騎士ミィナは夢を叶える
王宮のすぐ前にある英雄の名のついた大通りを、青銀の甲冑を纏った華やかな女たちが連れ立っていく。
騎乗しているのは見た事もないほど美しい生物で、白くて綺麗で一本の角が生えている。
先頭に立つのは、これも信じられないほどに可愛いお姫様みたいな女の子。
それに対して、人々が通りの脇で歓声を送り続けている。
夢みたいな光景だった。
そして、それがミィナ・ユーカーの最初の記憶。
◇◆◇
ミィナは何をやっても駄目な女の子だった。
飽きっぽくてお調子者で、物事に真面目に向き合うことを嫌がるからだ。
逆に大好きなのは、薄っぺらい綺麗事の書かれたお話や友達が黄色い声で繰り返す他人の恋の噂。
ある意味では普通の少女だった。
もし、なにごともなく世の中が動き、歴史の糸が紡がれるとしたら、きっと彼女が騎士になることはなかっただろうし、その名が残ることもなかっただろう。
それぐらい平凡などこにでもいる女の子だったのだ。
ただ、彼女には従姉妹がいた。
歳は一つ上で、親同士も仲が良く、小さい頃から一緒に育った実の姉妹のような関係の従姉妹が。
駄目なミィナに比べて、彼女はなんでもできる優秀な子だった。
同じような血と同じような育ちをしてきたというのに、差は歴然としていた。
従姉妹は運動でも勉強でも遊びでも、すべての分野でミィナを圧倒し、ほとんど勝ったことがなかった。
しかも真面目な性格から手を抜いてくれないこともあり、ミィナにとってはもう打ち砕けない壁を相手にしているかのような徒労感を覚えるほどであった。
その従姉妹とのつきあいのせいで、ミィナは劣等感に苛まされることになる。
従姉妹本人にはわからないだろうが、優秀すぎる相手と付き合うということは、平凡な人間には自分自身をスポイルし続けることと同じことになりかねないのだ。
同じ苦労を従姉妹の親友も味わうことになるのだが、ミィナはそこまで気が回ることはなかった。
ただでさえ駄目な女の子が、優秀すぎる身近な人物のせいでさらに駄目になり、おそらくはそのまま人生が終わるだろうと考えていた十二歳の時、従姉妹が騎士養成所に入ることになった。
どういうわけか、そのおまけとしてミィナも放り込まれるハメになってしまう。
本当は行きたくなかったが、従姉妹の誘いを断りきれず、そのまま渋々彼女も騎士の道へと進むことになった。
だが、自分を誘った従姉妹はさっさと一番上級の近衛騎士のための養成所に移転してしまう。
実力通りといえばそのままなのだが、ミィナは好きで入った訳ではない場所に独りで取り残されて、仕方なく我慢して訓練に励むことになった。
そして、彼女は劇的な体験をする。
初めての乗馬訓練で、たまたま運良くだした記録が、初心者としては稀に見る優秀なものであったのだ。
担当の教官に「おまえ、才能があるな」と褒められ、背中を叩かれたのが死ぬほど嬉しかった。
今まで押さえつけられ、何もできなかった彼女にとって、それはまさに発芽の瞬間だった。
それ以来、ミィナは乗馬にのめり込む。
何よりも速く走ることに熱中する。
他の技術をおろそかにしてでも、最速を極めるために。
たまたま同時に帰省していた従姉妹に、「うわ、いいな。私のところ乗馬の訓練ないんだよね。くそぉ、馬を使った勝負だとミィナに負けちゃうのかあ」とぼやかれたことも拍車をかけた。
あのなんでもできる従姉妹に勝てる!
