騎士ハーニェの決意
王都の中央区に近い区画に、ザン公爵家の屋敷がある。
ザン家の領地自体は北部にあるが、領地経営はほとんど家臣団に任せきりで、当主のオオタネアは幼い頃からほとんどそこで生活していた。
西方鎮守聖士女騎士団を設立してからは〈騎士の森〉が生活の場となり、王都の屋敷には前公爵だけが暮らしている。
そして、屋敷のすぐ隣に、ザン家直属の家臣たちが住む居住区がある。
自分たちの臣下のための小規模の町を形成することは、他の大貴族も例外なく行っていることであり、その目的はいざという時に備えた兵力の確保であった。
時にそれが諸刃の剣となる事もあるが、大貴族とその家臣団の団結を果たすためには有効であると考えられていた。
ナオミ・シャイズアルとハーニェ・グウェルトンの二人が訪れたのは、その居住区だった。
「……結構、いいところだな。わたしが小さい頃に住んでいた貧民街に比べたら、さすが大貴族のお膝元ということか」
「オレは駄目だ。こういう風に普通の家が建っている町並みでさえ落ち着かないよ」
「それは、ハーが山奥で狩人をしていたからだろうな。それでも、騎士養成所時代は普通に王都にいたんだろ?」
「う……ん。お爺ちゃんと二人で西の山で狩りをしていたんだけど、その山が〈雷霧〉に飲まれちゃったから。王都に来たのはしょうがないからって感じさ。騎士になったのも食べていくためだし。でも、聖士女騎士団に入団できたおかげでお爺ちゃんをここに住まわせてもらえて感謝しているんだ」
「うちもだ。オオタネア様が取り計らってくれたんだが、おかげで父の治療もしやすくなって助かっている」
彼女たち二人の家族は、今、この居住区で生活している。
給金があがって生活しやすくなったということもあるが、やはり聖士女騎士団の騎士の家族ということで無用なトラブルに巻き込まれないようにという配慮のためだ。
他に王都に家族を持っている騎士のうち、あと数人も似たように家族を引越しさせているが、十三期ではこの二人だけだった。
タナとミィナは曲がりなりにも貴族なので広い屋敷があることから、マイアンやクゥデリアという遠方に家族がいるものはそちらにお邪魔させてもらっていた。
前回の帰郷時に狙われた経験から、一人での単独行動は許可されていないということもある。
実のところ、ナオミとハーニェはお互いにタナの親友という共通点があるが、特別仲がいいという関係ではない。
ぶっきらぼうなナオミと寡黙なハーニェでは会話が弾まないということもあり、あまり積極的に交友する間柄ではなかった。
とはいえ、同じ釜の飯を食い、共に死線をくぐり抜けた戦友なのでポツポツとながら話はできている。
「……うちのお爺ちゃん、もうかなりの歳なんだ。そろそろ、生まれ故郷の山に帰してあげたい。だから、残っている〈雷霧〉をどんどん潰していきたいんだ」
「そうか。おまえが聖士女騎士団を志望したのは、お爺さんのためなのだな」
「まあ、ね。一度は落ちたけど、運良く入団させてもらってよかった。……ナオちゃんだって、家族のためだよな」
「確かにそうだが、実際には適用法によって強制された結果さ。今となっては良い方向に進んだとは思うが、当時は嫌だったな」
「でも、給金が上がって喜んでいたじゃないか」
「お金を貰えて喜ばないやつはいない」
「ナオちゃん、銭ゲバとか呼ばれているの知ってる?」
「おまえこそ、顔面神経痛と呼ばれているのを知っているか?」
「―――お互いロクなこと言われていないね」
「〈盾の聖女〉とかいう小っ恥ずかしい渾名よりはマシさ」
「……ああ、うん、えっと、―――そうだね」
かくいうハーニェも、バイロンの国民から実は恥ずかしい二つ名がつけられているのだが、聞くたびに顔面が紅くなるので是非止めてほしいと心底願っているのであった。
「あ、ここだ。じゃあ、また明日、ナオちゃん」
