なめ茸禁書目録
私がかくのごとき窮状に追い込まれているのには理由がある。文士として立身出世を約束されており、聖書に次ぐ世界的ベストセラーを生み出す作家になる私でも、このお題で小説を書くことはすこぶる困難である。
公認会計士とは何者なのだろうか。読んで字のごとしであるとするなら「公に認められた会計のプロ」ということになる。
すなわち「飲み会に参加したはよいが酒が一滴も飲めない体質なので、最後まで素面でおり会計等の雑務を担当することになる損な役回りの者」を指すのであろう。
これはまことに社会的底辺を生きる可哀そうな生き物の総称ではないか。そのような者に身を落とすなど、お天道様と母上に申し訳がたたない。私は断固としてその様な無様な生き方をしないよう身を正していく所存だ。
しかし、ひとつ解せぬのはこんな社会的底辺生物にも「プロ」という優秀な集団がいることだ。やはりどの世界にも「プロ」と「アマ」の区割りはされているらしい。私の様な知識階級の高等民からすれば取るに足らないことではある。
プロとして活動しているなら誇りを持って活動しているに違いない。所詮会計されど会計。私は学生の頃から意識高い学生の区分に属していたため、誇りをもって生きている人物は好きである。それが女性であるならなお好きである。
いつの間にか私は公認会計士なる低俗民に、少しならぬ興味を抱くようになっていた。彼らは何を思ってそれを生業とするのか、何を思ってその道を選んだのかが知りたい。
私は学識と意識は高いが、できるだけ楽に金を稼ぎたいと思っている。彼らのように損な役回りを受けるなど考えただけでも反吐がでる。できることなら寝ている間に金が湯水のごとく湧き出るように稼ぎたい。それには印税が一番である。だから私は作家を志すのだ。
話が逸れたが公認会計士のことである。
私には彼らのことを簡単に知るシステムがある。いわば私に助言をする参謀みたいなもので、これが大そう便利で優秀であり、時折その助言のままに事を運んでしまうこともある。この怠惰は徐々に正していかなくてはならない。
私はそのシステムを起動させた。俗に「yahoo知恵〇」と呼ばれているらしいが、その様なセンスの欠片もないネーミングは優秀な参謀システムに失礼である。私はこれを『なめ茸禁書目録』と呼んでいる。私は大のなめ茸愛好家なのだ。ネーミングの頭になめ茸とつけるだけで、これほどまで優美で官能的になるとはなめ茸も罪な奴である。
この『なめ茸禁書目録』に「公認会計士とは?」と打ち込むといくつかの助言が提示される。それには少々時間がかかるのが珠にキズであるが、急がば回れという諺があるように私は待つのだ。いくらでも待つのだ。徳川家康も待つに待って天下をとったではいか。
私は席を立った。トイレの時間である。紳士は時間に正確でなくてはいけない。
助言が三つ提示された。さすが『なめ茸禁書目録』である。参謀とは知略が湧いて出てこなくてはならない。使えない参謀はすぐにリストラされてしまう。世間とは厳しいものなのだ。
一つ目の助言は「あなた自身でまず調べてみてはいかが?」というものだった。なるほど、主君を甘やかさない教育係の様な助言である。固い岩のように頑固ではあるが誰よりも主君を思う老武士のような格言である。あっぱれだ。死罪を命じる。私は気が短いのだ。
二つ目の助言は「公認会計士とは云々」と長々と文が書かれている。これはまさに理論武装した官僚的助言である。ひたすらに文字を並べ相手を煙にまく作戦であろうが、そうはいかない。私は学生時代に弁論部に属して数々の強敵を論破してきた豪の者である。貴様ごときに負けるはずがない。しかも最後に「お役にたちましたでしょうか?」とは厚かましい。役にたっておらんわ!目がチカチカして目薬を点す羽目になったではないか。流罪じゃ!島流しじゃ!
今日はどうも参謀の調子が悪い。これはいったいどういうことなのか。私は憤慨しつつ最後の助言を見ることにした。
三つ目の助言には「そんなことより私と踊りませんか?」とあった。
オーケーハニー。
私はベストな助言を手に入れ満足し、満ち足りた気分に包まれると同時に、公認会計士とは踊れば忘れるような取るにたらない生業であることを知った。
またひとつ私の中の世界は広がりをみせ、締切間近の原稿を書き上げる決意をした。夜明けまであと一時間ほどである。それまでに原稿用紙三百枚を上げなければ、私は干されてしまう。
よろしくどうぞ。




