言うじゃねえですか。―――あなたの部下にできて、オオタネア・ザンの部下にできないなんてことはありやしやせんぜ」
「んだんだ」
反対しようとしたキィランは、自分たちのことを棚に上げられずに黙った。
西方鎮守聖士女騎士団、王都守護戦楯士騎士団、ともに同じ男に影響を受けた将軍が鍛え上げた軍団だ。
思考は極めて似通っている。
「タツさん……」
「なーに、腕の一本二本なくしたって構いやしません。シャウ様の仇が取れるというのならば」
「―――では、もう一ついいことを教えてやろう」
皆の視線が一箇所に集中する。
いつのまに現れたのか、オオタネア・ザンがそこにいた。
王宮帰りらしい、普段は着ることもない礼装をまとっている。護衛として指名されたヤンキ・トーガも一緒だった。
「閣下……。いいことってなんですかい?」
オオタネアはタツガンたちを一瞥し、
「私の調べによるとあのマセイテンという魔導騎士は、我が国に最初に忍び込んだ〈妖帝国〉のネズミらしい。そして、一番最初に手がけたのが、西方鎮守天装士騎士団への接触だったそうだ」
「そりゃあ、まさか……」
「おそらく、そのまさかだ。どうだ、タツガン、やる気がさらにでただろう」
「さすがは俺たちの姫様でさあ。俺らが一番欲しいものを用意してくれる」
タツガンは同郷の数人の肩を叩いた。
彼と共に戦ってきた残りの警護役も頷く。
「……いやあ、俺たちゃ幸せ者だ。あのお優しいシャウ様だけでなく、トゥトやカマナの連中の無念を同時に晴らすことができるなんてよ」
「んだんだ」
「―――血がたぎらあ」
ぶるりと誰かが身体を震わす音がした。
剣呑な男たちの放つ狂気にも似た復讐心が、周囲を凍りつかせていく。
ただオオタネアだけがそれを静かに見つめていた。
「シャイズアル、後の指揮は私が執る。貴様はバレイとともに、前後から〈墓の騎士〉を挟み込んで釣り上げろ。道を拓け。同時にタツガンたちが突貫。―――タツガンたちが人質を足止めしたところで、わかっているな、ユーカー。貴様の出番だ」
「わかりました」
これもいつの間にか作戦会議の場にきていたタナが答える。
眼にはいつもの陽気さはない。
タナでさえ、あの魔導騎士の振る舞いに激怒しているのだ。
人質を盾にするやり口、カマナを滅ぼした罪、シャウを殺したこと、それらすべてが彼女の癇に触っていた。
「貴様が倒せなければ、私が出る。それでいいな」
「―――オオタネア様はずっと座っていてくださってかまいません」
「勝てる自信はあるのか?」
タナはタツガンたちに向けて言った。
「しかるべき報いを、絶対にあの外道に与えてあげるよ」
そこで、オオタネアは全員に対して命じた。
「よし、もう一人の魔導騎士バレイムは確保したのならば、もうあの魔導騎士から情報を入手する必要はない。やつは始末して息の根を確実に止めろ。どうやら逃げる算段はつけてあるようだが、この場から絶対に逃がしてはならんぞ。亡くなったものたちの無念を晴らすためにも、やつをこの世から抹殺して、それを鎮魂の儀式とする。では、かかれ! 私の可愛い部下たちよ」
「はい!」
敬愛する最強の将軍の激のもと、騎士たちは持ち場へと向かう。
大通りの中央に立ち、四方を影で縛った人質で囲み、さらにその周囲に〈墓の騎士〉を配置したマセイテンに対して、バイロン側は通りの前後を騎士警察の兵士で塞ぎ、その先頭には聖士女騎士団の騎士とキィランの配下が立っている。
タツガンたちはやや離れたところで、クゥとミィナの二人の騎馬の後ろで出番を待っていた。
〈墓の騎士〉を吊り出して空いた場所に、騎馬の突進力で道を作り、タツガンたちを特攻させるという段取りだ。
そのためには挟んだ前後の兵士たちの動きの流れを読む必要があったが、それはナオミとマイアンが引き受けた。
まず、動いたのはマイアン率いる兵士たちだった。
「あれ、〈拳の聖女〉。ついに我慢できなくなったのですか? いけませんねえ」
「黙れ、奸賊。貴様は死んで罪を償え」
「いいんですかあ、こちらには市民の人質がいるというのに」
そう言うと、人質の一人が絶叫を発した。
影を使って締め付けたのだろうと、マイアンは判断した。
だが、殺すことはできないはずだ。
殺せばその時点で人質の優位性はなくなるのだから。
多少の罪悪感を抱きながら、マイアンは〈墓の騎士〉に迫り、その頬あたりを〈気〉が練りこまれた拳で打ち抜く。
少し敵を押し込んで、それから何歩か下がることでこちらに釣り出す。
戦闘の駆け引きという点で、彼女は格闘家らしい緻密さを誇っていた。
反対側のナオミも兵士たちを率いて〈墓の騎士〉を挑発し、引きずり出そうと奮闘していた。
