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女たちは諦めない

[第三者視点 王都バウマン]


 執務室に通じるバルコニーから、王宮広場の様子を見下ろしていたヴィオレサンテ・ナ・ユラシス・ストゥームは、傍らで書類の確認をしていた宰相にぼやいた。


「王都守護の騎士団は、まだごねているのか?」

「左様で。彼らは、すぐにでも西の城壁に赴きたいというのを、将軍たちが必死に止めているところです」

「余の意図は伝わっていないのか?」

「いいえ、そのようなことは。陛下の下知は届いておりまする。しかし、それでも止められぬものが、人の情。例の〈老人会〉の身内のものにとって、彼らを見捨てることは心情的にできないのでしょう」

「ザンたちはまだ戦っておるのか?」

「はい。つい先刻、あの死に損ないからの伝令が来ました。どうやら王都の西側は、例の〈墓の騎士〉なる魔物に埋め尽くされる寸前だそうです」


 ヴィオレサンテは痛ましげに眉を寄せた。

 だが、彼女が露わにした感情の動きはそれだけだ。

 臣下の命など路傍の石も同様と割り切れるものこそが、真の王たる資格を持つものだと叩き込まれていたからだ。

 確かに、ザン前侯爵が率いる〈老人会〉なる老戦士たちが孤立無援のまま悉く討ち死にするのは悲劇だろう。

 しかし、国全体で見れば、ここで虎の子の騎士団に被害を出すわけにはいかないのだ。

 結局のところ、〈雷霧〉に対抗できるのはユニコーンの騎士だけ。

 ただの騎士では、あの黒い霧の中に入ることも叶わない。

 そうであるのならば、国の戦力の中核である騎士団を温存することこそが肝要なのだ。

 そして、ザンたちは自分からあえて捨て駒になった。

 姥捨て山に捨てられる老父母よりも無残な時間稼ぎのために。


「ザンとは、幼なじみでして……」


 不意に宰相が口を開いた。

 昔語りなど珍しい、実直な政治家がどういう風の吹き回しであろうか。


「ほお、そうなのか?」

「私は十五で騎士となっても、すぐに廃業して政治の世界に飛び込みましたが、あいつは三十歳近くまで騎士団にいました。軍の水が合っていたのでしょう。大貴族たるザン家の当主としては型破りな男でした」

「孫娘もそれに近いな」

「ええ。オオタネア殿もあの破天荒さを受け継いだようで、私も苦労させられています。我が一族の間では誅殺すべしとの声が上がるぐらいに」


 話の内容は辛辣だが、どういうわけか深い親しみがこもっていた。

 鉄の血を持つといわれた宰相にしては、穏やかな好々爺のように。


「西の諸国が次々に〈雷霧〉に飲み込まれ、推定何百万の人間たちが消えていった時、奴は一回軍に戻ろうとしたのです」

「初耳だな。それでどうして、戻らなかったのだ?」

「陛下の〈英雄(バドオ)〉の仕業ですよ。……お気づきだと思いますが、私は彼のことをはっきりと嫌っております。まさに蛇蝎のごとくに。〈ユニコーンの少年騎士〉はこの国にとって害悪に過ぎないと考えておりますので。ただ、そんな私でも、一つだけ彼に感謝していることがあるのです」

「……聞こう」

「幼なじみが無謀にも〈雷霧〉に突撃しようとするのを引き止めてくれたことです。あの時点で、ザンが〈雷霧〉に向かっても無駄死にしただけでしょうから」

「それはおかしいな。ザンは今も、〈雷霧〉からの魔物と戦っているぞ。十年前と変わらないはずだ」

「違いますな。今、奴が戦っているのは無謀な突撃ではありません。奴の愛する孫娘がやって来るまでの時間稼ぎのためです。無駄死にではないのです。そして、私は幼なじみとして、友が見事に死んでいくというのならそれを黙って見送らねばならないのです」


 国王は、宰相から目を離し、そしてぽつりと呟いた。


「この世界のものたちは、すでに死に場所を探して足掻いている状態ということか……?」

「そうかもしれません。我らのすること、すべてがすでに手遅れで、あとはいかに納得して死ねるか、それだけが問われているのかも……」


 老人の諦念をこめた言葉を聞き、国王は視線を落とした。

 長い時間を権謀術数に明け暮れ、魑魅魍魎の巣食う政治の世界で生き抜いてきた男の本音が彼女を打ちのめしたのだろうか。

 いや、違った。

 若き女性国王は、その諦念を笑い飛ばした。


「ククク、何を痴呆じみたことを言うておる、爺いよ。ついに惚けたか、ああん? まだ、戦いが終わらぬうちから白旗をあげるようなことを言いおって。ああ、やだやだ、老い先短い爺いの繰り言には付きおうてられぬわ」

