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聖贄女のユニコーン 〈かくて聖獣は乙女と謳う〉  作者: 陸 理明
第十八話 〈少年騎士〉の伝説
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王都守護戦楯士騎士団、奮戦す!

 広場で孤軍奮闘する、高価すぎる囮の眼前に敵の大将が現れたと知って、覚悟を決めたのは騎士キィラン・ジャスカイであった。

 当初、ダンスロットが提案した『ハーレイの立ち往生』作戦に彼は反対している。

 なぜなら、〈ユニコーンの少年騎士〉ことセスシスの存在は、母国バイロンのみならず世界の存亡に関わる重大事だからである。

 彼はダンスロットと異なり、十年前の王宮爆破事件にも聖士女騎士団設立にも関わっていなかったことから、セスシスの異常な生命力について知り得なかった。

 ダンスロットはことセスシスに関して、過保護ともいえる態度をとることがあるが、いざという時における爆発力と生命力についてはまったく疑うことをせず、むしろ、信じきっていたからこそ策略として提案したのだが、残念なことにキィランはそこまでの信頼を寄せることができなかった。

 だからといって、キィランがセスシスを過小評価していた訳ではない。

 むしろ、ダンスロットに次ぐほどにセスシスを高く買っていたほどである。

 イド城広場における立ち回りをハラハラしながら見ていたのは、感情移入をしすぎた結果であった。

 だが、途中からその評価が改められたとしても、敵の大将ともいえるものが出てきたのなら話は別だ。

 セスシスを囮と士気倍増の駒に使うという作戦は、変更を余儀なくされた。

 なぜならば、遠目で見ても、あの黒騎士の大将が尋常ではない剣気を放っていることがわかったからである。

 あれは危険な敵だ。

 咄嗟に、千軍万馬のキィランが握った拳に力を入れすぎてしまうほどに。


「なんという騎士だ……。まさか、魔導に溺れ切った〈妖帝国〉にあれほどの漢がいようとは……」


 筋肉と脂肪がぎっしりと詰まった腹の底まで戦慄が染み渡る。

 三十年、様々な戦場を往来してきた彼でさえも怯むほどの、ねっとりとした殺人のための空気をまとい、それでいて鍛え上げられた騎士としての佇まいを兼ね揃えた、恐るべき相手だった。

 どれほど〈ユニコーンの少年騎士〉が回避に長けていたとしても、ほとんど剣を打ち合すことさえもできずに終わることだろう。

 手にしている剣も十分なほどに魔導がこめられた強力な品だ。

 あれを振るえば、不老不死に近い程度のセスシスを殺すなんてことは容易いことだろう。

 キィランは自分が詰めていた本部から飛び出した。

 今すぐにでも広場に向かい、盾になってでもセスシスを救わなければ。

 彼はセスシスのことを気に入っていた。

 もし、尋常の立場の人間であれば娘の婿にしたいと思っているぐらいであるが、それは叶わぬ希望といえた。〈ユニコーンの少年騎士〉という国の重要人物というだけでなく、彼を取り巻く人間模様を崩したくなかったからだ。

