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聖贄女のユニコーン 〈かくて聖獣は乙女と謳う〉  作者: 陸 理明
第十六話 騎士たちの長い一日
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きっと助けはくる

[第三者視点 王都バウマン]


〈青銀の第二王国〉バイロンの王都バウマンは、その周囲を城壁によってすっきりと覆われている。

 高さは5階建ての建物と等しく、かつての戦争においてもほとんど突破されたことのない、王国自慢の城壁だった。

 その城壁を上回る高さを誇る神殿の尖塔の窓から、二人の老人が顔を覗かしていた。

 手には遠眼鏡を持ち、城壁の外側、夜景と広がる大地を見つめている。

 だが、皺の寄った顔には深い憂いの色が浮かんでいた。


「早いな、もう視認できる距離に近づいている。このままいくと、宰相の予想通りに明日の朝にはこのあたりまで侵食されるぞ」

「相変わらず薄汚い煙だ。ところどころで光る雷がまた気持ちが悪い」

「まるで生きているように見えるからな。火傷した肌のようだと言われているのもわかるというものだ」


 老人たちは、赤錆色の月光のもと、彼方から迫り来る黒い霧の姿を遠眼鏡で捉え、愚痴にもならない悪態をつき始めた。

 その視線の先にある黒い霧とは―――すなわち〈雷霧〉である。

 半日前にオコソ平原に発生し、今、王都を飲み込まんと勢力を伸ばしつつある、超自然の驚異〈雷霧〉。

 一度でも飲み込まれてしまえば、〈核〉と呼ばれる部分を破壊しない限り決して逃れられない大陸未曾有の驚異がすぐそばまで近づいてきていた。

 さっきまで老人たちの足下では、〈雷霧〉接近を聞いて逃げ出そうとする人々が押し合いへし合いしていた。

 すでに政府からは〈雷霧〉発生についての情報は開示されている。

 一刻も早く逃げ出せとの通達が各地に飛び回っていた。

 王都に住む二十万人の人間たちが一斉に逃げ出す以上、下界の混乱は筆舌に尽くしがたいものがあった。

 そして、夜になっていたこともあり、脱出には時間がかかっていた。

〈雷霧〉の中からは魔物が出てくるということを皆が知っているので、城壁の門を出ていこうとするものがいないこともあり、東への道だけが異常に混雑していたからだった。

 

