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第二章『家』

 ――誰だって、そうだ。だって、生きているのだから。


  *  *  *  *


 漆黒の空に、白煙が上っていく。白煙というには、薄く儚い。

 要するに、ただの湯気だ。私たちは今、女子寮に隣接した、大浴場の露天スペースに浸かっていた。

「ずるい」

 思わず、口を割って出た言葉は、麗奈に向けてのものだった。

「何がですか? 良恵さん」

「いや、まあ……」

 私は麗奈の胸は見ないようにして、言葉を濁す。高校二年生。まだまだ、可能性はあると信じたい。

「変な、良恵さん」

 そう返すと、温水を白い肌に塗りこむようにして撫でた。

 ここ、蓮華島は火山の関係で、部分的に温泉が沸いている。それを引っ張ってきたのが、この大浴場であり、男子寮と女子寮にそれぞれ大浴場が設置されている。部屋にシャワーもあるが、やはり広いお風呂を使う生徒が大半で、だいたいは浴場は混み合っているのが常だった。

 しかし、ここ最近はそうではなかった。

「麗奈は来ると思う?」

 わかりません、と麗奈は夜空の月を見上げた。

「でも、私はその“怪奇”を探るためにここにいるのですから」

「うーん……本当に鬼なのかなあ? 去年の槍真のお父さんみたいに、何かお面被っているだけとか、そんなんじゃないの?」

「それでしたら、ただの変態さんということになります。捕まえてさしあげれば良いだけのことですわ」

 そう言うのは、名門・神宮寺家の跡取り娘。旧い家柄あってか、合気道などの武術も叩き込まれていたというのを知ったのは、彼女と知り合って一年後だった。お互い、知らないこともまだ多い。

「でも、こうやって露天でのんびり湯浴みというのも、いいものですわね」

 引き締まったプロポーションの良い裸体が月明かりに映える。対して、私は幼児体系。温泉で溺れ死にたい。

「あら、良恵さんは、入学時からちょっとずつですけども成長していますわよ。一年生と二年生でこんなにも違いますわ。私なんて、変わらないままですもの」

 そんな様子の私に気づいた麗奈は微笑み、フォローしてくれた。

「そうかなあ……」

「そうですわよ。魔法の素質だって、料理の素質だってピカイチです。良い栄養士さんになれますわ」

 ああ、体系のことじゃなかった……と、思わずガクリと来る。

 けれども、この一年間で確かに伸びたと思う。そうして、漠然とひとつの夢が固まってきている。

 入学当初はさほど大きな夢もなく、ただ親の敷いた「医療」の道を突き進んでいた。けれども、今は違っている。好きだった「料理」を活かせる道を歩みたい。

「本とメディがいなくても、部分的に魔法を使えるようになったけど……この時期の一年間って、すごいんだなって自分でも思う」

「私たち“本”の契約者は、守護者から力を引き継いで、それを自分のモノにする……そうして、それを日本の未来のために使う。悪しき方向へ利用してはならないことを学ぶためにも、貴重な学校生活ですわね」

 この一年間で、色々なことを覚えた。そして、知った。

 魔法の技術で言えば、座学と実技。それから、魔法を有効活用した将来の進路。私の場合で言えば、やはり病院という場がいいだろうということ。それは、サラ院長先生にも言われた。

 友達のことやこの島のことで言えば、麗奈や里見のこと……。

「まあ、何よりも……こうやって、良恵さんとご一緒できるなんて、それはそれで楽しいですわ」

 麗奈は実家に住んでいるので、普通はこの寮の中までは入れない。しかし、今回は特例でここに来ている。麗奈が、神宮寺家の正当な跡継ぎであるからである。

 神宮寺家と、里見家。この二つの家は、蓮華島の由来ともなっている、蓮華家と並んで旧くから存在する名家である。が、蓮華家と違うのは、どちらかというと、宗教的な側面を持った家柄であるということだった。

 里見家は仏教の系統であり、神宮寺家はキリスト教の方面であるということだが、どこまでを包括しているのかはわからない。こういう離島のことだから、仏教と一括りにして、いろんな宗派を含んでいるかもしれないし、神宮寺家にしても、カトリックやプロテスタント関係なく受け入れているのかもしれない。何にしても、小難しい話で私にはそのあたりはよくわからなかった。

 近年に入って、里見家や神宮寺家のあり方は変わってきた。蓮華家が学園の設立を目指したのと同時に、里見家は警官などの方面に多くの人材を輩出し、神宮寺家は島の役場に多くの人材を輩出した。苗字は変わっていても、遠縁だったりと、多くの身内で構成されており、本土ならば許されないことである。

「けど、麗奈がそんな雑用任されるのも、お父さんのお仕事でしょう? 何か変」

「役場によせられた苦情処理……それならば神宮寺家の仕事といったところですわ。私も家に縛られる身ですもの」

 苦情処理が、実際に現場に乗り込むなんて話は聞いたことが無いが、若い女性で学園に由縁のある者が麗奈しかいなかったという理由で、期間限定ではあるが麗奈は寮に暮らすこととなった。しかも、私とルームシェアである。