「迎えに来ようか?」
「いや、こっちから行くよ。昼までに駐屯支部に戻れってことだから、朝ごはんを家族と食べて待っていてよ」
「早起きではおまえに勝てないからな」
ナオミはくすくすと笑った。
肩をすくめて、
「都会生まれの人は朝に弱すぎるんだよ。健康になりたいのなら、田舎育ちを勧めるね。じゃあ」
ハーニェは自分の家族に割り当てられた普通の住宅の中へ入っていった。
一家族向けの小さな住居だが、今は彼女の祖父が暮らしているだけなのでむしろ広すぎる印象がある。
居間に入ると、背の曲がった年寄りが一人、黙々と木材の削り出しをしていた。
彼女の知っている限り、年齢はもう七十を超えているはずだ。
それなのに矍鑠として、今でも日に焼けたなめし革のような黒い肌をした生気に満ちた老人だった。
小さな頃からほとんど変わらないハーニェの祖父だ。
「戻ったか、てめえ」
「ただいま、お爺ちゃん。また罠作り?」
「まあな。そこそこ売れるんだ。ただ、店を出してしばらくすると、ヲレがてめえのジジイだということがいつのまにか知れ渡って、とやかく言われるんで場所を変えざるを得なくなるのがメンドくせぇ」
「……ごめん、お爺ちゃん」
「謝ってんじゃねぇ。てめえはてめえの仕事をして、名を上げたんだ。ヲレみてえなただの狩人なんかとはちげえ」
言葉は乱暴だが、その端々に自慢のようなものが感じ取れた。
この老人は自分の孫娘のことを何よりも誇りに思っていることが感じられた。
そして、老人の想いは孫娘にも伝わっていた。
「ただよ、〈狩りの女神の娘〉とかいう渾名だけはどうにかなんねえのか? 聞いているヲレが寒気がすらあ」
「それは言わないでぇ!」
「でけえ声を出すない。耳が遠いジジイでもきついわ。〈狩りの女神の娘〉さんよ」
ハーニェはげんなりとして、そのまま椅子に座り込んだ。
〈狩りの女神の娘〉。
タナの〈太陽の騎馬姫〉、ナオミの〈盾の聖女〉のように、ハーニェについて付けられた二つ名だった。
普段の騎士団首脳部による宣伝活動の結果ではなく、自然発生的につけられたものなので、人口に膾炙してしまった今となっては取り返しのつかないものとなってしまっていた。
(女神は……ないよな)
まばゆいばかりの美貌を持って生まれた同僚たちと違い、ハーニェはごく普通の女の子だった。
十人並み程度の、お世辞にも美しいとはいえない顔の持ち主だし、華々しい雰囲気も身についておらず、スタイルもよくはない。
少し吊り目気味なので、人相が悪いとさえ感じていた。
ただ、最近はそれでもいいと開き直れるようになってきてはいたが。
主役になれないのは当然としても、それを卑下して惨めに自嘲するのではなく、やるべきことをやり自分の生き様を全うすることこそが正しいのだと思えるようになってきていたのだ。
彼女のような脇役が完璧に自分の役割をこなせば、それが何よりも敵にとっては脅威になる。
そのことを、三度の〈雷霧〉突撃で痛いほどに理解していた。
戦場の華はタナやマイアンだが、彼女たちを活躍させるために影から支えることが重要なのだと。
だから、そんな自分が目立つ立ち位置にいてはいけないのに、何が悲しくて〈女神の娘〉などと持て囃されなければならないのか……。
ハーニェは頭を抱えたくなった。
「……ところで、てめえよ」
「何、お爺ちゃん」
「どうして珍しく顔を出したんだ。一年くれえ前の凱旋式以来じゃねえか」
「突然、休暇がでたんだ。家族の顔を見て来いって」
「そうか……」
祖父は腕を組み、そして目を伏せ、
「〈妖帝国〉まで行くことになったのかよ」
「どうしてわかるの!?」
ハーニェは心底驚いた。
彼女たちの〈妖帝国〉の帝都行きは箝口令の敷かれた最高機密だ。
市井の国民である祖父が知っているはずがない。
もしかして、情報が漏れている?