「……な」


 狂気をまとったかのように、育ての教育係を激しく罵るヴィオレサンテの眼には強い反撥が現れていた。

 負けてたまるかという若者の反撥が。


「何が死に場所、何が死に際、かようなことを申しておるから男どもは頼りにならんのだ。確かにザンは立派、お主も立派だが、それは貴様らにとってのだけのことだ。力のある男どもの戯言だ。そんなものに余や女どもが従わなければならない道理はどこにもないぞ。死ななければならないとしても、最後の最後まで歯ぎしりしながら生き抜いて、それから先のことだ。少なくとも、余はまだ諦めておらぬ。そして、まだまだ生き残るための策は打ち続けておる」


 国王は赤錆色の月の下に蠢く遠き〈雷霧〉を指差し、


「あの〈雷霧〉を潰すことができる唯一の戦力である聖士女騎士団が間もなく到着するっ! だが、それだけではない。余がこの日のために選び出した者たちが、まさしく、たった今もあの〈雷霧〉において四面楚歌の状況でなお戦い続けているっ! ただ二人だけの軍隊が愛する者たちのために戦っておるっ!」


 ヴィオレサンテは窓を開け放して、バルコニーに姿を現す。

 彼女の眼下には参戦を止められてフラストレーションのたまりきった騎士たちが群れをなしていた。突然、バルコニーに現れた国王に対して全員が視線を上げた。

 国王の演説の予定などない。突然の登場だった。場がざわめく。

 そして、いきり立った男たちに対して、小娘というのが相応しい外観の国王陛下が雄々しく叫びあげた。


「我が騎士どもよ、今は堪えよ。何があろうと、そこで待機し続けよ。そなたたちの活躍の機会は必ずや訪れる。だから、今は立ち止まるための勇気を持てっ! なにもしない勇気を覚えよっ! 我がバイロンには二つの切り札が揃っているっ! 一つは〈雷霧〉への切り札、西方鎮守聖士女騎士団っ! もう一つは、無傷でいくさに備えるそなたたちだっ! いいか、騎士たちよ。我々は負けない。バイロンは墜ちない。この世界は終わらない。決して諦めてはならないっ!」


 国王自らの檄に待機していた騎士たちは震え上がった。

 恐怖ではなく、燃え上がる武者震いに。

 まだこの世界は終わっていないという戦いの宣言は、すべての騎士たちの心を猛々しく震撼させたのだ。


 そして、歓声に沸き立つ王宮から数里離れた〈雷霧〉の中心付近において、いみじくもヴィオレサンテが断言した通りに、二人の女騎士がまさしく死者さえも三舎を避けるような大活劇を繰り広げていた……。


     ◇◆◇


「どうだ、ユーカー。慣熟できたか?」

「まだだよ。今一つ、しっくりこない。もう少しかかると思う」

「あまり焦るなよ。私と違い、君はついさっきこの魔導鎧に袖を通したばかりだ。こいつは外出着にするにはちと締めつけがキツすぎるからな」


 そう言って、シャツォン・バーヲー―――愛称”シャッちん”は自分の魔導鎧〈熱姫(あつき)〉の胸元を叩いた。

 もともと男性の騎士のために鋳造されたものであるが、バイロンの魔道士たちによる錬金加工によってより細身になって女性でも十分に纏える仕様になっている。

 先行するシャッちんに続くタナも、同型の魔導鎧である〈刹羅(せつら)〉を纏っているが、指摘された通りにまだ装着したばかりで慣れたとはいえない状況だった。

 魔導鎧は、金属内にこめられた魔導の力によって、着込んだ騎士の力を倍加させるからくりを有しているが、慣れていないものにとってはその倍加する力の指向性を把握するまではただの鎧以上に使い勝手が悪い武具となる。

 タナは〈強気功〉で筋力を強化したまま使用することで、無理に肉体を動かしていたが、それは効率の悪いやり方だった。

 同行しているシャツォンがなにくれとなく世話を焼いてくれたおかげで、なんとかやっていけているという形だった。

 だが、その状況下においても、タナ・ユーカーは並大抵の騎士ではなかった。


「しかし、君もなかなかいい腕の持ち主だ。魔導鎧をまとっているとはいえ、これほど戦えるとは思わなんだ。なんだ、聖士女騎士団には君みたいなのがゴロゴロしているのか?」

