伝説と神話
突然、何の前触れもなく戦場に現れた〈幻獣王〉にその場にいたものすべての視線が集中する。
神々しいまでの威厳、ただでさえ巨躯のユニコーンをふた回りも凌駕する大きさ、そして何よりも眩しいばかりの美しさ。
王と呼ばれるに相応しい、まさに次元の異なる別格の存在であった。
俺は多少戸惑った。
〈幻獣の森〉の奥深く、幻獣・魔獣のユートピア〈幻獣郷〉から一歩も出ないはずのロジャナオルトゥシレリアがなぜこんなところにいるのか、と。
「……よお、奇遇だな。どうしてこんなところに来たんだ、おまえ」
《この人の仔らに呼ばれたのだ》
その放つオーラのあまりの巨大さに気がつくのが遅れたが、鞍もない幻獣王の背中に乗っていた二人にようやく気づいた。
やや野暮ったい顔の間者のモミと、俺の妹分の十五期の騎士見習いレレだった。
二人共、傍目でわかるぐらいに目を白黒させていた。
よほど荒い走り方をされたのだろう、どう見ても疲れきっていた。
なんとか動けるらしいモミがレレを抱えて俺の方へ跳躍した。
「おまえたちが、こいつを連れてきたのか?」
「……ええ、まあ、そうです。閣下のご命令で、オコソの〈雷霧〉の手前で別れて、そのまま〈幻獣の森〉まで向かいました」
「よく、謁見できたな」
「貴方の名前を出して、あと、貴方の置かれている状況を説明したらすぐに」
「セ、セ、セシィにいさん……。……あたし、がんばったよお~」
ガッツポーズを取ろうとするレレだったが、身体がフラフラしているらしくまともに顔も上げられそうにない状態だった。
乗り物酔いをしているのだろう。
確か、〈幻獣の森〉からここまでは約二日はかかる計算だ。
その二日をおそらく数時間で走破したのだから、どれだけの負荷がかかったのかは考えたくもないほどだろう。
モミはともかく幼女のレレにはきつい行程だったはずだ。
王だというだけあって、ロジャナオルトゥシレリアは下々の者に配慮することなどしない生粋の天上の生物だから仕方ないといえば仕方ない。
俺は二人と、この二人を遣わしたオオタネアに感謝した。
ついさっきまでの絶望的な状況は終わった。
今、ここには俺の相方がいる。
かつて俺が契約を交わしたユニコーンの王が。
《お別れだな、人の仔よ。王が来られた以上、我の役目は終わりだ》
「……悪いな”アー”。今まで迷惑をかけた」
《そうでもない。牡を乗り手にするなど、我らの同胞でも滅多にない経験をさせてもらった。それに、君と過ごした日々は楽しかったよ》
「そうか」
俺がユニコーンと会話できるのは、俺が彼らの「王」との契約者だからだ。
それだけのことだ。
ユニコーンには雌雄の区別がなく、敢えて言うのならばすべてが雄なので、通常の繁殖はできない。
彼らは、「化身」することで個体数を増やす。
すなわち、王が分身である「化身」を作ることで増えていくのだ。
ゆえに個体でありながら群体なのである。
そのため、個々の個体のもつ個性というものはあまりない。考え方も似通っているし、見た目もそっくりなものが多い。
おっぱいが好きとか尻を愛するだとかの性癖や趣味・嗜好についてはそれぞれ差が生じるが、だいたいの場合は似た感じになるのはそういう種族特性によるものだ。
だから、すべてのユニコーンは〈王〉の分身であり、〈子〉でもある。
ただし、最初からロジャナオルトゥシレリアの後継者として化身した“アー”だけは能力的にも突出しており、その立場ゆえに〈幻獣郷〉から出られない王のために俺の仮の相方と指名されていたのだ。
それでも“アー”と俺は仲のいいコンビだった。
色々な場所に一緒に行った。
様々な戦場で戦った。
下手をすれば本当の相方である王様よりも。
だから、“アー”と別れることは寂しかったが、こんな感傷は誰のためにもならないので無理矢理に切り捨てる。
神に近しいロジャナオルトゥシレリアが自分から姿を見せた以上、すでにすべての物語は終焉に向かっているのだ。
《さらば、人の仔よ》
「あばよ、王の息子」
俺は”アー”から下りると、そのままロジャナオルトゥシレリアの足元に行く。
相変わらずでかい。
これに乗るとなる普通は大変なのだが、ユニコーンの王に至ってはそんな心配は欠片もいらない。
太い丸太のような足に触れた。