 彼は一人の少女を、年も性別も越えた友としている。その少女の想い人に色々とちょっかいをかけて友誼にヒビを入れたくなかったということもある。

 それに彼の娘では、やはり少女には敵わないだろうという父の贔屓目抜きの実感もあったのだが。

 だが、彼の助太刀は届きそうになかった。

 外に出た途端に、反対方向からやってくる三人の黒騎士が目に付いたからだ。

 黒騎士の足元にはキィランの育ててきた愛弟子ともいえる騎士や兵士が無残に斬り殺されていた。

〈雷馬〉に乗っていないのは、狭い城内ではそもそも聖獣の巨躯が入りきれないこともあるが、〈雷馬兵団〉の目的を達成するためでもあろう。

 黒騎士の狙いというより、今回の戦いは彼らからすれば、ただの敗残兵の掃討戦であり、後顧の憂いを断つための殲滅戦である。

 騎馬したままの大雑把な戦いでは、負傷者にトドメをさし忘れることもあるし、隠れているものを見つけだしにくい。

 ゆえに徒歩による侵攻であった。

 だが、〈雷馬〉から下りたとしてもその魔導鎧による戦闘力が減少するわけではない。

 事実、最初の壁を登攀してきたグループのうち八人を仕留めた以降、この段階にいたるまでの間で戦楯士騎士団が倒した黒騎士は六人程度だと言われている。

 キィランは斬馬刀を八双に身構えた。

 彼に続く騎士団員も武器を握った。

 敵は皆殺しの意思でここに攻めてきている。

 抗わなければ案山子のように殺されるだけだ。


「お主らは、右端の黒騎士にかかれ」


 後ろにいる団員に指示した。

 キィラン自身は二人を相手にするつもりだった。

 余裕や慢心ゆえの発言ではない。

 彼が二人を相手にしている間に、もう一人を倒すことができれば、数の上でも有利に立てると考えたからだ。

 数匹の〈手長〉相手に奮闘できる彼ならばこその割り切った発想だった。

 斬馬剣の間合いに仲間を入れたくないという考えもあったが、それは副次的なものだ。

 なんとしてでも勝たなければならない。

 一騎でも多くの黒騎士を倒し、そして後にかかる者たちへの負担を減らさなくてはならないのだ。

〈雷馬兵団〉はこのあと、聖士女騎士団とも戦うだろう。

 ダンスロットの予測によればそうなる。

 キィランは友と娘のいる騎士団の実力をよく知っているが、必ずしも眼前の敵どもに勝てるとは思っていない。

 彼女たちはオコソ平原での〈雷霧〉戦を終えたあと、一日かけて反転してここまでやってくるのだ。

 おそらくは疲労も並大抵のものではあるまい。

 ユニコーンには疲労を回復させる力があるというが、それは肉体的なものに限るであろうし、連続して激戦を行えばかかってくるストレスも倍増することだろう。

 そもそも戦力を失わずに〈雷霧〉を攻略できるとは限らない。

 かつては〈雷霧〉突入の度に全滅していた部隊なのだ。全員が生きて帰れる現在の状況が異常なのである。

 疲労困憊し、満身創痍のユニコーンの騎士たちが戦う相手としては危険すぎる。

 他の王都の騎士団が動ける状態であればよいが、東方諸国がバイロンの混乱に乗じて動き出さないとも限らない。

 そちらの増援は期待できないといえる。

 戦いが始まる前、セスシス付きの間者が言っていた台詞を思い出す。


『本来ならば、戦楯士騎士団を見捨てればいいだけの話です。一個の騎士団を救うために、〈雷馬兵団〉と不利なまま戦う必要はないのです。そうすれば、王都の騎士団も聖士女騎士団も兵を温存できます。〈雷馬兵団〉はあとで機を見て滅ぼせばいいのですから』