「……下の避難はうまくいったみたいだ」

「さっきからだいぶ静かになっているからな。事前に準備しておいた甲斐がある」

「確かにな」


 そう言って、老人たちは何をするでもなく近づきつつある〈雷霧〉を見張り続けていた。

 すると、はっきりとした人の叫び声が下から聞こえてきた。

 誰かに助けを求める声だった。

 二人は顔を見合わせる。


「近寄らないで、と聞こえたぞ、〈斧使い〉」

「オレにはバケモノというのも聞こえた」

「ふうん、では儂の聞き違いということではなさそうだ。てっきり老いぼれたかと思ったが、本物であるなら善哉善哉」

「こんな時に追い剥ぎというわけでもあるまいし、仕方ない、行くか」


 老人の一人―――腰に手斧を吊るした方が、窓枠に足をかけ、そのまま地面に飛び降りた。

 続いて相棒の老人も飛び降りる。

 その手には鋭い剣が握られていた。

 シュタっと地面に着地する。

 年老いても〈軽気功〉を自在に操る経験豊富な騎士ならではの超人技である。


「ひっ」


 と、突然、目の前に人影が飛び降りてきたことで、二十前後の若い男が驚いて腰を抜かしたように座り込む。

 その後ろには六人の子供達がいた。

 子供たちは全員が十歳以下ぐらいのようだった。

 若い男は父親という歳ではないので、おそらく子供の誰かの兄なのだろう。

 叫び声を発したのはこの子供達のはずだ。


「というと、襲ったのはこいつらかよ」


 手斧を持った老人―――通り名は〈斧使い〉―――が彼らの反対側に立つ影を睨みつけた。

 黒い靄に包れた人に似た異形。

 猿に似た毛が生えた腕は妙に長く、猫背であるから足が短く感じ、そして闇そのものの目鼻立ちがない顔。

 不気味なのは、薄汚れてボロではあるが、人と同じ服を身につけているという点だった。

 まるで、人がそのまま魔物にでもなったかのような……。

 そんな薄気味悪い化物が十体以上、彼らの行く手を塞いでいたのだ。

 動きそのものはゆっくりで、人よりも遅いが、発する瘴気のようなもののせいで近づくのも憚られる。


「〈墓の騎士〉って奴かよ」


〈斧使い〉がぽつりと呟いた。

 かつて孫娘に説明を受けた姿そのままの魔物だった。

 そうであるのならば対処の仕方はわかっている。


「……って、例の報告書にあったって魔物か?」

「ああ。やはり孫たちの言うとおりに〈雷霧〉と関係ある魔物というわけみたいだな。少なくとも普段の王都にこんな魔物は出たことがない」

「普通に殺せるんだろうな」

「それは保証する」

「ならば、()ろうや」


 相方の老人が動いた。

 下段から跳ねるように切り上げる斬撃が瞬く間に、二体の魔物の胴を裂く。

 老人たちが敵であることを遅まきながら認識した魔物―――〈墓の騎士〉はそのまま触れようと近づくが、通常人よりも遅い程度の速さでは年に見合わぬ素早さをもつ二人に圧倒されるままであった。