手触りが最上級の絹のようだ。
とても生物のものとは思えない柔らかさ。そして、甘い香り。
臣下のユニコーンたちとも明らかに違う。
これが神の時代から生きる神聖なる生き物の存在感。
「頼む」
《少し待て》
すると、再び巨大な嘶きを発すると、ロジャナオルトゥシレリアの超巨躯が瞬く間に縮小する。
質量保存の法則はどこにいったのやら、寸法比率も存在感もそのまま、王様は並のユニコーンと同じサイズにまで小さくなっていく。
数回の瞬きの後、俺の目の前には適正サイズの一角聖獣がいた。
しかし、その放つオーラはまったく変わらない。
下賎な魔獣では近づくこともできないほどの眩しさと輝き。
思わず傅きたくなる王の威厳はそのままだった。
俺はその上に跨った。
鞍などなくていい。
王様にそんなものを使っていいはずもないのだ。
それに、ロジャナオルトゥシレリアの背中は極上の絨毯のように柔らかく快適そのものなのだから。
俺はあまりのことに言葉も出ない〈雷馬兵団〉に向けて言った。
「警告しよう。いますぐ、この場から去り、おとなしく故郷に帰れば無事に済ますことができる。ただし、この警告を無視して争いを続けるというのならば、俺と〈幻獣王〉がことごとく誅殺する。殲滅する。完膚なきまでに叩きのめす」
《人に飼われる〈雷馬〉どもに告げる。余は、そなたらの振る舞いを王として看過することはしない。〈雷霧〉などという他の同胞に危害を加える災厄に加担したことを罪として弾劾する。―――そして、これ以上〈帝国〉に与するというのならば、余自らそなたらを罰する》
黒騎士たちはなにも言わなかった。
唾を飲むことすらしない。
まさしく身動き一つとれない状態だった。
ロジャナオルトゥシレリアとその最後通牒を聞いて、完全に気を飲まれてしまったのだ。
ようやく口を開いたのは、やはり征夷将軍ゾングだった。
全身にみなぎる横溢とした〈気〉がなんとか彼に「抗う」力を与えてくれていたようであった。
「……身どもらの戦いは皇帝陛下の勅命である。例え、相手が神話の中の〈幻獣王〉だとしても退く訳にはいかぬ」
「おまえら、ことごとく死んでもか?」
「戯言を。たった一騎の騎馬になにができるというのだ? 身どもらはまさしく無敵の連隊であるぞ」
「俺とロジャナオルトゥシレリアが一緒になった時点で、おまえたちにはただの一分の勝目もなくなっている。それでもやるか?」
「問答無用っ!」
かかれぇという掛け声とともに、〈雷馬兵団〉全騎が俺たちめがけて殺到する。
俺はモミたちに下がるように言った。
巻き添えにしたくないから。
「貴方が勝利を掴まんことを」
「そんなものはすでに俺の手の中にある。心配するな」
「セシィ兄さん、無事でいてね」
「任せろ、レレ。俺は不死身だ」
そして、俺は旗のない竿を構える。
《余の乗り手が持つ限り、どんな木の枝でも聖剣になる。その竿が汝にとって、史上最強の武器となろう》
俺は不敵に笑う。
もう負ける気はしない。
勝ったも同然。
そして、それは覆らない。
◇◆◇
一対六十の戦いは、本来ならただの嬲り殺しになる。
どれほど「一」が強かったとしても。
だが、「一」と「六十」の戦力の差が、ありえないほどに広がっていたとしたら。
結果は大きく変化する。
「一」が大人で、「六十」が子供だとすれば、大人の圧倒的な勝利になるだろう。
ほとんど負けることはないはずである。
そして、もしも大人と子供ですらなく、人と動かない人形の戦いだとしたら、結果はどうなるであろうか。
イド城攻防戦の最後の〆の戦いはまさしくそういう戦いだった。
蹂躙でも、虐殺でも、無双でもない。
それは、ただの掃除だった。
セスシスの振るう旗竿の一撃だけで三騎の黒騎士が地面に落ち、〈幻獣王〉の跳躍からの蹄の一撃で二匹の〈雷馬〉が吹き飛ぶ。
必死に突き出される馬上槍は黄金の光を胞子のように噴出するセスシスに触れることすら叶わず、〈雷馬〉の決死の体当たりはびくともさせない。
それどころか、たった一騎のユニコーンが前進するだけで何騎もの〈雷馬兵団〉は無様に轢かれ、背の高いだけの雑草のほうがまだ抵抗できるかのごとく踏みにじられる。
セスシスたちの仕事は、無傷なままでいる黒騎士たちを、ゴミを相手にするように一つ一つ雑に潰していくのみ。
