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聖贄女のユニコーン 〈かくて聖獣は乙女と謳う〉  作者: 陸 理明
第十八話 〈少年騎士〉の伝説
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死の旋風

 黒き死の旋風がイド城に吹き荒れたのは、もうそろそろ陽が落ちるだろう頃合、まだ太陽が紅くなる前の時間帯だった。

 イド城に立てこもる戦楯士騎士団の男たちは、その死の風を迎え撃つために幾つもの準備を整えていたが、それらが蟷螂の斧にすぎないことをよく理解していた。

 それでも敵が攻めてくる、自分たちを殺しに来るというのならば抵抗しなくてはならない。

 黙って蹂躙され、陵辱され、そのまま生命を終えるなど、到底受け入れられるはずがないではないか。

 イド城をぐるりと囲む五間(約九メートル)の城郭だけが、男たちの生命を守るよすがであったが、黒騎士たちはものともせずによじ登り、そして城の中に侵入してきた。

 重量のある魔導鎧を纏ったまま、指だけで壁に穴を穿ち、じりじりと登攀してくる黒騎士たちに対して、城郭のてっぺんに陣取った兵士たちが矢を射掛けるもまったく効果がなく終わった。

 それどころか無事によじ登りきった黒騎士たちの剣に次々と撫で斬りにされ、あっという間に城郭の上部は占領されてしまう。

 一方の閉め切られた正門も、五騎ずつが波状攻撃をかけるように体当たりをして、破壊しようとしていた。

〈雷馬〉は最高速度を出すたびに全身に雷を発生させ、その雷が黒騎士の突撃の威力を倍加させる。

 最初の襲撃時に、戦楯士騎士団の抵抗をたやすく排除していったのは、この〈雷馬〉の特性によるものだった。

 その魔獣の突撃が、所詮は木に過ぎない門を圧迫し、鎹を締上げ、破壊しようとしていた。

 兵士たちは内部から押さえてこらえようとするが、まさに〈雷馬〉の馬力に対抗することもできそうもなく、そのまま破られようとしていた。

 だが、正門の天井部に一人の白装束の人物が現れ、何の躊躇いもなく〈雷馬〉の群れへと飛び降りていったことで突撃は止んだ。

 白装束はすとんと黒騎士の頭の上に降りる。

 最初、乗られた黒騎士は気がつかなかった。

 自分の頭の上に人が乗っているというのに、まったく気がつかなかったのは、まるで重みを感じなかったからである。

 まるで羽毛でも落ちてきたかのように。

 異常に気づいた仲間が指を差して怒鳴ったことで、はじめて気がついたぐらいだった。

 黒騎士が頭上を掻いた時にはすでに遅かった。

 白装束が振り落としたやや曲がった剣が上から切り上げるように、顔面を頬あてごと叩き切ったのだ。

 崩れ落ちた「足場」が愛馬から落ちる前に、白装束は再び飛び退り、今度は別の黒騎士の肩の上に移動していた。

 他の黒騎士たちの槍の攻撃を頭上でかわしつつ、肩から肩へと移動する姿は小鳥のように軽やかだった。

 突撃班の黒騎士たちに一切触れることすら許さずに舞う姿は、まるで姿かたちはあっても実体がないかのようだった。

 白装束による露骨な足止めのおかげで、わずかな間だが正門が破られることはなくなったが、それでも城郭によじ登ったグループによる城内への切り込みを防ぐことはできなかった。

