騎士タナの涙
間者であるモミは、俺がビブロンにいるときの護衛を勤めている。
突発的に俺がお忍びで飲みに行く時は別として、今回のように、ユギンと示し合わせて街まで出てきたような場合は、たいてい、つかず離れずの距離にいるはずだ。
だから、俺が名前を呼べば、すぐに顔を出す。
今日のモミはどこにでもいそうな給仕服を着て、実年齢に近い変装をしていた。
「は、はい、ここに。教導騎士」
姿を見せたモミに対して、指示を出す。
「今すぐ、ハカリを連れて来い。カイの魔導では、細かい治療ができない」
「しかし、〈騎士の森〉まで往復すると二刻以上はかかります。それでいいのですか? ビブロンの薬師に頼ったほうが……」
「いや、〈騎士の森〉に行く必要はない」
「どういう意味ですか?」
「ハカリはアンズたちとともに、この街のどこかで呑んだくれているはずだ。片っ端から食い物の美味い飲み屋をあたれば、すぐに見つけられる」
昨日の会話を思い出した。
アンズたちが昼から飲みに来ているとしたら、ハカリは絶対に誘われているはずだ。
体調が悪くても酒の誘いを断るような奴らではない。
この近くに必ずいる。
確信があった。
「しかし、ビブロンの美味い飲み屋といってもたくさんありますよ。私一人では……」
「こんな陽の高いうちから開いている店はそんなに多くない。それに、人手ならある」
「えっ?」
俺はぼうっと突っ立っている十四期の騎士たちを指差した。
「十四期を使え。緊急事態だ、文句は言わせん」
モミは躊躇した。
彼女の身分は間者だ。
通常ならば従兵の下、下女と対して変わらない身分でしかない。
騎士を使えと言われて、はいそうですかといえるものではないのだ。
身分差を超えて親しく接してくれる十三期とでさえ、できるかぎり壁を作るようにしているモミとしては素直に頷ける話ではないはずだ。
しかし、今はそんなことなどどうでもいい。
「こいつらはビブロンについてはほとんど知らない。おまえの指示がなければ動けない」
「ですが……騎士様相手に……」
「黙れ! おまえにとってもハーニェは仲間のはずだ! その仲間を助けるのに細かいことをウダウダというな! 最善を尽くせ!」
「は、はい」
それから、シノたちに向き直り。
「聞いての通りだ。そこにいるのは、うちの間者のモミだ。こいつの指示に従って、街のどこかで呑んだくれている医療魔道士のハカリ・スペーンを連れて来い。急がないと、ハーニェの生命に関わる」
「……しかし、あの」
「なんだ」
「……間者の命令に騎士の私たちが従わなければならないなんて」
ひとりの騎士が嫌そうに文句を言ってきた。
確か、ザンやジイワズ程ではないが、かなり高位の貴族の娘だった。
間者と騎士の身分差について拘泥しているのだろう。
バカめ。
この王国の、この世界の社会的構造や理屈がどうであろうとも、それが戦場において、いいや、西方鎮守聖士女騎士団において幅を利かせられると思っているのか。
「てめえ、仲間が死にそうな目にあっているのに、真っ先に頭に浮かぶのはそんな疑問か? この騎士ハーニェが〈雷霧〉潰しの英雄であることも、これから共に戦う仲間であることも忘れて、くだらねえ身分のことしか言えねえのか?」
「そんなこと……」
「ふざけるなっ! そこにいるおまえらより身分が下っていう女はな、騎士でもないのに一角聖獣に選ばれてボルスアを救った真の勇者だぞ! 一度も命をかけて戦ったことのないヒヨコなんぞが偉そうにぶうたれることのできる相手じゃねえんだ!」
そして、俺は十四期全員に対して言い放った。
「いい機会だからもう一度言っておく。貴様らの突っ込む〈雷霧〉の中は本当の地獄だ。そこには仲間以外の味方は一人もいない。信じられるのは騎士団の仲間だけ。仲間だけなんだよ! 貴様らの横にいる奴らだけが貴様らの生命を助け、貴様らが守りたいものを救ってくれるんだ! どんなに強くても、入団の期が違っても、身分が違っても変わらない。そのことを肝に銘じろ!」
