イド城防衛戦
城の補強作業をしていたり、今までと異なる不穏な動きをし始めた〈雷馬兵団〉を監視したりというそれぞれの仕事を続けていた戦楯士騎士団の兵士たちが、最低限の見張りを残して一箇所に集められた。
キィランの話では二千人前後ということだ。
残りは最初の奇襲で討ち死にしたか、離散してしまい合流できなかったとのことである。
カマナ地方での任務を終えた際に、カマナ出身者を復興のために残してきたとはいえ、5千人近い人数の精鋭騎士団をここまで痛めつけるとは、さすがは〈雷馬兵団〉と言うほかはない。
かくいう俺も奴らにはボロボロにされたうえ、仲間たちを虐殺されているのだから、恨み骨随にまで達しているのだが。
二千人がイド城の中央広場には入りきらないので、城の中庭の窓やら壁の上やらから身を乗り出して兵士たちはこちらを見ている。
急ごしらえの壇上には、ダンスロットとキィラン、そして俺が立っていた。
こんな風に人の注目を浴びるのは初めてだった。
しかも、俺は一席ぶたなければならないのである。
緊張で目が回りそうとはまさにこのことであった。
「……そろそろ始まりますぞ」
キィランが小声で俺に合図してきた。
こちらは平然としたものだ。
さすが孫がいる年齢の男は違う。悠然としたものである。
「告げる、私はダンスロット・メルガン。おまえたちの将である」
ダンスロットは七尺二寸(二メートル十八センチ)という熊のような巨漢である。
その大柄な体格でずらりと並んだ屈強な兵士たちの前に威風堂々と立つと、あまりの威容に打ちのめされそうになる。
体格だけでなく、今までダンスロットが苦心して磨いてきた威厳やら経験やらが、背中から後押しして風格を漂わすのだ。
平和な森の奥に引きこもって暮らしていた俺では太刀打ちできないぐらいに堂々たるものだった。
「おまえたちには幾つか不吉な知らせがある。それを聞いたとしても、この窮地に落ちた城から逃げ出すことはかなわぬが、知らずに死ぬよりはマシであろうと告げることにした。私の慈悲深い計らいに感謝しろ」
兵士たちの中に苦笑いが浮かんだ。
聞きたくもない話をされるというのに、その喋り手に感謝しろとはなんて言い草だという風に。
意外だった。
ここまで追い詰められているというのに、兵士たちにはほとんど焦慮の色が見えない。
元気ハツラツとまではいかないが、闘志も感じられる。
籠城戦というのは本来兵たちにとっては有り難くない戦法であるはずなのに、どうしてこんなにも士気を保てるのだろう。
率いる指揮官への信頼だろうか。
壇上のダンスロットに視線を送る。
十年前はいけすかないことをつい口に出してしまう貴族のお坊ちゃんだったあいつが、時間をかけて達成した努力の結果だろう。
つい目頭が熱くなってしまった。
あの時、俺が柄にもなく生命を賭けたことで、ダンスロットが立派になってくれたのであればそれはいいことをしたといえる。
「一つ、援軍は来ない。王都からの軍も、聖士女騎士団もだ。来られたとしても、おそらくは明日の朝以降になるだろう。そして、先程からの動きを見る限り、暗くなるまでに〈雷馬兵団〉はこのイド城を落としに掛かる。これが二点目だ」
さすがに動揺が波のように走った。
この二点を合わせれば、結論として彼らは死ぬということなのだから。
だが、どういうわけか不平不満は口々に言うが、罵声の類いはあがらない。
こういう時に黙っていられるほど気性の穏やかな連中ではなさそうなのに。
「……援軍がこない理由はわかっている。現在、王都周辺に小型の自律的な〈雷霧〉が発生し、我々以外のすべての軍がこれに対処するために動いているからだ。そうなると、我々に割ける人数はほぼないものと思われる」
援軍が来ないという事実よりも、〈雷霧〉発生のニュースの方が兵士たちの動揺を招いた。
戦楯士騎士団の兵士たちは、ほとんどボルスア出身者と王都出身者で占められ、前者も長いこと王都暮らしをしている。
つまり、ほとんどのものが家族、親族、友人、知人を王都に抱えているのだ。
その身内に危機が迫っている。
自分たち自身の境遇よりもそちらの方が気にかかるのだろう。
そして、相手は〈雷霧〉。
まだ他国の侵略の方がマシといえる特大の危機だ。
平静でいられるはずがない。
「静まれっ! 王都の方は気にするな。おまえたちの身内はきっと無事に済むだろう」
「閣下、それは無理ってものです! 〈雷霧〉が私の妻と娘に迫っているというのなら、助けに行かせてもらいたい!」
「そうです、王都には両親が……!」
「私にも許嫁がいます!」
「すぐにでも戻りたい!」
「黙れ!」
ダンスロットは傲然と訴えを封殺した。
彼は将なのだ。
どんな場合でも死ねと命じる権利を持つ一軍の長なのだ。
勝手な判断を許すことはしない。
兵士たちの身を切られるような陳情を切って捨てる。
「心配するな。おまえたちの身内は無事だ」
