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邯鄲の夢

[第三者視点]


 タナは夢を見ていた。


 正確には、自分が見ているものが夢だと思っていた。

 なぜなら、彼女が目の当たりにしているのは、未来の自分の姿であったからだ。

 今よりも大人びた顔は自分でも綺麗になったと自慢できるほどに端整であり、少し長くなった髪はやや雑にまとめられて、全身から溢れる色気のようなものは確実に増していた。

 気にしていたスタイルの方も、胸も尻もメリハリがきいていて、はっきりとした女らしい躰つきになっており、悪くない成長の仕方だった。

 敬愛するオオタネア・ザンにも匹敵するほどの目が覚めるような美女ぶりだった。

 ただ、タナ本人はその未来の自分の姿にやや不満を感じていた。

 幸せそうではないからだ。

 手にした書類を睨む眼差しは厳しく、眉間にみたことのない皺がよっている。

 肩の力は入ったままで、いらいらと指が勝手に机を叩く。

 どう見ても、天真爛漫で太陽のようだとまで言われていた彼女の将来とは思えない。

 どれだけの嫌な体験を積み重ねてくれば、こんな神経質そうな女になってしまうのだろう。

 彼女がいるのは、オオタネアのものによく似た部屋で、おそらくは位の高い騎士のための執務室だろう。

 未来のタナの顔が上がった。

 彼女の部屋に誰かが入ってきたからだった。

 その人物にもタナは見覚えがあった。

 だが、面影はあってもすぐに名前が出てこなかった。

 紫に近い鮮やかな赤い色の髪をした、十八から十九歳ぐらいの騎士装束の娘だった。

 大きな目がクリッとした、こちらも十分に美女の部類に入る容姿の持ち主だった。

 一度会ったりしたら忘れられるとは思えない。

 襟についている青と赤の盾に交叉する剣と槍、そしてユニコーンの横顔がモチーフとなった徽章からすると、聖士女騎士団の騎士だ。

 佇まい、そしてちょっとした所作の美しさを見ても、騎士として相当数の修羅場をくぐり抜けている歴戦の勇士であるとわかる。

 だが、彼女の同期にも、先輩にもいない顔だ。

 はたして誰であろうか。


「タナ(ねえ)さま。強行偵察に出られていたミィナ(ねえ)さまが戻られました」

「ご苦労様、レリェッサ。悪いんだけど、お茶を一杯用意してくれる?」

「わかりました。砂糖は多目にいれたほうがよさそうですね」

「なぜ?」

「姉さま、お疲れのはずですから」

「……好きにしなさい」


 そう言うと、未来のタナは再び書類に目を落とした。

 その会話を聞いていたタナは驚いた。

 レリェッサということは、その赤髪の美女はあのレレなのだ。

 やはりこれから先の未来を妄想しているのだな、とタナは思った。

 今十一歳のレレがあんなに成長しているのだから、この未来はおよそ八年後から十年後といったところだろう。

 十年後の自分なんて想像もしたことがなかったから、なんとなく新鮮ではあった。

 予想とはことなり、幸せそうでないのが残念だったとしても。

 それにしても、レレもミィナもいるのならば他の仲間もいるのだろうか。

 そして、彼女の大好きなあの人はどこに?


「どうぞ、タナ姉さま」

「ありがとう」


 二人はレレの用意したお茶を飲みだした。

 未来のタナは執務室の椅子に座ったままだったが、レレはその脇に立ったままカップに口をつけている。

 その脇には、タナの持ち物と思われる完全突撃騎行鎧とふた振りの剣が飾られていた。

 だが、それは〈月水〉〈陽火〉のふた振りではなかった。

 片方はタナの知らない反り身の長剣であり、どことなく帝国風の意匠が施された彼女らしくない趣味のものだったが、問題はもうひと振りの方だった。

 ぼわんと白く淡い輝きを常に発し続ける英雄の魔剣〈瑪瑙砕き〉だったのだ。

 その持ち主のことをタナはよく知っている。

 もともと国王陛下が直々に下賜した名誉ある剣であり、そう簡単に他人に譲られるはずのないものが、どうして未来の彼女の手元にあるのか。

 だが、夢を見ているだけの立場のタナにはそんな疑問を問いかけることさえできない。


「……そういえば、ユーカーの偵察の結果報告を聞いていないわね。どうだったの? すぐに伝えないということはさほど変わりはないのでしょうけど」

「はい。小規模な敵部隊が前線を押し上げようとしているだけで、本陣はあのままだそうです。ミイナ姉さまは、そのまま自分の隊の初期配置に着かれました」

「〈雷霧〉ごと移動させたとしても、今更意味のないことなのに。〈妖帝国〉の考えることはわからないわね。それとも何かしらの策を用意しているのかしら」

「王都にいるナオミ姉さまが、いくつか作戦行動の原案を送ってこられたそうですが、それに対してのものではないのですか?」

「……シャイズアル守護将軍の策は防御的すぎるのよ。私もそうだけど、突撃中心のうちの騎士団では採用しづらいわ。もう少し攻撃に軸を置いたものが作れないのかしら。まったく、昔から頭が固いのよ、あいつ」