「……」
「不服か? 不服なら、荷物をまとめて故郷に帰れ。戦友のために命を捨てられない連中にいてもらっても困るからな」
「い、いえ。帰りません!」
「なら、モミの指示に従って、とっとハカリを探しにいけ!」
「はい!」
モミに一瞥をくれると、すぐに彼女は十四期を連れて店の外に出て行った。
あいつならすぐにハカリを連れてくるだろう。
俺は床に寝転んだまままのハーニェを横向きにして、それから、水の入ったグラスを手に持つ。
そのまま水をゆっくりとハーニェの口の中に注ぎ、それから指を突っ込む。
呼吸困難で苦しんでいる相手にとっては酷かもしれないが、腔内に残った食べ物を完全に吐き出させる必要があるからだ。
ついでに吐瀉物もかきだす。
タナが心配そうにこちらを覗きこんでいる。
「何をしているの?」
「気道を確保する。あと、おそらく原因となっているエビの成分を洗い流す」
「エビ?」
「ああ、たぶん、これは毒でも病気でもない。アレルギーなんだと思う」
「あれるぎーって?」
俺は簡単に説明した。
肉体が外部から摂取した特定の物質に対して、過剰に免疫反応を起こすのがアレルギーだ。
原因ははっきりしていないが、ハーニェの場合は、卵や牛乳、ソバといった食物を食べることによって発生する食物アレルギーだろうと思われる。
食物アレルギーのアレルゲンに、エビが含まれていることから、今回はそのエビを口にしたことによるものだろう。
山育ちのハーニェは今までエビを食べたことがなかったので症状がでたことがなかったのだろうな。
もし、知っていたらエビは食べなかったはずだ。
いや、そうでもないか。
さっきからの周囲の様子からすると、アレルギーという概念自体がこの世界にはなさそうだ。
かつてはこういう症状がでたときも、ただの食あたりか食い合せが悪いだけと判断されて、ありきたりの処置しか行われていなかった可能性もある。
原因も特定できずに、アレルギーのショックで死んでいった人たちが多くいたのかもしれない。
さっきのカイの〈解毒〉が効かなかったように、毒でなければよしと楽観されてしまえばあとは本人の運次第となってしまうのだろうから。
俺の記憶にはアレルギーの詳細についてまでのものはなかったが、どういう症状を引き起こすかという点については覚えていた。
ただし、応急処置後はただちに病院に搬送しなければならない程度の記憶だ。
病院でなんらかの化学物質を投与して疾患を安定させなければならないということだが、何を投与するのか、その投与する物質はなんなのかが残念なことにわからない。
「……病気じゃない?」
「ああ。むしろ、身体の正常な作用が暴走している感じだ。身体が受け付けないものを排除しているのだから」
「じゃあ、魔導は効き目がないのかな?」
「わからん。少なくとも毒や病気の類ではないことは確かだ。むしろ、ユニコーンの治癒力に頼った方がいいかもしれん。しかし、ハーニェの身体を森まで無理に運んで悪化しないとも限らないし……。今から〈遠話〉でこっちに呼び出すことも考えるべきか」
「ユニコーンたちの治癒力ってなんなの? 聞いたことがないんだけど」
「あいつらが備えている自己治癒力だよ。俺の〈復元〉と似ているが、自分たちだけでなく他人にも使えるはずだ。ただ、あれを使えるのは俺の記憶ではユニコーンの王様だけのはずなんだよ。アーかゼーあたりなら使えるかもしれんが、今まで聞いたこともないし……」
俺の独白を止めたのはタナの提案だった。
「……それなら、〈恢復〉の魔導はどうかな?」
「なんだと?」
「さっきのセシィの話を聞いてピンと来たんだけど、ハカリちゃんが使う疲労回復のための〈恢復〉って魔導を試してみたらどうかな。確か、あれは筋肉痛とかに効くはずだし、もしかしたらこの『あれるぎー』ってのにも効果があるかも」
