〈闇使い〉バレイム・キュームハーン・ラ
注意
このエピソードでは、「聖贄女のユニコーン」第一部、第二部の展開についてのネタバレ、真相の告白がなされています。
今までの内容を未読の方は、決して読まれないでください。
バレイム・キュームハーン・ラは豪奢な金髪をかきあげ、すでに飽きてきた考察を脳裏で弄んでいた。
テーマは一つ。
なぜ、バレイムたちは敗れるにいたったのか、についてだった。
「運が悪い……ではすまされんか。むしろ、相手方が幸運すぎたのだろうな。―――特にオオタネア・ザンが」
とある作家が、「悲運の名将などありえない。名将は常に幸運でなければならない」と語っている。
そのことについてもちろんバレイムは知らなかったが、ザン家の女当主の働きがすべてを決定づけたとしても過言ではないことは理解していた。
オオタネア・ザンと彼女が率いる騎士団の活躍が、十年をかけた〈白珠の帝国〉の魔道士たちの戦略・策謀をすべて覆し、無に帰さしたのだから。
そもそも、十年前の段階からオオタネアの持って生まれた悪運が帝国の思惑を邪魔し続けていた。
彼らの言うところの〈黒き雲〉―――〈雷霧〉は、本来ならば十年前にバイロンを滅ぼし、今頃は東方の端にまで達して、大陸すべてを侵食しているはずであった。
超自然の脅威に人間は抗することもできず、ズルズルと人類は敗北するしかなかったのだから。
それを、オオタネアが聖獣ユニコーンを擁する騎士団を設立し運営することで、ほとんど食い止められることになってしまった。
以来、乗り手である騎士こそ犠牲になってはいたが、バイロンそのものはわずかに版図を失うだけで持ち堪え続けた。
聖士女騎士団の経営が軌道に乗りさえすれば、今までに固定していた〈雷霧〉の消滅という反転攻勢すらも予想される展開に慌てた帝国側は、魔導騎士であるバレイムらを派遣し、対応に当たらせることになる。
バレイムたちは、まずバイロン内の不満分子を取り込み、〈反貴族〉として味方につけると、ちょうど問題となっていた聖士女騎士団と天装士騎士団の確執を利用することにした。
いわく、〈自殺部隊〉を始めとする反宣伝工作である。
ザン家やメルガン家と対立する貴族たちを煽ることで、この工作は成功し、聖士女騎士団は徐々に国内における立場を悪化させていった。
同時に、彼らは自分たちの手足となるものをつくるため、王国内の魔導結社を滅ぼし、吸収することをはじめる。
これによって、十年後にはほぼ裏社会の魔導関係は〈妖帝国〉の支配下におかれた。
そして、彼らが最終目的としていたのは、オコソ平原において〈雷霧〉を発生させることで王都を堕とし、中原を支配することであった。
バイロンの国力を考慮すると、数年ほどは聖士女騎士団の運用によって〈雷霧〉からの防衛を続けるだろうという予測の元、やや時間をかけたとしても確実に大陸を支配するための策だった。
ザン家とメルガン家、そして王家の粘り腰のおかげで、当初の数年は十年以上にまで伸びたが、バレイムたちとしては最終的には王都を陥落させられればいいという発想の、ある意味では気の長い計画だった。
だが、途中で問題が生じる。
〈ユニコーンの少年騎士〉の復活だった。
オオタネア・ザンの幸運とは、まさにこれだった。
前述の作家が挙げた名将の場合は、国を挙げての準備があったとしても、その勝因は名将自身持つ希有な幸運に帰結してしまうぐらいに、いくつかのピンチ、窮地の場面があったにもかかわらず、リアリティに全く欠けた結果がでてしまったのだ。要するに、敵が勝手にこけてしまったのである。
これを将軍の持つ幸運そのものと決め付けてしまえるほどに。
そして、オオタネア・ザンにおける幸運とは、まさに〈ユニコーンの少年騎士〉にまつわるものであった。
何らなすすべなく滅びるはずだった十年前に王国に戦う手段をもたらし、オコソ平原の〈雷霧〉という決定的な策が発動する寸前に〈雷霧〉に対する完全勝利をなしとげる。
バレイムたちが慌てて〈雷霧〉を二つ同時に発動させても、ただ一人の犠牲を出しただけで切り抜け、死にかけていた聖士女騎士団をむしろ最強にさせた。
