国難
[第三者視点]
目を覚ますと、ここ一週間ほど毎日通っている、医療魔導室のベッドの上だった。
顔を横にすれば、担当の年配の医療魔道士が用意していた護符をタナの右足から剥がしているところだった。
「……終わったんですか?」
「ああ、そうだ。ぐっすりと寝ていたみたいだな、騎士ユーカー」
「どのぐらい寝ていました?」
「そこに寝転がってすぐかな。君にしては珍しく他の患者の気配にも気づかないで、爆睡していたよ」
「……そうですか」
「ん、どうしたね。まだ眠いのかな」
「いえ、夢見が悪くて」
タナは上半身を起こして、軽く頭を振った。
さっきまで見ていた夢の記憶は鮮明だ。
気分が悪くなるほどに隅々まで覚えている。
あんな未来は死んでもごめんだという憤りまでも。
「長期間の儀式魔導の被験者は、おかしな夢を見るものだ。深い眠りにつくというよりも、魂が肉体から遊離して時空を超えることもあるらしいぞ。君が体験したのもそういうものじゃないか」
「時空を……超える」
それでは、タナの魂が本当に未来を見てくることもありうるということなのか。
「魔道士殿。では、本当に未来を見てしまうということもあるのでしょうか?」
「未来を見たのかね?」
「……たぶん、それに近いものを」
医療魔道士はタナに向き直った。
少し思案している顔だ。
タナの体験したことについて思うところがあるらしい。
「かつて、この世界には過去と未来をつなぐ巻物があったそうだ。その巻物は、私たちの住む大陸よりも大きく、そこに書かれているのはすべての生命の行く末と来歴だった」
「知っています」
……この世界の神話では、〈昨日〉と〈明日〉と〈今日〉の神々の尖兵が勢力争いをし、結果として〈今日〉の勢力が辛勝を果たしたというのがある。
そして、勝者たちはその巨大な巻物を〈剣の王〉という鈍色の魔剣で切断し、三つの勢力が再び争わないように決着をつけたそうだ。
いわゆる〈青銀の時代〉の出来事である。
「その結果として、過去と結びつく現在はともかく、現在と未来は完全に分けられ、確定した未来というものはなくなった。人の時代とは、定められた運命を記した巻物のない時代のことなのだよ」
「……どういうことですか」
「つまり、君が見たものは未来かもしれないが、未来ではないかもしれないということさ」
雲を掴むような話だ。
神話を持ち出されてはなにも言えないではないか。
タナはそれ以上考えるのをやめた。
未来は少しぐらいなら変られるかもしれない程度のことは納得したが。
「あまり気にしないことだね」
「はい……」
タナはベッドから降りて、右足の膝に手を当てた。
伸ばしても痛くない。
最近はまともに屈伸もできなくなっていた膝が非常にスムーズに動いた。
王都に来て、時間をかけた甲斐がある。
あと少しで戦えるし、なにより〈丸岩城〉に戻れる。
セシィに会えるのだ。
医療魔道士に一礼をすると、そのままタナは室内を出た。
王宮の中にある魔導院の施設の中だった。
国王陛下直々の命令によって、タナの治療はなによりも優先されることになっていた。
少し気が引けたが、ユニコーンの騎士の戦力維持は国の最重要事項であることは理解しているので、あえてその厚遇を受け入れることにしていた。
そのおかげもあって治療は順調に済みそうだ。
彼女のために用意された部屋は宮廷内にある。
普段なら、最近同期のシャーレが用意した聖士女騎士団の王都支所に留まることになるのだが、今の彼女は王の客扱いであり、ちょっとした諸侯のような扱いを受ける羽目になっていたのだ。
ユーカー家は貴族とはいえ、中級のどうということのない家系なので、こういう至れり尽くせりの歓待は非常に心苦しかったのだが。
彼女は与えられるだけであり、彼女がするべき仕事は国王陛下の話し相手に毎日半刻ほど付き合うことなのだから。
タナはそのまま自分の部屋ではなく、国王陛下の執務室に向かった。
それがここ一週間の日課だからだ。
一日分の儀式魔導による治療が終わったあと、すぐに執務室に来いというのが君命なのだ。
国のやんごとなき身分の君主は、よほど彼女のことが気に入ったらしい。
何があっても顔だけでも出さないと、部屋にまで押しかけてきかねないほどなのだ。
とはいえ、国王との謁見以外は、ほとんど部屋で読書をして過ごすという、十七年間の人生でもかつてない退屈な毎日であった。
最初は身震いするほどに気後れしていた国王の部屋への道を歩いていると、その脇を数人の騎士と文官騎士、そして役人と思われるものたちが通り越していった。
目的地はタナと同じだった。
全員がおそろしく厳しい表情をしていた。
何かあったことはすぐにわかった。
王に直接伝えられるのだから、おそらくは国難、しかも相当な厄介ごとであろう。
ここは引き返すべきかとタナが思案していると、彼女の横を今度は宰相が通り過ぎた。
同じように厳しい顔だ。
だが、彼はタナに気づくと、
「ユニコーンの騎士だな」
「は、はい、閣下」
「……貴様も付いてまいれ。おそらくはもう少しすれば、貴様の元同僚たちも顔を出すだろう。丁度よかった」
丁度よい?