 残酷な指摘だったが、納得できるものだった。

 それに対して、セスシスが言った。


『ごめん、ユギン。ごめん。俺はここの連中を見捨てたくないんだ』


 なぜ、彼が謝るのか。

 すべては油断と裏切りによって〈雷馬兵団〉の腹背からの攻撃を受け、壊滅に瀕した戦楯士騎士団の男達が悪いというのに。

 ユニコーンの騎士団を誘い出す餌とされていたということも、本来はどうでもいいことだ。

 戦士たるべきものが、戦って惨めな敗北を喫した。ただけそれだけ。

 戦って負けた自分たちの弱さを、なぜ、〈ユニコーンの少年騎士〉が謝罪するのか。

 キィランは苦いものを噛み締めた。

 そして、決めた。

 一人でも多くの黒騎士を屠り、後に残る者たちへの負担を減らすことを。

 例え自分が戦場で朽ち果てたとしても。

 それこそが、自分たちの弱さへの償いとなろう。


「オオオオオオオ!」


 騎士団随一の猛将が吠えた。

 獰猛な魔獣のように。

〈雷霧〉の戦場で感情がないと言われている〈手長〉さえも怯えさせたという伝説のある胴間声で。

 愚直なまでに真っ直ぐに振り下ろされた斬撃を、黒騎士は手にした剣で易々と受け止める。

 でっぷりと肥満したキィランの体格よりも細身だというのに、まとう力は遥かに凌駕している。

 渾身の振り下ろしをつば元で止められ、しかも、〈気〉をこめた力をどれだけ掛けても巨大な岩石を押し続けるにも似た徒労感を覚えるぐらいだ。


(魔導によって与えられた怪力というのはこれほどのものか。牛をも両断できる力を誇るワシの筋肉もインチキには及ばないようだな)


 しかし、キィランは自嘲以外の感想も持っていた。

 黒騎士は見た目ほどには余裕がないという事実をも見抜いていたからだ。

 少なくともキィランの斬撃を軽々といなして、反撃をすることはできていないからだ。

 つまり、それはキィランのことを、蝿を払うようにはあしらえないということだ。

 だが、だからといってキィランがその事実を生かせるかどうかは別問題ではあったが。


「グォォォ!」


 さらに力をこめる。

 力比べの様相を呈し始めた時、キィランの視界の端に何かが飛び込んできた。

 それは床を滑るように足から飛びかかってきた一人の兵士だった。

 兵士は伸ばした両足の間に、黒騎士の右脚を挟み込み、そのまま体をひねった。

 大の大人の全体重をかけた捻りに、黒騎士は足を取られて前に倒れざるを得なかった。

 カニバサミと言われる体技の一つだった。

 戦場ではほとんど使われることのない捨て身の大技だった。

 なぜかというと、


「くそ、この蛮人め!」


 キィランを警戒していたもうひとりの黒騎士が、同僚の足をすくった兵士の腹に自分の剣を突き立てた。

 戦場で無闇に寝転がれば待っているものはこういう最期である。だからこそ、捨て身の技なのだ。トドメを刺してくれと言わんばかりの姿勢であるから、そうなるのは火を見るよりも明らかだった。

