征夷将軍ゾング・ヰン・バーヲー
ゾング・ヰン・バーヲー。
短く刈り取った金髪は、いかにも歴戦の武人だというふうに陽に焼けてくすみ、がっしりとした顎と一文字に結んだ唇が意志の強さを感じさせる。
顔貌にはシャッちんに似たところはない。
だが、その眼。緑色をした、まるで宝石のような輝きを放つ瞳は、紛れもなく俺の親友―――シャツォン・バーヲーのものと酷似していた。
おそらくは近い親族――伯父か叔父といったところだろうか。
なるほど、十年前の段階でシャッちんがあれほどの強さを誇る騎士だった理由が窺い知れる。
彼女自身の努力もあったのだろうが、血のなせるわざであったということか。
征夷将軍ということは、〈雷馬兵団〉の首魁にして、もしかしたら〈妖帝国〉主導の今回の〈雷霧〉発生事件の責任者でもあるかもしれない。
この漢を倒せば、〈妖帝国〉の陰謀をここで防ぎきることができるかもしれない。
倒せれば―――だが。
「バーヲー? シャツォンの身内か?」
周囲を黒騎士に完全に囲まれた状態であるにもかかわらず、俺はどうでもいいことを聞いた。
特に聞きたかった内容ではない。
しゃべることでわずかでいいから時間を稼ぎたかったのだ。
俺がここにいることでこの征夷将軍と数騎の黒騎士を足止めできるし、何より、ここに俺がいるだけで城内で戦う兵士たちへの応援のメッセージとなるからだ。
少しでも粘らなければ。
「なぜ、私の姪の名を知っている?」
「ザイムで一緒に戦ったからな。今、あんたたちが仲良く轡を並べている〈手長〉どもと。そういえば一度、聞きたかったんだ。いつから〈白珠の帝国〉はあいつらと連みだしたんだ? ザイムの連中があいつらに皆殺しにされたのを知らないわけじゃないだろ?」
ここで押し黙らずに、平静に答えられるところが将軍の地位にあるものの証明なのだろう。
ゾングは皺一つ見せることなく、淡々と否定した。
「貴様等に教える必要はないことだ、〈妖魔〉め。化け物のくせに人の言葉を囀るな。虫唾が走るわ」
〈妖帝国〉の人間にとって、俺のような異世界からきた生物は奴隷に等しい〈妖魔〉であることはわかっている。以前、捕まえた魔導師もこういう態度だった。
ただ、わずかに言葉を交わしただけでも、このゾングという漢が偏見だけで語るものとは思えないこともあり、ただ単に帝国人の差別的な態度の表れと断言することはできなかった。
むしろ、都合が悪いことを黙らずに封殺するためのポーズとして、拒絶の態度をとっているように見えた。
「シャツォンの行方も聞きたくないということか」
「……なに?」
「もしかして、あんた、姪のシャツォンが生きていることも知らないのか? ならばいいさ。〈妖魔〉の俺はお偉い〈白珠の帝国〉の将軍様に語る口はないからな。せいぜい、広い東方を探しまわるがいいよ」
「シャツォンが生きているというのか?」
意外と簡単に食いついた。
さっきまでの毅然とした態度を貫けていない。
ゾングがこちらの予想よりも愚かな男なのか、それともシャッちんに対して何かあるのかそれはわからないが、会話を続ける気はあるらしい。
なら続けよう。
俺が稼ぎ出す一分一秒だって貴重なのだ。
だが―――
「貴様がシャツォンについて何か知っていることは理解した。だが、それは後回しにしよう。我ら〈雷馬兵団〉の最大の目的の一つは貴様の殺害にあるのだからな。姪の安否の確認よりも、貴様の素っ首を撥ねる方が大切だ。……さて、命乞いをする気はあるか、薄汚い〈妖魔〉よ」
「なら、助けてくれないか。まだ、死にたくないんでね」
「いいぞ。ただし、貴様以外の蛮人は予定通りに皆殺しだ」
「―――じゃあ、お断りだ。自分だけ助かったって美味い酒は飲めないからな」
ゾングは少しだけ口角を釣り上げた。
笑った……のだろうか。
「自分だけ幸せでも不幸なやつはいるということだな。よかろう、〈妖魔〉よ。我が愛剣〈血塗れ蜉蝣〉の錆にしてくれるわ」
また、物騒な剣の名前だ。
だが、俺程度でもはっきりとわかる魔導の色からして、かなり強力な魔剣なのだろう。
おそらくは俺に一撃で致命傷を与えられる程度には。
かろうじて〈瑪瑙砕き〉を構えた時に、ゾングとその〈雷馬〉が突進してきた。
俺の全身から発するエーテル光は変わらないが、確実に避けられるとは限らない。
この世界においては、「剣は時を破る」という法則が存在する。
寓話的な意味では、剣で運命を切り開くということを指すのだと言われているが、魔導的な意味では別の説明がなされる。
かつて、この世界のすべてが記された巨大な巻物が存在し、あらゆるものたちがその記述にしたがって生きていた。
