国王と宰相
[第三者視点 バイロン 王宮]
「……やられたい放題というわけか?」
「その通りですな。この二ヶ月の間に襲撃された我が軍の拠点は四つ。略奪された村落は八つ。被害を受けた隊商は数え切れぬほど。まあ、東方の諸国も我が国ほどではありませんが、少なくない実害を被っているようですが……」
「くくく、やってくれるねぇ、〈雷馬兵団〉」
「笑い事ではございません」
臣下に窘められた国王は、それでも不謹慎な笑いをやめなかった。
その主君の態度に普段から仏頂面の宰相は、さらに無表情になる。
「陛下、そのような顔を他のものたちに見せるのはお慎みください。国家の危機、国民の味わう苦しみを茶化しているかのごとき振る舞いは、王室への反感を産むだけですから」
「わかっているさ。とは言っても、抑えきれない場合もある。今回は見事にその場合に該当するという訳だ」
「―――陛下」
〈青銀の第二王国〉バイロンの現国王、ヴィオレサンテ・ナ・ユラシス・ストゥームは肩をすくめてその諫言を受けた。
小さな頃からの教育係として傍にいた爺や的存在である現宰相だからこそ、少々の悪ふざけは大目に見てもらえるが、あまり度を越すとまた子供のように説教される。
この歳になってまでお説教をされるのは、国の最高権力者としてはあまり嬉しいものではない。
弁えて行動すべき時だった。
「で、〈雷馬兵団〉への対策はどうするのだ? 爺いが余に渡した書き物によると、百騎前後の少数集団だが、信じ難いほどの戦闘力を有しているそうじゃないか。余の見たところ、王都の騎士団一つとほぼ互角といっていいだろう」
「陛下のお見立てが正しいとは限りますまい」
「メルガンからの覚書にも同様の評価がなされていたぞ。だから、余の見立てがほぼ正解であろう」
「……ならば、あえて否定はしませぬ」
国王は、執務机の上の書き物を手にして、指でポンポンと叩いた。
「……ネアが送ってきた覚書によれば、『〈雷馬〉なる魔物、一角聖獣と同等の聖性を持ち、乗り手の纏う鎧は〈白珠の帝国〉の産にして魔導にて動く魔具、乗り手どもの剣技の冴えは只者ならぬ技倆である』そうだ。正直な話、余には相当に厄介な相手と見える。しかも、それが国内を北に南に移動しまくり、居場所を突き止めることさえも叶わないときている。はたして、奴らを止められるのか?」
「拠点としている場所については全軍が総力を上げて当たっていますので、少々お待ちください」
「わかっているのだろ、爺い?」
「何をでございますか?」
国王は上目遣いで、机の前に立ち尽くす元教育係を見つめた。
年寄りにしては背筋が伸び、背の高い宰相のことを、国王は「でっかいじいさん」と心中では呼んでいた。
事実、多くの直臣の中で最も身長が高い。
王という権威を纏わなければ、気圧されるのは常に国王の方だった。
「この敵、つまり〈雷馬兵団〉を倒すことができるのは、ネアのところの部隊しかいないということを、だよ」
「……なんですと?」
「〈雷馬兵団〉と同等の機動力を持ち、〈聖獣の祝福〉を受けたユニコーンの騎士しか真っ向から対抗できないということさ。それをわかっていて、あえてごまかそうとしているな」
これ以上の誤魔化しは通じないと悟り、観念して王国宰相は口を開いた。
「その通りでございます。参謀府の意見を集めましても、かの悪逆非道な騎馬集団と戦うことに最も適任なのは西方鎮守聖士女騎士団しかいないということです。広い行動範囲を有し、神出鬼没の奴輩を相手にすることは通常の騎士団では困難ですから、その見解には組みせざるを得ません」
「では、どうして、余に進言しないんだい? 聖士女騎士団に〈雷馬兵団〉の討伐命令を出せ、と。彼女たちが二ヶ月前にカマナを奪還してくれたおかげで、国内世論は安定しているし、新しく他の地域の〈雷霧〉をすぐに消滅させる必要性は皆無になった。逆にすぐに西方にちょっかいを出すと諸国からいらぬ腹を探られるおそれがあるほどだ。そうであるならば、聖士女騎士団にとって〈雷霧〉消滅が主任務とはいえ、別の任務に就かせたとしてもなんの問題もないはずだよね?」
からかうような国王の発言だった。
だが、宰相としてはすぐに全てを語れない事情があった。
今、それを国王に告げてもいいものか、どうか。
「……陛下が、聖士女騎士団の出撃を望むのは、『彼』のためでしょう?」
「彼?」
「陛下の覚えのめでたい、〈ユニコーンの少年騎士〉です。陛下は、彼の新しい活躍がみたいだけなのではありませんか? 彼が、陛下にとっての憧れの英雄であることは知っていますが、そのような我が儘のために、我が国の切り札を消費することはできませぬ。ご自身の愉しみを政に持ち込まないでいただきたい」
国王は頬を膨らませて、不平面をした。
図星であったからだ。
少しだけ。
しかし、権威の象徴である国王はその程度で怯むものではない。
「確かに、爺いの言うとおりだ。余に自分の愉しみを優先する気持ちがなかったとは言わぬ。だが……」
「……だが?」
「余には、爺いがなんとしてでも聖士女騎士団を待機させておきたい理由があるように思えるのだが、どうだ?」
「そのようなことはありません」