その完璧すぎる背中だけを見ていたミィナは、もっともっと先を見据えるようになった。
誰よりも速く。
誰よりも先へ。
最速のユニコーンである相方と組んだミィナは大陸のどんな乗り手をも凌駕できるはずだった。
◇◆◇
地に落ちた火竜は、首を持ち上げて威嚇しながら騎士たちを睨みつけてきた。
火竜には後肢がなく、前肢だけで上半身を持ち上げている。
首だけで三回建ての塔を越す高さを持ち、高目から睨みつけられるとさすがに警戒して突撃できない。
だが、火竜の右前肢は骨折しているらしく、巨体を支えるのがやっとの有様で、羽根もバタバタさせるだけでもう飛べそうもない。
航空戦力としての実力の発揮はもうできないだろう。
だが、騎士たちはトドメを刺すことに決めていた。
それは仲間たちの敵討ちのためでもあったが、この幻獣にもしかしたら超回復能力が備わっている可能性があることを恐れたからだ。
この世界の高位の魔物は、世界に愛されている。そのため異常な回復力を持つことが往々にしてあるのだ。
ある意味では彼女たちの教導騎士もその範疇に含まれている。
つまり、ここで放っておいて〈核〉に向かうこともできるが、〈核〉への道行きに飛べるまでに回復した火竜に再び襲われないとも限らないという懸念があるのだ。
そうであるのならば、後顧の憂いを断つためにもここで仕留めておく必要があった。
だが、当初の予定では落下直後に馬上槍で押し込み槍衾にするつもりだったのだが、意外と早く正気に戻り、すぐさま首を掲げて威嚇をしてきたため、迂闊に近寄れなくなっていた。
短弓を持つ者たちが、中距離から何本も矢を放つが、鉄の皮膚に遮られて傷一つつけることができない。
かといって馬上槍で突撃するには、火炎としっぽの二つが脅威であり、それをなんとかしなければならなかった。
「くそ、せっかくのシャーレの戦果が生かしきれない!」
「ナオミ、下がる。危険」
いつも冷静なナオミがいきりたっていること察したキルコが、わざわざ近寄って彼女を落ち着かせる。
キルコとて仲間の死に怒りを感じてはいるが、それとこれとは話は別だ。
切り替えねば、切り替えねば。
輪になって遠巻きにしていては埒があかないと、クゥが”エリ”と進み出て、火竜の鼻先をかすめて短弓を放つ。
特に緑の血を発する右目の傷口あたりを正確に射抜く。
傷口を抉られたことでさらに怒り心頭に達した火竜が、左前肢でクゥを襲う。
「そ、そんな攻撃で、わ、わたくしに当てられるなんて思わないことね」
クゥとて平静な訳ではない。
シャーレと特に仲が良かったとはいえないが、同じ釜の飯を食った戦友である。
その戦友のあんな死に様を見せつけられて我慢ができるはずがない。
シャーレが命を捨てて作った傷口をもっと広げてやる。
この化け物が二度と犠牲者を出さないようにするためにも。
いつもの舞うような乗馬技術で、火竜のやたらめったな攻撃を余裕をもって躱していく。
誘っているのだということに気づくほど、火竜は知恵が回らなかった。
クゥの動きに気を取られている間に、騎士たちは火竜の右側に回り込んでいた。
右目が潰れ、肩の骨が折れ、翼も満足に羽ばたかせない火竜の弱点に。
苛立った火竜が一瞬息を吸う。
毒液を吐くために。
クゥは”エリ”に「〈物理障壁〉っ!」と怒鳴った。
黒い液体を跳ね飛ばす白き光輪。
飛行中に上から狙われるよりも、目の前で溜めとともに吐かれた方がタイミングも間合いもとりやすい。
クゥたちは見事に凌ぎきった。
逆に、これは火竜にとっては悪手であった。
効果的に運用すれば切り札として、見せ札として効力を発揮するであろう毒液を、たった一人の挑発を受けて使用してしまったのである。
騎士たちがすぐに攻勢にでなかった理由が毒液にあることに気づいていなかったのだ。
あれほどの火炎がすぐにまた吐けるはずがない。次に吐けるようになるまでにはわずかな時間ぐらいはある。
その判断に従って、騎士たちは突撃した。
二十数本の馬上槍が針の山となって前進し、火竜の右わき腹を貫いた。
いかに鉄の皮膚でも防ぎきれず、騎士によっては根元まで刺し貫く。
すぐに馬上槍を回収できた騎士はそのまま引き返し、もう一度突撃をする。
肉に引っかかり槍が抜けないものは、諦めて自分の得物を取り出して、全力の〈強気功〉をかけて傷口を再度広げる。
感じたことのない痛みに暴れる火竜は、まとわりつく虫けらどもをしっぽで薙ぎ払おうとするが、いかんせん飛行中に尾翼として使用することが主なために小回りが利かず、成果を発揮できなかった。
