新しき基地
〈丸岩城〉
ホームである〈騎士の森〉を離れた俺たちが、新しく根城と定めた場所の名前だ。
三百人ほどの人数が収容・生活できる建物が丸々入ってしまうほどの、小山に似た大岩の中に建設された城。
かつて〈青銀の王国〉ロイアンの時代に、失われた古代の魔導を惜しみなく使用することで造られたものである。
縦に半分割れたような大岩に埋まるように城がついているのは、その本体が硬い岩石をくりぬいて造られているからである。
趣味的な外観をしているのは、建築の施主である当時のロイアン王の好みなのだろう。
南側の城部分を除いては、まるで地下都市にでも迷い込んだかのような圧迫感があるのは、大岩の持ついつ崩れるかもしれないという不安定さによるものだ。
ただ、当時から今までも夥しい魔導の力が残留しているため、実際に崩れることはありえないとまで言われている。
所々に空気取り入れ兼ねた採光のための窓があり、また、この世界では珍しい魔導による照明が完備されたおかげで、不自由ではないが快適とも言い難い。
王都バウマンから馬で半日もかからない地域に建設されているにもかかわらず、つい最近まで使われずに放置されていたという事実がそれを裏付けている。
もっとも、〈丸岩城〉の隣にはちょっとしたジャングルのよう沼地のある密林があるため、自然を好むユニコーンたちの住処としては悪い場所ではなく、また、居住性も放置された頃よりも格段に上がっていることは事実だった。
少なくとも、仮宿としては目をつぶる程度の弊害しかなかった。
ただ、完全に灰燼と帰した〈騎士の森〉に戻れるかというと、それは難しい話であるらしい。
施設建物の再建の時間や、今回のことで露呈した防衛における脆弱性を改善しなくてはならないからだ。
したがって、仮宿とはいってもそれがどれほどの期間に渡るかは皆目わからない状況だった。
ちなみに、〈丸岩城〉での俺の部屋は隅っこに用意されていて、前みたいにはっきりと隔離されている訳ではない。
「……ようやく落ち着いてきたみたいですね。まだ、以前ほどの明るい感じはでていませんが、あと数日というところでしょう」
俺の部屋で茶を飲みながら、ユギンが言う。
手にはさっきまで検討していたこれからの教練についての資料があった。
一段落着いたところで、お茶の時間にしようということになったのだ。
「そうですね。新しく配属されてきた文官騎士や下働きの女の子達はまだ色々な派閥を作っているみたいですけど、アンズ筆頭騎士があの手この手で切り崩して溶け込ませようとしているのが、うまくいっているのでしょう。どうぞ、騎士ハーレイシー」
自分作ってきたという焼き菓子を俺にすすめながら、ノンナが話を引き取る。
一口食べてみると、こんな色々と不自由な場所で作ったとは思えぬ程に甘くて美味い焼き菓子だった。
さすがは騎士たちの中では最も家事に秀でている「お嫁さんにしたい騎士さま」筆頭だ。
食材に串を刺して強火で炙るしか料理のできないタナあたりとはえらい違いである。
オオタネアにいたっては、鍋にチーズを乗せるだけで料理をしたと言い放っていた。
あいつらは調理と配膳の区別もできていない疑惑があるぐらいだ。
「傷を負った団員はどうだ? あいつらの方が精神的な被害はでかいだろ?」
「……さすがにかなりの数が辞めて故郷に戻りましたが、それでも残ってくれた面子はもともと精神的に強い上に、新しい人材との交流でうまく忘れられているようです。ここに引っ越してきたことも結果として良かったんでしょうね」
「騎士たちの方もさほど悪影響はでていません。十四期の騎士の中で、かなりの衝撃を受けている子が一人いましたけど、他は大丈夫です。精神面では……ということになりますが」