知恵のない魔物であることから、ちょっとした刺激を与えれば簡単に反応するということもあり、すでに〈墓の騎士〉との戦いに慣れきったナオミにとってそれほどの苦労はなかった。
一方、護衛の列が自分から離れていこうとするのを引き止められずに、マセイテンは苦慮していた。
(まずいですねえ。このままだと私だけが剥き出しになってしまいますよ。しょうがない、人質をもっとくっつけて人間の盾にしましょう。弓で狙撃されるなんて困りますし)
それから、空を見上げ、
(飛龍はまだなんですかね。時間稼ぎにも限度があるというものですよ。それにしても、厄介ですね、ユニコーンの騎士というものは。もっと前に潰しておくべきでした。反省、反省)
門を完全に塞がれた王都から抜け出すために、〈白珠の帝国〉に要請しておいた空を飛ぶ小竜がようやく助けに来るという当日にまさか襲撃されるとは……。
マセイテンは自分の運のなさを呪った。
ただ、それでも諦めるという選択肢は彼にはない。
どんな手段を使ってでも生き延びればいいのだから。
糞虫のような弱者はどれほど踏みつけても。
「おや……?」
ふと気がつくと、彼の護衛たちの群れが縦に伸びて、数人が通れるみちのようなものができてしまっていた。
普段の彼は頭脳明晰な陰謀家であり、その道の意味についてもすぐさま答えが出たであろうが、飛龍に乗った逃亡に気を取られていたせいか深く意味をとらえることができなかった。
ただの偶然開いた空間だと思ってしまったのだ。
それが失敗だった。
わずかにできた人と魔物の通路を風のごとく、栃栗毛と鹿毛の馬が疾駆した。
よたよたと道を塞いだ〈墓の騎士〉を超重の武器である馬上槍で貫き、邪魔をする魔物の頭を奇跡的な弓の技量で打ち抜きながら、二組の人馬が飛ぶ。
「な!」
人質に手を出すことができず、その二騎はマセイテンたちの左右を割って去っていったが、そのあまりの迫力にド肝を抜かれるだけではすまなかった。
ヘタリ混みそうになった彼だったが、騎士としての矜持がなんとかそれを踏みこたえさせた。
だが、その一瞬の隙が致命的となる。
「おおおおおお!」
騎馬の影に隠れ、あとから接近していた十人のタツガンたち警護役の接近を許してしまったのだ。
タツガンたちは最初の打ち合わせ通りに、五人の人質にそれぞれ体当たりをかました。
女子供ばかりなので本気でぶつかるわけにはいかないが、胴体をがっちりと抱き締め、そして胸の中に収める。
それだけで人質たちは完全にホールドされた。
彼らの目的に気づいた。マセイテンは影を人質の身体から呼び出し、邪魔な男たちを切り裂かせる。
カボの耳が落ちた。
ワァンの右手がなくなった。
タツガンの胸に穴があいた。
普通なら死んでもおかしくない激痛に耐えて、男たちは人質を跳ね回らないように押さえつける。
身体から無理やり引きずり出された影のせいで地獄の苦しみを味わっている人質たちを助けるために。
「くそ、離れろ、きさまら!」
マセイテンは影にあまり効果がないと気づくと、〈魔気〉で切り裂くために剣を抜き、タツガン目掛けて振り下ろした。
万物を切り裂く死の突風が無防備な背中を襲う。
だが、その風は突然消滅し、ただのそよ風になった。
タツガンの髪が風にそよぐ。
どこにも傷などはできなかった。
「なんですと!」
魔導騎士は驚愕した。
今、彼の放った必殺の〈魔気〉が打ち消されたということを理解したからだ。
〈魔気〉を打ち消すことなど、同じ〈魔気〉でなければできない。
しかも、示し合わせて行ってようやくできるぐらいに難しいタイミングが必要なのに。
マセイテンは顔を上げた。
すぐ前に、一人の少女が立っていた。
邪を退ける降魔の双剣を手にし、悪鬼羅刹を討たんと鋭い眼差しを向ける騎士が。
「まさか、貴女が〈魔気〉を……」
「うん、そう。コツさえわかればなんとか使うことができるようになったからね。これであんたとは互角だよ」
「この国の騎士が〈魔気〉を使える?」
ありえない!
そうマセイテン・ヌヴッドは断定した。
この技は〈白珠の帝国〉の選ばれた騎士のみが使える、高貴なものなのだ。
バイロンなどという蛮人の国のものが使うことなど、できないはずだし、許されるはずがない!
何かの間違いだ!
「何、驚いた顔をしてんのさ。〈魔気〉ったって所詮はただの剣技じゃん。……もしかして選ばれた人しか使えないと思い込んでいたの? それは残念だったね」
哀れみさえ湛えた眼差しで、タナは魔導騎士を見やった。
たかが技術に、そんな優越した意識など持っているから、他者を見下し、侮辱することを当たり前のように続けていられたのだろう。
それで、多くの人々を虐げても平然としていられたのか。
タナは怒っていた。
彼女は決してこの男を許さぬと心に決めた―――。