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王都は沈むのか?

[第三者視点 王都バウマン]


 毎夜続く夫の歯ぎしりに今日という今日は耐えられそうもなく、丸太を柱にして形の悪い板を貼り付けて建てた惨めな小屋の外に出た。

 出たと同時に女は目を擦り上げた。

 小屋の出口の反対側、西の方角にこんもりと巨大な山ができていたからだ。

 空には真っ赤な赤錆色の月が輝き、視界は悪くなく、深夜だというのに遠くまで見通すことができる。

 だが、その巨大な山は今まで、いや、ついさっき夕食を食べていた時でさえ存在していなかった。

 自分たちが山の麓にいることに気づかない人間なんているはずがない。

 女は頬の肉を平手で張った。

 痛い。

 夢ではないようだった。

 では、あの黒い山は一体何だろう。

 きらりと何かが輝いた。

 続く、天を劈く轟音。

 雷の音だった。

 どこかで雷が鳴ったのだ。

 この雲一つない天気のどこかで。

 女の愚鈍な頭がようやく一つの事実を思い浮かべた。

 そして、小屋の中に飛び込む。

 夫と三人の子供たちが気持ちよさそうに惰眠を貪っていた。

 彼女の夫はまだ歯ぎしりを続けている。

 女は出来る限りの大声を上げて、家族を叩き起した。


「みんな、起きなさいっ! 早く、起きてっ!」


 家族は目をこすりながら顔を上げる。

 ひどく迷惑そうだった。

 女は憤慨する。

 そんな顔をしている場合じゃないのよ、今すぐ目を覚まさないと大変なことになるのよ!


