霧に群がるものども
聖士女騎士団の全騎士は、王都救出に向かうことが決定した。
祖国であるバイロン最大の危機ということ、そして決して敗北が許されない状況ということもあり、現在動かせるユニコーンの騎士は全員がこの任務にあたることになったのだ。
アンズの率いる十一期と十二期の七人、ノンナを隊長とする十三期が十一人、シノがまとめた十四期が十四人、そしてオオタネアの計三十四人の騎士である。
騎士以外では、俺とモミが加わり、総勢でいうと三十六人となる。
十四期が一人足りないのは、ルノエ・ビルスタンという騎士が体調不良で動かせないかららしい。
ルノエについては、この〈丸岩城〉に来る前からかなり精神的に参っていたということもあって、ある意味で当然の判断だろうと思う。
一人で取り残すことになるが、非戦闘員の団員たちがいるから大丈夫だとは思う。
さらに、いつものメンバーで言うと、タナがいないのがかなり痛いうえ、今回が初陣に近い面子もいることから、やや軍団としての信頼性は落ちている。
しかし、それでも通常想定しているものの倍の人数をかけるのであるから、そこは十分に埋め合わせることができるのではないだろうか。
タナとは王都で合流できる可能性もあるので、タナの相方である”イェル”はレレに臨時で乗っていってもらうことになる。
〈雷霧〉戦のあとで、きっとあの天才剣士の力が必要になるはずだからだ。
なぜなら、今回の作戦の大枠としては、まず、全隊で王都の〈雷霧〉を可及的速やかに消滅させ、それから急旋回して〈雷馬兵団〉を討つというものだったのである。
王都まで半日、それからさらに半日ほどの時間をみて〈核〉を消滅させ、その後一日かけてイド城まで戻り、〈雷馬兵団〉に決戦を挑む。
はっきりいって厳しい綱渡りの作戦だと言える。
挟み撃ちの形を演出できるとはいえ、それでも敵の戦力はこちらよりも上の可能性がある。
しかし、それしか方法はないと思われた。
戦楯士騎士団を見捨てるという選択肢もあるが、のちのちのことを考えればそれは採りえない選択だった。
「……いいか、〈雷馬兵団〉と〈雷霧〉のどちらも我が国にとって直近の驚異であるということは変わらない。そして、どちらも我々が戦うのが最も適材適所といえる」
「はい」
会議室でされるオオタネアの説明に全員が頷く。
「そのどちらに対しても、我々が決戦を挑まなければならないということに変更はない。……これもわかっているな」
「はい」
「だが、この二つには大きな違いがある。それは、〈雷馬兵団〉については既存の騎士団、既存の軍団でもある程度の対処ができるのに対して、〈雷霧〉にだけは我らユニコーンの騎士以外は立ち向かえないという現実だ」
そうだ。
〈雷霧〉の中に突撃することができるのは、俺たちユニコーンを駆る〈聖獣の乗り手〉だけなのである。
そうであるのならば、優先順位は揺らぐことがない。
俺たちは〈雷霧〉を潰すための特化戦力。
どんな状況であろうと〈雷霧〉が発生したのなら立ち向かわなければならない。
「ゆえに、我らは王都に向かい、臣民の生命と財産を脅かす汚らしい黒い霧を叩き潰す。王都守護戦楯士騎士団を救うのはそのあとになるが、彼らほどの強者ならば数日は持ちこたえてくれると私は信じている。貴様らの中にはダンスロット将軍麾下に知り合いがいるものも多くいるだろう。だから、そのものたちを救い出すためにも一刻も早く全力でオコソ平原を蝕んだ〈雷霧〉を消滅させる。いいな、私の可愛いおまえたち―――死力を尽くせ、この最悪の状況を噛み破れ、運命の裏をかけ」
「おおおっ!!」
説明とともに、部下たちを鼓舞するための演説をかますオオタネア。
会議室に集った騎士たちは、士気を高めるための発言を口々にしだす。
〈雷霧〉も〈雷馬兵団〉も、ともに俺たちの宿敵である。
いや、絶対に俺たちが倒さなくてはならない不倶戴天の怨敵だ。
確かに、この作戦はギリギリの綱渡りにも似た戦いが二回も続く、最悪の連戦である。
今まで培ってきたすべての戦技と経験を駆使しても、確実に勝利をつかめるとは限らない。
むしろ、完膚無きまでに敗北する可能性すらある。
だが、俺たちはやらなくてはならない。
ユニコーンの騎士団の有する戦力とはそれだけ強大なのだ。
俺がふと後ろを見ると、十四期たちが集まる一画が目に入る。
