酒場にて
西方鎮守聖士女騎士団の本部がある、通称『騎士の森』から半里のところにある街の名はビブロンという。
人口的にはそれほどでもないが、近隣地域の商業活動の中心的な役割を果たしていることから、昼は様々な商売が行われ、夜になっても一部の快楽施設は決して明かりが絶えることはない。
俺たちが入った酒場はそのうちの一つで、暇のできた警護役たちが足繁く通う店だった。
収容できる客は、百人ほど。
ビブロンでは最大規模の酒場といっていい。
警護役たちがお気に入りにしているのは、客の数が多いおかげで目立たなくなるから、ということらしい。
確かに、普通なら目立って仕方ない戦場帰りの傷だらけの連中が、多少服装をおとなしくしただけでただの市民に見えないこともないのである。
こめかみに刀傷のあるタツガンでさえ、なんとなくごつい一般人程度に見える。
セザーに至っては溶け込みすぎて、ただの若手の商人のようであり、どう見ても腕利きの兵士とは思ってもらえないだろう。
「繁盛しているみたいだけど、あまり派手ではないね」
「……派手ってのは?」
「バンドが歌っていたり、酌婦が酒を注いで回ったりとか、だな」
見渡してみると、女性客はほとんどおらず、男ばかりで卓を囲んでいる酔客ばかりだったし、ステージらしいものもあるが余興の類は始まる様子もない。
当然、酌婦なんて一人もいない。
「そういうのは、南の方に娼館があって、そこと提携している酒場でやっているぞ。酌婦と娼婦がほとんど一緒だから、要するに廓の出店だな」
「まあ、俺らにゃ縁がないところだべ。行っちまったら、そこで失業決定よ」
「んだんだ」
「それだきゃあ、ぜってーに嫌だな」
五人の警護役たちはそれぞれ頷いた。
なぜ、娼館に行ったら失業するのか。
それは彼らが西方鎮守聖士女騎士団の警護役として任ぜられているのは、皆一様に童貞であるからである。
ゴツい四十代で孫がいてもおかしくないタツガンも、片眼のない伝説の剣豪のようなトゥトも、顔の長いセザーも、全員女性経験がない。
それは男所帯で男尊女卑の傾向の強い軍においては、珍しいことでもあった。
バイロンの兵士たちの間では、戦いの前と後に女を抱くことで昂ぶった血を鎮めることが推奨されている。
ほとんど全ての兵士が地元の娼館の常連客であり、大きな戦においては出張娼婦の出入りが公然と認められているほどである。
その中にいながら、様々な事情から女を抱かずに済ますものたちもいる。
しかし、圧倒的な少数派でもあり、童貞であることは軍では侮蔑の対象にもなりかねないのだ。
だから、西方鎮守聖士女騎士団のユニコーンが嫌がらないよう警護役に童貞の兵士を選別するにあたって、オオタネアは相当な苦労をしたという話だ。
騎士団自体はユニコーンに合わせて処女のみで構成できる。
だが、処女のみでは軍隊の体をなすことはできないのだ。
特に、〈雷霧〉への特攻を基本の任務とする騎士団員たちを、それ以外の危険から守るための警護役については男性であることが望ましかった。
騎士たちを対〈雷霧〉戦に集中させるためにも、その他の余計な危険に晒すわけには行かない。
この間の〈手長〉どもとの死闘は、そもそも騎士の義務というくくりに含まれるものであるので仕方の無いところだが、通常の軍隊としての任務についてこなすことを求められる場合もある。
その任務をこなすためにも、男性の兵士が必要なのであった。
ここにいる五人以外も含めて、全部で二十名の兵士が詰所にいるが、その数を集めるためにオオタネアは三年をかけたという話である。
彼女が直接声をかけて引き抜いてきた者もいるらしい。
その分、彼らの将軍、騎士団、「聖獣の乗り手」への忠誠心は揺るぎないものがある。
俺を引き止めた時の台詞を聞けばよくわかる。
騎士たちを「国の宝」と理解し、自分たちの任務を何よりも崇高なものと信じているのである。
だからこそ、前の会話にあった通りに女を抱いて童貞でなくなり、西方鎮守聖士女騎士団の警護役でいられなくなることを何よりも忌避しているのだ。
「……ハーさん、ここの大豆と腸の煮込みは最高に美味いんだぜ」
「雉に衣をつけて揚げたのもいいと思う」
「……川魚の塩焼きなんてどうだ」
そう言って薦められた料理を食べてみると、ものすごく美味かった。
普段、肉も魚も口にしない俺だが、別に食べられないわけではないし、もともとは好物でもあったことから、食と酒が進む進む。
気がついたときに、隣のテーブルのおっちゃん達も交えて、陽気に楽しく歌ったりしていた。
あとでユニコーンどもに臭いとか言われようが知ったことか。
俺は「処女の胸や尻や太腿」よりもわいわいがやがややっている時の方が楽しいんだよー。
……そうやって、面白おかしくやっていた時、そいつらがやってきた。