すべてが〈ユニコーンの少年騎士〉の仕業というわけではないとしても、彼の存在がバイロンを救ったということに疑いの余地はないだろう。
その〈ユニコーンの少年騎士〉との出会い、再会こそが、オオタネアの幸運―――「名将」たる証しであった。
そこからすべての歯車は空回りし始める。
王都内の彼らのシンパは徐々に追い詰められ、削り続けたはずのザン家の力が取り戻されていく。
それでも、オコソ平原に〈雷霧〉を発生さえすれば勝利できるものと、最初の想定を上回る用心深さをもって彼らは準備し、実行に走った。
まず、本国から後に〈雷馬兵団〉と呼ばれる魔導鎧をまとった最強の護剣連隊を呼び寄せ、各地で暴れさせて陽動をさせた。
次に、魔道士と〈反貴族〉を個々に動かし、聖士女騎士団に対して様々な攻撃を仕掛ける。
それだけではなく、オコソ平原の〈雷霧〉の護衛としてかねてから準備をしていた魔物である〈墓の騎士〉だけでなく、騎士たちを近寄らせないための絶対防御の帝国星門遁甲魔法陣と火竜までも用意したのである。
二重どころか三重、四重の備えをし、確実に〈白珠の帝国〉の勝利となるはずであった。
どれほどの軍隊であっても決して攻略できぬ程の。
それなのに……。
「私たちは敗れた……」
バレイムたちはミスらしいミスを何も犯していない。
では、なぜ、負けたのか……。
「〈ユニコーンの少年騎士〉……やつの存在がすべてか……」
彼奴の出自はわかっている。
そもそも、〈白珠の帝国〉が召喚した〈妖魔〉なのであるから。
帝国においては、物以下の身分でしかない〈妖魔〉が、すべての原因なのだ。
本国ではどうも彼奴を捕獲して、なにやら利用しようとしているようだが、十年も敵地で工作を続けていた彼にとっては不倶戴天の敵以外のなにものでもなかった。
復活後、何度も抹殺しようとした。
それが叶わなかったのが、唯一のしくじりといえばしくじりなのかもしれない。
潜み隠れている売春宿の地下に設けられた一室で、バレイムは端正な顔を歪めた。
ここはかつて〈毒使い〉が〈ユニコーンの少年騎士〉に捕まった場所だ。
〈妖帝国〉の魔道士が裏社会をしきった時に、こういった売春宿を隠れ家として選定し、今でも実質的な彼らの所有物でもある。
だが、ここに潜まなければならなくなったということが、彼の落ちぶれ度を示しているといっても過言ではない。
文字通り、〈妖帝国〉の魔道士たちにとって最後の砦なのだから。
(ん……なんだ?)
バレイムの明敏な感覚が異常を察知した。
彼の部屋に続く、長い通路の向こう側からなにやら複数の気配がしたからだ。
世話をさせている娼婦のものではない。
紛れもない殺気が含まれていた。
「ここも突き止められたか。ふん、聖士女騎士団め、どこまでもつきまとう」
彼は立ち上がり、帝国時代からの愛剣を腰に佩き、逃走用の金品の入ったカバンを背負う。
無様な逃亡者のための姿だった。
だが、バレイムは大して気にもしていなかった。
彼は魔導騎士。
泥にまみれて戦うことも苦にならない帝国の誇る武人にして、魔人であった。
「ふむ」
一言かけると、彼の居る部屋の全ての灯りが消えた。
いいや、違う。
光と闇が入れ替わり、白は黒となり、輝きが影に変わったのだ。
これが彼の魔導の力、〈闇黒〉であった。
彼の周囲をほとばしる魔導の力で覆いつくし、万物の認識を反転させる大魔導である。
これがあるからこそ、彼は魔導帝国の貴族として、バイロン攻略の首魁と指名されたのであった。
彼以外は先を見通すこともできない闇の中をさっと動き、襲撃者に備えた。
〈闇黒〉の中で待ち伏せをする彼を倒すことはどんなものにもできない。ましてや、彼は〈魔気〉の使い手である。
数人分の気配が扉の前に溜まっている。
少しだけ開いて、こちらの様子を窺っているのがわかった。
ぼそぼそと何かを喋っているのが聞こえる。
(……中、暗い)
(〈破邪〉の眼で見通せないということは、ただの闇ではないぞ)
(特攻するッスか?)