一人だけ、他の仲間たちよりも厳しい顔でうつむき加減の少女がいた。
短く刈った銀髪と刃のような鋭さをもつ美貌の持ち主―――父親とは髪の色以外は似ても似つかないが、その闘志は確実に親譲りの生粋の騎士。
シノ・ジャスカイだった。
おそらく〈雷馬兵団〉にイド城で包囲された父親のことが心配で仕方がないのだろう。
父親から直に、入団の理由がもともと父親を助けたいというものだという想いを聞いていたこともあり、その悲痛な顔色は俺の心を揺り動かした。
キィランだけではない。
よく考えると、王都守護戦楯士騎士団にはかなりの世話になっている。
それにダンスロットもいる。
あいつも異世界から来て、大して力もない俺のために色々と力を尽くしてくれて、こんな俺を慕ってくれてもいる。
十年前、あいつとネアと一緒に王宮を不気味な魔物から救った時のことを思い出す。
友達……なんだよな。
きっと。
俺は秘書役のアラナと議論をしていたオオタネアに話しかけた。
「閣下、意見を具申したいんですが」
「なんだ、教導騎士。作戦内容に異議があるのか?」
「いや、それはありません。ただ、できたら変更して欲しい部分があります」
「……些細な変更だけだぞ」
オオタネアは俺の表情から何かを悟ったようだ。
頭ごなしに否定するような真似はしない。
とりあえず口にするだけはしてみよう。
採用してもらえるのならそれにこしたことはない。
「いくら戦楯士騎士団といっても、伝令から聞くところによると半数近くが死傷している以上、組織だった抵抗をこのまま続けられるとは思えません」
「確かにそうだ。―――それで?」
「俺たちが救援に行くといっても、それがいつなのかわからなければ精神的にも追い詰められてしまうおそれがあります。ダンは閣下のことを信頼しているから、俺たちの助けが来ることを確信しているとしても、部下たちはそうではないはず。そのあたりのことを考慮すべきではないでしょうか」
女将軍の整った眉が寄り、美貌に疑念の色が浮かぶ。
「どういうことだ?」
「ですから、俺としては……」
俺は、思いついた修正点を躊躇わずに述べた。
◇◇◇
[第三者視点 王都]
王都の隅に存在する闇の中に、一人の男が存在していた。
普段は、彼以外にも何人かの同類が腰掛けている贅を凝らした会議室であった。
だが、今は彼一人しかいない。
他の面子は王都内に巻き起こっている騒乱のおかげで、ここにたどり着くことすら容易ではないだろう。
それでも別に構わない。
彼にとって、この会議室に集う必要性はすでになくなっているのだから。
手元のグラスに注がれた葡萄酒を口にする。
美味い。
これは勝利の美酒なのだから、それも当然。
明日の夜も耽る頃には、この王都は完全に想定した状況に陥り、彼の十年に渡るくだらない仕事も終わり、そして夢にまで見た復権が叶えられるのであるから。
そんな彼の甘美なまでの物思いを破るかのように、ただ一つある扉が開いた。
不躾な登場人物は、彼を見ると安堵の吐息を発した。
これまで他人に恐ろしいとかなぶるようだとか評されてばかりいた彼にとって、顔を見て安心されるというのは甚だ心地悪い体験だった。
「バレイム卿!」
彼とともに謀を巡らしていた仲間の一人、モギラ家の現当主であった。
顔には疲労の色が濃い。
ここに来るまでにかなりの辛労を感じていたのだろう。
只人とはまこと不便なものだな、と彼―――バレイム・キュームハーン・ラはらしからぬ同情を覚えた。
「どうした、モギラの若当主。君も脱出するはずではないのか。時間がないぞ」
「……いや、その予定なんだが、どうしても気になることがあって……」
「なんだね」
「王宮から一人の騎士が護衛をつけて南に向かったことを知っているか?」
「いや。たった一騎のことまで気にするほど、私は暇じゃあない。で、それがどうかしたのか」
「そいつは王都に赴任している聖士女騎士団の騎士なのだ。奴らは〈丸岩城〉にいるから、事情がわかれば半日もあればこっちにたどり着くはずだ。そうすればせっかく儀式で召喚した〈黒き雲〉の〈目〉が破壊される。すべてがおじゃんだ」
「普通はそうなるだろうな。だからどうした?」
「何を落ち着いているのだ! 聖士女騎士団への連絡を断って、奴らに干渉させないようにする予定じゃなかったのか? 私たちの十年の雌伏が無駄になるのだぞ、わかっているのか!」