「なんだよ、母ちゃん、まだ夜じゃないか」


 坊主頭の長男が文句を言った。

 常識知らずの母親を非難する口調だった。

 思わず女は怒鳴った。


「うるさいっ、早く起きて、荷物を持って外に出なさい!」

「……どうしたんだ、おまえ。おかしいぞ」

「あんたも早くしてっ! 間に合わなくなっちゃう!」

「何があったんてんだ? 野盗か? こんな王都のそばのちっちぇ難民窟を襲うやつらなんていねえだろ。夢でもみたんじゃないのか?」


 変わらずのんきなことを言い続ける伴侶の頭を女は蹴り飛ばした。


「なにしやがるっ! このクソ女っ!」


 顔色を変えた旦那の顔をさらにひっぱたき女は叫んだ。


「〈雷霧〉だよっ!」

「ん、なんだって?」

「〈雷霧〉がすぐ目の前に現れたんだ。今すぐ、ここから逃げ出さないと、皆があれに飲まれて死んじまうよ!」

「ちょっとまて」


 夫は妻の必死の形相にはじかれたように、小屋の外に出て、そして西の空に現れた巨大な山の影を目撃した。

 彼はカマンの街の出身で、超脅威に飲み込まれた自分たちの街の末路をよく知っていた。

 だからこそ、すぐに理解した。

 あの聳え立つ巨大なやまの影のようなものが、まだ膨張が小さい段階の〈雷霧〉だと。

 それほど巨大で人智の及ばぬ脅威なのだ。


「マジか? なあ、母ちゃん、あれはマジで〈雷霧〉なのか!」

「だから言っただろう、このオタンコナス! さっさと逃げる支度をしてすぐにここから動かないと……」

「でも、周りのやつらにも……」


 夫婦の小屋の周囲には、難民窟と言われるだけあって、彼ら以外にも三百戸近い難民たちが暮らしていた。

 まだあの〈雷霧〉に気づいている様子はない。

 すぐに声をかけて知らせないと。

 その彼らを見捨てて逃げ出すというのは……

 だが、周囲がパニックになったら彼らの脱出も困難になってしまうかもしれない。


「逃げる途中で、声を上げていきゃいいじゃないか! 他人のために自分たちが逃げられなかったりしてどうするのさ!」

「そ、そうだな。その方がいいな……おい、ガキども」


 妻の説得を受けて、夫は自分勝手な結論を出す。

 それから、小屋の中に飛び込んで子供たちのもとに駆け込もうとした。

 その時……暗い小屋の中で夫は冷たい何かに手を掴まれた。

 最初は子供たちかと思ったが、こんな雪のように冷たい手をもった子はいない。

 ぎょっとして振り向くと、目の前に霞のような黒い塊に骸骨の首が乗っ怖気の走る怪人が突っ立っていた。

 誰何するまでもなく、夫は自分の身体から力が抜けていくのを感じた。

 まるで腕や足に力がはいらなくなるように、身体の自由が効かなくなる。

 生命力を吸い取られているという真実に、学のない元農夫は気がつかなかった。

 ただ、小屋の奥に視線を向けた時、自分を掴んでいるのと同じような黒い怪人が、手にした刃で彼の子供たちを刺し殺している残酷な絵が飛び込んできた。

 彼の愛する子供たちが無残に殺されているというのに、夫はもう抵抗することさえできなかった。

 外から妻が呼んでいた。

 彼らを心配して小屋の中に入ろうとしているのだ。

 夫は止めたかった。

 せめて、惚れて一緒になった恋女房だけでも生きて欲しかった。

 彼らはカマンで小さい頃から一緒に育ち、共に街を追い出され、そして苦労しながら生きてきた。

 苦労だけをかけてきた妻だった。

 だからこそ、せめて妻だけでも生きて欲しかった。

 だが、その望みは血だらけになった妻が小屋の扉に倒れかかってきたことで潰えた。

その脇には黒いもやの如き怪人が立っている。

 そして、その先には〈雷霧〉の巨大な悪夢じみた影が。

 すべての意識が消える瞬間、夫は自分の人生は〈雷霧〉によって酷く捻じ曲げられ、そして終わらせられたということを知った。

 憎かった。

 ちっぽけな人間たちの人生をすり潰していく、〈雷霧〉が憎かった。

 彼は願った。


 誰か

 誰か……

 誰か、〈雷霧〉を消してくれっ!

 俺の故郷を、家族を、人生を奪った〈雷霧〉を消してくれっ!


 誰か!


 その願いが叶うかどうか、彼に知るすべはなかった……。

 

     ◇◆◇


〈斧使い〉―――ザン前侯爵は、城郭内に次々と湧いてくる〈墓の騎士〉相手に仲間たちと戦っていた。

 彼ら自身が「老人会」と呼ぶ、古参の騎士、従士、そして腕っ節の強い民間人たちを集めた集団は、当初から想定されていた自分たちの持ち場から一歩も引かず、ずっと戦い続けていた。

〈墓の騎士〉と呼ばれる死体に取り付く魔物が、どれほどの数が存在するかは彼らにも不明だったが、老人たちの奮戦のおかげで王都バウマンの西側から中央へ逃げ出そうとする臣民たちは順調に脱出を終えていた。

 ただし、いかにタフネスを誇るとは言っても所詮は老人である。

 無尽蔵に湧いてくるともいえる敵相手に、少なくない老人たちがすでに犠牲になっていた。

〈斧使い〉と共に剣を振るっていた禿頭の元騎士は、武器を手落とした隙をつかれ、十体近い魔物たちにまとわりつかれたまま心臓発作を起こして二度と立ち上がらなかった。

 だが、彼らは仲間の死をほとんど気にしていない。

 それはそうだろう。

「老人会」の面子は、今日のこの時、〈雷霧〉が王都を侵食する日に備えて集まったものたちばかりなのだから。

 鉄の槍を振り回しながら、前方から一人の豊かなまでの顎鬚を蓄えた老人が走り寄ってきた。


「よお、侯爵閣下、ご機嫌よろしゅう」

「なんだ、貴様。城郭の上で張っていたのではないのかよ」

「わざわざ伝令に来てやったんだよ。あんたに一言伝えたら、ジイワズんとこにもいかなくちゃならねえ」

「……手短に話せ」

「おうよ。〈雷霧〉の侵食速度を計算していた俺の仲間がな、だいたい夜明け寸前に城郭あたりを抜けると結論づけた」

「予定よりも早いのか?」

「おう、そうだな。あと、一刻ぐらいだ」

 

 会話中も、二人の老人たちは戦いの手をを休めることはない。

 寄ってくる魔物どもを相手に一歩も怯む気配も見せず。


「王宮到達までは?」

「さらに早いな。三刻(六時間)かからないだろう。陛下はもう都の外へ脱出なされているのか?」

「知らん。宰相と大将軍に任せてある」

「……上から見ていたが、王宮前の広場あたりに王都守護の騎士団が三つ、陣を張っていたぜ」


〈斧使い〉はくだらなそうに吐き捨てた。


「なんだ、せっかく、俺たちが時間を稼いでいるのに何をたむろってやがるんだ?」

「俺たちみてえな爺いの集まりは信用できねえんだろ」

()かせ」

「……じゃあ、俺はジイワズのところに行ってくるわ。〈雷霧〉がくるギリギリまで粘れよ、大貴族のクソ爺い」

「貴様こそな、王立魔導院のしみったれ魔法使い」


 顎鬚の老人が通りの先に消えると、〈斧使い〉は仲間たちに告げた。


「聞いた通りだ。俺たちのやる気満々の戦いのおかげで、王都の民たちの脱出はかなり進んでいる。正規の騎士団の戦力も削ぐことなく、温存することができておる。狙い通りだ。このまま、この城郭付近を守りつつ、時間を稼ぐぞ」