 しかし、腹を刺された兵士は足で挟んだ黒騎士の太ももにそのまま抱きついた。

 魔導鎧の手甲で頭を陥没するまで殴られても、兵士は抱きついた腕を決して放そうとしない。

 足に鉛のごとくにしがみつかれたことによって、黒騎士は完全にバランスを失う。

 その隙を見逃すキィランではない。

 もう一度振り上げた上段からの真っ向唐竹割りで、黒騎士の鎖骨を魔導鎧ごと叩き切った。

 肋はおろか、心臓までも一気に切り裂かれ、黒騎士は絶命した。

 その同僚の死に様に激怒したもう一人がキィラン目掛けて襲いかかる。

 斬馬剣を死体から抜く前に殺すために。

 だが、その目論見は阻止される。

 黒騎士の腰にタックルをかけた騎士がいた。

 剣を振りかぶった右腕にしがみついた兵士がいた。

 頭から大地を滑り、黒騎士の足首に肩からぶつかった傷病兵がいた。

 真正面からぶつかりあえば、虫けらのように叩き切られる雑魚としか思われていない男たちが行う、生命を捨てるに等しい行為が、黒騎士をその場に引き止める。

〈雷馬〉の上にいる限りは決してされないであろう、黒騎士の全身に男たちがまとわりつくだけの攻撃が、みっともなくも効果的に黒い死神の動きを止めた。

 右腕にしがみついた兵士が岩をも砕く膂力によって首の骨を折られる前に、固く縛り付けたロープの輪っかの先端を複数の兵士が引いた。

 そのおかげで黒騎士は剣を振ることができなくなった。

 力任せに男達を引き剥がそうとしたとき、ようやく斬馬剣を引き戻したキィランが腰だめにその切っ先を黒い魔導鎧の腹に突き立てた。

 刀身の半ばまで突き刺さったが、それだけでは黒騎士は即死しなかった。

 シュキンと鋭い音がすると、その指先にきらめく刃が出現する。

 最後の隠し武器だった。

 瀕死の状態の黒騎士ができる攻撃は、その指先の刃を使ってキィランの喉を裂くことしかなかった。

 しかし、その瀕死の反撃は狙いを外しはするものの十分な戦果をあげる。

 たった一枚の刃が振るわれた先にはキィランの両眼があったからだ。


「ぐぉ!」


 堪えきれない痛みがキィランの顔面に走った。

 目の前が真っ暗になった。

 これから自分の眼に永遠に光が差さないであろうことを、彼は本能的に悟った。

〈雷馬兵団〉の騎士二人と引換の失明だとは、わりのいい取引だと納得さえもした。

 しかし、まだ足りない。

 もう一人ぐらいは道連れにさせてもらおう。

 二度と娘や孫の顔が見えないのだ。

 せめて三人ぐらいは大物を食わせてもらう。

 命を捨てて黒騎士の動きを止めた団員たちの気概にも答えねばならんしな。


「もう一人はどっちだ!」


 怒鳴りあげると、彼の後ろにいた兵士と思われる声が、


「あちらです。まだ、仲間たちがとりついて引き止めています!」

「儂の身体をそちらに向けろ! あと、何歩の距離にいる?」

「はい」


 両肩を押さえられて、そのまま向きを変えられた。

 そして、「キィラン卿の歩幅だと九歩から十歩であります!」と怒鳴る。


「よくやった。見ておれよ、儂の最後の戦いを!」

「はい!」


 キィランは先ほどの兵士たちのように肩に力をこめると、全力で突進した。

 歩幅を数え、〈気当て〉し、決して過たぬように黒騎士めがけて走る。

 何も見えないことなど気にもならない。

 彼の目的はただひとつ。

 黒騎士を抱きかかえることだけだ。

 野生の熊が両手を回すようにキィランの双腕が黒騎士の首筋を横から抱え込んだ。

 ぎょっとして黒騎士が彼の方を向く。

 さっきから夥しい男たちに決死のタックルを受けまくっていたことで、苛立っていた黒騎士が仰天するほどの巨大な男に首根っこを抱え込まれたのだから当然。

 しかも、そいつは目に裂傷を受けていて、こちらではないあさっての方向を見ているとなれば尚更だ。

 まるで魔物にでも呪われたかのような不気味さを感じた。


「は、離せ! この蛮人め!」

「……そりゃあ、無理だなあ。儂はもうお主と心中するぐらいしか御国に奉公することができんのだ。許せ、許せ」

「ふざけるな、コノ……」


 黒騎士は逃れようと懸命に身体を捻るが、キィランはさらに組み付き、太い腕で完全にその喉を押さえつけた。

 呼吸が圧迫される。

 もしセスシスの〈阿修羅〉であったのならば全身からの刃でキィランを切り裂けたであろうが、彼の魔導鎧にその装備はない。

 あがくだけで手一杯だった。

 そして、キィランは一度組み付いた敵を逃すほどのお人好しではない。


「ここでお主を取り逃がすとな、儂の大切な娘や友が危険にさらされるのだよ。それは困るだろう? 運が悪かったと思って諦めてくれ」

「や、やめろ!」

「さらばだ」


 キィランは双腕に軽く力を込めた。

 人の首の骨をへし折る程度なら、そのぐらいで十分だった。

 ゴキリと背筋が冷える不気味な音を立てて、黒騎士の首はありえない角度でねじ曲がった。

 家畜として飼う山羊の首を絞めたことのあるキィランにとっては、盲目であったとしても容易いことである。

 死体を乱暴に放り捨てて、キィランはきっと近くにいるであろう部下に喚いた。


「……おい、肩を貸せ! 早くだ!」

「キィラン卿、いったい、どこへ行かれるのですか?」

「〈少年騎士〉殿をお救いに行くのだ。たかが、目が見えなくなった程度でまごまごしていられるかよ」


 この期に及んでもまだ、キィラン・ジャスカイは戦う気力を失ってはいなかった。

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