「そうか」
俺は二ヶ月前の襲撃による受けた被害の甚大さにため息をついた。
オオタネア・ザンが十年かけてきたものがかなりの割合で、文字通り灰になってしまったのだ。
ここから完全に再建に至るには、またかなりの時間がかかるだろう。
唯一の救いは、聖士女騎士団の中核である騎士たちに人的被害がないということだった。
カマナ地方を奪還した作戦も、最終的には一人の死者も出さずに終われたからだ。
ただ、最悪の誤算はタナの怪我だった。
そのことについてはあとで考えるとしても、俺としては他の団員の世話で昼夜忙しくてどうしようもなくなっていた。
そもそも、処女ばかりで結成されている西方鎮守聖士女騎士団は、その性質のため二十代後半からの大人が極端に数少ない。
俺も数少ない大人として、少女たちを支えなければならないという仕事からは逃れられなかった。
そして、このような危機的状況において最も警戒して細心の注意を払わなければならないのは、構成員の精神的なケアである。
せっかくカマナを奪還して成功を実感している時に、本陣を襲撃されて精神的に叩き落とされたのだ。
その落差に等しいダメージを受けて当然だ。
俺たちがしなければならないのは、まだ子供に過ぎない彼女たちをいかに見守り、声をかけ、導くかだった。
困難な仕事だが、それができなければ精神を病むものもでるだろうし、すべてが瓦解しかねない。
俺はこの二ヶ月、懸命に騎士たちの世話をした。
自分で言うのもなんだが、おかげで実戦部隊の騎士たちについてはそれなりに安定できたものと自負している。
「警護役のおじさんたちはどうですか?」
「あ、あっちは大丈夫だ。ロランだけはまだ子供だから時間をかけたが、他はなんだかんだ言って歴戦の戦士揃いだからな。気持ちを切り替えるのは抜群に早い。ただ、人数の補充が難しいので、これまでみたいな仕事はできないのが問題だけどな」
警護役たち、騎士団では例外的な男性陣へは、〈丸岩城〉の脇にあるこれも岩をくりぬいて造られた物見の塔が与えられた。
最近の主な仕事は、ユニコーンたちの馬房ができた沼地のある密林の見張りと、〈雷馬兵団〉の再度の襲撃に備えることだ。
全員が生粋の戦士であり、そして戦死したトゥトたちの仇討ちに燃えていた。
だから、あいつらのケアについてはほとんどしていない。
騎士たちが、たまに今のノンナのように自分たちの手作り料理を持っていって振舞うだけでメロメロになるので簡単といえば簡単だからだ。
しかし、騎士団の内部が落ち着いたところで、次に問題となるのはその〈雷馬兵団〉だった。
オオタネアがエイミーからの聞き取りで得た情報と、俺がユニコーンたちから受けた説明をもとに王都で話し合いが持たれ、名付けられた〈雷馬兵団〉。
聞けば、騎士たちもカマナの〈雷霧〉の中で出会ったらしい黒い騎士たちは、俺たちの本部を焼き、多くの仲間の生命を虫けらのように奪った。
一歩間違えればレレやロランたちまでも皆殺しにされていただろう、あの殺人機械のような騎馬集団。
壊滅的な打撃を被った聖士女騎士団が、予想以上に早く再建のめどがたったのは、奴らへの報復という昏すぎる誓いがあったからかもしれない。
「で、結局のところはどうなんだ? 〈雷馬兵団〉の魔導鎧の情報は出たのか?」
「ええ。王都に出向していた騎士ヤンキが、そのことについての王立魔導院のだした書き物をもらってきてくれましたから」
「どれ?」
二ヶ月前の襲撃の折に、トゥトが生命を賭けて倒した二体の黒騎士の魔導鎧が回収され、王都で分析された結果が詳細に記されていた。
この世界の文字を一般人程度しか読み取れない俺には、ちんぷんかんぷんな内容だった。
仕方ないので、ユギンに説明してもらう。