 私はすごくうれしいし、楽しんでいる。麗奈も同じようだった。麗奈も家の雑用でも、そういった点で譲歩しているのかなと思う。

「けど、今日で何泊目かわかりませんけど……やっぱり出ませんわねえ」

 麗奈はそう言って、「まあ、このまま何もなければ一ヶ月でお家に帰りますわ」と微笑んだ。それまでは、ちょっとした修学旅行気分を味わおうというところだろう。

 私たちは、雲ひとつ無い月明かりの中、温泉を堪能――しようとしたところであった。

「来てしまいましたわね。楽しみを邪魔されましたわ」

 立ち上がり、麗奈はタオルを巻いた裸体を外気にさらす。

 私も慌ててそれに倣う。引っかかるところがないためか、巻き方が悪いのか、タオルがずれそうになり私は慌ててそれを直した。

 麗奈が濡れないようにビニール袋に入れた聖書を取り出し、残る一冊、愛用の医薬品集を私に投げてくれる。

『すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである――』

 湯水で滑りやすくなっているタイルの上を、麗奈は器用に翔けて、露天風呂の進入防止用の竹柵へと詠唱の矛先を向ける。麗奈の守護者が、その姿を現す。天使だ。

『――マタイによる福音書第七章八節!』

 何もしていないのに竹の柵が左右に開く。まるで、門を開くかのようだった。

 同時に、中を覗いていた人影が浴場内へ転がり込む。転がった勢いで頭を打ったのか、はたまた麗奈の魔法にそこまでの効果があったのか、男は起き上がろうとしなかった。

「あらら、呆気なかったですわね」

「お、おに……?」

 それは鬼の仮面を被っているように見えたが違っていた。

 鬼のような形相、という言葉があるけど、それをそのまま当て嵌めたらこうなるだろうなというような顔。それは表情の変化だけではなく、表皮も薄桃色に変色していた。たとえるなら、アルコールの多分に入った酔っ払いの顔を酷くしたような感じだけれど、飲酒の気配はどこにもない。

 ただ、やけに野性くさい臭いが鼻についた。

「これは、肌が硬化してるのですわ。それに、奇形が生じています。耳、目、口」

 麗奈に言われ、気絶している男の顔をよく観察した。

 耳はお伽話の中に出て来るエルフのように尖っており、目は黄色く濁っており、およそ黒目にあたるものが存在していなかった。また、口は従来の私たちのそれよりは大きく裂けているように見えた。口腔がいやに赤黒い。何か、動物でもそのまま食べたかのような感じがして、私はようやくこの鼻につく臭いが、男の口臭であると気づいた。

「これは、魔法の弊害。きちんと、魔法を己の物にできなかった者の末路ですわ」

 私が“鬼”と呼んでいたもの。麗奈が“怪奇”と呼んでいたもの。

 その正体は私たちと同じ――人間だった。


  *  *  *  *


 蓮魔の二年生。この島に来て、二度目の秋が来た。そうは言っても、亜熱帯の気候である。

 本土のような四季の変化を感じることはできない。

「なあー、良恵。なあって」

 呼ばれて私は我に返った。休日の、女子寮談話室である。

「なに深刻な顔してんねん」

 顔をあげると、仁美が心配そうな顔で覗きこんでいた。

「魔法でも失敗したか? 私は失敗ばっかやで」

 整った鼻に、少々やんちゃそうな目元が可愛い。ふと、魔法を失敗して唖然としている仁美のイメージが過ぎる。瞬間、それは先日の鬼のような形相をした男のそれと被った。

 私は慌ててそれを振り払った。

「うん、魔法は順調かな。麗奈ほどじゃないけど」

「ああ、神宮寺さんか。私の“本格派”クラスにも、噂は聞こえてるで。相当な使い手らしいやん」

 本格派と呼ばれる仁美のクラスには相当な使い手が集まる。

 皆この道の頂点を目指す者だ。しかし、私にはわからない。力を磨き続け、技を学び、知識を得て、その先に果たして何があるのだろう。魔法の道を歩み続けたら、どこに行き着くのだろう。

「仁美は、魔法を学んでその先に何を求めるの?」

 一瞬きょとんとし、首を傾げる。

「うーん。わからんなっていうのが、正直なとこ。だいたい魔法っちゅうもんがな、ふわっとしすぎとるねん。私のクラスに我統ってのがおるんよ。本人に自覚はないけど、魔力の才能の塊みたいなやっちゃで。ああいう奴らはなんか、生きる意味っていうんか? 何かそういう大きなものを探しとる……上手く言えへんけど、そんな気がするわ。良恵んとこのクラスみたいに、それを将来に生かそうとかそういう方面のことまで頭が回らんのよ、きっと」

 仁美はそう言うと、うんうん、と強く頷く。それは、自分で自分を納得させるかのようだった。

「私もきっと、そう。生きるのでいっぱいいっぱい何やろね。きっと、そういう人が魔法に毒されてしまうんやろな。そういった人が誰かを殺したり、自分を傷つけたりしてまう……」

 そう言って、談話室の机の上に誰かが広げたまま放置していた校内新聞を指さした。

 そこには魔法の力に身を蝕まれた者の末路が掲載されていた。先日、私と麗奈が捕まえた男のことだ。

 この学園内でいくつも暴行を働いてきているらしい。また、自分で自分の身体の部位を食していたとも掲載されている。しかしその部位は直ぐに再生しているというから、もはや人知を越えている。死者が出なかったのが幸いであった。

 けれども、不思議なことに、大きな問題であるようなその事件は、一般の新聞では全く報道されていなかった。取り上げるほどのことでもないというのだろうか。いや、あれはそんな次元の存在ではなかったように思う。

「その事件な、私もびっくりしたけどな……どこにでも転がっとる話なんや思うで。ただ、それを表ざたにしてしまうと、“魔法を使えない”人たちが、より私らのことを避けるようになる。怖がるようになる。せやから……国か、その方面の人が動いとるんちゃうかな……都市部では、警察絡みの組織が。学園では、国から要請された職員が。事実を揉み消すって言うたら感じ悪いけど、そないな動きはあると思うな、私は」

 仁美は腕組みをしながら、真実を暴く探偵のように得意気に鼻を鳴らした。

「仁美は、この蓮華島にもそれはあると?」

「あるやろな。少なくとも、この規模やったら、学校側、医療機関、それから警察方面に役所方面」

 指折り数える。

 学校側はおそらく、多数存在しているだろう。医療機関側は、外からの要請があると断れないような雰囲気もあった。あそこは島の医療機関というよりは、蓮魔が設立されたのに併せて設置されたことから、どちらかというと学校側の施設とみなす方が正しいように思う。