まず、酒場の扉を壊すような勢いで蹴りあけて、禿頭の巨漢が入ってきた。
次に、片手にあられもない格好をしてしなだれかかる美女を抱きかかえた、白皙の顔の美青年が、千鳥足で入店してくる。
それに続くのは、老若男女合わせて二十人前後の酔客たち。
女の方は一見して娼婦とわかる出で立ちで、男たちはシャツとズボン、裾の上からソックスを履いていることから、バイロン王国の兵士であることがわかる。
全員がしこたま飲んでおり、そのせいか目つきがおかしくなっている者もいた。
店内が静まり返る。
兵士たちの人数が多すぎたからではなく、全員が娼婦連れであったからだ。
セザーの話では、ここのような酒場には、普通、娼婦は入ってこない。
棲み分けがされているということと、娼婦達自身が注意して避けるようにするのが長年の慣習だったからである。
それなのに、この兵士たちは彼女たちを連れてくるという、慣習破りをしてきた。
つまり、ビブロンの秩序にわざと逆らおうとしているのか、それとも慣習を知らないよそものなのか。
ビブロンには常駐する兵士たちがいないことは常識であったので、答えは後者しかないことになる。
自分たちの登場で店内の空気が変わったことについて、さすがの酔っぱらい連中も気がついたらしい。
キョロキョロと店内を見渡し、そのうちの一人が喚いた。
「なんだ、てめえらのその態度はよ。よそものにやけに冷てえじゃねえか!」
それを聞いて勢いづいたのか、
「田舎町の縄張り意識か、こら!」
「なんとか言えよ!」
「俺らをなんだとおもっているんだ、てめえら」
と、口々に罵りだし、すぐ傍にいたおっさんの襟口を掴んで、執拗に絡みだした。
どうみても普通の農民という身なりで、柄の悪い酔っ払った兵士の相手ができるようなおっさんではない。
屈強な男達に訳もなく絡まれると、どうにもなりそうもない。
仕方ないので助けに行こうと考えたが、俺よりも先にセザーが兵士たちとおっさんの間に入った。
事情をわかっている数人の娼婦たちも、その仲裁に入る。
どうやらこれで丸く収まればと楽観した時、兵士の中心人物であるらしい白皙の美青年が口を開いた。
「おまえ、兵士か?」
セザーのことだった。
雰囲気よりも先に、ソックスの履き方で素性が見破られたらしい。
酒場の常連客は、俺たちの素性について熟知していたが、それをわざわざ口に出したりはしない。
西方鎮守聖士女騎士団が『騎士の森』に拠点を構えていることは公然の秘密であって、あえて触れないのが街のルールであったからだ。
それは警護役たちが俺に対してときのように、騎士たちを守るためである。
だから、最初はセザーも否定した。
しかし、それで美青年は済まさなかった。
「……そういえば、このあたりにユニコーンの騎士団の基地があるという話を聞いたことがあるな」
「あ、俺も聞いたことがあります」
「そうか、おまえら、そこの所属か?」
その目がセザーと同席だった俺たちに注がれる。
誰も答えない。
答える必要もないからだ。
だが、その無答が美青年の癇に触ったらしい。
虫唾が走るほどの気持ち悪い笑いを浮かべ、
「ユニコーンの騎士といえばションベンくせえ小娘ばかりって話だが、それの指揮下の兵隊どもも人畜無害でもてない童貞ぞろいって話だよなぁ。……あ、てめえら、それか? 雁首揃えて、女を抱いたこともねえ、腰抜けばかりってことか?」
頭領格の美青年が嘲り笑ったのを聞いて、兵士たちが口々に囃したて始めた。
「けっ、女も抱けない腰抜けって、見た目のまんまだよな! 戦場に立つことさえできねえんじゃねえの。ついでにあそこも勃たねえんだろ!」
「女の味って知ってっか。まあ、てめえらみてえな奴らにゃ、一生縁のない話だよな!」
「黙っていねえで、なんとか言えよ!」
気がついたときには、俺たちと兵士たちが対立する関係になっていた。
他の客たちは遠巻きに見ているだけ。
下品な罵倒を受ける俺たちをただ見ていた。
「きゃあぁ、童貞なんて嫌だ嫌だ! 近寄らないで頂戴!」
「キッタナーい!」
調子に乗った娼婦の何人かが自分の客の尻馬に乗って、こちらが汚いものであるかのような仕草をし、バカ笑いをする。
まだ完全に酔っておらず、状況を把握できていた娼婦たちがぎょっと顔をしかめた。
自分たちの仲間のしでかしたことがどんなことか理解したのだ。
本人は客への追従のつもりと、酔っ払っていたことで思考が鈍っていたことから、つい言ってしまったのだろうが、それで済む話ではない。
周囲の一般の客たちの目が、いきなり物騒なものになり始めたことがそれを物語っていた。
ビブロンの街に兵隊がいないのはさっき語ったとおりだ。
だが、兵隊がいないからといって、ここが流れの山賊や魔物に襲われない平和な街であることに結びつくわけではない。
