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騎士シャーレ・テレワトロ

[第三者視点 王都バウマン]


 シャーレ・テレワトロは、バイロンの西に位置していた〈赤鐘(せきしょう)の王国〉の貴族の令嬢だった。

 だが、彼女がまだ幼女だった頃に祖国は〈雷霧〉に飲み込まれ、彼女自身も難民となり、バイロンに流れ着いた。

 故郷を奪った〈雷霧〉への復讐に燃えていた彼女は、十五歳になった時に騎士養成所に入り、それから三年後に騎士として西方鎮守聖士女騎士団に入団する。

 そして、同騎士団の十三期の騎士としてボルスア〈雷霧〉消滅作戦に参加し、見事、生還していた。

 その後、オオタネア・ザン将軍の肝いりで、王都における聖士女騎士団の出城となる施設の開設に着手していた。

 まだまだ実戦部隊に残って、〈雷霧〉との戦いに勤しみたいとの思いもあったが、王都からの仲間たちへの支援の必要性を理解して、あえて縁の下の力持ち役を選べるところに、シャーレの芯の強さがあらわれていたといえる。

 この半年ほどの彼女の精力的な働きのおかげで、いざという時の戦力を揃えられる屋敷を買い取れ、人員の確保も整っていた。

 最近では、十一、十二期の騎士たちも、彼女のことを王都における指揮官役として認めてくれるようにまでなっている。

 二ヶ月前の本部への敵襲によって、王都へ引き返してきた文官騎士たちの受け入れも彼女の仕事だった。

 まだ、若いのに彼女は実務家としての経験をめきめきと積んでいたのである。


「……シャーレ様。〈丸岩城〉への物資の搬入の件、署名をいただきたいのですが」

「あ、そこにおいといてね。あとで目を通しておくわ」

「いえ、今すぐにお願いしたのですが」

「急ぎなんだ……。ちょっと待って」


 手元を休め、秘書役の文官騎士の差し出した書類に目を通すと、さらさらとペンを取って署名をした。

 特に問題はなかったからだ。

 書類を渡しても部屋から出ていこうとしない文官騎士に対して、シャーレは視線を向けた。


「どうしたの?」

「シャーレ様の今日の夕食はどうすればいいかと、食事係が聞いてこいと言っていたので、それについてもお願いします」

「直接、わたしの所に聞きに来ればいいのに」

「シャーレ様のここしばらくの忙しさは皆がよくわかっておりますから。なかなか、気安くは話しかけられないのです」

「……あら、そうなの。気をつけるわ」


 シャーレは宙を見上げた。

 言われてみれば最近は休みをとっていない。

 たまに休まないと、部下たちにとってもいらない重圧をかけてしまうことになる。

 それは上に立つものとして相応しい振る舞いとはいえない。


「そうね。ここ、しばらく働き詰めよね、わたし。戦技訓練もまともにしていないし……。じゃあ、今日の夕食は外で食べてくるわ。たまには食事係にお休みがあってもいいでしょう。そう伝えて」

「わかりました」


 文官騎士が出て行くと、シャーレは手元の書類を幾つか片付けると、そのまま立ち上がり背伸びをした。

 肩が異常にこっていた。

 どうやら事務仕事をやりすぎてしまっていたらしい。

 久しぶりに誰かと手合わせがしたいな、とシャーレは思った。

 あまり訓練を怠ると、いざという時に戦えなくなるおそれがあるからだ。

 またいつか実戦部隊に戻る可能性もあるのだから、日々の鍛錬を怠っていては騎士として不覚悟でしかないだろう。


(とりあえず、ご飯を食べにいきましょう。そういえば筆頭騎士に教わった焼肉屋さんがあったわね。たまにはいいかしら)