 警察方面と、役所方面――里見家と、神宮寺家。私が確かめるべきことではないのかもしれないけれど、知った名前に繋がり、思わず身震いする。

「ま、今のとこ、私らにできるのは勉学に励むことやな。必要悪やろ? 別に悪いことやないし、結果的に私らを守ってくれてんのよ」

 仁美はそう言うと呑気に笑った。

「確かにその通りだけど、同じ魔法を扱う者としてあまりに悲しいよ……。あの男の人は望んでああなったの? 望まずああなったの? 望んでないよね。誰も、あんな末路は望まないはずだよね。だから……」

 だから、悲しい。

 けれど、そんな言葉を吐くと、実家の両親は叱咤するだろう。両親は厳しかった。

「それとも、こう思うこと自体が弱いのかな。だめなのかな……」

「良恵。わかるで、あんたの思ってること。でもな、魔法ってのはまだ出てきて数十年かそこらの未知の存在や。危険が常に隣り合わせにあるねん。だからこそ、分析して研究して、より安全なように生かす必要が出てくる。そして、これらの研究ができるのは魔法の道を進み続けた者だけや。特定の、力量と頭脳を持った、天才だけや。そういうのは、本格派の天才に任しとき。できひんヤツにはできひんなりの生き方があるねん」

 それって何だろう、と顔をあげたとき、良恵はもう立ち上がっていた。

「その生き方が、そのまま役目になるんよ。世の中、そんな風に上手いこと成り立っとる。さ、私はちょっとクラスの子と買い物の約束しとるから行って来るわ。最近編入してきた子がおるねん。あんたと同じ医療系やで。また紹介するわ!」

 仁美は一方的に言うと、るんるんと歌いながら去って行った。あえて明るく立ち去った。それは優しさだったのかもしれない。

 家のことが頭を過ぎると、逃げたくなる。泣きたくなる。姉さまはどうだったのだろう。いつも毅然と両親と向かい合っていたように思う。姉さまの死について、両親は私に何も語らなかった。ただ、姉さまが死んだことだけを悔やんでいた。

 休日のため、誰もいなくなった談話室で私はひとり嗚咽をこぼした。

『良恵……泣カナイ』

 馴染みのある声がする。カバンから顔を覗かせたのは、守護者のメディである。

「ねえ、メディ。姉さまは、怖くなかったのかな」

 メディは黙して、少しばかりそっぽを向いて。

『ソンナコト、ナイヨ……ダッテ、生キテイタンダカラ』

 そう、呟いてカバンの中に潜り込んだ。

 そうだ。誰だって、そうだ。だって、生きているのだから。

 私は涙を拭いて、ごめんね、とカバンを優しく撫でた。そして、席を立つ。誰だって怖い。でも、それを乗り越えて、先へ進めるんだ。

 行くべき場所は、決まっていた。


 ――蓮華病院。

 島の救急医療を担うこの病院は、休日であっても開いていたが、普段の診療は受け付けておらず、休診となっていた。あくまでも、時間外の緊急の患者のみ受け付けている形だ。

 受付に向かおうとして、事務員が席をはずしていると気づいた。トイレか何か別の用件かどちらにせよ待つしかないと思って、席に腰を下ろそうとしたところ、診察室のドアが開いた。

 顔を覗かせたのは、白衣を着た二十代後半くらいの男性だった。

「ん、あ。キミはあのときの……」

 蓮華病院に二人いるという常勤ドクターのうちの一人である。帰国子女の男性ドクターで、専門は脳神経外科とうわさに聞いている。

 私と麗奈が、例の異形となった男を引き渡した相手であった。また、昨年の槍真の主治医でもある。治療に関しては厳しかったと槍真は愚痴をこぼしていたが、私には気さくそうな良い人に見えた。

「どうしたの、今日は?」

「あの……例の、鬼の一件。どうなったのかなって思って……」

 男は、ああ、と少し表情を変える。

「それは、あなたたちが関与するところではないのではありませんか。個人情報もあります」

「しかし、引渡したのは私たちです。その後、彼がどうなったのか知る権利くらいあるはずです」

 言って、校内新聞を男に突きつける。

 男は目を細め、観念したように頷いた。

「わかった。ここじゃ何ですから、奥へ。説明しましょう」

 通された先は電気を消した廊下の先である。歩いてきた廊下を振り返ると、入り口が小さく見えている。暗い分、正面玄関のガラス扉から差し込む日差しが目立った。

「休日なので、使わないフロアは節電していてね」

 そう言って扉を開く。

 プレートには、「資料室」とだけ書いてあったが、室内は資料を置いているような雰囲気はなく、むしろこれは、留置人の面会室に似ていた。

 今、扉をくぐったスペースは院内と同じ様式で作られいて、デスクが二つほど置かれており、パソコンが設置されている。何かの記録用のものだろう。そして、そこをガラスで区切って、妙な金属製の椅子や毛布も何も用意されていないベッドが置かれていた。今は、誰も入っていない。

 こつん、とガラスに指を当ててみる。強化ガラスだろうか。指先の感覚だけではわからなかった。

「ちょうど、本土への引渡しが済んだ後でね。ご覧の通り、からっぽだ」

 言って、向き直る。声の静かさと、口調の変化が不気味さを増していた。これはきっと、何かがある。

 インテリ眼鏡がとても似合う、細身の男性。クラスの女子なんかが見たら、「めがね男子!」とでも喜ぶのかもしれないが、今はそんな気分にもなれない。

「さて、改めて自己紹介しよう。私の名前はレンと言う」

 それは、苗字だろうか。それとも下の名だろうか。耳で音を聞いただけでは判断ができなかった。

 私の疑問を見越して、名刺を渡してくる。

「ああ、帰国子女の悪い癖が出たな。名はれん、氏は蓮華れんげ。蓮華家の末っ子だ」

 まあすぐに忘れる名前だがな、と廉と名乗った男は不敵に微笑み、瞬間、私は身の危険を感じて後ろへ飛びのいた。

「蓮華家の……人?」

「そんなに警戒しないでくれていい。手荒にはしないし、一度は真実を教えてから、そのことに関する記憶だけごっそり抜いてしまおうっていうだけなのだから、“今”のきみの要望は叶えられるだろう? それを未来へ持ち越すことはできないが、未来のきみはそのことで悩むわけではないのだから、誰も損をしない。困らない。話だけでも聞いてみたらどうかね」

