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聖贄女のユニコーン 〈かくて聖獣は乙女と謳う〉  作者: 陸 理明
第二十話 西方鎮守聖士女騎士団、王都で戦う
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家族の食卓

「避難しなかった?」


 ほとんど一年ぶりの家族揃っての団欒の最中、ナオミは父の思いがけない言葉に耳を疑った。

 ひと月前の王都における危機のとき、ここにいる彼女の家族は他の多くの国民たちと違い、この住居に残っていたというのだ。

 王都の西の壁からここまでは目と鼻の先である。

 逃げ出さずに残っていたとすれば、〈雷霧〉による王都の侵食によって確実に命を落としていたはずだった。

 どうしても動けない事情があるのならばともかく、わざと避難しなかったということは納得がいかない。


「なぜ、そんなことを。父さんの病いは良くなっていたのではないの?」


 彼女が幼児のころから病床に伏していた父は、最近では病状が随分とよくなり、近所の子供相手の古典を教えたりしていた。

 だから、病気のせいで動けないということはないはずだ。

 それなのに、〈雷霧〉という絶対的な災害を前にして避難しないということは普通ならありえない。

 ナオミはやや険しい顔をして、家族を問い詰めた。


「……最初は、この家の屋根の上に登って〈雷霧〉を見ていたんだ。ただ、夜明け前に大奥様の使いの方がこられてな、私たちはそのままザン家のお屋敷の尖塔に上がってずっと西を見ていた」

「なんで、そんなことを……。ザン家の大奥様まで?」


 ザン家の大奥様というのは、前公爵の夫人であり、オオタネアの祖母に当たる女性である。

 公爵家という王家の遠戚に相応しい威厳のある女性であるそうだが、ナオミは会ったことがない。

 だが、彼女の家族はよく知っているらしい。


「公爵様が〈雷霧〉から湧き出てきたという魔物と戦っておられるということで、大奥様はその帰りをお待ちしていらしたのだよ」

「ザン公爵様が?」

「ああ。おまえたち、聖士女騎士団が来る前に〈雷霧〉から信じられない数の魔物が壁を越えて王都内に侵入してきていたんだ。西側で脱出の遅れている人々を救うためと、虎の子の王都守護の騎士団を温存するために、兵士や騎士を引退した老人を連れてザン公爵様は防衛に行かれていたんだ」


 そのあたりの事情についてナオミはよく知らなかった。

 自警団的に集まった人々が自主的に戦っていたということは聞いていたが、まさか前公爵自ら自分たちが〈雷霧〉を消滅させるまで王都を守っていていたとは……。


「私たち家族は、大奥様と一緒に尖塔にいた」

「いや、大奥様はともかく、どうして父さんたちまで……」

「東から太陽が昇るとき、壁の外に接近した〈雷霧〉は半球というよりも闇そのものに見えたよ。……あまりに大きくてね。あんなものに立ち向かうなんてこと、きっと人にはできっこないと思わせるには十分な威容だった」

「だから、なんで……」

「私たち家族は、おまえを信じていたんだ。おまえが帰ってきてくれるのを信じていたんだ。だから、おまえの帰るべき家を守っていた」


 衝撃を受けた。

 目の前が明るくなり、何も考えつかないほどに。

 ナオミは、「わたしがみんなを守るんだ」とずっと考えていた。

 ほとんどそれだけで生きていたといってもいい。

 だが、違った。

 彼女が、家族や仲間や国を守っているのと同様に、〈雷霧〉と別のやり方で戦っていた前公爵がいて、戦うものの帰るべき場所を守り続ける人たちがいた。

 守るということは、ただ一方通行ではない。

 守るものを影から守るものもいて、守るもののために戦うものもいるのだ。

 そんな簡単なこと、ナオミはほとんど考えたことがなかった。


「わたしの……家……」

「そうだよ。おまえがお嫁に行って、そしておまえを守ってくれる人ができるまで、私や母さん、そしてクリンやソーナがおまえの家を守る。自分の命欲しさにおまえの家を守らないなんて選択肢はなかったんだ」