 彼女は聖士女騎士団のものとは違う、無地・無紋章の外套を羽織り、愛用の細刃剣を佩いて執務室を出た。

 他に誰かを誘おうかと考えたが、今のこの出城屋敷には、彼女と同格の騎士はいないので諦めた。

 それから、屋敷の外に出る。

 王都には多くの人々が住み、中心に進むにつれて、人が増えていく。

 たくさんの民が行き交う通りを歩みながらも、シャーレは少しだけ心細かった。

 最近は忙しくて忘れかけていたが、やはり自分一人で王都で仕事をしていると、本部での生活が懐かしく思い出される。

 生命の危険のほとんどない王都での生活と違い、魔物退治や〈雷霧〉との戦いの準備などに明け暮れる毎日であったが、いつも楽しかった。

 久しぶりに同期の仲間にも会いたいが、先輩騎士たちと違い、十三期はほとんど王都に顔を出すことはない。

 カマナ奪還作戦の後に、また凱旋式をする予定だったが、〈雷馬兵団〉の襲撃による被害のためそれもかなわなかった。

 だから、少しだけシャーレは寂しかった。

 あの懐かしい日々を想って。


「……そういえば、セスシス卿をめぐる恋の鞘当てはどうなったのかしら?」


 あの朴念仁の教導騎士を巡る争いの行方が非常に気になった。

 もちろん、彼女たちがユニコーンの乗り手である以上、肉体が結ばれることは決してないが、それでも心で結ばれるということはありえる。

 シャーレ自身は、はっきり言ってセスシスには興味がないが、あの辺の恋愛模様の推移はいつも気にしていた。

 なぜなら、教導騎士はユニコーンの友として盲目的に禁欲であることを欲しているため、自分に好意を寄せているものたちを無意識に排除する傾向があるからだ。

 それはこの世界のためを考えれば好ましいことであるとしても、一人の人間としては非人間的すぎるとも思える。

 自分たちの生存が、彼の双肩にかかっていたことを思えば、少女たちの恋心など比べようもないほど軽いものだが、それでも非情な印象は免れない。

 優しさよりも、むしろ、冷たさの方が際立つとシャーレは感じていた。

 そのあたりがシャーレの関心を教導騎士から離れさせた原因であった。

 あまりに大文字の正義のために、小さな人の心を無視する生き方に共感できないのだ。

 だが、同時に仲間たちの彼への恋慕も理解できる。

 おそらくタナ、ナオミ、マイアン、ノンナ、ミィナ、クゥあたりは確実に彼に惹かれているだろう。

 亡くなったムーラもそうかもしれない。

 それに、オオタネア。

 彼女が知る限りでも、それだけの女たちがセスシスに恋慕している。

 そのうちの一人でも、いつか彼が受け止めてくれればよいのだけど……。

 シャーレはそんなことを考えながら、もうすぐ暗くなりそうな夕暮れの王都の街並みを歩んでいた。

 敵襲に彼女が気づかなかったのは、その油断のためである。

 気がついたとき、彼女の歩む通りには、誰の人影もなかった。

 魔道士の使う、〈人払(ひとばらい)〉の魔導だった。

 細刃剣を引き抜いたときには、すでに遅かった。

 彼女の長く伸びた影法師が盛り上がり、そこから幾人もの人影が湧き出してきたのだ。

 影から影へ移動するのか、それとも影に潜んでいるのか、どちらかはわからないが、いきなりの自分の足元からの襲撃に対して、すぐに反撃することは叶わなかった。

 影が握っていた刃物による突きが、シャーレの外套を裂く。

 二ヶ所切りつけられたが、薄皮一枚斬られたにすぎない。

 咄嗟に横に払った細刃剣の一撃が、影の一つの手首らしき部位を切り飛ばしたが、シャーレはそのまま体勢を崩し尻餅をついた。

 すぐに立ち上がろうとしたが、地面についた左手首にきつい痛みが走る。

 はっと視線を送ると、影の中から伸びた二つの手が左手首を握りこんでいた。


「バケモノ!」


 シャーレはそのまま影に剣を突き立てた。

 影は血の一滴も残さずに消滅する。

 先ほどの払った手首もそうだが、剣にはなんの手応えもない。

 まるで本当に地面に映った影を切っているかのような錯覚に襲われた。

 だが、この敵の正体など気にしている場合ではなかった。

 実際に生命を狙われているのだ。

 なんとしてでもこの場を切り抜けなければならない。

 慌てて立ち上がったが、時すでに遅く、周囲を大勢の人間たちに取り囲まれていた。

 前後を完全に塞がれた格好だった。

 しかも、さっきまでの影と違い、明らかに質量と実体を有する肉体を持った男たちだった。

 前後それぞれに六人ずつ、総勢十二人。

 圧倒的に多勢に無勢だった。

 全員が手に短槍を構え、左手には大きな盾を構えている。

 その盾をこちらに突き出す構えをとり、横に三人ずつ並び、右手は槍を逆手に握っている。

 歩兵密集陣形だった。

〈雷霧〉戦では〈手長〉の怪力にまかせた攻撃で一網打尽にされてしまうことから使用されていないが、今でも普通の人間同士の戦いでは用いられている重装歩兵のための戦術だった。