このままいくと殺される。
ありえないはずの事実に気づき愕然とした火竜は最後の決断を下す。
自分に取り付いた虫けらを自分の身体ごと火で焼き尽くすことを。
毒液による発火は、火竜自身すら焼く諸刃の剣である。
だから、普通ならば自分に向けて吐くなんてことは決してしない。
同族から受けた火傷からの回復には、下手をすれば何十年とかかることもあるからだ。
だが、今はそんなことを言っている時ではない。
このままいけば、こんな虫けらどもに集られて殺されてしまう。
それだけは嫌だ。
まだすべての虫けらを焼き殺せるだけの毒液が口内に溜まってはいなかったが、それでも半数以上は焼き殺せるだろう。
火竜は息を吸い込んだ。
◇◆◇
その火竜の挙動に気がついたのは、ミィナ一人だった。
やられるがまま、なすがままになっていた火竜が鎌首をあげて何やら脇腹あたりを睨みつけたのだ。
あの動作には見覚えがある。
火炎を吐くためのものだ。
つまり、あの火竜は自分の肉体もろとも火炎で仲間を焼き尽くそうとしているのだ。
ミィナは仲間たちに伝えるか迷った。
あの戦場の中で声が届き、そして内容を理解できるかは怪しいところだ。
火竜の前肢や翼、そしてしっぽの抵抗はまだ続いている。
それを掻い潜って一撃を加え続けているのだから。
そうなると、できることはたった一つ。
ミィナはユニコーンを走らせる。
馬上槍を抱え、火竜の首に目掛けて。
「“べー”、走って!」
距離はそれほどでもない。
だが、奴が火炎を放つ前にたどり着けるかは微妙。
しかし、それは他の騎士にとってはということ。
彼女は―――ミィナ・ユーカーは最速のユニコーンの乗り手なのだ。
一瞬で襲歩に切り替え、騎手の全身の体重を前に乗せ、前かがみで速度を上げる。
出足でも後脚でも、彼女たちに勝るものはいないのだ。
それでも、問題は馬上槍が刺さったぐらいで火炎を吐くのを止められるかということだけ。
そこで、ミィナは決意した。
「“べー”、翔ぶよ。あのトカゲの口の中に突っ込む」
身体を張って〈物理障壁〉を利用することで、毒液そのものを食い止めようと。
「ごめんね、君の速さをこんなことに使って」
その時、脳に声が届いた。
《征こう、我が処女よ。疾風よりも速き我らにできぬことなどない!》
それは彼女の相方の声。
かつて、速さゆえに乗り手に恵まれなかったひとりぼっちのユニコーンの叫び。
「そうだ。ボクの夢は―――ボクたちの夢は誰よりも速く走ることなんだ!」
ミィナの全身から光る胞子が舞い上がり、風に流されていく。
まるで彗星のように。
自分の肌からこの世の時を形成するエーテル光が発され、自分自身が世界と同化していくことに気づかず、ミィナはただ風になって、“ベー”と共に駆ける。
火竜が必殺の毒液を撒き散らそうと大口を開けたとき。
「〈物理障壁〉!」
アンズを食い散らかした口内に、ひと組のユニコーンの騎馬が飛び込み、白い輝きを発した。血煙とともに激しい爆発が起きた。
だが、火竜は自分の口の中で起きた爆発の理由に気づくことはなかった。
なぜなら、残った左目で一瞬だけ確認した離れた場所にいたはずのユニコーンが、気がついたら眼前に現れて、かっと開いた両顎に飛び込まれたのだから。
そして、彼が毒液を吐いた瞬間、自らの劇薬じみた毒が舌や喉に跳ね返り、そして地獄の業火となって信じがたい激痛を発する。
しかし、その痛みにのたうち回る暇さえも火竜には与えられなかった。
彼の上顎は夥しい牙とともに吹き飛び、鼻さえも消し飛んでいた。
わずかに残った下顎の上に一騎のユニコーンが雄々しい姿を晒していた。
その鞍上に座った少女が馬上槍を火竜の額にゆっくりと突きつける。
彼は悟った。
たった今、自分はこの人間に殺されるのだと。
「みんなの、アンズ隊長の、シャーレの仇をとらせてもらうぞ」
“ベー”が足場らしい足場のない火竜の下顎の上で渾身の踏み込みを行った。
馬上槍の鋭い穂先が火竜の額を抉り、そしてその脳を貫いた。
断末魔の叫びすら上げることもできずに、大陸最強の幻獣は崩れ落ちていった。
―――後に、ミィナ・ユーカーのことを〈竜殺し〉と呼ぶものたちがいたが、彼女はその称号をずっと固辞し続けた。
「それはシャーレにこそ相応しいものですから」と謙遜する彼女にとって、一番のお気に入りの二つ名は、共に戦った仲間たちが授けた〈彗星〉というものだった。
そして、聖士女騎士団の歴代最速の乗り手という異名を彼女から奪い取ることができたものはついぞ現れることはなかった……。




