騎士ハーニェは苦労人
[第三者視点]
「これは由々しき事態だよ」
いきなり自室に押しかけてきて、開口一番そんなことを言ってきた親友に、ハーニェはかなり戸惑った。
彼女としては明日の休暇に備えて早めに休みたいというのに、タナに居座られては床に入ることすら難しい。
同じ部屋のクゥデリアはすでに寝巻きに着替え、ランプの灯りで三つ編みをほどいて、就寝する気満々だ。
ハーニェを助けてくれる気はないらしい。
「……いや、別に十四期と教導騎士が一緒に街を見て回ったからといって、何がどうにかなるわけじゃないだろ。タナちゃんが案じていることなんて、起きやしないよ」
「わかんないよ。あの、セシィだよ」
「あのっていう指示語が何を指すのかはわからないけど、十四期の子たちに教導騎士が人気があるという話は聞かないぞ」
「カイ・セウがいるじゃん」
「……あれは例外だよ」
「いや、一人いたら三十人ぐらいはお邪魔虫が出てきてもおかしくないよ。ハーニェは危機感が足りない」
「いや、俺には関係ないし」
タナにしては珍しくやきもちを焼いているようだ。
嫉妬というほど熱くないのが、いかにもからっとした性格の彼女らしいのだが、付き合わされる方の身になればたいした違いはない。
頼りの同室者はさりげなく目をそらしつつ、そのまま音もなくベッドの中に潜り込んでいった。
おやすみの一言もないのは、一瞬でもこちらの気を引きたくないからだろう。
(クゥ、覚えていろよ)
心の中で恨み言を放っても残念なことにクゥデリアには届かない。
一方で、よくわからない興奮が収まらないタナの愚痴はまだまだ続く。
基本的にタナのお守役はナオミの仕事なのだが、ナオミに相談できないような類の話についてはハーニェがその担当となる。
剣の天才少女は、その突出した能力のためか、やや日常生活においてずれたところがあるので、意外と周囲の助けがないとやっていけないタイプなのだ。
そして、彼女の恋バナ関係についてはナオミにはできないことをタナはわかっている。
そのため、今日みたいに押しかけられて苦労するのはハーニェだった。
「そもそもねえ、こんだけせっせと粉をかけているのに、あれだけ無反応なのはいったいどういうことよ。そう思わない?」
「……うーん、だから、別に俺は関係ないし」
関係ない。
ハーニェにとってはそれしかいえない。
確かに、我らの教導騎士は女性に人気がある。簡単に言えばモテる。
単に女性の集団の中の唯一の男だからというわけではなく、根本的にいい男だからだ。
とりあえず顔は好みがあるとしても、教導騎士セスシス・ハーレイシーには様々な面で他の男とは違う部分があった。
まず、男女に差をつけない。
世間一般の男性や騎士養成所での男の教官による、意識的・無意識的な女性蔑視に慣れきっていて、それが当然だと割り切っていた彼女たちにはとても新鮮だった。
偉ぶろうともせず、常に自然体で、たまたま近所のお兄ちゃんが一人混じっているぐらいの同じ目線。
彼が異世界からやって来たということは知っていたが、この世界の男性には見られない特異な思考や感性を持った異質な男だった。
男特有の粗野さがなく、かといって卑屈でもなく、それなりの教養を持ち、様々な事柄に対して凝り固まった偏見もない。
女だらけの集団にいるというので、時折窮屈そうではあるが、そのことに苛立つ素振りもみせない。
次に、その経歴と実力と行動の裏打ちだ。
ユニコーンの騎士団の設立に携わった〈ユニコーンの少年騎士〉の伝説はまぎれもない真実で、実際に聖獣であるユニコーンたちとの鉄の信頼関係を有し、その騎乗技術は他の追随を許さず、そして、なによりも幾つもの戦いや事件で見せたしっかりとした行動力。
戦技そのものは大したことがなくても、その誇りある態度は人をついてこさせるのに充分なものである。
どれもが、戦士たる彼女たちの信頼を勝ち取るのに相応しい勲の山だった。
戦いを職業とするものであれば、誰もが彼に絶大な信頼を寄せるほどのものだ。
命を救われ、名誉を守られ、陰日向に優しく助けられて、それで惚れない女はまずいないだろう。
もっとも、騎士たち全員が、彼に女として恋愛感情を抱いている訳ではない。
尊敬どまりの者もいる。
実のところ、ハーニェ自身も男としての教導騎士には魅力を感じていない。彼女の場合は、むしろ自分を引き上げてくれて指導してくれた恩人として敬愛しているという感じだった。
他にも、男としてはちょっと趣味ではない……という騎士以外の団員も少なからず存在している。
ただ、騎士団の中で彼のことが本当に嫌いという人物にはお目にかかったことがない。
苦手や無関心というのは何人もいるが、女性の集団でそこまで嫌われずにやっていけるというのはある種の才能ではある。
女だらけというのはそれだけ厄介な場所なのだ。
とにかく、教導騎士については、西方鎮守聖士女騎士団全体からはっきりと好かれている状況といえた。
そうは言っても、処女ばかりの騎士団ということもあり、はっきりと恋愛感情を出して彼に接しようとするものはごく僅かだ。成就するあてがないからだ。