 そう言って、廉は後ろ手に扉を施錠した。廉の背後の扉が外界との唯一の、出入り口。

 こうなると、私はもう成す術もなかった。

「あと、手荷物はすべて預かっておこう。抵抗すれば、魔法を打つ。私は蓮華家の人間だ。魔法技術専門学校のトップである蓮華家の人間だ。この意味をわかっていて抵抗するなら……」

 私は本を開いてしか、守護者のメディの力を借りられない。

 対する目前の男は、守護者から全てを継いだ継承者である。しかも、魔道の天才と呼ばれる蓮華家の人間だ。ここで抵抗するよりは、時間を置き、体制が変わることを祈るしかない。相手が情報を開示しようというのだから、ここは甘えておくに越したこともない。

「さて……」

 言った瞬間、施錠した扉が開けられた。

「……え?」

 さっきまでシリアスな雰囲気だった廉が間の抜けた声をあげる。

 これには、私も廉と同様に驚いた。いずれ助けは来てくれるかもしれない、それまで会話を引き伸ばそうと思っていたのに、これだけ早く結果が出てしまうとは。あまりに早すぎて、詳しいことも何も聞けないじゃないか。

「なにが、“え”ですか、勝手に私用に使用して! あら、これなかなか面白いですねー。“私用に使用”って、あははー」

 乗り込んできたのは、サラ院長先生である。手にはカギをぶらぶらと遊ばせている。その様子があまりに幼く、やはり私と同い年くらいにしか見えない。

 そして、サラ院長に続いて入ってきたのは、私の待ち人――麗奈だった。

 私の休日は、私のアルバイト先の喫茶店『night a star』で麗奈と待ち合わせることから始める。今日はここに来ることにしていたので、一言メールだけしておいたのだ。聡明な麗奈のことだから、先日の事件との絡みを考えて行動に移したのだろう。

「神宮寺さんから聞きましたよー。蓮華センセ、いたいけな女子高生を連れ込んで、カギをかけていたなんてぇ、そんな性癖あったんですねぇ? 許婚に言いますよ? あ、もう許婚いますねぇ、ここに」

 サラ院長先生は相変わらず間延びした声でくすくす笑い、麗奈の後ろに引っ込んだ。

 自然と、腕組みした麗奈が姿を表す形になる。

「れ、麗奈……」

「サラ院長先生に事情を話して、マスターキーを持ってきてもらったというわけですわ。良恵さんがあまりに遅かったので。ここに来るということは、あなたと話すはずですものね?」

 色々と話しているが、私は実のところ、ある一点だけしか意識になかった。

「え、てか、え……いいなずけ? と、年の差かっぷる?」

「照れくさくて言えなかったのですの。廉は私のフィアンセですわ。将来の。家が決めたっていうこともあるけれど、私と彼は相思相愛ですの」

 廉の顔を私はおそるおそる窺う。年上の、素敵なめがね男子。インテリ。できる男。

 こんな人と婚約――私は、もう麗奈にすべて敗北したことを悟った。そういえば、蓮華病院のドクターの話になると、麗奈が含んだ言い方をすることが多かったな……と今更ながらに気づく。

「だから、安心してください、良恵さん。彼は悪人じゃないです。ただ、この島ひいては世の中のシステムをあまり不特定多数に知られたくないだけですの」

 麗奈は、神宮寺家の女はそう言って、“鬼”のことを話し始めた。


 魔法とは、人間の脳のある一部を活性化して用いるという。いわゆる、サイコキネシスといった超能力の類に限りなく近いものであるとされている。魔法――魔の法。神の道である神道に対し、魔の道である「魔道」から転じたもの。魔道、人の理から離れた道。

 科学的には、あるいは医学的には、そして生物学的にははっきりと解明されていない。要するにわからないことだらけなのだ。起源はわからない。仕組みもわからない。しかし、その魔法と共存する方法は、魔法省が設置以来、模索し続けている。その答えのひとつが、魔法技術専門学校であり、今の世の中での魔法人のあり方なのである。

 だから、今回のような事例は珍しくは無いのだ。魔法の力に溺れ、魔の力が身体の組織を蝕んだ事例は、私たちの目に届かないだけで数多存在している。

「麗奈……教えていいのかい?」

 廉がおそるおそる言う。さっきまでの怖い雰囲気はなかった。私に対して、警戒を解いてくれたのだろう。

「いいのです。良恵さんのような方に知っておいてもらわなきゃ、私たちもいずれ大人になるうちに、初心を忘れ、今の魔法省の人たちのようになってしまうから」

 よくわからないことを言う。それよりももっと、気になることがあるというのに。

「ああいう人たちを……どうするの?」

 たずねた。

 昨日の男の人だけではない。もっとたくさんの人間が魔法を使えるのだ。そういう人たちの中に、あんな風になってしまう人もまだまだいるのだ。

「本土に送ります。魔法省の直属の研究施設に。そこで様子を見るそうですわ」

「様子を見るって……真実を隠して?」

「魔法は……常に危険と紙一重です。その力に飲まれてしまった者を救う術は今の日本にはありません。一時的に保護し、研究対象とするしかないのですわ」

「その人たちはどうなるの?」

「わかりません」

「どういう研究が行われているの?」

「わかりません」

 麗奈はただ首を振る。

 わからないことだらけ。そんな曖昧でいいのか。

「麗奈はまだきみと同い年の学生なんだ。わからなくても仕方ない」

「じゃあ、廉さんは?」

 廉は絶句し、口を閉ざした。

 もういい加減うんざりだった。誰も知らない。何がいいかもわからない。それなのに、人の言いなりになるこの人たちはどこかおかしい。

「誰も、わからないんでしょ? そんなの変じゃない! 麗奈は何も知らないのに、役所勤めのお父さんの命令であの男の人を捕まえて引き渡したの? 神宮寺家って何なの? そんなにえらいの!?」