「果たしてそうかな? 〈雷馬兵団〉の襲撃で本部を失った彼女たちに王都の傍の城を斡旋したのは、確か、爺いだよね。しかも騎士団再編に必要な人材の募集に裏から相当援助していたみたいだし。必ずしも政治的に折り合いがよくないザン家の傘下の騎士団に、そこまで肩入れする理由は何だい?」
宰相は舌打ちしたい気分だった。
気づかれていたのか。
さすがは自分が手塩にかけて育ててきた王才の持ち主だ。ほんのわずかな王宮に流れる情報から異常を感じ取っていたのだろう。
彼がごまかそうとしていたのは、彼自身が完全な確信を得るまで伏せておきたかった内容なのだった。
国王に不確かなままあげていい情報ではなかったからだ。
とはいえ、いつまでも宰相の立場で止めておくわけには行かない。
わざわざ〈雷馬兵団〉の話を報告させたのは、彼の口から説明させるためだろう。
ここで王の不信を買う訳にいかない。
即座に宰相は決意した。
「わかりました。腹芸はここで御終いにしましょう」
「それは助かる」
「私がザン将軍とその麾下の部隊をすぐに動かせる場所に置いておくのは理由があります」
「……さて、それはなんだ」
「その前に、陛下にお聞きしたい。先日から少なくない氏族の家族が、王都から行き先も告げずに離れていることをご存知でしょうか?」
「ああ、知っている。それがどうした?」
「それだけではございません。彼らの資産も国外へ移動しているのです。これはなにを指すものでしょうか?」
「……国外逃亡だな。カマナが〈雷霧〉から取り戻された時期であることを考えると、理屈に合わないが」
一息おいてから、宰相は話を続けた。
「その他にも、数名、重要な人物が押し込み盗賊に殺され、食あたりで病死し、借金苦から自殺しています。その死因には魔導によるものと見られるものが複数確認されております。まず間違いなく、魔道士の仕業と断定できるものばかりといえるでしょう」
「魔道士による暗殺……。重要な人物とはどういう立場のものだ?」
「騎士警察の幹部、王都の警護総長を務めていた騎士、魔具の作成職人、それに聖士女騎士団の元騎士などです」
「なるほど。どこか共通点が透けて見える面子だな。……そこから、導き出される答えとしては、王都内での反乱のおそれあり、ということか」
「さようで」
国王は椅子に深く腰掛け、それから腕を組んで少し思案した。
納得できない部分が幾つかあったからだ。
「だが、それが聖士女騎士団を留めおく理由になるとは思えないな。王都には五つの王都守護の騎士団がある。その半数が裏切りでもしない限り、王都が陥落するとは思えん。爺い、他に何か隠しているな」
「……いえ」
「そうか。余の耳に入れるのは憚られる内容か。ならば、いい。もう聞かぬよ。ギリギリまで爺いの胸に収めておいてくれ」
「かしこまりました」
「あと、〈雷馬兵団〉についての処置も爺いに任せる。―――では、余はそろそろ出掛けるとするか」
すくっと執務椅子から降り立った国王が、呼び出した侍従から服を受け取る。
「どちらへ?」
宰相は、国王の侍従ではなくその行動について知悉している必要はない。
だが、国王が身にまとった外套は疑い無く外出用のものだ。
しかも、きらびやかな装飾がないお忍びのためのものである。
宰相の脳裏に嫌な予感が渦巻いた。
この国王のやりかねないことが幾つも浮かび上がっては消えた。
どれもこれも可能性がある。
「遠出する。近衛の騎士たちがすでに余の到着を待っているのでな。急がねばなるまい」
「お待ちを。陛下がどちらかへお出でになるという話、爺いは誰からも聞いておりませぬぞ!」
「爺いの耳に入れるのは憚られる内容だから黙っておけと伝えておいたのだよ」
先ほどの意趣返しのつもりなのだろう。
人の悪い笑みを浮かべていた。
「……で、どちらへ」
国王は苦虫を潰したような顔をした元教育係をやりこめた満足感に浸りつつも、それよりももっと楽しいお出掛けのためにわくわくしていた。
だから、もう隠しておく必要もなく答えた。
「余の〈英雄〉のもとに遊びに行ってくる」
国王陛下にとっての〈英雄〉とはただの一人しかいない。
宰相は失策を悟った。
本部を失った聖士女騎士団に都合した城は、王都から馬で半日ほどの場所にある。
それならば少々無理をすれば、国王でも気楽に遊びに行ける距離でしかない。
つまり、今まで苦心して遠ざけてきた人物を、わざわざ彼の手で自分から手元に引き入れてしまったことになる。
〈ユニコーンの少年騎士〉―――セスシス・ハーレイシーを。
「お待ちをっ!」
だが、宰相が止めるまもなく、ヴィオレサンテ・ナ・ユラシス・ストゥームはさっさと国王の執務室の外に出て行った。
途中にある巨大な姿見の前で、頭につけた赤いリボンの色と位置を入念に調整し、自分が理想としている可愛らしさを体現しているかを確認する。
化粧も普段より自然なものにして、貴族風よりもやや庶民的にした。そちらの方が彼には受けると判断したからだ。
その結果として、鏡に映る”彼女”の美貌はまさに完璧だった。
十年前のオオタネア・ザンにも勝るとも劣らない。
常日頃、王室予算のギリギリの攻防で美容費を算出している苦労が実ろうというものだ。
「さーて、余の〈英雄〉の首を獲りにいくかね」
齢二十才の国王陛下は周囲の臣下の目も気にせずに、高らかに鏡に向かって物騒な宣言をするのだった……。