しかし、あるとき、〈昨日〉と〈明日〉が諍いを起こし、そして〈今日〉までがそれに参戦し三つ巴の戦いになった挙句、最後には〈今日〉の勢力が巻物を切断することでつながりを立ち、争いを収縮させる。
その際に、用いられたのが〈剣の王〉と呼ばれるこれも巨大な剣だった。
巻物は時の流れとほぼ同化していたため、この戦い以来、時の流れは〈剣の王〉の眷属たる剣によって断ち切られることになってしまったそうである。
この世界で、〈剣〉が特殊な扱われ方をしているのは、その神話に基づく。
だが、実際に、強い魔導を帯びた〈剣〉は凶悪な力を発揮し、時の加護を受けたエーテル光をまとった俺にさえ攻撃を当てることができるのだ。
正直な話、このゾングという男は俺にとってかつてない強敵となった。
俺は最初の一撃を”アー”の〈物理障壁〉で凌ぎ、それから黒騎士の群れの中に飛び込んだ。
ただの黒騎士の剣ならば交わすことができるが、あいつだけはダメだ。
まともにやりあってはならない。
黒騎士と戦楯士騎士団の兵士たちの混沌とした戦場に割って入って、無理やり、ゾングを引き離そうとするが、馬術ではともかく長年培ってきた勘らしきものからの読みの鋭さがやつにとって有利に働き、俺はますます接近されてしまう。
《どうする、人の仔》
「この狭い広場で追いかけっこは無理だ。だが、あいつが俺をこのまま的にかけるというのなら、せめてここから引き離せば全体としては有利になるかもしれん」
《そうだな。弱いだけの君がいなくなるよりも、指揮官であり強者であるあの〈雷馬〉乗りが君にかまけてくれた方が軍としては助かるだろう》
「……もう少し優しい表現はないのか」
《まさか。こんな吐き気を催す男臭い場所に一日も放っておかれた我が、十分以上に意地悪な心持ちになっているなんてことはないよ》
「さーせん」
《とりあえず、あの気味の悪い大男相手にした場合、人の仔が我に乗っている利点はなさそうだ。一先ず、下りて城内を逃げ回ればどうかね。君の逃げ足なら、なんとかなるだろうさ》
“アー”の提案を俺は受け入れた。
すでにダンの作戦は破れている。
広場で俺が戦い続けるメリットはない。
そうであるのならば、俺が走り回ってかく乱したうえで、あのゾングを引きつけた方がいいだろう。
俺はユニコーンの背中から足を回して半身になると、そのまま勢いを使って城内の窓に飛び込んだ。
タイミングは”アー”が測ってくれていたので、俺はばっちり正確に城内に戻れた。
周囲には誰もいない。
おそらくは食料庫であった場所だろう。
ここからだと、唯一の塔に向けて走ったほうがいいかと立ち上がった時、
ガバァァァン!
とんでもない音がして食料庫の壁が外側から吹っ飛んだ。
窓から入り込んだ俺とは違い、〈雷馬〉の突進力をそのまま使って壁を破壊して割りいってきたのは、ゾングとその愛馬だった。
まさか、騎馬のまま城内を来るつもりかよ、と逃げ出そうとした俺の前に短槍が突き刺さる。
ゾングが投擲したものだ。
逃がさないという意志が明白に伝わる。
ゾングが下馬した。
手には、先ほどの物騒な魔剣。
背中を見せれば一息に斬り殺されるだろう。
そんな中、俺の前が暗くなった。
何が起きたのかと思ったら、たんに目の前に一人の巨漢が立ちふさがったのだ。
見覚えのある金髪と、そして〈手長〉が持つような巨大な鉄塊めいた剣を持った男が。
「……セスシスくん、大丈夫ですか?」
「ああ、平気だ。それよりおまえ、指揮はどうした?」
「すでに乱戦ですからね。あとは撤退の合図ぐらいですよ、私にできることは」
「俺なんか放っておけよ。それより、おまえの部下を助けてこい」
ダンスロットは背中で笑った。
「いやね、私にとって優先すべき事項ができたので、それをなそうかと思いまして」
「なんだ、それ?」
「この筋肉ダルマに教えてやらなければならないことができたんですよ」
そう言い放つと、ダンスロット・メルガンは特注の大剣をゾングに向けた。
「貴様は、知っているか?」
「何をだ?」
ただならぬダンの剣気に、さすがのゾングも警戒してすぐには動かなかった。
「友情のために戦うものは決して負けない、ということをだ!」
ゾングは呆れたように、
「おかしなことを言う。そんな馬鹿な話があるものか」
だが、ダンはその言葉を嘲笑った。
間髪いれず、吠えた。
「ならば、たった今、実例を見せてやる。それはここから揺らぐことのない確固とした前例となる! このダンスロット・メルガン。友のために戦い、そして勝利しよう!」
……。
……止せよ、バカ。
……泣きたくなるだろ。
頑張れ……ダン。
俺ははじめて友達のために、彼の勝利を祈った……。