ここも今までに何度か兵隊を必要とする危険に見舞われたことがあるのだ。
かつては、五里ほど離れた別の街にいる軍隊の出動によって切り抜けていたのだが、それでは緊急の場合に対処できず、その度にビブロンは少なくない損害を払っていたものだった。
だが、ここ十年の間は、軍が必要な揉め事はすべて西方鎮守聖士女騎士団が受け持ち、大々的にではないが街を守り続けてきたのだ。
タツガンはおろかセザーだって、街を守るために戦ったことがあると聞いている。
そして、つい一ヶ月前。
街道沿いに現れた魔物を西方鎮守聖士女騎士団が討伐し、その代償として一人の騎士が重傷を負ったことを住民は知っている。
その騎士が、街の住人にとって少なくない有名人であったこともだ。
つまり、ビブロンという街の守護者であり恩人でもあるものたちを、街の住人でもある娼婦たちが辱めたのである。
空気も変わろうというものだ。
だが、俺は―――いや、警護役たちは何も言わない。
言ってはいけないのだ。
こんなことで争っていい立場ではないからだ。
それを無力さゆえと誤解して、兵士たちはまだ罵倒を続ける。
酒の力もあるだろうが、同じ兵として許せないような侮辱を俺たちに向かって吐き続ける。
しまいには、テーブルの上の食べ残しまで投げつけてきた。
だが、皆は抵抗もせずにそれを受け入れた。
下手なことをすれば、それは西方鎮守聖士女騎士団の騎士たちに跳ね返ってくるからだ。
そのことを理解している住人たちもあえてこちらに味方するような真似をしない。
もし変な擁護をしてさらに揉めたら、責任が取れないこともあるのだ。
しかし、我慢し続ける俺たちに向かって、例の美青年が、残忍で無知な台詞を言い放った。
「てめえらみたいなのを部下にしてっから、自殺部隊なんて言われるんだよ。無駄に税金を使って死にやがって。そのくせ、〈雷霧〉をまともに止められもしねえ。糞の役にも立たねえ、メスガキ共が!」
兵士たちに飛びかかったのは、セザーだった。
今まで馬鹿にされ、小突かれながらも、ただ頭を下げていたセザーが美青年に飛びかかった。
その反応を予期していたのか、数人の兵士たちが押さえつけると、力の限りに抗い続けるセザーを笑いながらぶちのめし始めた。
酒を頭からぶっかけ、蹴りつけ、踏みつけ、そして罵る。
愉快なセザーの顔は涙と屈辱と、なによりも怒りで歪んでいた。
獣のごとく叫び抵抗するセザーが、何を言いたいのか俺たちにはわかった。
多分、客たちにもわかっただろう。
セザーは、叫んでいたのだ。
「俺たちの騎士様たちをバカにするなっ! 命をかけて戦って散った騎士様たちを侮辱するなっ! 泣きながら死んでいった騎士様たちを汚すなっ!」
と。
一方の俺はタツガンとトゥトにのしかかられて押さえ込まれ、身動きひとつ出来なかった。
セザーとともに飛びかかろうとした瞬間、二人に制止されたのだ。
その程度で長時間、俺を止められるはずがない。
しかし、俺は振りほどけなかった。
本来なら、二人を振り切ってでもセザーを助け、兵士どもをぶちのめしに行くべきだったのに、タツガンの苦渋に満ちた忠告を聞いてしまったから。
「……俺たちが他の部隊と騒ぎを起こせば、騎士様たちにどんな迷惑がかかるかわかりやせん。あの方々はァ、民草と国を〈雷霧〉から守るために、命をかけねばならねぇ立場にいるですぜ。そんな方々を俺らなんぞのために煩わしちゃなんねぇ」
「だけど、セザーが―――」
「野郎は何も言ってやしません。ただ、酒で朦朧としてこけて連中に突っ込んでしまっただけです。喧嘩を売ったわけじゃあない」
セザー……。
あんな血の涙を流しそうなぐらいに激情しているのに、騎士達のために言葉には出さないのか。
四方八方から殴られて私刑されても挫けないのか。
「おう、そろそろ、行くぞ。バカを殴ってスッキリしたしな」
どれぐらいの時間が経ったのだろう。
兵士たちはぐったりしたセザーを最後に踏みつけると、そのまま大声を上げながら店から出て行った。
俺たちに唾を吐きつけることも忘れずに。
酒臭い唾を吐きつけられた顔を服の裾で拭うと、俺はセザーのもとに向かった。
よかった、息はある。
さすがに殺すまではしなかったらしい。
いや、セザーのような頑丈な男を殺すことなんてできやしなかっただけか。
俺たちは、テーブルの上に今日の飲み代の三倍分ぐらいの金を置き、気絶したセザーを抱えて、酒場から出た。
頭上で月が冴えざえと輝いている。
「お客様!」
道の真ん中で振り向くと、酒場の主人が深々と頭を下げていた。
よしてくれ、あんたに責任はないよ。
俺たちは身振りでそれを伝えると、もう二度と振り向かずに街を出た。
何度見上げても、月はずっと輝いていた。