手間がかかるだけ、なんの苦労もないただの掃除。
先程まで、バイロン最高の騎士団を容赦なく殺していった、無敵の死神たちが、どうということのない藁人形のように無残に刈り倒されていく。
真っ先に立ち向かったゾングだけはなんとか堪えられたが、それは彼が〈白珠の帝国〉で最強に近い戦士だったからであり、また、運がよかっただけである。
彼の部下である他の黒騎士たちは風になぎ倒される稲穂ですらなかった。
「……お、おおお、おおおお」
悪夢にも似た光景だった。
一矢を報いるという気にすらならない、機械的な作業が淡々と続く夢魔の世界。
最強と自負していた部隊がなすすべもなく壊滅していく。
魔導力で強化し余人の及ばぬ怪力を出せる自慢の鎧も、すべてを雷で焼き付くす愛馬も、鍛え抜いた剣技もなにも意味もない。
世界に愛され、世界の一部となったものたちにとっては人の力など塵芥以下でしかないことを見せ付けられただけであった。
「敵と名乗ることすら許されぬというのか……!」
圧倒的。
寒気が走るほどに圧倒的。
〈ユニコーンの少年騎士〉と〈幻獣王〉は淡々と掃除を終え、そしてゾングが自分を取り戻した時には、部下は一騎も立っていなかった。
騎乗していた〈雷馬〉もすべて地に伏せ、ぴくりともしない。
膝立ちで一部始終を見つめていたゾングの元に、セスシスたちがやってきた。
美しい騎馬の姿をした、戦神のようだった。
息一つ荒げていない。
さっきまでの戦いは、この一組の人馬にとっては呼吸をするほどの労苦も問わないものだったのだ。
ゾングはついに腰を落とした。
立ち向かう気力はない。
減らず口すら叩けない。
それだけの脱力感があった。
「……まだ、死んでいないはずだ」
セスシスは言った。
目は死屍累々としか思えぬ黒騎士たちに向けられている。
「介抱すれば立ち上がるものもいるだろう。だから、もう去れ」
「……なんだと?」
「さっさといなくなれって言ってるんだよ、このバカがっ! これ以上、無駄な血を流すつもりなのかよ!」
逃げていい、と言われていることはゾングにもわかった。
だが、彼には勅命がある。
全滅して潰走が許される立場ではない。
だから、反対しようとした。
すべての部下を失い、自分が死んでも、逃げ出すことはできないと。
相手の発した慈悲を否定することで。
しかし、ゾングが口を開いたとき、
「勅命は取り消しだ、征夷将軍っ!」
天空から声が響いた。
全員の目が上空に向けられる。
あっという声が漏れた。
本日、何度目かの衝撃が周囲に走る。
〈幻獣王〉の次は何だという視線は、まさしく同種の、ある意味ではさらに深い驚愕を連なった人々に与えた。
天空に舞う、大きな羽を持った白い巨馬。
一角聖獣のものと似て非なるオーラをまとい、そして天空から地上を睥睨する美しい姿形。
有翼天馬が宙を舞っていたのだ。
そして、その背に乗る豪奢な外套をまとった金髪の美少年。
傾城の美女を思わす妖しい眼元とふっくらとした唇を持ち、たえず笑みを浮かべ続けるのに冷酷そのものの顔つき。
新たなる登場人物の出現に最も驚愕したのはゾングだった。
「帝弟殿下……」
セスシスは怯むことなく、上空の闖入者を見上げた。
「……あんた、何者だ?」
美少年は名乗る。
「僕は、ベルーティーヌ・キーラフ・ニンン。〈白珠の帝国〉ツエフの第二皇位継承者にして、現皇帝陛下のたった一人の弟さ。はじめまして、〈幻獣王〉。そして、〈今生の剣の王の使い手〉。君に会いたかったよ」
まるで恋の告白でもするかのような物言いに、セスシスの顔が歪む。
気色悪かったのだ。
だが、そんな彼の不快感をよそに美少年―――ベルーティーヌは話し続ける。
「バーヲー、今すぐ動けるだけの護剣連隊員を率いて〈赤鐘の王国〉の跡地に戻れ。これは皇帝陛下の勅令だ。決して逆らうことは許されない」
「しかし……」
「この戦はおまえたちの負けだよ。おまえとバレイムたちがバイロン王都に仕掛けた〈黒き雲〉は今日の朝にはユニコーンによって跡形もなく消滅させられた。だから、すでにここで意地を張るのは無意味だ。さっさと逃げ出せ」
残酷なまでの命令にゾングは頷いた。
〈雷霧〉が消えたとなれば、十年近くに渡って計画されていた作戦が完全に破れたということだ。