「良恵さん……私は」

「言い訳は聞きたくない!」

 そんな麗奈の一面、見たくなかった。そんな世間の裏、知りたくもなかった。あまりに、ひどすぎる。

 私は麗奈を押しのけ、後ろにいたサラ院長先生を避けて、廊下を走った。

 事務員さんが不思議そうな顔をしていたが、私は無視して走った。誰も知らない。世界の不条理を。汚い手を。だから、私は何かから逃げ続けるように病院を飛び出し――走り続けた。


 気づけば、なぜか島の外れの墓地群に向かっていた。誰もいないところに自然と向かっていたのだと思う。去年、槍真の父が潜んでいた旧い寺院の跡地が見え、走るのをやめて、その入り口に腰を下ろした。体育座りをして、ひざ小僧におでこをつける。

 一年ぶりにこの場所に来たけど、かわらず寂しい場所だった。波の音だけが遠くに聴こえる。

 この人気のない場所を目指して、去年、麗奈は走っていて、私はそれを追いかけていた。あれも確か、“鬼”が出たからという理由だった。けれど、結局それは槍真のお父さんで……あれ、違う。槍真のお父さんには私が会ったのだ。そして、そのとき麗奈はそこにいなかった。やはり、あのときも麗奈は別の“鬼”を追いかけていたのだ。あのときも、私には黙ったまま、私のことは蚊帳の外にして。

 声をあげて、泣いた。どうせ誰も聞いていないのだから、声を殺す必要なんかもない。

「麗奈のバカ、バカバカバカ!」

 叫んだ。

 叫びながら、何に怒っているのかよくわからなくなってきた。麗奈に対して? 世の中に対して? そのどちらでもないような気がした。魔法という人外のはずれくじを引かされた、自分の理不尽さ。また、それによって、死を選ばざるを得なかった姉さまのことが不条理で、納得いかなくて、私はひたすらに涙を流し続けた。

 ガサリ、音が聞こえたような気がした。

 耳を澄ませてみる。近くではないけれど、微かではあるけれど、波音に紛れて確かに何かの音が聞こえる。それは自然のものではないような気がした。何者かが、立てている音。

 方角的に墓地の中のように感じた。寺院の裏手が覗けるところまで壁伝いに移動する。

 大泣きして叫んでいたのを誰かに聞かれた。もしかしたら、見られていた――羞恥心が勝り、私はそこに居る者の正体を知ろうとした。知っている顔でないことを祈りながら、そっと顔を出す。


 ガサガサガサ。

 墓地に見えたのは襤褸をまとった女だった。ここから距離が少しある。女は墓に向かってしゃがみこんでいた。拝んでいるのだろうか。誰か親しい人の墓なのかもしれない。

 ……いや。

 違っていた。女は墓の土の部分をずっと素手で掘っていたのだ。やがて、何かを見つけ取り出す。それは、骨壷だった。その中身に手を入れて、何やらがさごそしている。ちょうど、私の位置からは背中からしか見えないが、確かにその生々しい音は聞こえた。

 ガリガリガリ、と乾いた音がした。齧っているのだ。人骨を。骨壷になっても残っている部位というと、大腿骨のあたりだろう。しかし、火葬された骨はずっと齧り続けていられるほど硬くは無い。すぐに租借し終えると、女は次々と人骨を食し始めた。

 狂っている――思わず、後ずさりし、落ちていた木切れを踏んでしまった。

 乾いた音が鳴り、女はこちらを振り返った。

 同じであった。先日の温泉で見た、男と。女はこちらを見ると、口を耳元まで裂くようにして赤い口腔を覗かせる。笑っているのだ、と思う。同時に私は、腰を抜かしてしまった。立ち上がれない。

 女はゆったりとこちらへ歩みを進めてくる。私は尻餅をついたまま、後ずさる。怖い。立ち上がれない。逃げなきゃ。頭の中を、思考がループする。女が何か、ひどい高音を上げ、走り始めた。みるみる、その姿が大きくなってくる。近づいてくる。あまりに速すぎる。

 近づいて気づいたが、女の着ているそれは襤褸ではない。私の着ている制服と同じようなタイプのものであった。

「あ、あ、ああああ」

 気づいてしまい、声を漏らした。

 何年前のものかはわからない。けれど、女の着るそれは私の着ている規定の制服と同じものだった。

 かつては、美しかっただろう十代の顔はそこにはない。今あるのは、青白い肌に気味の悪い顔を浮かべた鬼の顔。口は耳まで裂け、その眼は黄土色に濁っている。耳は尖り、おまけに頭頂部には皮膚を貫き、髪を掻き分けて、骨のようなものが飛び出していた。角、と呼ぶにしてはあまりにも骨に酷似したそれは、元は人体の一部であったことを否が応でも思い知らせた。

 女が手を振るった。私が着ていた休日用の衣服は、ここの気候に合わせた薄手のものだった。易々とその生地は裂け、私の肌に赤い血の線を作った。

「ひ……」

 声が漏れる。

 怯える私を見て女はケタケタ笑い、鋭く尖った爪先を天へと伸ばした。口の中でぶつぶつと呟いている。呟いているわけではなく、これは――詠唱だ。魔法を扱うための媒体。人知を越えた力を使うために、集中力を高めるために用いる手法。一種の、儀式。私たちの慣れ親しんだ、様式。

 暗雲が、女の頭上に集まり始める。

「ま、魔法……?」

 呟くと同時に、女が目が細める――

「うるせぇよ、まな板」

 声は頭上から聞こえた。正確には私の背中の寺院の屋根から。

 女の詠唱が完成し、暗雲から雷が放たれる。それは、目の前に飛び降りた男の手にした木刀に向かって一直線に落ちた。それは確かに、雷ではない。だが、限りなく似たものであることには間違いない。

 なのに、私にはその衝撃は伝わらず、目前の男の身体で止まっていた。いや、止まっていたのかもわからない。男は雷に撃たれても微動だにしなかった。何らかの防御魔法を張ったのだろう。