(明らかな罠に嵌りにいくのはやめたいところではある)
(じゃあ、これで)
さらに隙間が開き、シュっという音と共に闇の中に小さな円筒が放り込まれてきた。
バレイムには見覚えがあった。
それは、縄に火のついた煙幕筒だった。
彼が火を消そうとする前に、筒からは白い煙が吹き上がる。
そして、一気に室内に充満していく。
彼は口元を抑えながら、部屋の隅へと逃れた。
「さっさと出てきた方がいいッスよ。それはカライルって〈毒使い〉に作らせた神経を麻痺させる煙ッスから。そこにいるのは自由ッスが、自分たちは付き合わないのでよろしくでス。では、ごきげんようッス」
と、煙幕筒を放り込んだ敵は宣言をして、開いていた扉を完全に閉めきった。
「あ、悪辣な!」
さすがのバレイムが悪態をつく。
まさか、こんな手でこようとは。
いかに闇の中では無敵の彼といえども、毒のこもった煙を防ぐことはできない。
仕方なく、彼は最後の手段を使った。
かねてより用意していた抜け道を使うことにしたのだ。
できることなら、扉の先にいる襲撃者を全滅させてから悠々と逃げ出したかったというのに、虫けらのように煙でいぶされることになるとは!
河を描いた絵画を外し、埋め込んである水晶に魔導を注ぎ込む。
すると、人が通れるだけの空間が発生する。
そこには、娼館の裏、しかも一区画は外れたところにある出口へと続く廊下が伸びていた。
できた抜け道を、煙を払いながらバレイムはひた走った。
襲撃者が追ってくるのは時間の問題だ。
戸を閉めたとしても、抜け道のからくりに気づかれたらすぐに追跡を再開することだろう。
その前に完全に振り切らなければ。
必死に走りきった先にある縦穴を、ハシゴを使って登りきると、石畳の路地裏に出た。
満開の月明かりのせいで、周囲は簡単に見渡せる。
〈闇黒〉は走りながら使うのは魔導の消費が激しいので、彼ほどの使い手でも一端は解除しなければならなかった。
だからこそ、彼は助かったとも言える。
横合いが飛んできた三本の矢を躱すことができたという意味で。
「ふん、不意打ちとは卑怯な奴輩め」
実はギリギリの回避であったが、魔導騎士としてのプライドが彼に強がりを吐かせた。
視線の先には短弓を構えた三つ編みの少女騎士が鹿毛の牝馬に乗っていた。
たとえ愛馬でなくとも、その騎乗姿勢は乱れることはない。
「よく、私の出る場所を見張れていたものだ」
「違いますよ、魔導騎士さん。私たちは貴方の足音を追っていただけですから」
彼を挟んで反対側に、もう一人の騎士が立ち尽くしていた。
淡い赤毛をしたハッとするほどの美少女であり、こちらは剣を持っただけの徒歩だった。
だが、発する剣気は騎馬の少女を遥かに上回る。
「お仲間が追ってくるまで、ここで足止めという訳かな? ユニコーンの騎士よ」
「まさか」
ノンナ・アルバイは言う。
「―――私が伊達や酔狂で、聖士女騎士団第十三期の隊長をしてはいないということを、貴方にも教えて差し上げます。ね、〈妖帝国〉の魔導騎士さん」
月灯りの下、敵にしか見せたことのない凄絶な微笑みをノンナは浮かべ、そしてぽつりと呟いた。
「私の旦那様のもとへ行くのに、貴方は邪魔なのです。わかってくださいね」
と。