「おおっ!」


 仲間たちはいくさの美酒に興奮しきった顔で応えた。

 どの顔も初老を飛び越え、下手をすればひ孫さえもいておかしくない老いたシワだらけの皮膚をしていた。

 だが、肩で息をしながらも疲労困憊となりながらも、老人たちの眼にはぎらぎらとした熱い感情がこめられていた。

 随分と昔に前線から退き、戦士としては盛りを過ぎた扱いを受けていたものたちが、久方ぶりに、いや、人生の最後の戦いに赴くにあたり全身から吐き出すような熱い思いの発露だった。

 ザンとジイワズの二人の前侯爵が集めた老人たちは、すべてが一線や現役を退いた戦士ばかりだった。

 経験と技術はあっても、世代交代の波に押し流され、否応なく隠居に追い込まれたものたちを、最後の奉公の機会だとして駆り集めたのだ。

 もともと二人は爵位を後進に譲ってから、暇にあかせて王都の夜回りのようなことをしていた。

 だが、宰相の間者が何者かに襲撃されたときに手に入れた情報に従い、王都に迫る脅威に備えて新しく編成しなおしたのだ。

 大貴族であった二人の元には、ぞくぞくと枯れ果てたはずの老いた強者(つわもの)たちが集まってきた。

 王都の傍に〈雷霧〉ができるなどということは誰もが想像していなかったが、自分たちの人生の最後でもう一花咲かせられるというだけで老人たちには十分だった。

 愛用の武器や、何十年も修練してきた戦技をただ朽ちらせるだけでなく、その力で祖国と街を守れるというのならば。

 老人たちは萎びた筋肉を、折れそうな骨を、まともに呼吸ができぬ肺を酷使して、〈雷霧〉の尖兵たる〈墓の騎士〉の騎士たちと戦い続けた。

 彼らの第一の目的は、〈雷霧〉から民が逃げきるための案内、そして〈雷霧〉からくるであろう〈手長〉〈脚長〉を城郭の外に釘付けにすることで正規の騎士団の損失を抑えることにあった。

 だが、目的の〈雷霧〉からは巨人たちではなく、〈墓の騎士〉という神出鬼没の魔物の群れが現れ、その数に老人たちは押されていた。

 しかし、意思も心も持たぬ魔物どもは知らない。

 死さえも恐れぬ老いた兵士の猪突猛進の戦いの力を。

 老人たちは愛する家族に別れを告げていた。

 二度と会えぬと理解していたものは、長年連れ添った妻たちばかり。

 ほとんどの子や孫は気がつかなかった。

 老人たちが最後の戦いに向かう決意をしていたということを。

 自分たちが犠牲になり、未来のために力を蓄えさせているということを。


「よし、朝までこの魔物共を凌ぎきろう。そうすれば、〈雷霧〉が俺たちを包んで結局そのまま雷が殺してくれるだろうよ。気張れよ、クソ爺いども」

「でも、逃げてもいいんですよね、侯爵」

「おおよ、戦うだけ戦って全速力で逃げ出すだけの体力が残っていればな」

「無理だな。結局、わしらはただの爺いだ。最後の最後まで戦うだけですまそう」

「だがよ、そうするとオレたちまであの魔物どもにとりつかれて、あいつらの手先になるんじゃねえのか?」


 なるほどの疑問を一人の老人が言う。

〈墓の騎士〉が死体にとりつくということを、さすがにこの夜の攻防でなんとなく理解していた。

 だが、その疑問をザンは鼻でせせら笑う。


「ふん、てめえらごとき老いぼれの死体に乗り移ったからといって脅威になるかよ。それに五体満足で死ぬ気か、てめえら。片手の一本でも失いながら死ねば、相手の戦力も削れて一石二鳥じゃねえかよ。それでいけ、それで」

「かかかっ、チゲえねえ。死んだあとのことなんて考えたっても無駄だな。首が落ちるまで暴れればいいのさ」

「それによ、侯爵閣下よ」

「なんだ?」

「あんたの孫娘、もうすぐくるんだろ? あんだけの別嬪さんを死ぬ前に拝めれば、爺いとしては後悔なしに死ねるってもんさ」


 集まった老人たちは、ゲヘヘと下品に笑った。

 本人たちはそのつもりだったが、枯れ果てているからか、とてつもなく陽気で闊達とした見事なまでの笑みにしか見えなかった。

 振り向くと、またどこからか〈墓の騎士〉が寄ってくる。

 数は減った様子はない。

 それでも老人たちは武器を握った。

 彼らの後ろには子供たちと孫たちが隠れている。

 ここで何もせずにくたばるわけにはいかないのだ。


「どりゃああああ!」


 元大貴族が愛用の戦闘斧片手に先陣を切った。

 次々に老人たちが後に続く。


 王都を守る城郭に〈雷霧〉の先端が迫るまで、あと数刻。

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