 イド城防衛における戦楯士騎士団の奮戦がどうして可能だったか、後にいくつかの研究がなされている。

 研究者によって様々な要素が指摘されてはいるが、どの説をとっても絶対に言及するものがある。

 それは、『ハーレイの立往生』と名付けられたダンスロット・メルガン考案のまさに秘策だった。


 ―――城郭をよじ登った黒騎士たちが、城の前部にある広場を見下ろすと、正門を守るための部隊を除いて、兵士が集まっていないことに気づく。

 いや、正確に言うと、無象の兵士たちはおらず、ただ一つの影だけが広場の中心に立ち尽くしているのが見えたのだ。

 最高級の絹のような純白の皮をもち、剣そのものの鋭い一角を誇り、ただの馬など及びもつかぬ風格を備えたユニコーンと、バイロン産の眩い青銀の騎行鎧に身を包み、一角聖獣を模した角付きの兜を被り、光り輝く宝石の剣を構えた、ただ一騎の騎士を。

 まずは俺を狙うがいい、と言わんばかりに挑発的に広場の中心で、場を支配する雄々しく凛々しい姿を。

〈ユニコーンの少年騎士〉、その人が無視はできぬ存在感を周囲に見せつけていた。

 この時、〈雷馬兵団〉は、自分たちの作戦目的の中に「セスシス・ハーレイシーの完全なる殺害」という項目が含まれていることを、バイロン側に見抜かれていたことに気づいていなかった。

 数時間前に、無理矢理に包囲網を突破してイド城に入り込んだのが、彼らの狙いである〈ユニコーンの少年騎士〉であったことに気づき、その結果として総攻撃を決めたという事実を読まれていたことも。

 故に、〈ユニコーンの少年騎士〉を見掛けた血気盛んな黒騎士が、手柄欲しさに無防備に立ち尽くす戦術目的に殺到するであろうと予想されていたことも。

 壁を登った十人の黒騎士たちは、他に二千人近くが隠れていることをわかっていながらも、完全に侮りきってセスシス目掛けて特攻した。

 あの男の首を取れば、戦功随一間違いなしという誘惑に抗えずに。

 そして、それがダンスロットの目論見であった。

 この作戦においては、セスシスのもとに黒騎士が達するまでは城内の兵士たちはじっと物陰で息を潜め、かの〈ユニコーンの少年騎士〉と斬り合いが発生した段階で、後ろから槍で襲うというものだった。

 しかも黒騎士一人について、五人の兵士がかかり、その中に一人だけ騎士を交え、その騎士が〈気〉を流した槍こそが本命でトドメを刺すというものだった。

 功に逸り、バイロンの兵士たちを舐めきっていた黒騎士たちは、セスシスと彼の相方”アー”の騎乗技術まえに触れることもできずにいなされていたところを、次々と後ろから貫かれていった。

 魔導鎧の防御力を過信しきっていたのと、この国の騎士の〈気〉の力を過小評価しすぎていたということが背景には存在する。

 なにより、〈雷馬兵団〉の実力はその名の通りに〈雷馬〉との人馬一体によるものが大きかったにも関わらず、徒歩であったことも影響していたのだろう。

 さらに、光り輝く時のエーテル光を発現していたセスシスに、この世界のものでは触れることすら叶わぬことを知らなかったということもある。

 黒騎士たちが自分たちの驕りによってしくじったことを理解する前に、壁を登攀したグループは確実に討たれていき、あと二名というところになった瞬間、ついに恐れていたことが起きた。

 正門が破られたのだ。

 軽やかに時間稼ぎをしていた白装束の戦士が、徐々に正門から遠ざけられているうちに、新たな〈雷馬〉と黒騎士が編成され、雷をまとった突撃によって無理矢理にこじ開けたのである。