「なぜ、言い切れるのですか!」
「簡単だ。聖士女騎士団がすでに現地入りしている。王都に〈雷霧〉が届く前に、彼女たちユニコーンの騎士がすべてを片付けるだろう。おまえたちが今まで見てきた通りに」
苛立っていた兵士たちが沈黙する。
彼らは既に二度も目の当たりにしている。
聖士女騎士団が〈雷霧〉を潰し、見事に生還する様子を。
そして、彼女たちを信じてあの薄汚い煙の中に送り出したのは彼ら自身なのだから。
絶対に信頼できる聖なる暴力装置。
実力主義、効率主義に陥りやすい軍隊の男たちでさえ崇拝せざるを得ない結果を出し続けたユニコーンの少女たちを疑うことは彼らにはできない。
むしろ、祈るように目を瞑る。
事実、壇上の俺のすぐ手前にいた壮年の騎士が呟いた。
「頼む、ユニコーンの騎士たち……」
その横のまだ若い兵士も。
「母ちゃんを守ってください。騎士様……」
彼らはいと儚き戦女神たちを信じるしかないのだ。
今すぐにでも王都に行きたいが、結局、〈雷霧〉を突破できるものはユニコーンの騎士しかいない現状を皆が正確に理解していた。
聖士女騎士団が向かったというのなら、その勝利を祈るだけしかできない。
「……わかったか。おまえたちに助けはこないが、おまえたちの家族を守るために生命をかけているものたちがいる。そして、おまえたちにできることは、あの厄介な連中をここに引きつけて身動きできなくさせることだけだ。〈雷馬兵団〉のクソどもを野放しにしておけば、他の軍に何をしでかすかしれたものではないからな。その憂いを断つのだ」
なんという欺瞞。
ここで〈雷馬兵団〉と戦ったとしても、それが国全体にとって益になるわけではない。
〈雷馬兵団〉の狙いが聖士女騎士団であるとしても、それはここの兵士たちにはなんの関わりもない話だというのに。
少女たちのために生贄になれというに等しいのに。
だが、ダンスロットは迷わず言い放つ。
戦って死ね、と。
「あのクソどもはもうすぐここを陥としにくる。その準備に入ったことは明白だ。私たちを見逃してくれる気はさらさらないようだしな。そこで、おまえたちの奮戦に期待する。私からは以上だ。―――最後に、〈ユニコーンの少年騎士〉から一言、貴様らへの言葉がある。心して聞け」
いいよ、そういう盛り上げは。
あっためておきましたとばかりにウインクをしてくるダンスロットと、俺はげんなりした顔を合わせる。
嫌がったのに無理やりやらされるハメになった俺のことを同情してくれよ。
訓示なんかしたくもない。
だが、俺は覚悟を決めて壇上から男達を見下ろした。
それなりに見知った顔がいる。
もしかしたら、今日ここで一緒に死ぬかもしれない奴らばかりだった。
そうだ。一緒に死ぬのなら、声ぐらいはかけてやるべきだ。
「みんな、助けがこないということは聞いただろう。おまえたちはこの場に集ったものたちだけで、あの〈雷馬兵団〉と一戦交えなければならない。それがどれほど厳しいものであるか、俺はわかっている」
……俺は知らなかったが、戦楯士騎士団の男たちは、〈騎士の森〉での俺と〈雷馬兵団〉の立ち回りについて知っていたそうだ。
シノがキィランを通じて伝えたらしい。
だから、この時の兵士たちは同じ強敵と戦ったものとしての連帯感を俺に抱いていたそうだ。
それぞれの眼には同胞を見る色が含まれていた。
「こんな厳しい戦況において、俺一人しか援軍に加われないのを心苦しく思う。だが、聞いてくれ。俺はおまえたちに地獄の底まで付き合おう。俺は最後の最後まで一緒に戦う。俺の〈ユニコーンの少年騎士〉という称号にかけて誓う」
俺は軽く息を吐き、
「俺は戦友と共にある!」
たどたどしいうえに短くて拙い演説だったはずなのに、兵士たちはそれに応えてくれた。
爆発的な歓声が、轟然とした叫びが、狭い広場を超えて、イド城全体を震わせる。
孤立無援、四面楚歌の真っ只中、兵士たちは俺とともに戦う決意を新たにしたのだ。
それは確実に死へと誘う汚い勧誘だというのに、男たちは迷いなく、決断したのだ。
目に物見せてくれるぞ、〈雷馬兵団〉。
どれほど強力な武力を持った相手であろうと、死に物狂いの人間の力を思い知るがいい。
俺は手を挙げてみんなに応え、そして、心の中で泣いた。
いつまでたっても俺は泣き虫のままなのだ。
◇◆◇
後に、生き残った戦楯士騎士団の騎士は言う。
「たった一人であんなところにまで駆けつけてくれた人に、一緒に死んでくれと言われて奮い立たないはずがないじゃないですか。〈少年騎士〉さまにとって大切な教え子であるはずの聖士女騎士団をさしおいて、イド城まで来てくれただけでも嬉しかったのに。ダンスロット将軍と〈少年騎士〉さま、お二人の英雄と並び合って戦えるというだけで、自分たちは恍惚としていました……」
バイロン史上、局地戦としては稀に見る激戦となった『イド城防衛戦』は、こうして幕を開けたのである……。