「里見守、参上ってか? へっ、いいタイミングだったか」

 里見はそう言うと、私を一瞥する。

「無い胸みせてる暇あったら、守護者のひとつでも見せてやれよな」

 言われて、私は肩かけカバンを胸元に寄せる。そして、カバンの中のメディのことを思い出した。

 守護者は、行使する契約者の意思なくしては動けない。私は恐怖のあまり、メディと本の存在をすっかり忘れてしまっていたのだ。

「いまさら、遅えよ。だが、それでいい。俺が来た。俺が来たということは、もう全てが終わる。なァ、そうだろ? ヒャハハ」

 里見は喜色めいた笑みを浮かべる。

「おィー? そこの“怪奇”さんよォ。里見守は、残念ながら里見家や神宮寺ほど優しくはねェぞ?」

 里見は木刀を振るう。

「あんま魔法は使いたくないンだけどなァ。“怪奇”相手なら、イーブンだろ。たまには、いいよな?」

 いいよな、と里見はどこかへ問いかけるように呟いた。その目が一瞬だけど悲しげに、切なげに見えた。眼前の凶悪な爆弾のような男もこういう顔を見せたことに驚いたが、それは一寸で消えた。

「オラッ!」

 里見は短く叫ぶと同時に、木刀を地面に突き刺し、それを地表へ走らせた。切っ先が宙へ舞うと同時に、眩い光の剣筋が私の前に居た女にぶつかり、女は甲高い悲鳴を上げて吹き飛んだ。

「雷のお返しだバカヤロ。焦げる側の気持ちもわかったか」

 木刀を肩にのせ、女の元へ歩み寄る。

 もはや、動く気配すらない。詠唱すら無しであった。里見は何も無しに自然な仕草の中で魔法を交えたのだ。それは相当な技量を意味する。どんな環境にいても、瞬時に集中力を高めることが里見には出来るということになる。

 里見は倒れている女に近づき、木刀で殴り始めた。一撃受ける度に女は震えた。鈍い音が響く度に口からどす黒い血を流し、跳ねる。ドス、ビクン。ドス、ビクン。それは規則正しくて、あまりに里見が淡々と行なうので、私は呆然と見入ってしまい――我に返る。

「な、何しているの!? やめてあげて!」

「うるせェ」

 里見は木刀を振り上げる手を止めない。

「やめてって!」

「うるせェ! こうなっちまったらもうお終いだろうが!」

 里見はドスを利かせた声を張り上げる。

 一瞬怖気づいてしまうが、私は里見の右腕にしがみついた。

「やめて、やめてあげてよ……」

 里見は戸惑いを瞳に浮かべる。また、さっきの顔だ、と思った。泣きそうな、切なそうな。

 私から目を逸らし、里見は足元の女を睨む。

「もう、数年前にそいつは死んでンだよ。生ける屍に近い状態になって、今まで動いてた。オレはそれを止めただけだ」

「でも、まだ、可能性はあるかもしれないじゃない……」

「あるかもしれねェよ。だがな、小娘。あるとしたら、研究所に送ってサンプルデータを取って、弄くりまわして、万に一つの可能性でしかねェ。はっきり言って、国のやることだ。胡散臭いことこの上ねェだろ。今の魔法省だってな、日本政府の中で動いてンだよ。色々な利害関係の中でな」

 里見はしゃがみこみ、私の顎を掴んで顔を近づける。黒い眼の向こうに浮かんでいるのは、何だろう。悲しみか、怒りか。

「神宮寺の小娘や、蓮華の末っ子ぼっちゃん。あいつらのやっていることが、それだ。それか、オレのようにモルモットになる前に楽にしてやるか。どっちかしかねェんだよ」

 二択しかない――そう、これは単純な二択問題だったのだ。

 麗奈や廉のやることを私は否定した。否定した先には、里見の言う道しか残らない。それが果たして、善なのだろうか。

「ひとつ言っておくがな、これは里見家のやり方じゃねェ。オレのやり方だ。神宮寺家も、里見家も、蓮華家も。すべて、国の、学園の思うままに動いている。あいつらにしたって、好きでやっているわけじゃない。だけどな、他にどうすりゃいいのか、あいつらもわかンねぇんだよ」