一、黒い騎士の魔導鎧は、俺の〈阿修羅〉の発展・汎用型であること。
一、〈阿修羅〉の持つ隠し刃の機能は、左手の人差し指に一枚ついているだけで、採用されていないということ。
一、その代わりに、全身に幾重にも対魔導の防護膜が塗られ、〈雷霧〉の雷を受けてもほぼ無傷でいられること、また、魔導力の効率化がなされていて〈阿修羅〉の1.5倍の怪力を発揮できること。
一、高度な魔導加工の産物であるため、バイロンでの生産は不可能であること。
……と、だいたい、こんな感じだった。
「要するに、教導騎士の〈阿修羅〉が骨董品であるとすると、〈雷馬兵団〉のものは最新型の大量生産品ということです。しかも、あちらは持ち主が騎士タナらと平然とやりあえる熟練者なのに対して、こちらはお世辞にも剣が上手とはいえないポンコツ戦士。彼我の戦力差は歴然ですね」
「……骨董品。……ポンコツ」
「しかし、その戦力差でしかも八対一という不利な状況でよく戦う気になりましたね。正直なところ、無茶にも程があります」
ユギンの口調にはお説教の響きがあった。
隣のノンナまで頷いている。
二人して俺を吊るし上げる気なのだ。
「確かに無謀だったとは思うが、俺がやらないとレレやロランたちが危なかったからな。ユニコーンたちのところに全員が避難できるまでは時間を稼ぐ必要があったんだから仕方だろ」
「悪いとは言っていません。無茶をするな、と言っているんです」
「……すいません」
「ですが、貴方のその戦いのおかげで、二百人の戦う術を持たない同胞たちが救われました。改めて、感謝致します」
「お、おう」
「私からも、お礼をさせてください、騎士ハーレイシー」
「おまえたちだって〈雷霧〉で戦ってきたんだろ。それぞれ、別のところで自分の仕事をしただけだ。そういうのは止めてくれ」
「いいえ。私たちは多くの仲間たちと共に戦っていました。貴方のように多勢相手に孤軍奮闘していたわけではありません。それに……」
「それに?」
「……その腕のこともあります」
俺は、自分の左手を見た。
包帯ぐるぐる巻きなのも不格好だが、なによりまともに動かないのが困ったところだった。
〈雷馬兵団〉との戦いで根元からぶった切られた上、ちょっとの間放置されていたせいで、くっついたのはいいがきちんと〈復元〉されずにそのままの状態なのだ。
肩の筋肉のおかげで上下動はできるが、他は指ぐらいしか動かせない。
時折、夜中に思い出したようにギュオンと音がするので、徐々に〈復元〉はしているようなのだが、完全に元通りになるのはもう少しかかりそうだった。
おかげで仕事中はユギンが、私生活ではレレとロランの兄妹がそれぞれ手伝ってくれないと普通に生活ができない有様だった。
ユニコーンの世話だけは俺ひとりの仕事なのでなんとかこなしているが、不自由極まりないことは確かだった。
「ん? あと少しで元に戻るから心配しないでいいぞ。“アー”たちからもそう言われている」
「そうじゃないです。また、貴方に無理なことをさせてしまった、と。皆が気にしています」
「気にすんなよ。俺が〈阿修羅〉を着て顔を出したことで、あいつらの気をそらすことができたしな。自分で言うのもなんだが、おかげで幾人も助けられた。まあ、俺がもっと強ければ死んだ奴らも救えたんだが……」
今回も俺の失態だ。
もっと早く敵の襲撃に気づいて、〈阿修羅〉を着て、外に出ていれば奴らの火付けや乱暴狼藉を完全に止められたのに。
それに俺が騎士たち並に強ければ、八騎すべてをとり逃すこともせずにすんだだろう。
すべては俺の情けなさのせいだ。
「違いますよ……。あの黒い騎士たちがどれほどの敵なのか、私たちはよくわかっています。むしろ、八対一で貴方が無事でいられた事の方が……嬉しいです」