だが、年頃の乙女たちであり、恋に落ちたらもうどうにもならないということはある。
叶うかどうかはともかく少しずつモーションをかけている少女は幾人かいる。
その筆頭が、今ハーニェの目の前にいる天才騎士なのだが……。
「ハーニェはセシィが十四期の子達にとられていいの?」
「……いや、教導騎士はそんなに簡単に口説き落とされたりはしないだろう。ノンちゃんやマイちゃんあたりにさえ、見向きもしないんだぞ」
「なんで、その二人が引き合いにでるの? もしかして胸の話?」
最近のタナはやたらと自分のスタイルについてこだわるようになっていた。
そろそろ女の子としての自覚がでてきたのだろう。
「例えば、の話だよ。第一、教導騎士は女の子に興味ないだろう。男色家だという噂もあるぐらいだぞ」
「それはない」
「え、そうなんだ?」
「ユニコーンたちは衆道を嫌がるらしいから。そういう傾向があったら、近寄らせてもくれないと思うよ」
「へえ、初耳」
「ただし、娘衆道は大丈夫らしいから」
娘衆道とは、つまり女性同士のあれこれということだ。
今ひとつ、ハーニェにはわからない概念だが、妄想をたくましくしてみると男性同士よりは納得できなくもない。
「まあ、その女の子に興味がないっぽいところが問題なんだよねえ。一生懸命、スキスキ言っているのに妹扱いぐらいしかしてくれないしさ。どうすればいいと思う?」
「……現状維持でいいんじゃない」
「それだと、明日の休暇で後輩に出し抜かれちゃうかもしれないじゃん。邪魔をしちゃおうか」
「うーん、一応話の内容では、教導騎士は仕事として十四期と交流を深める一環として休暇を使おうとしているんだろ? だったら、そこに割り込むのはマズいよね。むしろ、印象が悪くなる」
「うんうん、それで?」
「……とりあえず問題が起きないように尾行するというのはどうだろうか?」
タナは顎に手を当ててから、少しだけ考えて、
「ぐっじょぶだね、ハーニェ! それで行こう! いやあ、相談した甲斐があったよ」
「満足してもらえたのならそれでいいよ」
「じゃあ、明日の昼前にセシィの小屋を見張れる食堂の陰あたりに集合ね。遠眼鏡は持参で、服装はいつものスモックとかは避けて、普通の格好で。顔バレしないほうがいいから、帽子や伊達メガネなんかも用意しておいて。よし、燃えてきたぞ」
「……え、もしかして俺も行くの?」
「あたりまえじゃん、ハーニェは私の大切な右腕なんだよ。私たちは一心同体なんだから!」
「お、俺は関係ないって……」
「大丈夫だって、明日の用事はないんでしょう」
「明日は、クゥと訓練をしようかな、なんて……」
「訓練なの? それは困るな……」
そのとき、背中を向けていたクゥデリアが口を挟んできた。
「タ、タナ。ハーニェは明日ずっと暇だってぼやいていてから、つ、連れて行ってもいいよ」
「やっぱり? もう、ハーニェ、出不精なんだから~。暇なら暇って言ってくれないと。じゃあ、それで行こう! クゥはどうする?」
「わ、わたくしは尾行なんて下手ですから、ここでタナが首尾よくいくことを期待しているよ」
「任せて! 我らのセシィを十四期の魔の手から救い出してみせるよ!」
そう言うと、タナは陽気に鼻歌交じりにハーニェたちの部屋から出て行った。
悩みがなくなったから、気も軽くなったのだろう。
反対にハーニェは気が重くなっていたのだが。
ハーニェは後ろで毛布に包まれて女の子座りをしているクゥを睨みつけた。
「クゥ……余計なことをするなよ」
「ご、ごめんなさい」
「まったく、タナちゃんが来たら逃げるし、変な援護射撃はするし、まったく友達に裏切られて散々だ」
「……タナ、ハーレイシー様のことになると暴走するときあるから。そ、それに、やっぱり心配だし」
クゥデリアも教導騎士のことを憎からず思っていることは、ハーニェも知っている。
元々、彼女は〈ユニコーンの少年騎士〉に憧れてここに来たクチだ。
憧れがそのまま慕情になり、そのまま恋情になってもなんらおかしくない。
そうなると、タナなどは彼女の恋敵筆頭にあたる。
タナのハーニェへの相談からさっさと逃げたのは、そういうことだ。
ただ、他の恋敵を押しのけてまで恋を成就させようとは思わないところが、この控えめな少女の限界だった。
その少女が友達を利用してでも、意思表示をしようとしたのだ。
十四期と教導騎士との接触をわりと危惧しているのだろう。
であるのならば、親友としては多少の無理を聞いてやらなければならないだろう。クゥデリアに落ち込まれでもしたら、西方鎮守聖士女騎士団全体の戦力に影響が出る。
それに、タナ一人を放っておくのも心配だ。
あの炸裂弾のような少女を鎖もつけずに野に放つとどんな面倒事が生じるかわからない。
ハーニェは肩をすくめた。
もう決まってしまったことだし、彼女一人で抗っても仕方ない。
明日はお目付け役として頑張るとするか。
「貸し一つだぞ、クゥ」
「う、うん。わかった」
そう言うと、ハーニェは自分も着替えをするために立ち上がった。
窓の外の綺麗なお月様は、こちらの苦労など知ることもなく、ただ頭上で輝いていた……。




