熱狂
[第三者視点 王都バウマン]
イド城は平地に建てられた城である。
正確に言うのなら、城郭に周囲を守られただけのただの野戦陣地でしかない。
分厚い正門も存在しているが、城の周囲をウロウロと巡り、攻撃の機会をうかがっている敵の存在を考えると民家の玄関扉よりも頼りない。
城郭も平均すれば五間(約九メートル)ほどの高さしかなく、その気になれば簡単に登られてしまう程度のものでしかなかった。
だが、その城郭だけがイド城の中に逃げ込んでいる男たちの最後のよすがなのだと考えると、城内の雰囲気がいかに弱気なものであったか理解できることだろう。
「兵どもの様子はどうだ?」
「よくはありませんな。怖気づいています。とても王国最強の騎士団の成れの果てとは思えません」
「まだ終わってはいないだろう」
「五千の兵のうち、死亡が確認できたのだけで五百人。千人以上が離脱し、千人前後の傷病者を抱えている状況ですからな。まともに稼働できる騎士と兵士は二千人ほどといったところでしょうか」
「俺がいうのもなんだが、散々なやられようだな」
「そうですな。それでいて、こちらが仕留めた〈雷馬兵団〉の黒騎士は十騎前後。一矢報いた程度の戦果です」
城郭の壊れた箇所を補強する作業に没頭する兵たちのために、巨大な材木を運びながらダンスロットはキィランとの会話を続けた。
そのキィランも肩に大荷物を乗っけて悠々と歩いている。
気功術を極めた騎士ならば、この程度の労務はどうということはない。
ただし、騎士は身分上の問題もあり、このような労務を率先してやることは許されていないが、現状のイド城の様子からすればそんなことは言っていられない切羽詰った状況なのだ。
もっともダンスロットたちが自ら力仕事に手を出しているのは、単に士気を高めるためだけではなく、暇つぶしを兼ねてのことであったが。
「ありがとうございます、閣下。大貴族の閣下にこんな下層の作業を手伝わせてしまい、頭の下がる思いでさ」
「気にするな。俺とキィランは怪力無双を謳っている。この程度の力仕事は腹ごしらえにもならん。そういえば、飯は食っているのか?」
ダンスロットが鷹揚に問うと、城郭の補強の指揮を執っていた騎士が答える。
「今朝の食事以来、何も食わせていません。というか、食うものがほとんどありません。井戸がありますので、水があるのが幸いですが」
「そういえば俺も食っていないな。茶だけだ」
「茶は逆に腹がすきます。もう控えたほうがいいですな」
キィランが腹を押さえ、剽げた顔をしたおかげで作業をしていた兵士たちがどっと笑い出した。
まだ冗談をいえるだけの余裕があった。
ただし、明日の朝までこれがもつかというとそれは難しいことだと、ダンスロットは読んでいた。
もともとバイロンの国民は空腹に弱い。
腹が空くと極端に肉体の活動値が下がる傾向がある。
〈雷馬兵団〉に襲われて二日、ほとんど何も食べていないものたちがいる以上、全軍の士気が落ちても仕方のないことだった。
城の外は、ぐるぐると周囲をめぐる〈雷馬兵団〉によって半ば包囲されている。
無理をして脱出しようとすれば、すぐに後背から襲われて二日前のようになるだろう。
しかし、籠城を続けたとしても飢えに苦しむのは確かだ。
ここで戦楯士騎士団がとれる手段は、ただ援軍を待つことだけだった。
「しかし、襲ってきませんな。回遊魚のように周囲をうろちょろするだけで、火矢すらも放ってこんとは……」
「餌に魚がかかるのをまっているのだから当然だろう」
「というと?」
「俺たちは餌だ。奴らは釣り師だ。そして、狙っている獲物はユニコーンたちというわけだ。それが最初にわかっていれば、ネアのもとに伝令などを出さなかったのだが……」
「なるほど、ザン将軍と親交の深い閣下を餌にするという作戦だったのですか……。ならば、我らをここへ誘導するように振舞った理由がわかりますな。いつ、お気づきになられたので?」
「今朝だ。明け方近くにうつらうつらとしていたら、懐かしい夢を見てな。それではたと気づいた」
大陸でも指折りの怪力を誇る超重剣士は、遠いものを見るように目を眇めた。
キィランには見えない、だが、彼にだけは見える思い出を眺めるために。
「……楽しい夢だったようですな」
「ああ、最高に楽しかった頃の記憶だ。私が自分となり、そして世界が私に許可を出した時のものだ」
「将軍閣下が哲学を論じられるとは思いもよりませんでした」
「なに、貴族に産まれてゴタゴタした子供時分を過ごすと、半分は哲学的なことを考えるようになる」
「残りの半分はどうなるのですか?」
「金と女と地位だけが欲しくなる。そのあたりのゴロツキよりも俗なことばかり考え出して、しかも楽しいから止まらなくなるようだ」
心当たりがあるらしく、キィランはぽんと手を叩いた。
「確かに。それで、閣下が前半分になったきっかけというのはなんだったのですか? ぜひ、お聞かせ願いたい」