諦めて撤退するほかはない。
敗北を受け入れて撤退の準備にかかるゾングを尻目に、ベルーティーヌは再びセスシスに向き直る。
あくまで上空から見下ろす形で。
地上に降りて対等に話すつもりは微塵もないらしかった。
「〈今生の剣の王の使い手〉よ」
「それは俺のことか?」
「君以外に誰がいる? そこな〈幻獣王〉はユニコーンゆえに剣など使えるはずがないであろ? もっと良く頭を使って話したまえ」
「……腹が立つ奴だ」
「僕から一言、というよりも君に伝言がある。それを聞いて君がどう考えて行動に出るかは知らないが、とにかく聞いておきたまえ。質問は随時受け付けるから、そのつもりで」
馴れ馴れしいとセスシスは呻いた。
どうも苦手な相手であったからということもあった。
彼は突然現れた〈妖帝国〉の皇帝の弟という人物にペースを掴まれたことを悔やんでいた。
「僕の皇帝陛下は、帝都パフィオ・ファンドリアにおいて君との会食を望んでいる。もし、君がそれを受けるというのならば、すぐに帝都に来たまえ。ほら、これを受け取れ」
ベルーティーヌが何か小物を放り投げ、それをセスシスが受け取る。
手のひらには青く輝く宝石のついた首飾りが入っていた。
握り締めるとなぜか熱い。
まるで発熱でもしているかのように。
「これはなんだよ?」
「皇帝の住まう帝居内に入ることを許された証さ。それを持って帝居に入れば、皇帝陛下の忠実な下僕たちは君を最上級の賓客として遇するだろう。ただし、帝居の中だけだ。そこに行くまではその証は何の役にも立たない」
「……だから?」
「それで良いというのならば、なんとかして帝居まで来るがいいさ。皇帝陛下ならば君の知りたいことをすべて教えてくれる。それに……」
「……」
「君らが〈雷霧〉と呼ぶ〈黒き霧〉のすべてについて説明してくれるだろうさ。うまくいけば、この大陸の危機すべてを終わらせることができる。ただし、それは君が皇帝陛下に会うことを望み、そして〈白珠の帝国〉内の反皇帝派を打ち破って帝居にたどり着くことができればということだけどね」
それだけ言うと、有翼天馬の馬首を翻し、ベルーティーヌは空を駆け出した。
セスシスに親密そうに大きく手を振りながら。
嵐のような登場と引き際だった。
その嵐が去った先、大陸の西方を睨みながら、セスシスは友に言った。
「なあ、行ってみるか」
《すべてを捨ててか。君を慕う者も、君を心配する者も、君を愛する者も、すべてを捨てることになるぞ》
彼は後方を振り向いた。
二人の会話はおそらくイド城の連中にも聞こえているだろう。
そんなに遠くない。
すぐそばにはモミとレレもいる。
「仕方ないさ。もともと、ここは俺の世界じゃない。それに、おまえがいれば〈雷霧〉を突っ切って帝都ぐらいならばなんとかたどり着けるだろう」
《東方に、汝の嫁たちが見えるぞ》
東を見ると、三十騎ほどの白い騎馬群が見えた。
ユニコーンに乗った西方鎮守聖士女騎士団の少女たちとオオタネアだった。
〈雷霧〉を潰して、それから無理をして反転してきたのだろう。
さすがだとセスシスは嘆息した。
あいつらほど頼りになる連中はいない。
「だから、嫁じゃないって。俺は誰とも結婚する気はないし、長生きする気もない。すべてが終わったら、おまえらと〈幻獣郷〉で酒飲んでさっさと死ぬさ」
《刹那的だな》
「……色々と罪を犯したからな。当然だ」
《せめて挨拶ぐらいはしていかないのか?》
騎士たちの中には、タナもいて、ナオミもいて、マイアンもいた。
見知った顔も大勢いた。
「あいつらがいればバイロンはもう大丈夫だろう。ユニコーンもしばらくはあいつらに合力してくれるだろうし、心配することはないさ。俺ひとりいなくてもなんとかなる」
……それがセスシスの答えだった。
セスシスは西に顔を向けた。
以前、〈呑龍嶽〉に探索に行った時は、タツガンたちがいてくれたが、今回は一人だった。
いや、そうではない。
ロジャナオルトゥシレリアがいる。
(寂しくはないか)
いつものように涙はでなかった。
どうやら、彼は泣き虫を卒業したらしい。
そして、一人と一頭は駆け出した。
西へと。
多くの騎士や兵士が見つめる中を。
―――西へ。