 そして、付け加えた。消え入りそうな声で。独白めいた科白を。

「オレだってな、やりたかねェよ……だけどな、こんなになるのを嫌がったヤツだっていンだよ……」

 里見の声が風に消え入りそうな瞬間――怒声が聞こえた。

「こ、ここここの強姦魔め!」

 馴染みのあるクラスメイトの声だった。

「忍法、着地の術!」

 とうっ、とまたも頭上から、いや、背後の寺院の屋上から、人影が舞い降りる。

 現代の忍――あほの子、槍真だ。

「アァン? 誰が強姦魔?」

「黙れ、レイプマン! 吉田良恵さんに狼藉を働こうとしたこと、見ればわかる!」

「あ?」

 里見は私と目線をあわせ、腰をかがめていた。その視線を私の顔から胸元へと下ろす。私は慌てて、またカバンで隠した。

「ああ、これか」

「ああ、それだ。ちょっと無いけど、かなり残念なまな板だけど、女の子には代わりない! 一応な!」

 腹の立つ科白を言って、槍真はごそごそと巻物を取り出し、魔法を唱えるべく守護者の忍者を出そうとする。

 しかし、しゃがんだままの里見に木刀で掃われた。

「あ」

 巻物は手の届かないところへ転がり、あたふた焦り出す槍真。

 私はカバンから本を取り出しながら、微笑む。カバンでしっかり胸はガードしたまま。

「槍真。里見は、私を助けてくれただけで、これは別にそういうことじゃないよ」

「あ、そうなの? なら、いいんだけど……」

「それで。誰が、まな板だって? 無い乳? マイナスAカップだって? 胸がサハラ砂漠?」

「え、いや、そんなにたくさん言ってない……」

 私はメディを呼び出し、彼女の住処である本の医薬品集から適切な語句を探す。下剤効果……これでいいか。

『マグミット!』

 瞬間、槍真は腹部を抑える。里見がメディを見て、それから槍真を見て、目を細める。

「あ、あれ、急にお腹が痛くなって……うっ」

 そのまま槍真は走り始めた。間に合えばいいね。

「おい、忘れもん」

 里見が地面に落ちていた巻物を走り去る槍真に向かって放る。

「お、覚えてろよ!」

 キャッチすると、悪役の三下のような捨て台詞を里見に投げつけ、走り去った。

「……おまえ、あれは何気にエゲつねェな」

 その姿が小さくなるのを確認して、里見は大きくため息をついた。

「ふう、興がそがれたな。お前帰れよ」

「え」

「今の話はひとまず保留だ。どっちにしろ、コレはもう動かないから、もう言い合ったって仕方が無いだろ」

 里見が顎で示した先には、先ほどの女が転がっていた。

「後はこっちで何とかしておく。幸い、里見家は寺院の少数を覗けば、警察方面に多く人を輩出している家柄だ。オレが頭下げたら何とかなるだろ。どっちにせよ、曝し者にはしねェよ。それから……」

「それから?」

 どこか納得のいかない私に、「オレは一応、寺の家系だからな」と付け加えた。

「オレがここに来たのは神宮寺の小娘から連絡があったからだ。一応荒れ果ててるけど、ここ、オレの隠れ家だからな。電話と電気、通ってるし」

 里見は立ち上がって、荒れ果てた寺院を指さす。

「たまたま近場に居たからすぐ来れたけど、この島には人の入り込めないエリアもまだ半分以上残っている。今回のような件もあるし、あんま人の居ないところには出てくんなよ。もう立てるだろ?」

 里見が差し出した手に、私は頷き、引っ張ってもらうようにして立ち上がる。

「あの、麗奈は……」

「オレは特に何も聞いてねェよ。言いたいことあんなら言ってくれば?」

 そう言うと、羽織っていた黒いマントのようなものを放り投げた。

「あ、ありがとう」

 胸元を隠すように羽織ると、早く行け、と里見は手を振って促した。

 歩き始め、振り返る。里見は背中を向けてしゃがんでいた。女だったモノの屍のあるところだった。里見がそれをどうするのかわからない。「晒し者にしない」と言っていたから、闇に葬るつもりだろう。それができるだけの力が、里見家にはある。

 私は、里見が女に手を合わせているのに気づいた。「オレは寺の家系だからな」と言っていた意味もわかった。本当は、里見もそんなことをしたくないのだ。きっと。

 誰だって、最良の手はわからない。国や家のしがらみの中でもがいている。里見は――里見守は、里見家という枠を外れて好き勝手やっているように見えた。しかし、それも難しいことなのだろう。不良というレッテルを貼られても、己のやり方でこの島を守っていこうとしている。彼の名前の通り、「守」ろうとしているのだ。

 麗奈だってそうだ。家のやり方に、ただ従っているだけじゃない。

 家に決められた結婚。家に決められた将来。家に決められた規則。それらをただ従順に守っているわけではないと思う。そうでなければ――温泉の一件に、私を巻き込んだりなんてしない。

 ゆっくり歩いていた足は次第に速くなり、私は、喫茶『night a star』へと走った。


  *  *  *  *


 喫茶店の状態の『night a star』は相変わらず、お客さんは居なかった。

 ほとんどの収益を夜のバーであげているということだが、私は未成年な上に、寮の門限もあるから、昼間しかアルバイトができない。そんな私が居る意味はさほどなかった。

 そのため、本来支払ってくれるということである給料を私は辞退し、その分、料理を教えてくれとお願いしたのだが、経営者である内藤さんも引き下がらず、折衷案である、給料の半額を料理の授業料として納めるという形になっている。

「やあ、良恵ちゃん」

 内藤さんは挨拶だけすると、店の裏側へ引っ込んだ。

 店内にお客さんは居ない――麗奈ひとりを覗いて。私は麗奈の向かいに座った。

「良恵さん……どうしたんですか、その服」

「うん、ちょっと」

 心配そうに尋ねる麗奈に、私は墓地であった一件を正直に話しておいた。

 女の“怪奇”のこと。里見に助けられたこと。槍真がしゃしゃり出た件は特に関係ないけど、一応言っておいた。

「そう……あの男が」

「うん。あのね、麗奈」

「なんでしょう?」

 怒った様子もなく、優しい表情を崩さすに奥ゆかしく首を傾げる麗奈。まるで、聖母のような優しさが滲み出ていた。こんな人に、いや、これだけ大切な友達に私はひどいことを言ったんだ。

 自然と目元に涙が滲んだ。

「あの、麗奈……ごめんね」

 いよいよ涙がこぼれた。ごめんね、ごめんね。私は手でそれを拭いながら、謝り続けた。

 麗奈はそんな私の頭を胸元に抱き寄せると、優しくぽんぽんと撫でるようにたたいた。なんて、柔らかい優しさなのだろう。私はそのあたたかさに埋もれ、しばし、泣き続けた。


「ん。もう大丈夫」

 麗奈から顔を離し、笑ってみせる。

「そう。けれど、無事で良かったですわ。里見守がすぐ駆けつけられる場所だったのも、良かったですわ」

「里見って、結局のところ、何者なの? あの鬼みたいなののこと、詳しかったみたいだけど……」

 麗奈は、長くなるけど、と前置きをして口を開いた。

「里見家は、神宮寺家と対をなす、この島の昔からの家。宗教的意味合いであれば、この島の土着のものになります。神宮寺よりも遥か旧い歴史を持つ家柄ですの。昔から、“里を見る”役を担ってきたと言います。本土で伝わる、京都の阿部清明と似ている……と言えばわかりやすいでしょうか? “怪奇”は昔もあったと言われていますが、それが“現実のもの”となったのはやはり戦後になってからと聞きます。もう良恵さんもご存知ですわね。魔法に負けた者の末路、あの鬼のような人々です」