ノンナは感傷的に言葉を震わした。
生還を喜んでくれるのは嬉しいが、それはこいつらだって同様だ。
あの〈雷霧〉をまた一つ潰してきたんだぜ。
各自、自分の出来ることをしてきたのだから、俺だけを特別扱いするのはやめてほしいものだ。
しかし、かと言ってノンナの気持ちを無碍にするのもよくないしな……。
さて、どうするかと俺が悩んでいたとき、俺の部屋のドアがノックされた。
顔を出したのはロランだった。
腰のあたりにレレもいる。
「どうした?」
二人共慌てた様子をしていた。
敵襲的な慌て方ではなく、ある意味では深刻な、例えばオオタネアがお茶請けがなくて暴れだした的な感じだ。
ロランは口をパクパクさせて何事かを訴えようとしているが、酸素不足の金魚のようにしか見えない。
「レレ、何があった?」
まだ、あたふたと両手を上下に振っているレレの方がマシなようだった。
しかし、この身振りだとまるで俺の世界のモンキーダンスみたいだ。
「……お、お、おおお」
「おお?」
「お、様が……」
「オサマ?」
「王様がおいでになられたんだよ!」
「……なんの王様?」
俺にはすぐにはピンと来なかった。
王様と言われて頭に浮かべるのは、食堂の早食いの王様マイアンとか、麻雀みたいなテーブルゲームの王様アオとか、そんな異名の連中ばかりだ。
あとは、ユニコーンたちの大王ロジャナオルトゥシレリアだが、あれはユニコーンを介してしか連絡がつかない。
ロランたちが伝言役になることはない。
では、誰だ?
ふと、振り向くとユギンが真剣な顔をしていた。
「なんだ、どうした?」
「教導騎士。なにをボケているのですか」
「別にボケていないぞ」
「我が国で王様といったら一人しかおられないではありませんか」
「……誰?」
「〈青銀の第二王国〉バイロンの国王ヴィオレサンテ・ナ・ユラシス・ストゥーム陛下ですよ」
「あ」
俺は肝心な人物のことをすっかり忘れていたことを思い出した。
ボルスアの作戦の後の凱旋式でちょっと会って以来忘れていたが、よく考えればこの〈丸岩城〉は王都からすぐのところにある。
彼女―――陛下が気楽に遊びに来るぐらいの距離でしかない。
あの陛下なら、〈雷馬兵団〉が国内を荒らしまわっているこの危急の時期に少ない供回りだけを連れて、ここまでやって来たって何の不思議もないのだ。
「本当に、陛下なのか、ロラン!」
「(こくこく)」
首を縦に何度も振り、それが間違いではないことを証言するロラン。
レレも同じ動きをしている。
とてもよく似た兄妹である。
だが、そんなことはどうでもいい。
「今、どこに陛下はおられるんだ?」
「……閣下が、貴賓室へお連れしています!」
ようやく言葉らしい言葉を発することができるようになったロランが言った。
「わかった。すぐに行く。ロランとレレは騎士連中にこのことを伝えろ。あと、できる限り陛下には接触しないようにということも」
「―――どういうことですか、セシィ兄さん?」
「あとで説明する。とにかく、騎士たち、特に俺に近い連中は陛下を避けまくれ。直接、呼び出されたら仕方ないが、それ以外では断固として接触しないように、と」
「はい、伝えます」
「よし、いい子だ。……ユギン、おまえは俺についてきてくれ。ノンナは資料を片付けてから、ロランと同様の指示を皆に伝えてくれ」
「はい」
「じゃあ、行くか……」
俺は肩を落として、高貴な来客用の貴賓室への通路を歩き出した。
陛下と対面するとなると気が重い。
できることなら、さっさと帰ってくれないかな。
だが、俺はよくわかっていた。
あの傍若無人な陛下のことだ。
きっと、〈丸岩城〉に泊まっていくだろう、と。