俺は魔導があまり効かない体質なので受けたことはないが、そういえば疲労困憊した騎士たちに対して、訓練のあとにハカリがマッサージしながらなにやら魔導こみの治療を施していた覚えがある。
あれが〈恢復〉というものか。
「どんなものだ、それは?」
「うーん、運動をすると筋肉に痛みが貯まるでしょ」
「ああ、乳酸が貯まるらしいからな」
「……ん? それで、〈恢復〉はその痛みを身体に不要なものとして排除してくれるの。そうすると疲労もなくなって、また動けるようになるんだ」
なるほど、肉体を平時に戻す効力があるのか。
それはユニコーンの治癒力と似たような効果があるかもしれない。
免疫力が正常に働けば、ハーニェのこの症状を抑えられる可能性があるのなら……。
ただ、その発想でうまくいくかどうかはわからない。
賭けの度合いが大きすぎる。
もっとしっかりとした知識を俺が持っていればこんなことにはならなかったのに。
俺は元の世界にいた頃の自分の知識のなさを嘆いた。
自分には関係ないなど思ってきっと真面目に勉強してこなかっただろう。
しかし、今はできる限りのことをするしかない。
「よし、それをハカリに頼もう。……しっかりしろ、ハーニェ。絶対に助かるからな」
方針を決めると、俺は横たわったハーニェにずっと話しかけた。
タナも続く。
意識が混濁しているだろう状態だが、それでも構わない。
こういう呼びかけが命を繋ぐ可能性があることを俺はなぜか知っていた。
それから、半刻もしないうちに、ハカリとアンズが店内に飛び込んできた。
「教導騎士っ!」
「騎士ハーニェは無事ですか?」
口々に叫ぶ二人を抑え、なんとか状況を説明する。
かなり酒臭いが意識と思考ははっきりしているようだ。
まあ、時間からして二次か、三次会ぐらいの頃合だろうし、泥酔するほどの時間帯ではないか
「〈恢復〉でいいんですか? もっと高度な医療魔導も時間さえかければできますけど……」
「いや、そんな時間はない。頼む」
「あれは疲労回復とかのための補助の魔導ですから、根本的な治療にはいたらないと思います。それでもいいというのなら……」
そう言うと、納得していなさそうだったが、ハカリはじっと精神集中すると〈恢復〉を唱えた。
すると、さっきまで息も絶え絶えだったハーニェの呼吸が徐々に落ち着き始めた。
効いているのかどうかはわからないが、それでも全身をたまに襲っていた震えもなくなる。
タナが額や首筋の汗をハンカチで拭う。
すると、かなり楽になったのか、真っ青になっていた顔色が少しずつ赤みを取り戻し始めた。
目が薄く開く。
「ハーニェ、ハーニェ、大丈夫! しっかりして!」
「……タナちゃ……」
久しぶりに聞くハーニェの声だった。
よし、わずかだが効果はあったようだ。
「ハカリ、そのまま頼む」
「わっかりました!」
張り切って魔導を行使するハカリの肩を叩いて、俺は少しだけ安堵したのか、床にぺたりと腰掛ける。
俺の首筋にまで嫌な脂汗が流れていた。
腕の中に抱いた女の子がそのまま死ぬかもしれないと思うことは、恐怖以外のなにものでもなかったのだろう。
顔を上げると、タナがハーニェの手を握って泣いていた。
彼女の意識が戻ったことが嬉しくて泣いていた。
友達が運良く生命を拾ったということが、どれほど嬉しいことなのか、それだけでわかる。
ふと、気がつくと、十四期たちが全員後ろに集まって、こちらを見ていた。
彼女たちの目にはこの光景はどう映っているのだろうか。
俺にはわからない。
ただ、もしいい方に解釈してもらえるのなら、この連中がいつか仲間のために生命を賭けられる戦士になってくれるかもしれない。
このビブロンへの遠征がきっかけになればいいのだが……。