一体、何があったというのだろう。
そのタナの疑問に答えることなく、宰相は彼女を連れて君主の部屋に入っていった。
室内では先ほどの騎士たちがなにやら唾を飛ばしそうな勢いで、国王に対して説明をしていた。
国王はそれを真剣そのものの表情で聞いている。
「……陛下、お聞きになられましたか」
「ああ、爺や。おおよそのことの成り行きは理解した。爺やが隠していたのは、このことか?」
「はい。あまりに驚天動地な内容ゆえに完全な裏を取るまで、部下どもにも箝口しておりました」
「だが、間に合わなかったと」
「その通りでございます。私の不覚であります」
「仕方あるまい。確かに爺やの言うことももっともだ。そう容易に信じられるものではない。―――ユーカーを連れてきたのは、このことを見越してか?」
宰相はタナを一瞥し、
「いえ、そこな廊下で立ち尽くしおりましたのを丁度よしと連れてきました。ユニコーンの騎士の力が必要な案件だと理解しておりますので」
「よくやった。そのうちに、余の近衛たちもくるが、現実に〈雷霧〉の中を知る者から多くの情報を得たいところであるからな」
「はい」
タナは国王と宰相の会話の内容が飲み込めなかった。
彼女たちが必要ということは、これは〈雷霧〉関係の問題なのだろう。
だが、今の彼女の傍には”イェル”も、他のユニコーンもいない。
正直な話、どの程度役立てるか未知数だ。
しかし、本当に何が起こったのだろうか。
「ユーカー、王都の西にオコソという平原があるのを知っているか?」
「え、ああ、はい。存じております、陛下」
オコソというのは、時折、王都駐留の騎士団が演習を行なう地域だ。王都の西にあり、馬で半刻ほどで到着できる距離にある。
数万の軍勢が争っても、十分な作戦行動がとれるほどに広い。
元々は西方から侵略を受けた場合の、バイロンの軍隊の拠点として整備されていた場所をである。
完全な王家の土地であり、管理も王家がなしているはずだ。
実のところ、タナは一度も行ったことがない。
ちなみに、南側の拠点としては用意されていたのが、タナたちの根城である〈丸岩城〉である。
「何が起きたのですか?」
つい、問いを発してしまった。
臣下が主君の発言中にしていいことではない。
室内の雰囲気のあまりの重苦しさに、タナともあろうものが飲まれてしまった結果である。
バイロンの現国王ヴィオレサンテ・ナ・ユラシス・ストゥームは、口角を吊り上げた。
笑いというには凄惨すぎる表情といえた。
「なに、簡単なことだよ」
空気が震撼する。
「オコソ平原を中心にして、王都の西に〈雷霧〉が発生した。―――明日か明後日には、確実にこの王都はその〈雷霧〉に飲みこまれる」
〈青銀の第二王国〉バイロンにとって、すべてをかけた激動の一日が幕を開けようとしていた……。