「魔法に、負けた者……」

「神宮寺家は里見家より幾分か後に現れた一族です。キリスト教が日本に伝わった頃ですわ。里見家とは時に対立し、時に手を取り、蓮華家を支えてまいりました。そう、この蓮華家こそが、この島最古の一族です」

 島の歴史の細部はわからなかったけれど、この御三家がどれほど凄いのかは理解できた。

「里見家も、神宮寺家も、そして蓮華家も手段は違えど、同じ目的のために動きます。ただ、里見守だけはそのやり方に反発していますわ。思うところがあるのでしょう」

 魔法が発生した後も、それぞれは魔法の有用性を考え、優れたものを親族に取り込み続けたのだという。麗奈の言った、同じ目的のために。

 それは今でも続いており、麗奈と廉の婚姻もそのため定められているのだと言う。

「悪しき因習、と言うべきかもしれませんが、私と廉に限ってはたまたま恋仲だったのです。私は幼い頃から彼を慕っておりましたし、彼もまたそうでした。なので、両家の決めた事柄について反抗する必要はありませんでした」

 けれど、と麗奈は顔を上げた。

「将来の道については、私たちの決めること……。今の神宮寺家は行政側に収まるのが正しいとされています。今のこの時代の、魔法に関する有力な家柄はそれぞれ、立ち位置が定められているのです。司法に相応しい家柄の出は、自然と本土の有用なエリアに配置されます。行政も然り、警察も然り。すべて、決められた位置に、魔法省の望むままに裏で進められております」

 魔法を扱えるキャリア。それはどの部門でもほしがっている人材である。一般の人が忌避しないように、魔法の危険性を隠すのも、これらを容易くさせるためだった。そう聞かされて、私は例の報道の一件を考えた。

 校内新聞のような信憑性の低いとみなされるものは好き勝手に書けるが、世の中に出るようなものについては即規制されるのである。それもきっと、報道側に魔法を扱える人材が居て、決定権を握っているということに他ならない。

「魔法とは、それだけの強制力を持っています。人に余りある力ですから、集まれば脅威になります。今はまだ、これを悪い方向へ用いようというものはおりません。それだけの力を束ねられる存在がいないからです。だけど、着々と力は一定の方向へ集まりつつある……」

 私の次元を遥かに超えた話だった。

 それを目の前の、同い年の少女は平然と話している。

「私は家の言いなりになりません」

 麗奈は、きっぱりと言い切った。

「親は私を高卒で地方公務員にしようとしております。ですが、私は大学へ進学し、魔法省に入ります。そうして、中から改革を進めていきます」

 夢あるいは妄想だと思われても仕方が無いほどの、途方も無いエリートへの道である。

「蓮華廉は、今あそこでスキルを磨き、ゆくゆくは魔法省直属の研究機関へ入ると言っています。蓮華家の人間の言うことですから、有言実行でしょう。私たちは、いま二人です。ですが、必ず変えてみせます」

 麗奈は断言してみせた。

 その目を見ても迷いはなく、決して嘘や冗談を言っている目ではないことはよくわかった。

「ねえ、麗奈……ひとつだけ教えてほしいの」

 ダメだ、とか、無理だよ、とか。

 言葉にするのは簡単だけど、口を挟むことはできない何かがそこにはあった。そして、麗奈は口にしただけのことをやってのける目をしていた。齢十七の少女にはない、強い眼差しがそこにはあった。

「なんで、私に話したの? 何で、私に“怪奇”の存在を教えるようなシチュエーションを作ったの?」

 麗奈はうつむいて、ぼそぼそと言った。

「……私の生き様を、誰かに知っていてほしかったから。そして、私が道を踏み外したときに止めてほしかったから」

 そして、続ける。

「もしくは……不安だったから、大切な誰かに、背中を押してほしかったから」

 顔をあげる。

「今は、それだけじゃダメでしょうか? 高校時代の、今の友達こそかけがえのないものだと思うのです。私の進む道は、嘘や欺瞞だらけの世界でしょう。そこで得られる人たちは、仮に仲間と呼ばれるものであっても、きっとどこかに駆け引きが存在しています。何の損得もなく信用できるのは、あなたや服部君のような、“今この瞬間”を一緒に過ごす者だけなんです」

 私にとって、と麗奈は微笑んだ。

「神宮寺家だって、嘘や騙しあいの世界。肉親であったって、信じられません。私にとって。家族と呼べるのは、廉や貴方みたいな人だけなんですよ」

 家の言いなりにはならない。進むべき道を歩み続ける。

 私は麗奈のことを一瞬でも勘違いしてしまった。今すぐに綺麗事を並べるのは簡単だが、私の言ってたこと、なじっていたことはこれっぽっちも現実を理解していない者の浅はかな言葉だった。

 里見は里見なりに、“怪奇”と化してしまった人たちを弔っている。これは将来に期待できず、今を解決する手段だ。麗奈たちは、今の流れに耐え、未来に希望を託している。その分、不確定だ。

 どちらが良いか。どちらに加わるべきか。きっと、そのどちらも無理だろう。

「良恵さんは、今のままで居てください。魔法が怖くないものだと、人々に教えてあげてください。それから、私たちがこれから歩むことのできない、良恵さんの道を歩んでください。お姉さんの分も、歩んでください。私たちは――」


 ――いつまでも、友達であり家族です。


 神宮寺麗奈は、私に、ひとつの未来を託した。

 今はまだ同じ道を歩み続けているけれど、いずれ道をわかつ友のことを考えて、私は思わず涙した。けれど、不安はない。なぜなら、麗奈の隣には、相思相愛の未来の夫がいるのだから。蓮華家の、人間が。


 姉さま。私には、ひとつの道が見えてきました。けれども、それはひとつの壁を越えなければなりません。

 姉さま。私は、その壁と向き合うことができるのでしょうか。その道を越えた先に、私の未来はあるような気がします。


 蓮華島に来て、あと少しで三年目となる。

 長いようで、短い。答えを出す運命の日はそこまで迫っている。私は――いよいよ、姉さまの年に追いつくのだ。

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