「なに、至極簡単だ。友達ができたからだよ。王と臣民、そして名誉を守るという貴族の夢を成し遂げた友達がな」
「―――ああ、なるほど。話がそこに繋がるわけですな。要するに、閣下は〈少年騎士〉殿の夢を見られて、〈雷馬兵団〉の狙いに思い至ったということですか?」
「その通りだ。そもそも、あの裏切り者が〈雷霧〉のなかの偽地図をネアの部下たちに渡したのも、今回のことも、すべて聖士女騎士団絡みだとすると納得できる。王都にいるという裏切り者ども―――反貴族というらしい―――は、徹頭徹尾、ユニコーンの騎士たちを標的としているのだ」
キィランは考える。
確かに、かつての天装士騎士団の裏切りも結局のところはユニコーンの騎士団にとってはマイナスに働いている。
ありとあらゆる陰謀が、彼女たちに向けて仕掛けられているという気さえもしてくるぐらいだ。
それほどまでに彼女たちを敵視する勢力がいるのだろうか。
通常なら考えにくい話だ。
だが、今、彼らを苦しめている〈雷馬兵団〉のことを考えれば一つの結論にたどり着く。
「あの〈雷馬兵団〉も結局のところは、聖士女騎士団潰しのための道具ということですか?」
「そうなるな」
〈雷霧〉をただ一つ潰せる部隊を敵視するということは、〈雷霧〉の手先であることと同視しうる。
つまるところ、〈雷霧〉にはやはり後ろで操るものどもがいるのだろう。
そして、その敵とは―――
「〈妖帝国〉ですか……?」
「十中八九。〈雷霧〉の発生で最初に滅びたというのもおそらくは騙りだろうな。奴らは〈雷霧〉という脅威を操ってこの大陸を牛耳ろうとしているのだろう。その際に、あらゆる既存の国家、人間を滅ぼしても構わないというところが、魔導に傾倒しすぎた連中らしい傲慢だがな」
その時、反対側にある裏門方面から一人の騎士走ってきた。
なにやら慌てている様子だった。
ダンスロットたちの手前で急停止すると、そのまま膝まづいた。
「報告します」
「なんだ?」
「只今、伝令―――いや援軍が到着しました」
「なんと!」
キィランが詰め寄った。
「どこからだ、そして何騎だ。いや、どうやって〈雷馬兵団〉の囲みを抜けてここに来れたのだ? 奴らの陣形に隙でもあったのか?」
矢継ぎ早な質問に対して、騎士は答えない。
ただ、ダンスロットを見ていた。
そして、泣いていた。
歓喜の涙だった。
男の流すものとしては特上の涙だった。
「なぜ、泣いている。命拾いできそうだからか」
「いえ、違います」
「はっきり言え。俺は気が短い。貴様の涙の意味が知りたくて仕方なくなっている」
「はい。報告します。援軍の数は二騎。たった二騎です」
「二騎……だと」
キイランは口をあんぐりとあけた。
それではただの伝令ではないか。
間違っても援軍などというものではない。
「それで、どうして貴様は泣いているんだ? 頭がおかしくなったのか?」
キィランは首をひねる。
本来なら激怒して説教するところだったが、どういうわけかその気になれなかったのだ。
だから、隣に立つ自分の将の顔を見て仰天した。
見たこともないぐらいに晴れ晴れとした、歓喜に満ちた笑顔を浮かべていたからだ。
「来て……くれたのか?」
「はい。閣下のおっしゃる通りであります」
「そうか。……そうか」
ダンスロットは歩き出した。
部下たちには目もくれない。
少し前に同じ光景があったことをキィランは思い出した。
その時は……。
その戦場は……。
名を……ボルスアといった。
立ち尽くす部下たちをかきわけて、ダンスロットは人ごみの中心に向かう。
そこには、きっとあの人がいるはずだから。
もっとも邪魔な最前列をどかしたとき、ダンスロットの目に入ったのは、美しい青銀の完全騎行鎧だった。
「セスシスくんっ!」
これも美しい白きユニコーンにまたがった一人の、まだあどけなさの残る青年がいた。
「すまんな、ダン。援軍は俺なんかだけで勘弁してくれ」
心の底から気まずそうにセスシス・ハーレイシーは謝った。
実際、そう思っているのだろう。
実力のない戦士ですまない、と。
だが、イド城に命からがら逃げ込んできた、敗残の兵たちは違った。
彼らはボルスアで見ていた。
戦場を流星のごとく駆け抜けた、〈ユニコーンの少年騎士〉の姿を。
戦いに必要なのは、なんだ?
それは熱狂だ。
それはどうやって得られる?
真の英雄の隣に、後ろに、前に立つことによってだ。
英雄とはなんだ?
心を勇気で武装し、なすべきことをなし、そして結果を残すものだ。
おまえはそのものを知っているか?
知っている。
俺たちは〈ユニコーンの少年騎士〉を知っている。
ならば、戦おう。
不義を撒き散らすものたちを追い出そう。
自分たちの国を汚す者たちを叩きのめそう。
さあ、王都守護戦楯士騎士団の猛者たちよ。
ついに反撃の時が訪れたのだっ!