情報の漏洩を疑いだした孫娘に向けて、祖父はつまらなそうに言う。
「別に誰かに聞いたわけじゃねえよ。てめえの面みればわかるってことだ」
「オレの顔?」
「おうよ。覚悟の決まったいい面だ。戦いに往く戦人の顔だ。だが、てめえらは〈雷霧〉と戦うのが仕事の部隊だし、最近の街の様子だと新しく〈雷霧〉をつぶしに出かけるという雰囲気じゃねえ。かといって、東方のよその国と戦争って話もでてねえ。だったら、そこまで気ィが張っているてめえらが行く場所と言ったら、〈雷霧〉の黒幕だと政府が発表した〈妖帝国〉じゃねえかと思ったわけよ。間違っているか?」
「い、いや、お爺ちゃんの読みはあっているよ」
ひと月前、オコソ平原の〈雷霧〉が消滅した直後、政府はヴィオレサンテ・ナ・ユラシス・ストゥーム国王の口を通して、十年前から続く〈雷霧〉災害について〈白珠の帝国〉が糸を引いているという事実を公表した。
その際に、多くの裏付け証拠と〈妖帝国〉に加担した国内の貴族・騎士・商人などの名前も公にした。
「すべての黒幕は〈妖帝国〉である」と。
バイロン以外の他国もその発表について、それぞれ意見をだしたが、否定するものはなかった。
バイロン政府のだした証拠や証言にはすべて完璧な信用性が確認されたからだ。
同時に諸国との共同声明を作るための外交作業が始まる。
つまり、〈妖帝国〉に向けての宣戦布告である。
バイロンと東方諸国は、〈白珠の帝国〉ツエフとついに明確な戦争状態に入ったのだ。
「オレたちが帝国に行くってことまで読むってのはすごいよ」
「なーに。勘がよくて読みの鋭さがなければ狩人はやってられねえ。……でよ、てめえは最後の挨拶をヲレにするために帰ってきたのか?」
「……そういうつもりはないんだけどね」
ノンナが休暇をくれた理由について、騎士たちは薄々勘づいていた。
最悪の場合には、家族との今生の別れになるかもしれないので、もう一度顔を見て来いと言う優しさだと。
確かにそうだ。
〈妖帝国〉の帝都に行くとなれば、そこは敵の本拠地そのもの。
もしかしたら〈雷霧〉よりも危険な土地なのだ。
いくらユニコーンの騎士でも生きて帰れる保証はない。
むしろ命を落とす可能性の方が春から高いだろう。
だが、行かなければならない。
「友達が……行くんだ。だから、オレも行かなくちゃ。みんなの背中を守るのがオレの仕事だから」
「ふぅん、友達かよ。……野生の狼みてえだったてめえが友達なんて作れるたあ思わなかったぜ。で、本当にそれだけか?」
「どういうこと?」
「ダチのためだけか、といっているんだ。他に理由があるんじゃねえのか? そんな面ァしているぜ」
ハーニェは頷いた。
「……あのね、最後にもう一度会いたい人がいるんだ。オレの恩人。その人に挨拶がしたい。―――だから、お爺ちゃん、ごめん。一緒に山に帰れないかもしれない。〈雷霧〉を全部潰して、お爺ちゃんを故郷の山に帰してあげるために騎士になったのに」
「いいさ。ヲレはてめえがヲレなんかのために、苦手な世間に割って入っただけで嬉しいぐらいだ。てめえの親たちが死んじまってから、ずっとヲレが手塩にかけて育ててきた自慢の孫が、世界を救う騎士様になったってだけで満足だァ」
「お爺ちゃん……」
「〈雷霧〉が晴れたら、ヲレだけで山に帰るわ。てめえが〈妖帝国〉から帰ってこなくてもな。運良く帰って来れたら、あの小屋にやってこい。それまでヲレが生きていたら、また会おうぜ。……ただしよ、ヲレはてめえを待っていたりはしないぜ。だから、ヲレがてめえを待ち続けているなんて変な哀れみはかけんじゃねえぞ」
崖崩れで亡くなった両親に代わって、彼女を育ててきてくれた祖父の言葉に、ハーニェは涙を浮かべた。
最後に残った肉親の優しさに耐えられなくなったのだ。
気丈に振舞うなんてできやしない。
この老人は彼女の大切な家族なのだ。
「お爺ちゃん……お爺ちゃん……」
「おいおい、人類の最後の切り札様が泣いているんじゃねよ。もっと、しゃんとしやがれ」
祖父はオロオロしていた。
やはり愛する孫娘に泣かれると困るのだろう。
ハーニェの頭に手を置き、彼女が子供だった頃のように優しく撫でる。
子供をあやすには硬すぎる掌だったが、それは彼女と彼女の父を育てるために苦労してきた証しだ。
だから、ハーニェは祖父の手が好きだ。
昔よりも小さく感じる胸板も、頼りなくなった背中も、すべて好きだ。
今日が最後の晩餐になるかもしれない。
祖父との今生の別れになるかもしれない。
だが……
「オレは行くよ。女神の娘にはなれないかもしれないけど、オレはユニコーンの騎士だから」
「行って来い。てめえには山の神と狩りの神と、そして死んだ父親と母親がついている。決して負けやしねえよ」
そうして、祖父と孫娘は、最後となるかもしれない食事の支度に仲良く取り掛かるのだった……。