 違いは、百人前後でやるものをたった六人でやっているというだけだが、敵がシャーレだけである限り、それで十分であろう。

 シャーレは何も言わなかった。

 名乗りも誰何もしない以上、間違いなく彼女を標的とした暗殺行為である。

 余計なことを口にしないことから、おそらくは本職の刺客。

 今はなんとしてでもこの場を切り抜けることだけが大切であり、それ以外は考える必要はない。

 彼女とて、オオタネア・ザンの麾下の騎士である。

 そして、あの〈雷霧〉から帰還してきた女なのだ。

 おめおめと無様に殺害されるわけにはいかない。


「わたしは、聖士女騎士団の騎士シャーレ・テレワトロっ! どのような目的があるかは知らないけど、五体無事で帰れるとは思わないことねっ!」


 シャーレはハーニェほどではないが、周囲一帯に轟き渡るような大声で叫んだ。

 名乗ることで気勢を制したのである。

 もともと〈人払〉の魔導をされている以上、誰かが声を聞きつけて助けてくれるとは思っていない。

 ただ、黙って戦うよりは相手方の勢いを削ぐことが効果的と考えたからだ。

 狙いは功を奏し、密集陣形のまま前に出ようとした男たちの足が一瞬止まった。

 その隙を見逃さずシャーレは前方の男達に襲いかかる。

 細刃剣を一人の盾に叩きつける。

 だが、打撃力が足りない。

 思い通りに盾を切り裂くこともできなかった。

 反対に、三本の槍の穂先がそれぞれ彼女を刺し貫こうと動いた。

 ひと振りで払うが、それまでだ。

 男たちの密集陣形が一歩前にでるだけで、彼女は二歩退却せざるをえない。

 それだけの圧力が男達にはあった。

 背筋がぞくりと寒くなる。

 後ろの密集陣形も全身を開始したのだ。

 このままだと挟み撃ちにされ、前後から攻撃を受けて、すぐさまに彼女は槍衾と化してしまう。

 まさか、こんなところで死ぬわけには行かない。

 しかし、どうやってこの囲みを破ればいいのか。


 ザッ、ザッ


 と、十二人の男たちがシャーレを中央に追い詰める。

 絶体絶命の危機だった。

 このまま、十二本の槍に刺殺されるのかと、シャーレが覚悟を決めた時、


「聖士女騎士団だと?」


 前方で小さいくせにはっきりと通るハスキーな声がした。

 なぜだろう、彼女たちの教導騎士のものとよく似た声質をしていた。


「――ふぅん、〈人払〉などという剣呑な魔導を使って、小娘一人を狙っているから何かと思えば……。なるほど、そういうことか」


 ゴッと風が吹いた。

 いや、気功術の使い手であるシャーレだからこそわかったが、それは風ではなく颶風のような〈気〉だった。

 体内を巡るだけの〈気〉が、どういう訳か風のように彼女目掛けて吹きつけられたのだ。

 同時に、彼女に向かってきていた六人の男が前のめりに倒れる。

 まるで、その〈気〉の風に突き飛ばされたかのように。

 後ろの六人の密集陣形が何かを悟ったのか、一気に勝負をかけて彼女を抹殺しようと突っ込んできた。

 迎え撃とうとシャーレが細刃剣を構えた時、彼女の隣に一人のウェーブのかかった金髪の美女が並んだ。

 両手に彼女のものよりも長い長剣と黄金の回転盾を、それぞれ気負うことなく握っていた。

 彼女を一瞥した時の、緑色の宝石のような瞳が印象的だった。

 その美女が言った。


「この国の騎士だと、こういう時の戦いは不便みたいだな」


 美女はそのまま、長剣を振りかぶり、そして薙ぎ払う。

 迫る敵が剣の射程に入っていない場所での素振りのような一撃だというのに、目に見えぬ質量を伴う風を巻いて何かが飛んだ。

 それは美女の身体から放出された〈気〉だとシャーレは理解した。

 不可視にして重い颶風受けて、男たちは盾を手放した。

 何が起きたかわからなかったのだ。

 ただ、壁にぶつかって思わず手にした盾を落としてしまったかのように感じただけだった。

 そして、もう一度美女が剣を振るうと、またも同じ〈気〉の塊が放出され、盾を失った男たちは目に見えぬ刃物に切り刻まれた。

 刃で裂かれたかのように血が舞い散る。

 触れてもいないのに、どうしてこんなことができるのか?


「――〈魔気(まき)〉」


 シャーレは呟いた。

 かつて聞いたことのある戦闘技術だった。

 しかし、現存しているとは聞いたこともなかった。

 それはもう滅びたある帝国の騎士だけが使えるという技のはずだから。


「よく知っているな。その通りだ」


 美女はにやりと笑った。


「まさか、聖一郎の教え子を助ける羽目になるとは思わなかったぞ。まあ、これであいつとの貸し借りはなしということするか」


 その名は聞いたことがなかった。

 ただ、会ったこともない相手だというのに、最初から強い好意をもって助けてくれたのはきっとその名前の人のおかげなのだろうと理解した。

 シャーレは騎士の礼をとる。

 生命を助けてもらったのだから、当然だ。


「ありがとうございました。私はシャーレ・テレワトロ。西方鎮守聖士女騎士団の騎士です」

「さっき聞いたから知っている。あと、騎士ならば今度からはもう少し周囲に気を配っておくといい」

「はい。すいません。……ところで、貴女のお名前を教えていただけますか。生命の恩人の名前を知っておきたいのです」

「ん、私か?」


 美女はちょっとだけ困った顔をしたが、それでもシャーレの真摯な顔つきに絆されたのか、普通に名乗った。


「私は、シャツォン・バーヲー。面倒だから、呼ぶときはシャッちんでいいぞ」


 王都に浮かぶ月には、眩い輝きがつき従っていた……。

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