 そのとき、初めてナオミは妹のソーナが着ているスモックが新品であることに気がついた。

 彼女が騎士養成所で着たものをおさがりで着ているだけだと思っていたが、よく見れば意匠が違うし、色も褪せていない新品そのものだ。

 つまり……


「姉さん。あたしも騎士になったの。姉さんと同じ騎士団にはまだ入れないけど、あと一年で騎士には任命してもらえそう」

「ソーナ……」


 5才下の妹は昔の彼女のように凛々しく成長していた。

 ふと隣を見ると、ソーナと年子の弟クリンは有名な神学校の制服を着ていた。

 そこは学問を修めるには最高の学府だった。

 真面目に十年も勉強すれば、いっぱしの学者のできる高名な場所だ。


「クリンまで……」

「姉さんのおかげさ。姉さんが、ここまで僕たちを育ててくれた。姉さんが騎士になって頑張ってくれたから今の僕たちがある。父さんよりもね」

「……クリン。父さんはちょっと情けないぞ」

「まあ、その通りだしね。父さんがもうちょっと身体が丈夫なら良かったんだけど」


 冗談めかしたクリンたちの言葉にわざとらしく大げさにうなだれる父親。

 ナオミは苦笑した。

 貧民街時代のときも、過酷な暮らしではあったが仲のいい家族だった。

 だけど、今でも仲の良さはそのままだ。

 彼女が騎士となる前と。


「姉さん、もう僕たちは心配いらないよ。僕たちはもう自分たちでなんとかなる。あとは姉さんの好きにして」

「どうして、いきなりそんなことを」

「あの〈雷霧〉を見てさ。姉さんがあんなものと戦い続けていることを知って、僕は誇らしかったけど、同時に恥ずかしかった。姉さんの戦いを遠くから応援しているなんて言っても、実際にはわかっていなかった。姉さんが適用法で連れて行かれたときも、実は姉さんに頼りきりだったことに気づいたんだ」

「……」

「姉さんが僕たち家族のために騎士になって戦ってくれているのは嬉しい。でも、僕たちはそろそろ姉さんに頼るのをやめるべきだった。幸い、父さんもようやく働けるようになったし、ソーナも僕も落ち着く場所は決まった。もう、僕たちの心配はいらない」