「私と互角なんて、うちには沢山いるよ」

「凄まじいものだな。あの〈雷霧〉にたった十数騎で突撃するだけのことはある。部隊を率いるオオタネア・ザンという将軍の高名も聞いているが、むしろ、私としてはさすが聖一郎の教え子と言いたいところだ」

「せーいちろーって、セシィのことでいいの?」


 ついさっきまで聞くのをためらっていた質問を、ついにタナは口にしてしまった。

 ずっと躊躇していたのに、まとわりつく〈墓の騎士〉との戦いが一旦滞ったとき、不意に聞きたくなってしまったのだ。

 出会って数刻の間に、このシャツォンという元帝国の女の魔導騎士が折に触れて、聖士女騎士団について話すときに出てくる「聖一郎」という喋りづらい名前があった。

 その名前をタナは聞いたこともなかったが、女の話に出てくるイメージはまさに彼女のよく知る青年そのものだった。

「聖一郎」に対して語るとき、シャツォンは男勝りの女丈夫とは思えぬ乙女の顔を浮かべた。

 そして、タナは自らの胸中に溢れ出してくる苦い感情の存在に気づいた。

 誰もが知り、誰もが離れられない負の感情。

 それは嫉妬という名前をしていた。


「……セシィ? ああ、今はセスシス・ハーレイシーというらしいな。ヴィオレサンテ陛下にも聞いているよ。あいつの本名にどことなくよく似ている、いい名前だな」

「本名……知っているの?」

「当然だ。私と出会った頃はまだ中途半端に記憶が残っていたからな。――晴石聖一郎というのが、あいつの本当の名前だ。たぶん、今では名前ぐらいしかまともに覚えていないだろうがな」

「……はれえしせーいちろー、でいいのかな?」


 少しだけ、シャツォンは黙った。

 それから憐れむように、


「君、滑舌が悪いな。もう少し精悍に呼んでやれ」

「な、べ、別にいいじゃないっ! ぐっどらっくだってないすふぁいとだって意味が伝わればいいって言ってくれてたもん」

「それ、あいつの世界の言葉だろう。もう少し、くっきり喋ってやれよ」

「ほっ、ほっといてくれない!」


 タナはムキになって怒った。

 どうしてもこの女騎士に憐れまれると無性に腹が立ってしまう。

 セスシスに関してのことだと思うと尚更だ。

 この女騎士だけには負けられないと、タナは心に決める。

 さらに文句を言おうとしたとき、シャツォンが周囲をひと睨みした。


「どうやら、外郭の霧の濃い部分を抜けたとしても、〈核〉にたどり着くまでは色々と待っているみたいだな。休憩は終わりだ」


〈雷霧〉によって月光が遮られた黒い世界の中で、おびただしい気配が接近してきているのを感じ取ったようだった。

 ついさっき死ぬ思いをしながらも突破してきた雷の落ちる外郭部分よりもさらに多くの敵が周囲を包囲しつつあった。

 タナも双剣を握り締める。


「シャッちん、一気に〈核〉のある中心地に走り出そう。この魔導鎧を纏っている限り、体力の浪費はかなり避けられそうだし。……まったく、〈妖帝国〉の武具って異常よね。信じられないよ」

「我が祖国の謹製品だからな。……ところでこのままいけば、〈核〉の場所にはたどり着けそうなのか、ユニコーンの騎士よ」

「〈雷霧〉の中では方位磁石は効かないけど、このあたりの地図は頭に叩き込んできたし、私の勘が正しいと叫んでいるから大丈夫だよ」


 それを聞いて、かなり疑わしそうに、


「勘が頼りになるのか?」

「ユニコーンがいなくても、私は〈聖獣の乗り手〉なんだよ。世界の〈愛〉が私たちを守ってくれる」

「……まったく、貴様を見ていると頻繁に聖一郎を殴りたくなるよ」

「どういうこと?」

「気にするな。……では、貴様が前衛に立ってくれ、私は背中を守ってやる。あと一刻ほどで〈核〉まで行くぞ。私たちが徒歩だということを忘れるな」

「任せて」


 そう請け負うと、タナは再び前進を開始した。

 まだ発生して数日、しかも〈手長〉も〈脚長〉もいない小規模な〈雷霧〉とはいえ、たった二人で外郭を突破した戦士たちは、迫り来る魔物たちを蹴散らしつつ前に進むために走り出した。

 夥しい〈墓の騎士〉たちの屍を後にして……。

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