 それぞれが五体を仕留めた段階で、少なくともその場にたむろっていた〈墓の騎士〉は完全に消滅した。

 二人からすればあまりの手応えのなさに呆気なさすぎるほどだった。

 正直なところ、肩慣らしにもならない相手だった。


「弱いな。話にならん」

「間違えるな。この魔物の恐ろしさは数にある。今はまだ〈雷霧〉から遠いからこの程度で済んでいるが、あの中には数え切れないほどのこいつらがいるという話だ」

「なるほど、その意味では厄介だな」


 自分たちを襲っていた魔物が消滅したことを理解すると、若い男が二人に向かって頭を下げてきた。


「あ、ありがとうございます。た、助かりました」

「なに、気にするな。ところで、どうしていつまでもこんなところにいる? 他の住人はとっくの昔に逃げ出しているぞ」

「それは……その……」


 若い男は後ろにいる子供達に視線をやった。

 子供たちは怯え切った顔でぶるぶると震えている。

 その目には恐怖の色だけが浮かんでいた。

 全員が仲間たちの肩を抱き合いながら、ただただ涙を流していた。

 よくみると足元には数人が失禁した水たまりが出来ている。

 自分たちの身だしなみも直せないほどに恐怖でいっぱいになってしまっているのだ。

 老人たちは納得した。

 この子達は〈雷霧〉とさっきの魔物に与えられた恐ろしさのために、身も心も破壊されてしまったのだと。

 確かに、この子達を抱えていたらどんな者でもまともに逃げ出すことは叶わないだろう。

 自分だけさっさと見捨てて逃げ出さなかっただけで、この若い男は賞賛に値するといえた。


「ぬしは、この子らの兄か?」

「あ、はい、こいつの兄です」


 男は一人の幼女を指差した。

 子供たちの中でも最も酷い恐慌に襲われていることがわかる幼女だった。

 すでに表情が消えかけている。

 まるで人形のようであった。


「なるほど、妹とその友達たちを連れて逃げようとしていたところか。ご苦労だな。だが、ここから動けるか?」

「……かなり難しいです。みんな、〈雷霧〉が来るっていうんで怖がっちゃって。しかもさっきの変な化物に触られたせいで、ブルっちゃって」


〈墓の騎士〉の接触には人を麻痺させる力があることを知っていた老人たちにとっては、それが幼児には致命的な損傷になりかねないとわかっていた。

 だが、今はそれを言っても仕方がない。


「すぐに人を呼ぼう。儂らの仲間がこのあたりを巡回しておる」

「お爺さんたちは、兵隊なのですか? それとも騎士警察?」

「どちらでもない。儂らはただの老人会の仲間だ。いざという時に備えて準備していただけだ」


 相棒が若い男に逃亡の仕方を説明している間、〈斧使い〉は座り込んでいる子供たちにさらに目線を合わせるために、ぺたりと尻を下ろした。

 子供達はそんな彼を光のない瞳で見つめ返した。


「……坊主らは、何をそんなに怖がっているんだ? オレなんぞ、何も怖かあないぞ」


 確かに、この老いた騎士には恐怖の欠片もみあたらない。

 あくまで自然体で、ふわりとした佇まいのままだ。

 怯え切った子供達でさえ、そのことには気づいていた。


「だって、〈雷霧〉が来るんだよ。全部無くなっちゃうんだよ。すごく怖いよ」

「おまえもか、坊主」


 その隣にいる茶髪の子供も強く首を振った。

 目には大粒の涙を溜めている。

 正直な話、〈斧使い〉には彼らの抱える恐怖を取り除く術はなかった。

 もっとも効果的なのは、今すぐにでも王都に迫る〈雷霧〉を消滅させることだが、それは望んでできるものではない。

 だが、〈斧使い〉は自分自身がどうして意外と平然と超自然の驚異に対処できているのか、その答えを理解していた。


「オレはまったく怖くねえな」

「どうしてさ?」

「もうすぐオレの孫娘が、この王都に帰ってくる。オレやおまえらを助けるためにな」


 その時、本通りの方から騎士が数人の兵士たちを引き連れてやってきた。

 年配の重々しい雰囲気をもった強面の騎士だったが、〈斧使い〉とその相棒を見つけるとすかさず騎士の礼をとった。

 ただの老人に対してするものではない。

 その理由はすぐに判明した。


「お久しぶりです、ザン公爵様」

「今のオレはただの爺いだ。公爵呼ばわりはせんでいいぞ」

「そう言われても……。自分はそもそも公爵様の元で騎士として任じられたものですから」

「だから、今は気にせんでいい。それよりも、おまえ、この坊主どもを東にまで連れて行ってやれ」

「しかし……」


〈斧使い〉の言葉に逡巡する騎士。

 すると、〈斧使い〉が手を上げて、なにやら合図のような動きをしたと同時に、路地裏からぞろぞろと兵士の格好をしたものたちが姿を現した。

 手には思い思いの武器を握り、鎧は錆ついてもおらず新品同様に磨きぬかれている。

 誰も彼も髪が白くなり、または禿げ上がった老人ばかりだった。

 しかし、ただの老いらくの者たちとは思えぬ鋭い眼光の持ち主揃いだった。

 

「この者たちは……?」

「今日のような日に備えて、オレとジイワズで集めておいた捨て駒たちよ。〈雷霧〉のギリギリまで近づいて色々と働けるように訓練をずっと続けていたバカどもだ。おまえらみたいな若造は、まだまだ頼りないからな」


 騎士は、すぐ隣に立つ〈斧使い〉の相棒の顔を見て、また騎士の礼をとる。


「ジイワズ侯爵様でしたか。ご無礼を働き申し訳ありません」

「……儂も前がつく、元騎士だ。そういう堅苦しい真似はしなくていい。で、〈斧使い〉の要請は聞いてもらえるのか?」

「は、必ずや」

「なら、頼まあ」


 そう言うと、〈斧使い〉―――ザン前公爵は再び子供たちに向き直る。

 大人たちの会話の意味は分からずとも、眼前の老人が偉い人だということはわかっただろう。

 先程よりも少しだけ緊張していた。


「いいか。さっき少し言ったが、オレの孫がおまえたちやこの国の民を助けるためにもうすぐやってくる」

「……誰が、来るの?」

「白くてでっけえユニコーンに乗った無敵の女どもだ。もう何度もこの国を救ってきた、おっかねえ女たちだが、おまえらみたいなガキどもにはとことん甘い連中だ。きっとおまえたちを助けてくれる」

「女の人なんて頼りにならないって、父さんたちが言っていたよ」

「そりゃあ、間違いだ。この世の中じゃあ、根性の座った女ほど強いものはない。そして、オレの孫娘とあいつが率いる騎士団ほど頼りになって強い連中はどこにもいない」


 ザン前公爵は子供達の頭に手をやった。

 そして、優しく撫でる。


「西方鎮守聖士女騎士団と〈ユニコーンの少年騎士〉を信じろ。きっとおまえらを助けてくれる」


 子供たちの目から涙がこぼれた。

 さっきまでの恐怖に怯えきった結果こぼれたものではなく、それは安堵のためのものだった。


 助けがくる。

 そして、その助けを信じていいんだ。

 

 ―――喜びによって流れる涙の量は、哀しみによるものよりもずっと多いということを、子供たちははじめて知ったのだった。


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