 家族のためと、全給金を仕送りにしてしまうようなことをしてきたナオミだ。

 その言葉を聞いて、自分がもう用無しなんだと宣言されたものと捉えられても仕方ないとクリンは思った。

 両親もソーナもそう思った。

 だが、ナオミは誤解しなかった。

 家族の想いを正しく受け取り、そして微笑んだ。


「そうか。父さんも母さんも、おまえたちも、もう大丈夫なんだな。―――ああ、安心した。……良かった」


〈盾の聖女〉は背負っていた重荷の一つを下ろした。

 随分と気が楽になった。


「―――ナオミのことがどうとかいうのではないんだぞ」

「言われなくてもわかる。わたしがいつまでも子供だと思っているの、父さん。わたしはこう見えても、立派な騎士なんだからさ」

「お姉ちゃん、あたしの養成所でも大人気なんだよ。〈盾の聖女〉といったら、短槍使いの憧れなんだから」

「……その渾名はやめて」

「タナさんやノンナさんも人気あるけどな」


 自分たちの養成所や神学校での、ユニコーンの騎士の人気について話しだした弟と妹の会話に頭を抱えながら、ナオミはテーブルに突っ伏した。

〈盾の聖女〉……なんて恥ずかしい二つ名なのだろう。

 今、考えてみると、〈ユニコーンの少年騎士〉というのもけっこう恥ずかしい。

 見た目はともかく、とりあえずセスシスの年齢は二十七歳ほどなのに、「少年」呼ばわりなのだから……。

 ちょっとだけナオミは悪いことをしたなと反省する。


「随分と評価が変わったものね……」


 彼女が入団したときとは世間の評価が大幅に変わっていた。

 少なくとも、〈自殺部隊〉と貶められていた頃とはまったく違う。


「この前の凱旋式の頃から、聖士女騎士団の評判は変わっていたけど、決定的だったのはやはりあのオコソ平原の〈雷霧〉のせいだね」


 父が言う。


「あの決定的な絶望を目の当たりにしたことで、人々は〈雷霧〉というものの恐怖を初めて理解したんだよ。今までは遠隔の地を犯すだけの恐怖という漠然としたものだったが、あれは人々の意識を変化させるには十分だった。人では決して抗えないような巨大すぎる絶望としてね」

「……」

「だけど、あの〈雷霧〉は壁に達する寸前、昼までには徐々に消滅していった。ありえないと誰もが思った。でも、それを成し遂げたのは聖士女騎士団―――ただの人だった。人は絶望と戦える。その事実だけが残ったんだ。だから、そこに至るまでむしろ軽んじられていた反動だろうね。おまえたちのユニコーンの騎士の偉業は爆発的に称賛されることになったんだよ」


 派手な手のひら返しだった。

 かつてどれほどコケにしていたのかさえも忘れたかのような。

 自殺志願者の群れが、気がついたら女神扱いだ。

 仲間の中にはそれを聞いて失笑していたものもいる。

「よくも言えたものだ」と。

 だが、ナオミは嬉しかった。

 何よりも、トモア・カレト―――あの「犬死にカレト」についての再評価が始まったことが。

 あの〈墓の騎士〉になっても自らの剣技を持ち続けた優しい隊長の汚名が晴らされると知ったとき、ナオミはベッドの中で一筋の涙をこぼした。

 そして、配属された十五期の名簿に「カレト」の名を持つ少女の名前を見つけ、ナオミは感極まり珍しく人前で泣いた。

 正しく死んだものに栄誉ある光を―――。


「……勝手なものだよ、民衆というものは」

「それでいいのよ」


 父の言葉に、ナオミは重くなりそうな口を開いた。


「確かにあまり気持ちのいい行動ではないけれど、本当に心からわたしたちを罵倒していた人たちはそんなにはいない。大部分は、周りに流されていただけ」


 ……それと〈妖帝国〉と〈反貴族〉の工作でね。

 と心の中で付け足す。


「多くの人は〈雷霧〉の恐怖が伝染して八つ当たりのための対象を欲していて、わたしたちが運悪く選ばれただけなんだから」

「ナオミ……」

「人々の中には、わたしたちでもどうしても救いたくない少数の連中はいる。でも、そんな連中のために多くの善良な人を見捨てるわけにはいかない。偽善かもしれないけど、わたしたちは自分を侮辱してきた人たちだって助ける。聖士女騎士団の騎士にとっては背中にいる人たちを守ることが第一なのよ」


 縁もゆかりもない異世界に連れてこられ、〈妖魔〉と差別されても、たった数度受けた恩のために、王宮を破壊した魔物を退治し、国を守るための冒険を行い、今でも戦い続けているあの男のいうことをわたしは信じる。

 そして、わたしはあの男の盾となると宣言した。


「―――父さんも母さんも、クリンもソーナも、もうわたしなしでもやっていけるね? もう、大丈夫ね」

「大丈夫だよ」

「うん」

「ああ、任せてよ」


 両親はややトーンの変わった愛娘の台詞に戸惑いながらも頷いた。

 妹も弟も。

 ナオミは自分の腹が据わったことを感じる。


(―――さようなら、わたしの家族。〈妖帝国〉に行けば、もうわたしは生きて帰れないかもしれない。でも、もう気にしないよ。わたしの家族をわたしは信じる。もう余計な心配はしない。その代わり……)


 ナオミは大切な仲間と、一人の男のことを思い浮かべる。



(聖士女騎士団(わたしたち)が、この十年に及ぶ〈雷霧〉との戦いをきっと終わらせてみせるから!)


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