 さっきの徒歩の黒騎士とは違う、〈雷馬〉に乗った本当の黒騎士が城内に怒涛のごとく侵入してくる。

 たちまち〈雷馬〉が入り込める広場は黒く埋め尽くされた。

 何騎かは城の棟に無理矢理に割り込んだ。

 愛馬を降りて、制圧のために走り込んでくるものたちもいた。

 さっきまで登攀グループと戦っていた部隊は膾のように切り刻まれていく。

 勝利の余韻など微塵もない惨殺の嵐だった。

 黒騎士と〈雷馬〉は武器を振り回しながら進む。

 侵掠のためだ。侵略のためだ。殺戮のためだ。

 黒き死の暴力が吹き荒れた。

 今度こそ、戦楯士騎士団は全滅するだろう。

 (おか)してきた奴輩は皆そう考えた。

 しかし、そうはならなかった。

 抵抗の火種はくすぶり、一瞬で発火し、戦いの火蓋は決して閉じなかった。

 戦楯士騎士団の士気はまったく落ちなかったのだ。

 ダンスロットの作戦案の本当の意味はこの段階において発現する。

 イド城の広場は城の中心であり、城内にいればどこにいても見下ろすことができる場所であった。

 そのため、訓示をするときなどに利用され、場合によっては作戦会議にも使用される。

 つまり、すべての視線が集中する地点といえる。

 その最重要の要とも言える場所で、セスシス・ハーレイシーが戦い続けていた。

 彼に剣技がないのは皆が知っていた。

 彼に相手を殺す力がないのを皆がわかっていた。

 だが、〈ユニコーンの少年騎士〉は騎乗したユニコーンと共に黒騎士の剣を避け、槍を躱し、広場の中央で抗い続けた。

 ただの一騎の黒騎士も倒せはしないとしても、魔法を通り越して、奇跡のような乗馬技術ですべての攻撃を凌ぎきっていた。

 その姿を戦楯士騎士団の兵士たちすべてが横目で見続けた。

 必死に戦いながらも、視界の端から決してこぼれ落とさなかった。

 乱戦、しかも彼我戦力がどれほど圧倒的であったとしても、自分たちの目の届く場所であの光り輝く騎馬が戦い続ける限り、どこからか勇気が湧いてくるからだ。

 あの英雄が存在する場所で共に戦える。

 ただ、それだけで世界が彼らを肯定しているかのように錯覚してしまうのだった。

〈ユニコーンの少年騎士〉をただのモラルアップの駒として用い、部下たちに死に物狂いの戦いを強要する、悪辣な作戦であった。


 ―――しかし、その作戦の効果はさすがにいつまでも続きはしなかった。

 それは、他の〈雷馬〉がざっと波がひくように横に割れ、孤軍奮闘するセスシスと”アー”の騎馬(コンビ)の前に、一騎の黒騎士が現れたことで終わる。

 鮫のような棘をつけた兜を被った豪奢な外套をつけた黒騎士。

 この〈雷馬兵団〉の指揮官と目された人物が姿を見せたのだ。

 右手には、セスシスの〈瑪瑙砕き〉に匹敵する白い魔導の煌きを放つ大剣を握り込んでいる。

 指揮官と思われる黒騎士は、周囲の戦塵をまるっきり無視して厳かに言い放った。

 渋くて苦い壮年の男性の声であった。


「―――貴様が、第二十三特研都市ザイムで召喚された〈妖魔〉か?」


 顔色を変えずに〈ユニコーンの少年騎士〉は答えた。


「ああ、セスシス・ハーレイシーだ。ところで、あんたがこの〈雷馬兵団〉のボスか?」

「その呼び名は貴様ら東の蛮人がつけたものだが、身どもたちもかなり気に入っている。よって、もったいなくも使ってやろう」

「……それはどーも」

「身どもはこの〈雷馬兵団〉の団長を務めている〈白珠の帝国〉の大騎士である。名は、ゾング・ヰン・バーヲー征夷将軍。貴様ら、蛮人を討つために遣わされた、皇帝陛下の代理人である」


 ……様々な意味で、この時のバーヲーの名乗りは衝撃を与えた。

 歴史的な意味においては、中原、東方の人間に対して〈妖帝国〉と呼ばれている〈白珠の帝国〉が、未だに存在し、そして中央・東方に対して戦線を布告したということであり、そして、セスシスにとってはかつての友人の親族が敵として現れたということであったからだった。

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