 タナは眉をしかめた。

 レレが自分たちを「姉さま」というのはいい。今でも、たまにそういう喋り方をしているからだ。

 だが、自分がミィナのことをユーカーといい、ナオミのことをシャイズアルと性で呼ぶことは腑に落ちなかった。

 しかも、未来のタナの口調にはわずかな苛立ちがある。

 ナオミたちに対してのものだということはすぐにわかる。

 しかし、彼女たちはそんな他人行儀な関係ではない。

 ミィナは従姉妹だし、ナオミは親友だ。そして二人共かけがえのない戦友だ。

 あんな風に友達について語ることなどありえない。


「ナオミ姉さまだって、タナ姉さまのことを心配して考えられた作戦案なのだと思いますけど」

「だからといって使い物にならない策を与えられても、仕方ないのよっ! あのバカっ! ……ごめんなさい、レリェッサ。怒鳴ったりして。許して。ちょっとイライラしているの……」

「姉さまが最近ほとんど休まれていないのはわかっています。今日のところはお休みになられてはいかがですか? 実はこのお茶、心を落ち着かせてぐっすり眠れる効能があるんですよ」


 いたずらっ子のようにレレが微笑む。


「……なによ、最初から私を眠らせるつもりだったんじゃないの。あんたって子は昔から変わんないわよね」

「姉さまこそ」

「―――私は変わったわ。もう、聖士女騎士団の騎士だった頃の私じゃない。今の私は西方辺境伯タナ・ハーレイ・ユーカーなのよ」

「そんなことは……」


 疲れきったタナは宙を見上げてぽつりと呟いた。


「あの人の……ハーレイという性を貰った女たちは、もう普通の市井の暮らしには馴染めないし、煌びやかな社交界にもいられない。今みたいに血と煙と鉄の舞い散る戦場にしか生きられないわ。貴女だってそうでしょ。あのときに、さっさと騎士を廃業しておけば、こんな西の果てまでやってきて戦争をしないですんだのにさ」

「姉さま……」

「もうダメなのよ。同じ死ぬにしても、世界や国やあの人のために死ねた頃の方が幸せだったわ。だから、ハーニェやアオが羨ましい……。アンズ先輩やヤンキ先輩が妬ましい。エイミー先輩なんか、あんなに派手に合戦で散れて心底憧れているわ。……ホントに、みんなはずるいよね。全部、私たちに押し付けて自分たちは高みの見物なんだから」


 ふとその視線の先を見て、タナは目を見開いた。

 壁に三枚の写真が額とともに飾ってある。

 一枚は、今の自分と同じ頃に撮ったものだった。

 もう一枚は書かれた数字から数年後。

 そして、最後の一枚はそれからさらに数年後。

 見知った顔が櫛の歯が欠けるように減っていくことを如実に示すものだった。

 最後の一枚に残っている友人は本当に数人しかいない。

 ミィナと……ナオミと……レレと……他に何人か……。

 そして、その中に……


 ―――セスシス・ハーレイシーはいない。

 

 彼女たちの教導騎士はどこにもいない。


「―――姉さま、今日は休みましょう。姉さまは酔ってしまっています」

「酒なんか飲んでいないわよ」

「姉さまは……辛い思い出に酔ってしまっています。もう過ぎ去ったことに想いを馳せるのは、精神状態が万全なときになされるべきです。今の姉さまにとって、聖士女騎士団の記憶はただの毒にしかなりません」

「レレ―――あんた」

「特に、セシィ兄さんのことはもう忘れるべきです。姉さま方はそろそろあの方の呪縛から逃れるべきです。もういない、死んだ方の花嫁になっていてはいけません」


 未来のタナはがくりと肩を落とした。

 その美貌にはどうしても疲労の影が濃い。


「わかっているのよ。そんなこと。でもね……。どうにもならないの。どうしようもないの」

「……私はここで失礼します。明日の早朝にまた来ますので、今日のところはおやすみください。それでは……」


 一礼して大人になったレレは執務室から出て行く。

 未来のタナは一人取り残された。

 夢を見ているタナがいたとしても、そこにあるのは孤独な静寂だけだった。


「……わかっているんだよ、そんなこと」


 少女の頃そのままの口調で愚痴る。

 そこには疲れきった女はおらず、ただ、昔を懐かしむ少女がいた。


「セシィのバーカっ!」


 悲鳴のように彼女は怒鳴った。


 同時に、タナ・ユーカーは深い眠りから覚醒した……。

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