必死に訴え掛けるその顔がおかしくて、バレイムはふと笑ってしまった。
その笑みに気づき、咎めるモギラ。
「なんのつもりだ、バレイム卿。君は私をバカにする気なのか!」
「いやいや、そんなつもりはない。モギラの当主は魔導について詳しくないから説明しておかなかったということを思い出してね」
「なんだと……どういうことだ?」
「簡単な話さ。あのオコソで発生させた〈黒き雲〉は、この国の連中がいうところのただの〈雷霧〉とは訳が違うんだよ。我々が十年かけた理由はそこにあるのさ。ただ単に王都の傍に発生させるのに難航していたわけじゃない。ユニコーンとその騎士の存在を考慮に入れたうえでの話なのさ」
モギラは少しだけ落ち着いたようだった。
バレイムはそのまま話を続ける。
「あの〈黒き雲〉は発生から半日あまりで完全に固着する。正確に言うと、中心となる〈目〉が自分を守るために様々な防衛策を講じるようになるんだよ。例えば、ユニコーンのもつ霊視を妨害したりもできる。君は知らないかもしれないが、あの連中が迷うことなく〈黒き雲〉の中を進めるのはそういうからくりがあるからなのさ」
「よくわかったな」
「あそこの現役の騎士の中には愚かな娘がいてね。機密をペラペラと喋ってくれたのさ。引退した連中は口が堅いわ、警戒心が強いわと、まったく情報が手に入らずに苦労したというのに」
……そういえば、苦労して捕まえたあのユニコーンの騎士は、死因を事故として処理できたが、あれのせいで政府に目をつけられそうになったな。
あのマセイテンの拷問に耐え抜くとは見上げたものだった。
あれだけ痛めつけても何も吐かないのに、数人で犯した途端に泣き出したのには拍子抜けしたが。
なんといっていたかな、そう、「ごめん、“エス”、ごめんね」とずっとぶつぶつ気持ち悪く謝っていたな。
エスというのはたぶん婚約者か何かだったのだろうが、そんなことよりも一刻も早くこちらに聞かれたことに答えてくれさえいれば、簡単に楽になれたというのに。
「ということは?」
「ああ、奴らが首尾よくこちらに来れても、最速で明日の朝が限度だ。行軍速度も完全に把握しているからね。だから、例え〈黒き雲〉に突入できても、固着した〈目〉にたどり着けず全滅することになる。あの防衛機能はそれだけのものなのさ。どんな手段を用いたとしても、発動した以上、絶対に破ることは不可能だ。この国の誇る切り札もただのメスガキの集まりにまで落ちるわけだよ。わかったかね、モギラの若当主。作戦はすでに成功しているのだ」
そう言って、バレイムは座り心地のいい椅子から立ち上がり、鷹揚とその脇に歩み寄る。
彼の変化にモギラは毛ほども気づかない。
ただ安心しているだけだ。
(愚かだな)
バレイムは思った。
十年もの長き時間がかかったのは、こいつのような現地調達の只人のせいである。
おかげで帝国貴族の私がしなくてもいい苦労をしてきたのだ。
「モギラ男爵。これで君も来年には〈白珠の帝国〉の一員だよ」
「ああ、そうだな。帝国貴族になるのは我が家の悲願だからな」
「……ときに若当主。〈白珠の帝国〉の貴族の条件を知っているかね?」
「……いや、知らないが。帝国のために功績を積むことか? なら、私は十分だろう。目障りな王国の王都を滅ぼした。これで〈白珠の帝国〉の目的は達成だろう」
心の中で舌打ちをした。
そして、嘲った。
「いや。〈白珠の帝国〉の貴族となるものは、優れた魔道士でなければならないんだよ。血統的にも、能力的にも。只人が貴族になることなど決してない」
「な……に?」
「つまり」
「……つまり?」
バレイムは片手を払った。
ほんの少しの〈気〉をこめただけだが、魔導騎士の〈気〉は風に乗り敵を切り裂く。
モギラ男爵はなにが起きたか理解する間もなく、肉体が切断され、首と胴体に別れて死んだ。
「〈白珠の帝国〉が、君のような、魔導の力もない家畜を貴族とする訳はないのだよ。よく考えればわかることさ。―――さて、では、そろそろ行くかな」
〈妖帝国〉の貴族バレイム・キュームハーン・ラは慣れ親しんだ会議室を後にした。
彼にはまだ仕事がある。
バイロン王国を裏切った反貴族と呼ばれる連中のうち、彼の祖国にとって役に立たないものを選別し、駆除するという仕事が。
 




